第20話 蒼蓉の告白

璃花リーファさん達になんかめちゃくちゃ労られたんですが何ですか……!?」


 蒼蓉ツァンロンの部屋を訪れた柚良ゆらの第一声がこれだった。

 帰るなり寝巻きに着替えさせられ大小様々な気遣いを向けられたのである。寝る前に蒼蓉の部屋へ行く約束があると伝えると髪にヘアオイルまで塗られた。

 蒼蓉の部屋ではよく伽羅の香が焚かれているため意味がないのでは、と思ったが存外混ざり合って良い香りになっている。恐らく計算されたものだ。

 蒼蓉は窓枠に背を預けると「あぁ」と納得したように言った。


「考えられる結果の中でも最上位のものを基準にして対応したんだろうね、ボクからまだ報告がなかったから」

「か、考えられる結果……?」

糀寺こうじさんは知らなくていいよ」


 璃花にはあとで言っておく、と肩を竦めてから蒼蓉は手招きした。近くに来いということらしい。

 ひとまず言われた通りに近づいた柚良に蒼蓉は目を細めるように笑った。

「さて、ボクがどんな話をしたいかわかるか?」

「突然なぞなぞですか。うーん、もっと詳しく昨日今日の感想を聞きたい……とか?」

「それは聞きたいな。けど今じゃなくてもいい」

「ふむ」

 首を傾げる柚良に手を伸ばした蒼蓉は前髪に触れる。目を隠している側だ。

 思わずびくりとした柚良の反応を楽しむような顔で蒼蓉は訊ねる。

「大事な話をする前に……昨日言ってた目、見てもいいかな?」

「えー、ぶっちゃけ気味悪いと思いますよ」

「そういうやつは見慣れてるって。邪眼みたいな効果があるならやめとくけどさ」

 それはないですけど、と言いながら小さく唸った柚良はしばらく考え込んでから折れた様子で頷いた。


「わかりました、まあ得体の知れないものを雇うなんて蒼蓉くんとしても不安ですよね。どうぞご覧ください」

「ふぅん、それぞれ色が違うのか」

「ノータイムで捲りましたね!?」


 許可が出るなり柚良の前髪を退けた蒼蓉は右目の瞳をまじまじと見る。

 元の赤紫色の瞳は白く濁り、その中央に小さな金色の瞳がもう一つ存在していた。遠目に見ると白い目の瞳孔だけ金色に見える。加えてどうやら柚良の意志では動かせないらしい。

「たしかに気味が悪い。――けど、芸術品みたいだな」

「か、感性豊かな感想ありがとうございます」

「それに」

 蒼蓉は親指の腹で下瞼のふちをなぞり、そのまま隠れていた側の頬をさすると存外優しく笑った。


「どんな目でも糀寺さんだからいいや」

「……? それってどういう……」


 蒼蓉は柚良の問いが終わる前に「まず今回思い知ったことだが」と次の話を始める。

「君はその目……というより人体実験のくだりも含めてじつに危なっかしい」

 頬から手を離した蒼蓉は代わりに腕を左右に開くと両手の平を見せて首を横に振った。

「本当に危なっかすぎる。無自覚もここまで来ると被害者が加害者になるレベルだ」

「そ、そこまでですか!?」

「そこまでだ、思い知れ」

 慌てる柚良を見下ろしつつ蒼蓉は真剣な顔をすると口を開く。


「だから野放しにできない」

「うぅ、すみませ――」

「もうストレートに言うけど、ウチの戸籍に入りなよ」

「……ん?」


 目をぱちくりさせた柚良は蒼蓉を見上げた。

 今、何をストレートに言われたのだろう。

 そう疑問に思っている顔だ。まだ言葉の全体像を把握しきっていない。蒼蓉はそんな柚良の腰を引き寄せると言葉を継いだ。

「まあ役所で管理されてるような戸籍なんかないけどね。それでもこの土地でボクの家系図に加わるのは強い力になる」

万化亭ばんかていの後ろ盾があれば生き残りやすいからですか……?」

「それもあるけど糀寺さんはハッキリした方が伝わるようだから言っておくよ」

 じっと見つめる蒼蓉の視線。

 それと共に言葉が降ってくる。


「ボクはずうっと君に片想いしてたのさ」


 しばらくその意味を咀嚼するように静止していた柚良は目をまん丸にすると告白を受けた人間にあるまじき顔で驚いてのけぞった。蒼蓉が腰をしっかり支えていなければひっくり返っていた勢いだ。

