第15話 大型歓楽街ペルテネオン通り

 土曜は朝からどたばたしていた。


 蒼蓉ツァンロンは一泊二日で出掛ける気満々であり、それが決まったのは柚良ゆらが返事をした日である。若旦那である蒼蓉が万化亭ばんかていを不在にする機会は存外あるものの、それは事前に不在中の指示が存在しているのだという。

 今回も蒼蓉は不在中の指示書を作成していたが、それがあっても切り盛りする従業員たちは相応に大変らしい。


 さすがにこれは可哀想である。

 やはり予定を延期しようか、と柚良は思ったが、従業員たちは大変なりに「お任せください!」「ぜひ楽しんできてくださいませ!」とやる気に満ちており、極めつけは璃花リーファの後押しだった。

(どうしてここまでしてくれるんだろ……蒼蓉くんの客扱いだから?)

 ここで蒼蓉に気を使うならわかるが、柚良にも全員気を割いてくれている。きっと学校で働き始めてもまだ客扱いなのだ。

 もっとしっかりしておかないとな、と思っていると準備を終えた蒼蓉が廊下の向こうから歩いてきた。


「おまたせ、糀寺こうじさん」

「わあ、よく似合ってますね!」


 蒼蓉は藍色のインバネスコートを着ていた。

 ただし普段通り和洋中が混ざり合った格好をしているのは今も健在で、コートの留金は螺鈿らでんで作られた中華風の細工である。

 耳飾りは赤いトンボ玉から房飾りの垂れたもので、いつもと異なるが大きく目立つことは変わらない。

 万化亭の若旦那だとわかると困りはしないが面倒ごとが増えるかもしれないので、という理由でかけられたサングラスも大分お洒落だ。

 それらを似合っていると褒めると蒼蓉は目をにいっと細めて笑った。


「糀寺さんは吃驚するくらい普段通りだね」

「いやー、お出掛け用の服を着る機会があると思わなくて。あっ、もちろん表の世界の自宅にはありましたよ?」


 お洒落に興味がないわけじゃないですからね、と言い含める柚良に蒼蓉は「一つ目の目的地が決まったな」と顎をさすった。

「一つ目の目的地、ですか?」

「出先に良い服屋がある。そこで何着か買おうか」

「あー、でも私そんなに予算が――」

「奢りに決まってるだろう、貧乏性だな糀寺さんは」

 貧乏性は関係ないと思うと言いかけた柚良はなんとかその言葉を飲み込み、ならお言葉に甘えますと笑みを浮かべた。

 城に居た頃も何かを買い与えようとしてくれる貴族がいた。下心がなく――もしくは薄く、善意からならば身分が高く金に困っていない者の誘いを無下にするのは失礼にあたることがある。


 一着だけ選ばせてもらおう。

 そう考えたのだが。


 暗渠街あんきょがいの大型歓楽街ペルテネオン通り。

 そこに店を構える服飾専門店『シェ・リネーリア』を訪れて三十分しか経っていないというのに、すでに柚良の腕には四着もの服がかかっていた。

「あの色も糀寺さんに合いそうだね、髪が明るい色だから黒で締めるのもいいかもしれない。あー、後でアクセサリーも見ようか、合わせるものによって雰囲気変わりそうだ」

「あああの、こんなに要ります!? それに値札なくて怖いんですけど!?」

「いるよ。いるとも。あのね、糀寺さん」

 夜空のようなワンピースを手にしていた蒼蓉はずいっと顔を寄せると柚良を見ながら言った。


「このボクの隣にいるんだ、相応の格好してもらわなきゃ困るよ」

「それにしたって二日で何回お色直しするつもりですか……!」

「今後も誘うつもりだからね」


 しれっとそう言った蒼蓉は「もちろん断ってくれても良いけど」と付け加える。誘いを断る選択肢はあっても服の購入を断る選択肢はないらしい。

 結局六着も選んだ蒼蓉は「糀寺さんも選びなよ」と促し、柚良はなるべく動きやすそうなものを選んだ。

(まあ……今度アルノス先生と遊びに行く時も服に困ってたかもしれないし、良い機会だったのかも)

 そちらも普段着で行く気満々だったが、ここまでされるとさすがの柚良も少し服飾が気になるというものだ。

 その服は一旦置いておき、蒼蓉の選んだ藍色のドレスワンピースを着ていくことになった。柚良が試着室に入っている間に他の購入品は綺麗さっぱり消えており、蒼蓉曰く「あとでウチに届く」とのことだった。

 ここは馴染みの店であり万化亭の若旦那だということは周知の事実らしい。


 その後向かったジュエリーショップで柚良は再び目を剥くことになった。


「さすがにここで纏め買いはやめましょう!? 私のお給金の五倍はあるじゃないですか……! もうこの金額グロいですよ!」

「グロい……? うーん、それじゃ糀寺さんの給料を上げようか」

「そういうことではなく!」


 額を抑えた柚良はハッとすると蒼蓉の袖を引いて言った。


「じ、じゃあ、蒼蓉くんのとっておきの一個でお願いします」


 柚良は「一個だけですよ」と言い重ねた。これなら少なくとも持ったこともないジュエリーボックスを買う必要はなくなるはずだ。

 蒼蓉はしばらく無言で考えていたが「それもいいな」と頷く。

 しかしホッとしたのも束の間、蒼蓉が選んだのは深い緑色の宝石が付いたネックレスだった。宝石は魔力を貯めておける優れものであり、加えて自動発動の防御とリフレクト魔法が内蔵されているという。

 ――ので、口を半開きにするほど高い逸品だった。

(しまった……これはさっきの合計金額の方が低いのでは……!? あああでも魔法に関わる宝石だと「まあそれくらいするよねー」って共感が先に立ってしまう〜!)

「ははは、宝石貰ってするリアクションじゃないなそれ」

 困り顔でじたばたする柚良に笑い、蒼蓉は買ったばかりのネックレスを柚良の首にかける。

 そして耳のそばで囁くように言った。


「これ、ボクの目の色と同じなんだ。もらってくれるね?」

「付けてる間中緊張しそうですが、……わ、わかりました、頂きます。うーん、お返しどうしよう……貯金しないと……」

「いやあ、想像はしてたけど面白いなぁ糀寺さんは」


 与えた餌を無限に食べるペットにでも見えているのだろうかと柚良は身を縮こまらせたが――蒼蓉がどんなつもりであれ悪意はない。それだけはわかる。

 だから嫌な気持ちにはならないんだろうな、と柚良は自分の胸元に下がる緑色の石を見ながら思った。

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