第16話 ベルゴの里

 ペルテネオン通りの規模は大きく、ともすれば表の世界で帝国の花道と呼ばれる大通りよりも栄えているのではないかと柚良ゆらは感心する。


 暗渠街あんきょがいは帝国の癌である、と称されることも多いが――たしかにそう表現されても仕方がない。これだけ栄えているのは暗渠街に住まうアウトローたちが表の世界からあの手この手で搾取し潤っているからだ。

 加えて暗渠街は今も土地を拡大していると柚良は耳にしたことがある。

 そしてリゼオニア帝国には小国を合わせて五十を越える国が内包されているが、暗渠街は帝国のお膝元から人の手が入っていない北の方角へ城壁など無視して広がり続けていると後から蒼蓉ツァンロンに聞いた。

 その規模は城で柚良が聞いていたよりも大分大きく、帝国は一般民へ渡る暗渠街の情報を操り過小評価されるよう誘導していたことがわかった。あんな危険な場所を放置するなと今より反発が強まると困るからだろう。


「実力者且つ犯罪者がこれだけ群れて増えてたら下手に手を出せないし、実態を知られて民の不満が抑えきれなくなったら無謀な粛清に乗り出すしかなくなる――もしくは民にクーデターまで起こされてもう大変! 黙って現状維持しとこ! ってことですね」

「うん、そういうことだけどボク的にはもう少し良い雰囲気の会話をしたいところだな」


 豪勢な中華料理店で食事をした後、店から出ながら蒼蓉は笑顔のままそう言った。

 食事中にちょっとした話題として提供したのだが、思いのほか柚良が食いついてここまで話が続いてしまったのだ。

 柚良はきょとんとしてからハッとする。

「そうですよね、折角美味しいご飯だったのに……! あっ、私、最後に出てきた胡麻団子すごく好きです!」

「良い雰囲気の会話……いや、まあいいか。口に合ったなら何よりだ」

「蒼蓉くんは何が一番美味しかったですか?」

 訊ね返されるとは思っていなかったのか、蒼蓉はしばらく視線を彷徨わせると「小籠包かな」と答えた。


「小籠包! それも美味しかったですね〜! そうだ、お店のものには及びませんが、今度お礼として作りましょうか?」

糀寺こうじさんが? 小籠包を?」

「はい、厨房を借りることになりますが」

「……手料理ってことか、なるほど、へぇ」


 何やら口角を上げた蒼蓉は「じゃあ頼むよ」と上機嫌になって頷く。

 そんなに小籠包が好きなのかと柚良はくすくすと笑った。暗渠街へ来てから蒼蓉について初めて知ることばかりだが、しばらく経った今もそれは変わらないと思いながら。――柚良の勘違いも含めて。


「さて、腹拵えも済んだしとっておきの場所へ行こうか」

「これ以上のとっておきがあるんですか?」

「あぁ、暗渠街らしい場所だよ」


 蒼蓉は裏道に入り、入り組んだ路地をスタスタと進んでいく。まるで迷路だというのに初めからゴールがわかっているかのような足取りだった。

 そうして辿り着いたのは一軒の建物。

 ただし建物内へ入るためのドアではなく、その脇にある地下へ続く石階段とそれを閉じる鉄門を指す。

「ベルゴの里だ」

「ベル……?」

 会員制の店か何かだろうか。

 そう柚良が首を傾げていると、鉄門の脇に控えていた男性がずんずんと近づいてきた。黒いスーツを身に纏っているが、顔は随分と物騒だ。


「おい兄ちゃん、冷やかしなら帰ってく……ばっ、万化亭ばんかていの若旦那!? いらっしゃるなら言ってくだされば持て成しの準備をしましたのに……!」

「たまには客として来てみたくてさ」


 サングラスを取った顔を見て姿勢を正した男性は建物の中に連絡を入れると頭を下げて蒼蓉を鉄門の向こう側に案内した。

 石階段を下りながら柚良は小声で訊ねる。

「蒼蓉くん、このお店……お店? って蒼蓉くんのなんですか?」

「あはは、出資してるだけだよ。色々条件を付けてるから半分くらいはウチのものみたいなものだけどね」

「ほあー、手広い……」

「ずっとここを君に紹介したかったんだ、糀寺さん」

 階段の先に光が見えてくる。

 人の声も耳に届くようになり、先行していた男性が木の扉を開くとよく聞き取れるようになった。


 同じバングルを付け、同じ服を着た老若男女がずらりと並んでいる。

 全員健康状態は良いが表情は明るくない。

 その光景を前に蒼蓉は片腕を広げて柚良に言った。


「ベルゴの里はね、奴隷商だ」


 暗渠街らしいって言った通りだろ、と。

 蒼蓉はそう続け、袖を揺らし柚良をエスコートしながら前へと出た。



 ――ベルゴの里。

 暗渠街に拠点を置く奴隷商の中でも五指に入る店であり、創始者ベルゴの指針により奴隷の量より質を優先した奴隷商である。

 よって扱われている奴隷が雑に扱われることはなく、栄養管理も行き届き生活空間も清浄に保たれていた。


 そんな奴隷商でも資金難に陥ることがある。

 そこへパトロンとして手を挙げたのが万化亭、つまり蒼蓉だった。

「若旦那のおかげで奴隷に基本的な教育を施す余裕まで出ました。見てください、ここに居る者は全員共通言語の読み書きが出来、計算も事務を任せられるレベルに育ててあります」

