第28話 頼れる『先生』

 かすかを攫った黒緋蜂くろひばち頭蓋会とうがいかいと思しき人間は地下の下水道へ逃げ込んでいた。


 探知魔法により浮かび上がったのは魔力の痕跡で、それは魔導師なら誰もが隠蔽魔法を使わなくては隠せない代物だ。人間の足跡のようなものである。

 しかし足跡を見ただけでどのような人物がどこへ向かったか把握できる者は少ない。

 それは魔力の痕跡でも同じことだったが、ずんずんと地下へ進んだ柚良ゆらはその後も足取りに迷いがなかった。目立たないよう光量を抑えた光の球をライト代わりに浮かせ、薄暗く汚い道を進んでいく。


「いやー、しかし地下に潜ったって比喩じゃなくて本当に下水道に潜伏してたんですね」

「そういう組織は結構あるよ、ここは生活はし辛いけど隠れるにはうってつけだ」


 アルノスはカサカサと近寄ってきた名前も知らない虫を蹴飛ばしながら言う。

 そもそも暗渠街あんきょがいの地下を通る下水道はこの土地で生活すると決めた名立たる猛者の一部が勝手に表の世界の下水道と繋げて拡張したものだった。違法中の違法だが何を上手くやったのかお咎めはない。

 多分凄まじい桁数の金額が動いたんだろうな、とアルノスは遠い世界のことのように思っている。

 表の世界に善人ばかりが住んでいるなどということはないのだから。


「表の世界みたいにきちんと管理なんてされてないからさ、さすがに点検はたまにはしてると思うけど頻度はかなり低いんじゃないかな」

「あ……前に下水道に住み着いて十数年は経ってそうなワニが居たってお姉ちゃんから聞いたことがあります」

「おわぁ……変な組織もワニも逃げてきた時に出会わなくて良かった~……」


 柚良は暗渠街へ逃げ込む際に下水道を通ってきた。

 その時からかなりハイリスクだったわけだ。あの時点なら魔力もまだ余裕があったが、後ろ盾のない逃亡者だったため悪人やワニを蹴散らしていたら大層目立っただろう。

 そう今更ながらひやひやしていると突然柵が目前に現れ、三人は足を止める。


「むむ、痕跡はこの向こうに続いてますね」

「鉄格子の扉か、鍵は……あー、これ面倒なやつだよ柚良ちゃん」


 アルノスは扉の三ヵ所に取り付けられた鍵を指した。

「前に似たのを見たことがある。壊すと警戒アラームが鳴るようになってるんだ、この場とあとは受信機から。何かあればあっという間に感付かれる」

 幽を攫った人間は追っ手がいることにまだ気づいていないかもしれない。

 それは大きなアドバンテージだ。それに相手の目的にもよるが、早い段階で気づかれれば幽に害が及ぶ可能性も高くなる。他のアジトへ逃げられる危険もあるだろう。

 ここはなるべく穏便に行きたいところだが、しかし迂回路はないようだった。

 柚良は腕組みをして唸る。

「なら鍵を壊さずに行かなきゃですか、うーん、でも魔法でやると派手な音がしちゃいそうですね……溶かすのは有毒なガスが出るかもしれないから閉鎖空間ではNGだし……あっ」

 柚良は目を輝かせてほのかを見る。


「仄さん、強化魔法でお手伝いするのでこの鉄格子を曲げれませんか?」

「へっ!? わ、わた、私ですか!?」

「はい、きっと大丈夫ですよ! 成功します!」


 仄は眼鏡の向こうで目をぱちくりさせ、しかしすぐにその表情を曇らせた。

 柚良の願いを叶えられるだけの筋力はある。しかしそれを行使することが恐ろしい。

 かつて仄はこの力をそれほど恐れてはいなかった。生まれた時から共にあり、きっと天からのプレゼントなのだと思ったこともある。そしてこの力で「お姉ちゃんを守るんだ」と信じて疑わなかった。

 今のようにただただ怯えるだけで使えない力になったのは、ある失敗をしてしまったからだ。

 その失敗は今でも悪夢として見てしまうほど仄の記憶に爪痕を残していた。


 だがここで力をふるわず、その結果姉が酷い目に遭ったらと思うと――その方が恐ろしいことなのではないか。そうも思った。

(で、でも怖い……また失敗しちゃうかもしれない……)

 失敗という名の罪を背負うこと。

 それを想像するだけで震えてしまう。

 そんなことは出来ないと心の奥から思ってしまう。


 その時、仄は屋上の温室で幽が言った言葉を思い出した。

 誰かに相談でもしたら? と姉は言ったのだ。その時はそんな相手はいないと思ったが――目の前にいる柚良は、規格外のことを簡単にやってのける人物だった。

 そして頼れる『先生』だ。

 あんな突然の爆発があった後だというのに倒れた仄をすぐに見つけ出し、姉を救おうと迷いなく手を差し出し、こんな危険な場所にまで来てくれた。しかもいわば仄と幽の属する組織の問題に巻き込まれた形だというのに、だ。

 授業の有益さだけでなく、この行動こそ信頼に値する先生なのではないか。

 今まで学校の先生に相談などする気にはなれなかったが――仄は自然と口を開いていた。

 そして深呼吸してから柚良をじっと見つめて言う。


「……糀寺こうじ先生、す、少し相談してもいいですか」


 とても大切な話なんです、と言い重ねながら。

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