暗渠街の糀寺さん 〜冤罪で無法地帯に堕ちましたが実はよろず屋の若旦那だった同級生に求婚されました〜

縁代まと

第1話 ようこそ、暗渠街へ

 柚良ゆらにとって、母国の人間から追われるというのは初めての経験だった。


 夜気の冷たい路地を抜け、走り回る兵士たちの足音から逃れながら隠れ家を転々とする。

 柚良も初めは訳がわからなかったが、街中に張り出された手配書で自分が執拗に追われている理由だけは理解した。

 兵士たちが血眼になって探しているのはリゼオニア帝国マホロバ地区の私立高校に通う女子高生の糀寺柚良こうじ ゆらではなく、リゼオニア帝国の皇子殺しの容疑者である糀寺柚良だ。


 もちろん身に覚えはない。

 帝国に三人いる皇子とはちょっとした理由で全員と面識があったが、もちろん彼らを殺す理由などなかった。


(犯行があった日なんてバクヌシ草の解毒をミスっちゃって一日中寝てたくらいなのに、一体誰の罪を被せられたんだろう……)


 バクヌシ草は経口摂取すれば数日間眠り続けるという毒草だが、上手く毒性を抜くことができれば様々な毒の解毒に転用できる植物である。

 ただし毒抜きは難度が高い。

 柚良は調薬を苦手としているものの、メリットの多さを考えて毒抜きの難度を下げるショートカットはないものかと試行錯誤していたのだが――見事に失敗して眠りこけていた。


 しかしそのせいで授業を欠席することとなり、ついでに家に訪れる人間もいなかったことからアリバイが完全になくなり、この時間に皇子を殺害したのだろうと思われたらしい。


 でも何故そこで私に繋がるんだろう?


 そんな疑問が何度も頭の中を駆け巡ったが、手配書や人々の噂話を盗み聞くだけでは把握できなかった。

 真犯人が別にいることは確定しており、その真犯人に罪を被せられたことだけは予想できているが、今の柚良が考えられるのはそこまでだ。

 事態が落ち着けば様々な情報が出てくるだろうが、その頃には柚良の逃げ場所は残っていないかもしれない。


 とにかく情報のないまま逃げ回るのは消耗が激しく、隠れ家も一つずつと言わず数個まとめて潰されてしまい、すぐに行くあてがなくなってしまった。


(……隠れ家といっても完全に隠してたわけじゃないから仕方ないか)


 凡そ十ヵ所に及ぶ柚良の隠れ家は、多数の兵士から追われて逃げ回ることは想定していない。

 『本業』で締め切りに追われた際に逃げ込むためだったり、少々人前では行ないづらい実験をするために借りた住居だ。もちろん契約は本名で結んでいる。


 中には顔なじみのよしみで契約無しに一室を貸してくれている宿もあったが、そこも五日ほど滞在して柚良から身を引いた。

 無実だと信じてくれた顔馴染みだからこそ、迷惑はかけたくない。


 敢えて捕まって弁明をすることも考えたが、皇族を害することは即刻死罪である。


 昔は侮辱だけでも死罪だったため緩くはなっているが、殺害容疑ともなれば後は転がり落ちる坂の如し。そもそも無実を証明するための情報すら持っていない柚良はきっと手も足も出ないだろう。


 ――これはもう、高校生活を満喫することも本業を続けることも難しい。

 覚悟すべき時がきた。


「……せっかく夢を叶えたのになぁ」


 最後に目に焼きつけておこうと振り返った先には、柚良が憧れてようやく入学した高校の校舎が建っている。夜間のためほとんどシルエットしかわからないが、短い間だけでも夢を叶え大切な思い出を作ってくれた母校だ。

 この場所にゆかりのあるものとは、今後一切関われないだろう。


 校舎に向かって一度だけぺこりとお辞儀をした柚良は、そのまま暗い路地へと走っていった。


     ***


 柚良は下水道に下りて二時間ほど曲がりくねった道を進み、鼻が麻痺した頃にようやく目当てのマンホールへ繋がるはしごを見つけた。

 鉄製の蓋は女の腕力ではなかなか動かせるものではなかったが、目立つため使用を控えていた魔法もここでなら使える。


 手の平周辺に吹いた風がふわりと蓋を持ち上げ、下水道から這い出た柚良は新鮮な空気を吸おうと深く呼吸した。

 しかし顔を出した先は薄汚れた路地裏で、カビや残飯の他に煙草の染みついた臭いやアンモニア臭が漂っており、普段なら深呼吸しようとも思わない場所である。


(いや、でも下水道よりは全然マシ!)


 そう気合いを入れ直し、フードを目深に被り直す。


 柚良の前髪は片側のみ長く、普段から右目を隠していた。

 後ろ髪は一本の長く太い三つ編みにしている。そんな髪は紫色をしており、毛先に向かうにつれ黄色が混ざるグラデーションだった。

 そして目は赤紫色という目立つ取り合わせのため、逃亡中は常に隠していたのである。柚良の住んでいたマホロバ地区は黒髪や茶髪が多いため余計にだ。


 ここでなら目立つ色でも馴染んでわからなくなる。

 被り直したのは手配されているであろう顔を隠すためと、緊張で心臓が早鐘のように打ち始めたのを鎮めるためだ。


「さあ……ここに隠れてどうにかして生き延びなきゃ」


 柚良は細い路地の先に溢れた眩い光を見つめる。

 その光は今まで目にしてきた夜道を照らす優しい光ではなく、ぎらぎらと光るネオンや原色になるよう調整された魔石灯の光だった。


 捨てることになったのは憧れた末に掴んだ『普通の学園生活』と、生まれ持っての才能でいつの間にか据えられていた帝国お抱えの大魔導師の地位。


 そして、落ち延びた柚良が足を踏み入れたここは、様々な理由で表の世界では生きられなくなった人々がひしめき暮らす帝国の暗部中の暗部であるアウトローの巣窟。


 ――通称、暗渠街あんきょがいである。

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