 蒼蓉と柚良を出迎えた店長――初代ベルゴの曾孫、ヘラルデは笑みを浮かべて奴隷たちを紹介する。


「うん、いいね」

「加えて若旦那がお越しということで、見目の良い者を厳選しました。本日はどのような人材をお探しで?」

「あぁ……そうだった、客として来たんだった。とりあえず今日は――」


 蒼蓉は柚良の肩を抱き寄せるとヘラルデに言った。

「この子に色々と見せたくてさ。まずは好きにしていいか?」

「もちろんですとも。もし質問があればなんなりとどうぞ」

 そう言ってヘラルデは一歩下がる。

 きょとんとしていた柚良は辺りを見回した。奴隷たちは全員こちらを見ているが、誰一人として声を発さない。まるで訓練された軍隊のようだ。

「……私、奴隷って初めて見ました」

「表の世界じゃ禁止されてるからね」

「こういう場所って本当にあったんですね〜……」

 そんな柚良と蒼蓉の会話にヘラルデはほんの少し表情を動かした。奴隷を知らない者をこんな場所に連れてきて若旦那はどういうつもりなのだろう、という疑問が湧いたからである。

 しかし問われたことには答えるが、こちらから問う時間ではない。

 すぐに笑みを整えたヘラルデをよそに蒼蓉は「好きなように見て回るといい」と柚良の背を押す。


「ええと、奴隷って若い人だらけなイメージでしたけど色んな年代の人がいるんですね?」

「ここは質重視だからだよ、年齢も質の一部だが全てではない。それ以外が優れていれば良いんだ。……まあ他じゃそうもいかないけどね、特に愛玩目的は」

「あ、愛玩」


 そうそう、と蒼蓉は何が面白いのか目を細め愉快げに笑って頷いた。


「家族の代替品、ペット、そして性的な目的まで色々あるが、どれも年若い方が好まれる傾向にある」

「……」

「ベルゴの里はそういう所から見れば『マシ』だろうけど、同じ場所――暗渠街にある奴隷商に変わりはない」


 買い取られた後にどういう扱いをされるかもランダムだ、と、そんな場所に堕ちたことを柚良に示すように蒼蓉は懇切丁寧に説明する。

「人を物のように扱うのはどこも一緒、わかったかな?」

「……はい」

「それじゃ好きなの三人くらい選びなよ、買ってあげるからさ」

 その服やペンダントや今日食べた物のように。

 そう柚良の両肩に手を添え、蒼蓉は囁いた。


「……」


 柚良は片目だけでずらりと並んだ人々を見る。

 表の世界から見れば彼ら彼女らは犯罪の被害者だ。それが暗渠街ではまかり通る。

(蒼蓉くんが今日私を連れ出したのはそれを自分の目で確かめさせるためだったのかな……?)

 だが柚良は餓死寸前まで追い詰められながら彷徨っていた時に様々なものを見てきた。

 明らかに出どころの怪しい肉が堂々と売られ、年老いた男女が自分を買ってほしいと歩き回り、弱い者から複数の強い者が搾取し、おかしな薬が出回り、フレンドリーな者が言葉巧みに他人を騙す、そんな街だった。


 今更だ。

 ここで暮らそうと決意した後である。


「ははは、緊張してるなら手でも繋いで……おや」

 柚良は蒼蓉の言葉を遮るように深呼吸すると奴隷たちの間を歩き回り、目を離さず観察し続けた。

 時折ヘラルデに奴隷について質問し、たっぷり一時間ほどかけて確認した後、蒼蓉を振り返って笑顔で言う。


「決めました! お名前がないらしいんで番号で失礼しますね。25番さん、108番さん、130番さんでお願いします!」

「……糀寺さん、手慣れてるね?」

「悩んでも仕方ないと思ったので」


 柚良は蒼蓉を見上げた。

 蒼蓉とここにいる奴隷たちは同じ人間のはずだが、立場は驚くほど違う。それは柚良にはどうしようもない。力づくで改革しようと思うならそれこそ暗渠街を潰す覚悟が必要だろう。

 そして柚良にもさすがに暗渠街は潰せない。

 なら綺麗な夢物語を語るより、今できる最適解を出そうと考えたのだ。

「全員救うなんて驕りすぎですからね。ならここは暗渠街の住人である蒼蓉くんに合わせます」

「聡いというか何というか……」

「あ、確認ですけど、買ってあげるってことは三人は私のものですよね?」

「もちろん」

「でしたら」

 柚良は先程選んだ三人を見る。


 25番は黒髪に水色の目をした女の子。年は10歳。ストレートヘアーが美しく、たれ目も相俟って着るものに気を遣えば人形のように見えるだろう。

 108番はオレンジ色の髪に金色の目をした青年。年は25歳。筋肉質な体は肉体労働に向いている。ただし目つきが悪い。

 130番は白髪に茶褐色の目をした老人。男性で年は67歳。まだ腰は曲がっていないが非力に見える。学力は三人の中で一番高いとヘラルデが言っていた。


 そんな名前のない三人に柚良は微笑みかけ、蒼蓉に言い放つ。


「この三人を、私の生徒にします!」

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