第21話 理解したし納得もした

 柚良ゆらが第三の選択肢を持ち出したのは何も豪快な性格だけが理由ではない。

 ひとえに蒼蓉ツァンロンには表の世界準拠の『優しい面』があると感じたからだ。


 何か思惑があるにせよ、無理やり事を進めず黙っていたのは彼が柚良を一人の人間として見ているからだ。なら明確な理由さえ示せば納得してくれるだろうと思ったのである。

 これが好いた相手以外なら話は別なのだろうが、今は自分の問題だから他の可能性は考慮しないでおこう、と柚良は決める。


(それにしても蒼蓉くんが私に片想いしてたなんて全然わからなかったなぁ……)


 その事実を知って乙女のようにドキドキしないのは――やはり、相手を知らなさすぎるからだろう。

 まったく知らない相手なら別の意味でドキドキするかもしれない。主に身の危険を感じて。しかし蒼蓉は柚良にとって恩人であり、クラスメイトとして認識していた期間もあることから少なくとも不審者ではない。

 しかし恋愛対象として見たこともなく、それに加えてそもそも柚良は恋愛の機微に疎いため、告白されたからといって突然意識してドキドキということにはならなかったのだ。スロースタートタイプである。

 しかし気持ちは理解した。

 納得もした。


(蒼蓉くんはアピールを頑張ってくれるみたいだし、私も自分の気持ちを確かめるために色々試してみないとですね!)


 ふんっと気合を入れながら柚良は職員室へと足を踏み入れる。

 蒼蓉の告白から一夜明け、週の始まりを迎えた柚良は再び新しい一週間を迎えようとしていた。お出掛け――デート中に買ってもらった装飾品はさすがに部屋へ置いてきたが、良いリフレッシュになったのか景色も新鮮に見える。


(さあ、今日のお仕事が終わったらアガフォンさんたちの元にも行ってみようかな。渡したいものもあるし……あれ?)


 新鮮に見えた景色だったが、そこに居たのはコーヒーを啜るアルノスだけだった。

 柚良に気づいたアルノスは人懐こい笑みを浮かべると手をひらひらと振りながら近寄ってくる。

「おはよう、柚良ちゃん」

 いつの間にか糀寺こうじさんから柚良ちゃん呼びになっていた。

 しかし自分の方が年下で後輩だもんねと柚良は違和感もなく受け入れる。

「おはようございます、アルノス先生!」

「アルノスでいいよ」

 ではアルノスさんで、と笑みを浮かべる柚良に「呼び捨てで良いのに」と肩を竦めながらアルノスはコーヒーを飲み干した。

「ところで他の先生はどこへ行ったんですか?」

「まーたエドモリアの一角獣が逃げたみたいでね。校舎中を追い回してる。でもここを完全無人にするのもいけないから留守番してるってわけ」

「ははあ、なるほど。じゃあ私も参戦してきますね!」

 そう言って踵を返し、職員室を出ていこうとした柚良の手首をアルノスが掴む。

 そしてにっこりと微笑みながら言った。


「今週の土曜、楽しみにしてるからね」

「! はいっ、私もです! どこへ行くかは……土地勘はないのでお任せしても?」


 いいよ、と頷いたアルノスはようやく柚良の手を放して見送った。

 ――そう、柚良は蒼蓉の気持ちを理解した。納得もした。

 しかし恋愛の機微を感じ取る能力は大いに足りていなかったと思い知るのは、もう少し後のことである。


     ***


 温度と湿度のチェック。

 換気が正常に出来ているかのチェック。

 薬草の葉の状態から土の湿り加減までくまなくチェック。


 ほのかは普段から行なっているチェック作業を終えると、一通り水やり等の世話を行なってから日誌をつけて一息ついた。

(休み中に来れなくても大丈夫なようにしてあるけど、やっぱり月曜のチェックする瞬間が一番怖いなぁ……)

 育てている植物を枯らしてしまうのは仄にとってとても恐ろしいことだ。

 実家ではここまで立派な設備は使わせてもらえない。実家以外のスペースで畑を作ったことはあるが、暗渠街あんきょがいの悪い空気では上手く育たなかった。

 それでも仄が植物に興味を持ったのは、幼少期に見た花屋の花がいきいきとしていたり、流れの薬屋が転んだ仄に塗ってくれた薬草由来の薬が良く効いたからである。

 思い返せば花屋の方は違法な薬を使っていた気がするが、兎にも角にも仄には大切な記憶だ。


 仄は薬草をはじめとした植物を育てるのが好きだった。

 しかしここを一人で好きなように世話出来ているのは他に志望者がいないだけのこと。

 校長は魔法に関わってくることだからと薬草に関することも推し進めるため設備を作ったようだが、まだ需要と供給がアンバランスらしい。


「……卒業したらもう使わせてもらえないんだよね」


 ぽつりと呟きながらマンドラゴラの亜種を眺める。

 学費さえ追加で払えば三年以上在籍可能だが、仄とかすかの母親は三年間の期限をしっかりと設けていた。この期間中に魔法を覚え、少しでも組織にとって役に立つ人間にならなければ――どうなるかわからない。

