第8話 私立万化魔法専門学校
国への届け出などもしていないため私立と付けるのも「
私立万化魔法専門学校の建物は校庭のない校舎といった雰囲気で、万化亭と異なりコンクリート製のしっかりとした――見様によっては冷たい印象をしていた。
ただし万化亭の家紋、つまり月に青海浪に似た模様の組み合わさった紋が校舎に掲げられており持ち主が誰なのかわかるようになっている。
まだ作られて10年以内といった様子だ。
「わぁ、三階建てなんですね……!」
「ああ。土地の面積の問題、というか簡易結界の範囲の問題でグラウンドを付けられなかった分を縦に取ったんだ。とはいえ屋外授業は屋上の範囲内でしかできないけど」
まだ生徒数も50かそこらだから事足りてる、と蒼蓉は言った。
「校長はボクってことになってるけど、万化亭の仕事もしながら表の世界で学生やってるとさすがに手が回らなくて代理校長を立ててるんだ。最近あまり様子を覗けてなかったのも気になってるから……講師として赴任したら、生徒以外の様子も報告してくれないか?」
「ふむふむ、先生とか校舎の様子ってことですか。いいですよ、レポートに纏めますね!」
「いや、口頭でいい。直接聞かせてくれ」
直接、ともう一度言い重ねてから蒼蓉は鍵を使って校舎内に入る。
「授業風景を見たかったなら申し訳ないけど、
「広さとか場所とかがわかればそれで大丈夫です、ふふ、良い建物ですね! なんかちょっと高校に似てます……?」
「玄関だけでわかったか、暗渠街にはまともな学校がろくすっぽないから参考にしてる」
へえ、と端から端、果ては天井まで見ながら柚良は目を輝かせた。
あの学び舎にはもう帰ることができないが、立場は違えどここで魔法を教えるのは楽しそうだ。
玄関から入ってすぐの部屋が職員室、その隣に備品などの保管庫兼準備室、そして一階から三階にそれぞれ教室が二部屋ある。各階にあるのは男女トイレと更衣室。三年制だが学費さえ払えば好きなだけ居られるらしい。
「さて、
「ですね……」
「さっき言った通り生徒数が全体で50かそこら、正確に言うと55名なんだ。一年生が17名、二年生と三年生がそれぞれ19名で1クラス20以下。教室も一つの階に二つあれば賄える」
これだけ教室が余っているのは先行投資だが勿体ないと蒼蓉は机も何も置いていない部屋を窓から覗き見て言った。
「これは学校って文化にここの住人が馴染んでないのもあるけれど、学校側の力不足も大きい」
この時ばかりは少し滅入った表情をしながら蒼蓉は肩を竦める。
「教える側もそれなりに良い人材を見繕った。が、ここは暗渠街だからね。それぞれ癖が強くて困る。ついでに才能があるのと先生に向いているかどうかはイコールで繋がってない。卒業生も活躍して力をつけるのはもう少し先の世代に期待かな、早く広告塔になってほしいんだが」
「学校を作るのも大変なんですね」
「ははは、だからこそ糀寺さんには期待してるよ」
荷が重いなと思いながらも柚良は自分が受け持つ生徒たちを思い浮かべながらわくわくした。
「ああそうだ、糀寺さんは講師として招いてるから一応非正規雇用だけれど、これは一年契約にするためだからお試し期間だと思っててくれ。希望があればボクの権限ですぐ正規雇用できる」
「あっ、正式な教員になれるってことですか」
「そういうことだ。暗渠街に教員採用試験なんてないけど、ここで採用するための試験は用意してあるから……っていうローカルルールだけどね」
元々ないものを万化亭の権力なり何なりで無理やり根付かせているのだという。
最後に屋上を見てから帰ろうかと言う蒼蓉についていきながら柚良は自分の髪を一房摘まむ。
「蒼蓉くん」
「なんだ?」
「私の素性って隠した方がいいですかね?」
国のお抱え魔導師だったこと、そして皇子殺しの指名手配犯だということ。
それらは伏せようと思えば伏せられる。これまでも魔導師として公の場に姿を表す時も顔を隠しており、名前もユリアという偽名だった。今は亡き両親が柚良を魔導師として召し上げる条件として付けたものだ。
