第17話 三人の名付けをしよう

 腕のバングルに万化亭ばんかていの家紋が彫り込まれる。

 これが売られた奴隷であること、そしてその所有者が誰なのか示すものだという。

「所有者の名前でもいいんだけど、ホラ、糀寺こうじさんはあまり目立ちすぎると困る立場だろう?」

「でも家紋まで借りちゃっていいんですか?」

「いいよ」

 蒼蓉ツァンロンは二つ返事でそう言ったが、家紋を彫り込む技師や立ち会っていたヘラルデはどこかヒヤヒヤした表情をしていた。本当はとんでもないことなのではないか、と柚良は思ったが、ここで食い下がったところで蒼蓉はこれ以上のことは言わないだろう。


「ウチの家紋だけど所有者は糀寺さんだって周知させとくから心配しなくていい」

「うーん……でもホントは嫌だったりしません?」

「? なんで?」

「顔が不満げなので」


 それを聞いた蒼蓉は自分の頬に触れ、そして肩を揺らして笑うといつも通りの表情を浮かべた。

「これに対してじゃない。まあちょっとね、アテが外れたというか、そういうやつだよ」

「あ……あの、もしや商品にご不満があったのでは――」

 おずおずと訊ねたヘラルデに「そういうのに悩みたくないからここと手を組んだんだが?」と蒼蓉は冷ややかな目を向ける。温度差で死にそうになりながら下がったヘラルデだったが、伝えなくてはならないことがあるのか責任感に背中を押されながら再び口を開いた。


「バングルに奴隷の名を彫らなくてはなりません。後日でも可能ですが、本人を連れて再度来店する必要があるのでその場で名付けることを勧めておりますが如何しましょうか」

「あぁ、そういうのもあったな……糀寺さん、決めていいよ」

「名前がないって聞いた時から予想してましたけど、存外早く機会が来ましたね……!?」


 名付けって不得手なんですが、と頬を掻きつつ柚良はまず130番の老人の前に立った。

「生まれながらにして奴隷……ってわけではないですよね。元のお名前は何ですか?」

「ア、アガフォンです」

「それではあなたはアガフォンさんで! 生徒と言いましたがしばらくの間つきっきりで魔法を教えるので、ある程度慣れたら私の助手をしてください」

「!? ですが私に魔導師の才能は……」

「ありますよ?」

 目を瞬かせた柚良と同じ表情をアガフォンはする。

 昔、魔法を使えれば生活が潤うだろうと魔導師に指示を仰いだが、まったく花開かず魔導師に「お前に才能はない」と言い切られ見捨てられたのだという。柚良は「わー、悪質ですねそれ」と眉を下げた。

「それなりの魔導師なら相手に才能があるか否かくらいは一目でわかるものですよ。そんな師匠じゃ教えるのも下手で伸びないのは当たり前です」

「……! では私は……」

「これから伸ばしますし伸びます! 頑張りましょうね、アガフォンさん!」

 ガッツポーズをする柚良の言葉が本当か嘘かアガフォンにはわからなかったが――大切な名を取り戻してくれた者の言葉なら信じられる、と自然に頷いていた。


「108番さんは――」

「オレ……あー……私は、元の名前が嫌いだから新しいのが良い。……です」

 敬語に慣れていない様子でそう言う青年に「楽な口調でいいですよ~」と笑いながら柚良は腕組みをする。

「うーん、それじゃその髪色はお好きですか?」

「あァ……これはそれなりに」

「よかった! 綺麗なオレンジ色、太陽の色なので素敵だなと思ったんです。神話の太陽神ソルティアから取ってソルなんてどうでしょう」

 そう柚良が言うと、一拍遅れて褒められていると気がついた青年はギョッとした顔をした。奴隷を買いに来た人間からある程度優しく接されることはあれど、ここまで手放しに褒められることは早々ない。

 商品価値の高い奴隷なら可能性はあるだろうが「自分がそれに当てはまる」などと一度も思ったことがなかった。そんな顔だ。


「……? あっ、趣味に合いませんでした?」

「そっ、それで、ソルでいい。むしろそれがいい」

「わぁ良かった! ではあなたはソルさんで! ソルさんにも魔導師の才能があるので、私の元で学んで……あ、入学費って高いんでしたっけ……」


 ならお店で働いてもらいながら教えようかな、と呟いた柚良に反応したのは蒼蓉だった。

「糀寺さん、それじゃ君が休む間がないだろ」

「これくらいのオーバーワークなら魔法薬でチョチョイのチョイですよ? ここへ来る前もしょっちゅうそれで乗り越えて――」

「そう言いながら授業中に爆睡してたじゃないか」

「見てたんですか!?」

 後ろの席で気づかれてないと思ってたのに! と柚良は恥ずかしげに顔を手で覆った。蒼蓉は半眼になりながら「こういう話題は照れるんだね」と柚良に見えていないのをいいことに口角を下げた。


