第29話 一度誰かを救うべき
母の
それは姉の
仄が十歳になった頃、姉妹は
関わりは深いものの、仄たちのような極端な教育は天業党本部のみであり、手足となる者の家族ともなるとごく普通の人間だった。
それでもメルは十歳にしては筋肉質な仄やそれを盲信する幽を遠のけず受け入れ、まるで普通の子供たちのように遊んでくれた、と仄は語る。
「多分……大きくなったらメルが会社を継ぐことになっていたから、お母さんは早いうちから後継者である私と繋がりを作っておこうと思ったんだと思います」
「天業党が普通の遊びを黙認してたならそうだろうなぁ」
アルノスの言葉にこくりと頷き、仄は視線を落とす。
「そんな時……メルが誘拐されてしまったんです」
「今回みたいに、ですか」
「はい、ここまで派手に動いたわけじゃないですけど、私たちの目の前で攫われて……だから私、走って追いかけたんです」
姉には大人を呼びに行かせ、力に自信のあった仄は単身で逃げる犯人を追った。犯人は徒歩だったが魔法で補助しているのか随分と足が早かったという。
しかし仄はその逞しい足で彼らに追いついた。
私なら倒せる。
助けてと叫ぶメルの声に応えるように仄は犯人を殴りつけ――腕だけを狙ったのだ。メルを抱える腕だけを。痛みを感じれば手を離し、その間にメルを助け出せると思っていたが、予想以上の威力が出た。
恐らく長く走ったことと使命感から興奮状態になっていたせいだろう。
あっという間に犯人の腕が折れ、驚くほど簡単に体外に出たそれはメルの胸に突き刺さった。
「……それからのことはあまり覚えていないんですが、最後は天業党の大人たちが助けてくれました。メルは何回も手術して元気になりましたが……私のことが怖いと泣いて、一年後に別の地区へ引っ越していったんです」
それからです、と仄は俯いたまま言う。
「私はこの力を振るうことが怖くなりました」
力を使うことを忌避し、怯える仄を初めは大人たちも宥めすかしどうにかして軌道修正しようとしていたが、途中から期待を向けられることはなくなり、諦めの表情を浮かべるようになった。
トレーニングをせずとも育つ筋肉を見て何度もったいないと嘆かれたことか。
その時仄は気づいたのだ。期待されていたのは自分ではなく、自分の筋肉だけだったと。
力を使えなくなった仄はただのお荷物だった。これだけ恵まれた体がありながら力を行使しないなど、組織の士気を下げるからと表に出されることすら減り、しかし完全に存在を消すことなど出来ないため「せめて他の形で組織に貢献しなさい」と魔法専門学校へ入れられたのである。
現場を見ていない幽は今も仄の「使えない力」を惜しみ、そして羨み、仄の態度に苛ついている様子だった。少なくとも仄はそう感じている。
家に居る間も学校に居る間も辛く、こんな力なんてなかったら良かったのにと何度も思った。
「お姉ちゃんみたいだったらこんなに苦しまなかったのに……そう思っていました。だから」
「強化魔法で自分の力を更に増すことが怖かったんですね」
仄はこくりと頷く。
「でも
そう前のめりになって問う仄を柚良は見つめる。
ややあって柚良は人差し指をぴんと立てて笑った。
「――よし! 本当はきちんと時間をかけて克服すべきなんでしょうけど、一刻を争いますし力技でいきましょう!」
「へ?」
「仄さん、あなたはその力で一度誰かを救うべきです」
柚良は鉄格子がよく見えるようにライトを固定し、ノータイムでアルノスの胸元に手を当てた。完全に油断していたアルノスは素の表情で驚いたが、全身に凄まじい強度の強化魔法をかけられたことに気づくと次は驚きの声を漏らす。
「その第一歩のために可能な限りのサポートをしますね」
柚良は自身にも同じものをかけるとガラス状の障壁を展開した。
「目に見えた方が良さそうなので氷属性の障壁を作っておきます、ふふふ、得意属性なのでここに爆弾が落ちても耐えられますよ」
「えっと、あの」
「もちろんあなたの拳でも傷つきません。――大丈夫、仄さんが力を使っても誰かが血を流したりしませんよ」
「……!」
目を見開いた仄に柚良は笑みを向け続ける。
「その力も仄さんの一部です。私は仄さんのすべてに期待しているので、もしその力を活かせなくても他の道を模索しようと考えていました、けど……」
「……」
「仄さんはその力を使えるようになって、幽さんを助けたいと望んだ。ならその望みを応援します。帰ったらコントロール出来るように特訓もしましょう、もちろん魔法の授業も!」
自分の気持ちを知り、それを誰かが後押ししてくれた。
たったそれだけだというのに、選択肢が広がった。
そう感じた仄は自分の涙を受け止めた眼鏡のレンズを拭き、力強く頷く。
「や……やってみます!」
「その意気です! では防御の他に筋力を上げる強化魔法をかけ――」
「いいえ」
仄はふるふると首を横に振ると柚良の強化魔法を断った。
そのままがしりと鉄格子を両手で握る。
「このままで……大丈夫、ですっ!」
ぐにゃり、と。
まるで粘土細工のように鉄格子が左右に曲げられ割り開かれる。
十歳の段階で大人の腕を派手に折れるくらいだったのだ、これくらいは可能だろう。――とアルノスは納得しかけたが、いやいやおかしいおかしいと頭の中で何度も首を横に振った。
柚良は目を輝かせながら音が響かないよう小さく手を叩く。
「素晴らしいです! やりましたね、仄さん!」
「は、はい、けど人間相手だとどうなるか……」
「それは大丈夫ですよ」
私がまた色々サポートしますから!
そう言った柚良に、仄は鼻を啜りながら笑みを浮かべると頷いた。
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