 本心は植物だけ育てていたいが、腕力で天業党という組織を束ねている母はそれを許せないようだった。

 それでも仄の性格は理解しており、なら筋肉以外の力を身につけて少しでも組織のためになるよう動きなさい、と魔法学校へ入学させられたわけだ。

 姉の幽はそもそも華奢で筋肉の付きにくい体質だったため、元は一人で入学するはずだったが、今は仄と共に通うことになっている。


(多分、卒業したら私は天業党の頭じゃなくて歯車の一つになる。お母さんは魔法を下に見てたから、それを覚えさせる道を選んだってことはそういうことだわ……)


 恐らく次代は他の有力者を立てるのだろう。

 天業党は世襲制ではないが、朱は構成員から慕われており「可能なら朱様の血筋を次代に」と望まれている形だった。しかしその跡取りがこんな調子では致し方ない。

 育ってきた組織の役に立てるのは嬉しかった。

 しかしその組織ではきっと、植物を育てることはできない。

 なにせ初めて仄が薬草を育てた時、こんな役に立たないものに心血を注ぐより体を鍛えろと没収されてしまったのだから。


(……糀寺先生は好きだけど、この肉体を戦いに使いたくない。だから早く強い魔法を覚えたい。なのに下手くそだし、薬草たちも……)


 卒業後に育てられなくなるのなら、そんな薬草頼りの強化魔法を学んだところで何になるというのか。

 それが仄が柚良の提案を快諾できなかった理由だった。

「……?」

 仄が俯きながらハァとため息をついていると、温室の出入口に人の気配があった。糀寺先生だろうか、と仄は目線を上げる。

 そこに立っていたのは顔だけなら仄そっくりの少女だった。


「そんなに悩むくらいなら薬草学だけ気にしてればいいのよ、仄」

「お姉ちゃん……!」


 仄の双子の姉、幽である。

 筋肉をすべて仄に奪われたかのように華奢で、背も低い。

 しかし表情だけは仄よりも大分溌剌としており、丸い眼鏡をかけていても目力が強かった。ヘテクロミアの色の組み合わせは妹とは逆だ。

 髪は色は似ているものの、おかっぱのように切り揃えている仄とは違い、高い位置でシニヨンにしていた。

 至極姿勢の良い幽は妹を指さして言う。

「魔法もトレーニングも中途半端ならやらない方がマシじゃない」

「……」

「私は母様に強い力を身につけろって言われた。でもここへ入学したのは私の意志よ。渡りに船だっただけで、元から魔法を学んで強くなりたかった」

 幽は口をへの字にする。

「……あなたが自分の意思で学ぶためについてきたなら良かったけど……ずうっと悩んでばかり」

「で、でも、家じゃ薬草学なんて役立てられないし」

「役立てられるところへ行けばいいじゃない」

 私ならそうするわ、と言いながら幽の視線が動く。妹の隆々とした筋肉のラインを見ているのだ。

 そう気づくなり仄はその身を縮こまらせた。


「……仄にはその肉体があるのにうじうじしてる姿を傍で見せられるなんて、辛いのよ。そんな調子なら薬草学だけ極めなさい」

「もし極められても、これだけじゃ」

「何よ」

「……」


 仄は黙り込む。

 これだけじゃ、姉を守れない。

 そもそも家に姉だけ置いて出ていきたくないのが本音だ。しかし家に残れば薬草学は極められない。そんな家ではないのだから。

 つまり薬草学も、魔法も、肉体を活かした格闘もすべて中途半端であり未来に繋がらず宙ぶらりんなのが今の状況である。

 これだけじゃ、ではない。何一つ武器がないのだ。

 そんな状態で姉を守りたいなど仄は恥ずかしくて口に出せなかった。


「はぁ、なんであなたはそれだけ体格に恵まれていて活かすことができないの?」

「……」

「小さな頃は大の大人すら放り投げてたじゃない」

「……」


 仄は暗い顔をする。それがため息をついていた時よりどんよりとしているのに気づき、幽は頬を掻くと湿度計を見上げた。

「あまり長居すると薬草に悪いわね。……私があなたにしてあげられるアドバイスって、多分あなたには合わないわ。だから」


 教師にでも相談してみたら?

 そう言い残し、温室のドアを閉めた幽は屋上から去っていった。

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