「奴隷にそんな時間を取られちゃこちらが困る。三人とも入学できるよう口利きしとくよ」

「ハッ! それって裏口入学では」

「魔導師の才能があるなら特に問題はないさ。それとも問題にしたい?」


 柚良はぶんぶんと首を横に振る。

「よ、宜しくお願いします」

「そっちのちびっ子にも才能があるのか?」

「! はい、ありますとも!」

 25番の少女は終始表情を動かさずにことの成り行きを見つめていた。今まさに自分が商品として売り買いされているというのに意にも介していない。

「まずはお名前ですね。あなたの本名は何ですか?」

「……」

「25番さーん?」

「……私、ここで生まれました。名前は初めからありません」

「おわぁ……そういうパターンもあるんですね……?」

 聞けば少女はベルゴの里に売られてきた娘が産んだのだという。父親はわからず、母親である娘もまさか自分が妊娠しているとは思っておらず相当取り乱していたそうだ。

 娘は子供を産みたがらなかったが、気づいた頃には堕胎できる時期ではなかった。そこでヘラルデが生まれた子供を一時的に引き取り、ある程度育ったら商品に加えることにしたという。

 そんな母親もすでにどこかに売られてここには居ない。


「ヘラルデさん、仮の名前とかもなかったんですか?」

「私どもはプロなのでその辺りは徹底しておりまして。育てはしましたが愛情を持ち親心の芽生えるようなことはしませんでした」


 そんなヘラルデに「それにしちゃ上客の前に出すなんて親馬鹿な気がするけれどね」と蒼蓉が笑う。

 ヘラルデが黙り込んでしまったため、柚良はそれ以上訊くのをやめて少女の前にしゃがんだ。

「ヘラルデさんのこと、嫌いじゃないですか」

「?」

「怖いとかそういうことは?」

「……? よくわからないけど、多分ないです」

「じゃあ名前の一部をもらっちゃいましょう。あなたは今日からヘルです!」

 柚良の選択に一番驚いたのはヘラルデだった。思わず否定の言葉が出かけたのか一瞬妙な顔をして一歩下がる。蒼蓉の目が気になるようだ。

 そんなヘラルデをよそに柚良はにこにこしながら少女、ヘルの頭を撫でる。


「地獄とかあまり良い意味のない響きですけど、まああけすけに言うとこういう場所って一般的に見ると地獄なんで嘘じゃないんですよね。それにソルさんと音が似ちゃいましたけど、同じ場所出身ならある意味兄妹みたいで良いかなと。……あと」


 柚良はそのまま撫でていた指を王冠のように立たせた。

「ヘルは地獄の女王の名前でもあります。強そうで良いじゃないですか!」

「強そう……」

「もちろんもっと健やかで平和な名前がいいならまた考えます。どうですか?」

 少女は語感を確かめるように何度か「ヘル」と呟く。


 ここで生まれた少女に地獄か否かの判断はつかない。

 しかし嫌な思いをしたことはなかった。

 学ぶことは楽しかったし、むしろここを出て行くことに幾許かの不安があったくらいだ。


 しかし初めてもらった名前は自分にぴったりな気がした。

 少女はこくりと頷く。

「ヘルで大丈夫です」

「! ありがとうございます! では三人分決定ですね。ヘルさんには入学前に基礎訓練をしてもらいます。お金次第で延ばせるとはいえ入学しちゃうと三年間の縛りが出来てしまいますからね。手広く学べる場なのに基礎が出来ていなくて学びきれないのは勿体ないですから」

「……糀寺さん、それ結局さっきと同じじゃないか?」

 蒼蓉の言葉に柚良は目をぱちくりさせ、ややあってハッとした。

 その様子を見て蒼蓉は眉間を押さえる。

「君はなんというか、うん、スケジュール管理能力が欠落してるな」

「ごもっともです……」

「基礎訓練くらいならウチの魔導師にでも出来る。終わるまでそっちに任せておくといい。ついでに他の二人も含めて一通りの家事や雑用を覚えてもらおう。今後に活かせるはずだ。魔法一辺倒じゃ君みたいになるぞ」

 いいね? と問う蒼蓉に柚良は勢いよく頷いた。


「さあ、奴隷の雇用に必要な物品はとりあえず後で申請してくれ。今は娯楽の続きを優先しよう。まだ時間はあるんだからね」

「あっ、でもまずこの三人を万化亭に連れて行かないとですね。ではここは私が魔法で――」


 柚良がそう言うなり予想していたように蒼蓉がパンパンッと手を叩いた。その音が鳴り終わったと同時にどこからともなくイェルハルドが現れ、ヘラルデが引き攣った声を出す。

「お前の部下を使ってこれを持ち帰……連れ帰っといてくれ」

 イェルハルドは『わかりました』と書いたメモを見せて頷く。

「部屋は適当に割り振っていい。明日ボクたちが帰るまで一般従業員と同じ教育プランでいけと璃花リーファに伝えればあとはいいようにやってくれる」

 イェルハルドは再度頷くと三人を連れて石階段を上り始めた。

 トントン拍子に進む展開にどこか不安げな顔をするアガフォンとソル、顔には出ていないがチラチラと柚良を振り返るヘルに柚良は再び笑みを向けて手を振る。


「すぐ指導出来なくてすみません。……しっかり教えるので待っててくださいね!」


 その顔は誰が見ても奴隷を買った人間には見えなかった。

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