だからこそ学校にも一般生徒として通えていた。
その偽名も指名手配の際に言及され、本名と外見を明かされている。暗渠街にも情報としては伝わっているかもしれないが表の世界ほどではないはず。
「――たしかに中には事件のことなんて知らない輩もいるし、事件は知ってても詳しい情報が出回ってないのが現状だ。他にも指名手配犯がわんさか潜んでるところに手配書を持って回る表の住人なんていないし」
「なら」
「けど知ってる人は知ってる。ボクのところにいるって知ってるから様子を窺ってるだけだ。昨日その宣伝もしてもらったしね」
柚良はハッとして手を叩く。
「わざと紋を見せるようにしたのってそういう理由でしたか!」
「あぁ。……主目的は違ったけど」
柚良に聞こえないよう小さく付け足した蒼蓉は屋上へのドアを開けた。
吹き込んだ風はどことなく煙たいが太陽の光は届いている。今日はよく晴れていた。
「まあ、この学校に限ってなら知ってる人は少ないだろうし伏せたければ伏せてもいい。最初だけ伏せといて様子を見るのもいいだろうね」
「たしかに生徒さんや他の先生たちのこともよく知りませんしね……そういう形にしようと思います」
率先して明かすことはないが隠すこともない、これでいこうと柚良は頷く。
屋上はパッと見は普通の屋上だったが、端に小さな植物園のようなビニールハウス――温室があった。ここで薬草やその他様々な植物を育てているのだという。
その内部を案内しながら蒼蓉は「昨日のことといえば」と口を開いた。
「あの時は言いそびれてしまったけれど、選ぶのが嫌ならボクでもいいんだよ」
「……」
「君も面識がある方がいいだろ、これも講師みたいに一年間の契約式にしてもいいし」
「……」
「ボクも面倒な縁談を断る作業が減って助か……糀寺さん?」
背を向けていた柚良はぷるぷると肩を震わせると鉢植えを両手で抱えて振り返る。
「これマンドラゴラですよね!? でも珍しい葉っぱの形なんです、亜種ですか!?」
「……」
「もしや環境の違いで突然変異したんでしょうか、あ~っこれで調薬したい!」
「……」
「生徒さんに直接訊こうかなぁ、教えてくれると嬉し……蒼蓉くん?」
言い直そうとした蒼蓉は一瞬だけ眉間を押さえるとにっこりと笑って柚良の手に自分の手を重ねた。
「今度もう少し適切な場所で仕切り直そうか。さあ糀寺さん、これは元の所に戻して帰ろう」
「……? あっ、勝手に動かしちゃマズかったですね、すみません」
いそいそと元の位置に鉢植えを戻した柚良は後ろ髪を引かれつつ温室から出る。
その姿を隣で見下ろしつつ、蒼蓉が目を細めたところで――フェンス越しに周囲の景色を見た柚良が振り返って訊ねた。
「そうだ、蒼蓉くん。この辺にオススメのアパートってあります?」
「……アパート?」
「はい! ずっとお世話になってるわけにもいかないんで、この辺で一室借りようかなと考――わっ!」
がしゃん、と柚良に覆い被さるようにしながら背後のフェンスに指をかけた蒼蓉は垂れた前髪越しに柚良を見下ろす。
そのままゆっくりと口を開き、逆光でよく見えない表情のまま言った。
「糀寺さんはもう少しよく考えるべきだ。わざわざ万化亭からここまでのルートを案内したのは『そういうこと』だよ」
「けど迷惑に……」
「こっちの方が迷惑だ」
蒼蓉は柚良に価値を感じているらしい、と柚良本人も把握している。
故に監視下から離れるとそんなに困るのだろうか。そんなことを考えながら柚良は「わ、わかりました」と頷いた。
「でも、その、収入が出来たら家賃とか食費とか諸々は払わせてくださいね」
「自分の実家みたいに過ごしていいのに真面目だなぁ」
蒼蓉はフェンスから手を離すと呆れたような笑みを浮かべた。
「いいよ、その真面目さがいつまで続くか隣で観察させてもらおう」
「悪趣味……!」
「あはは、どうとでも言うといい」
手元に置いておけるならそれでいい。
そう言外に含めながら、蒼蓉は柚良の手を引いて校舎を後にした。
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