「片想い!? 私を!? ずっとってことは暗渠街あんきょがいに来る前から!?」

「雰囲気ぶち壊す天才だね君。そうだよ、五歳の頃に初恋を奪われてずっと煮詰めてきた」

「そんなに前から!?」

 この様子だと片想いのくだりを口にしなかったら「では戸籍に入るので蒼蓉くんとは義姉弟ですね!」と言いかねなかったな、と蒼蓉は眉間を押さえた。

 ひとしきり驚いた柚良は呼吸を整える。

 そして浮かんできた疑問を口にするなら今しかないかもしれないと蒼蓉に問い掛けた。


「ならなんで友達にすらなろうとしなかったんです? 私、恋愛には疎いですけど普通はお近づきになりたーい、とかなるもんじゃないんですか」

「そりゃあ本心はそうだったさ。でもね、ボクは万化亭の跡取りだよ」


 蒼蓉は光の反射しない目で柚良をじっと見る。


「外に出ることは出来てもこの万化亭から縁を切ることはできない。根っからの暗渠街の住人だ。反対に君は光溢れる表の世界の住人、どうせそのうち手放すことになるなら初めから見てるだけでいいやと思ったのさ」

「……ご、五歳の頃から」

「最初は単純にシャイなところもあったから、明確には小学生の頃からだよ。それに」


 言葉を継ぐ前に蒼蓉はにんまりと笑った。

 そして柚良より長い指で己を指してみせる。


「ウチの家業的にはさ、普通な君たちからすれば『堕ちる』ことになるだろ?」

「まぁ一般的に見ればそうですね」

「それはいけないなって遠慮したんだよ。カワイソウだし」


 無理やり手籠めにして堕とすことも出来たが、そうしなかったと蒼蓉は語った。――可哀想という気持ちが本当にあったのかどうか柚良にはわからない。相手は年若くても帝国お抱えの大魔導師だ、無理に堕としても手に余ると判断した可能性もある。

 しかし今は本心として受け取っておこうと柚良は心の中で頷いた。

 蒼蓉は「でも、だ」と柚良の左手を引き寄せると薬指の付け根を撫でながら口を開く。


「すでに『堕ちた』後ならアプローチしたってなんの問題もないだろう?」

「――なるほど、納得しました」

「ははは、じゃあ選択権をあげようか。誘いを受けてボクと結婚するか、万化亭を出て野垂れ死ぬか。糀寺さんはどっちがいい?」


 なんとも凄い二択だ。

 そう思いながら柚良は思考を巡らせ、ああ、まずとても大切な前提が吹っ飛んでるじゃないかと思い至った。だが蒼蓉の気持ちもわからないでもない。

 ならこちらも妥協して中間の意見でいこう、と月よりも明るい笑顔を浮かべた。


「それではここは婚約で!」

「……話聞いてた?」


 そう不満げに口を曲げた蒼蓉は年相応に見える。

 柚良は人差し指を立てると教壇に立った講師のように言った。

「婚約者でも周知させればそれなりに効力ありますよね? 私、結婚は相思相愛派なんですよ。両親が戦略結婚でそりゃあもう大変だったので」

 蒼蓉は柚良の言葉をしばしの間咀嚼し、己の顎をさすると言いたくはないが言うしかないといった顔で問い掛ける。


「糀寺さんはボクのことが嫌いってことかな?」

「まだどちらでもない、です。もちろん恩人だとは思ってますけど、恋愛とはまた別の話ですから。これからちゃんと好きになれるか確認期間をください」

「結構はっきり分けてるんだなァ……なら仕方ない。その代わり」


 ――考えていた結果とは異なるが、前進は前進である。

 そう思い直したのか、蒼蓉は柚良の両手を握ると野生動物のような目をして言った。


「周知させるために遠慮なく見せつけるし、君の心が傾くよう色々なアピールをするから覚悟しておいてくれ」

「はい、お手柔らかに!」

「本当にフラットな位置にいるんだなと思い知るよそれ」


 そう言って笑った顔に、不満はほとんど含まれていなかった。

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