第5話 早く屋敷へ帰れ

 璃花リーファ柚良ゆらに渡した地図は詳しいがシンプルになるよう気遣いながら描かれたもので、どうやら彼女の手作りのようだった。

 ありがたいがそれが余計に初めてのおつかい感を加速させる。


 とはいえ柚良は方向音痴ではない。そして暗渠街あんきょがいの中でもコンパスは正常に働く。

 工事や少しばかり視界に入りたくない人々のたむろする路地を迂回したりと細かなトラブルはあったものの、無事にオーギスの屋敷に辿り着いた柚良は風呂敷ごと荷物を手渡すとほっと一息ついた。

「はい確かに。品物も注文通りだ」

 オーギスは風呂敷の中身を確かめると代金だよと袋を差し出した。

 これも中を確かめるべきかと柚良は迷ったが、そもそも代金がいくらになるか知らないため、後で蒼蓉ツァンロンに渡せば良いようにするだろう。

 それでは、と腰を上げかけたところでオーギスが声をかける。


「そういえば娘さんは万化亭ばんかていの新人かい?」

「へ? あ、はい、そうです」


 断言してもいいものか迷ったものの、柚良はそう頷いた。

 オーギスは自分の顎をさすりながら「これはただの親切心なんだが……」と前置きして続ける。

「万化亭の紋が入った風呂敷でそのまま持ってきただろう? 変な奴らに目をつけられているかもしれないから、帰りは気をつけなさい」

「変な奴ら?」

「万化亭は小さな取引も多いが、中にはとんでもない金額を扱う取引きもある。ちゃんとした奴らは下調べした上で襲撃するけれど、ほれ、ここには阿呆も多いからね。その場の衝動で仕掛けてくる輩もいるんだよ」

 柚良は思わず口角を下げた。

 つまり品物を持っている者を追い、帰り道に待ち伏せして金品をスムーズにせしめようという輩がいる、ということである。

 そこでオーギスは少し不思議そうにした。


「万化亭もわかってるはずなんだけどねえ、普段は紋の入っていないものを選ぶか娘一人に行かせたりしないんだが」

「わ、私、もしかして試されてるんでしょうか」

「さあて、儂にはわかりかねる。無事帰れたら直接聞いてみちゃどうだい」


 オーギスは取引相手である。これ以上頼るような発言はできないなと柚良は引き下がり、お礼を言って彼の屋敷を後にした。


     ***


(蒼蓉くんも璃花さんも何も教えてくれなかったけれど……うーん、私の力を買ってるのか試してるのか判断に困るなぁ)


 魔法を思う存分使えれば問題はないが、正体を隠している以上出来れば避けたい事態である。

 そしてそれは蒼蓉たちもわかっているはず。

 とりあえず日が暮れる前に帰ろうと柚良は返却された風呂敷を持って帰路を急ぐ。

 紋は見えないように裏返しておいた――が、やはり時既に遅しだったと知るのは十五分ほど歩き、ヴァルハラから两百龍リャンバイロン内に戻った時だった。


 細い路地の向かいと後ろから現れた人影。

 その数はざっと十数人。

 どれもガラの悪い男であり、薄暗い道でもわかるほど体のあちこちに傷跡や刺青があった。

 表の世界では早々目にしない下卑た笑みで柚良を歓迎した男たちは有無を言わせず距離を詰める。


「お嬢ちゃん、有り金全部置いていきな。そうすりゃ殺さず売るだけで済ませてやるぜ」

「あはは、そんなに良いもの持ってませんよ」

「嘘はつくなって母ちゃんに習わなかったのか? お前が金を持ってんのは下調べ済みなんだよ」


 やっぱりオーギスさんの言った通りになっちゃったか、と柚良は困った顔をする。目立たない魔法なら使ってもいいだろうか。そう思案しつつ男の腕を見たところで、柚良は目を輝かせて一歩踏み出した。

 この場に似つかわしくない輝きである。

 相手から距離を詰めてきたことにぎょっとしながらも、相手は女一人だからどうとでもなると考えていた男は退くことはなかった。


「この刺青って23年前に禁止になった魔狼ワーグの身体強化の刺青ですよね!? うわー、生で初めて見ました!」

「お、おう?」

「少し歪だから無許可の刺青師かなぁ、それでも効果を発動するなんて……あっ、少し魔力路に劣化がある。あの、提示された効力より弱いなーって感じたことありません?」


 柚良は腕をがしっと掴むとムダ毛を払い除けて刺青をまじまじと観察する。その様子は古文書の解読をしている考古学者のようであり、目の色を変えたマッドサイエンティストのようでもあった。

「……て、てめぇ! 自分の立場わかってんのか!?」

 ストレートに模造品と欠陥品であると指摘されたと気がついた男は顔を真っ赤にして柚良に掴み掛かる。

 柚良の視線は未だ刺青に釘付けであり、男はそのまま担ぎ上げようとして――真上から音もなく現れた何者かに羽交い締めにされて目を剥いた。

 赤い髪をポニーテールにした男性だ。口元は黒い布で隠され、瞳は薄紫色をしている。


(へ? 誰……?)


 さすがに我に返ってぽかんとしている柚良をよそに、男性は無言のままその場にいた柚良以外の全員を昏倒させる。まさにあっという間の出来事だった。

 そしてその場で立ち止まったかと思えば突然メモ用紙とペンを取り出し、さらさらと何かを書きつける。

 慣れた動作だなと柚良が眺めていると、男性はその目と鼻の先にメモ用紙を突きつけた。


『早く屋敷へ帰れ』


 ――そう、なにやら苛ついた字でそう書いてあるメモ用紙を。

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