第7話 たまにはこういうのも

 イェルハルドの同意を貰えなかったことも相俟って柚良ゆらの「もう一度よく考える」という提案はすんなりと通り、ひとまず一週間後に答えを出すことになった。


 翌日、柚良のもとへやってきた蒼蓉ツァンロンはあの時覗かせた珍しい表情などどこへやら、いつも通りのにんまりとした笑みを浮かべて手を差し出す。

糀寺こうじさん、今日は君と行きたいところがあるんだ」

「どこですか?」

「デートスポット。……なら良かったんだけどね、君に講師をしてもらう学校の見学だよ。事前に見ておいた方が色々イメージしやすいだろう?」

 ぱっと目を輝かせた柚良はこくこくと頷いた。

 建っている場所がわかれば道に迷う心配も減る上に、教室の広さがわかっていれば使う教材の候補を絞りやすい。他にも周辺の立地を調べることは大切だ。


(それにずっと万化亭ばんかていで寝泊まりさせてもらうわけにもいかないし、いつかはどこかで住処を借りないと。学校の近くにアパートとかあるかなぁ……)


 出来ればセキュリティのしっかりしているところで、とそわそわしながら柚良は蒼蓉に連れられ暗渠街あんきょがいの魔法専門学校へと向かった。

 学校は万化亭のある两百龍リャンバイロンの端ぎりぎりに建っており、万化亭からは徒歩で一時間ほど歩く必要があるという。昼でも薄暗い道や逆に明るすぎる道を二人で歩きながら柚良は辺りを見回した。

「やっぱりというか何というか、治安は最悪ですね」

 酔っぱらって倒れた人、そこから財布をくすねる人、暗い路地の奥から聞こえる呻き声、室内から響く怒号と何かが暴れ回る音。そしてネズミに齧られていても無反応な人から目を逸らしつつ柚良は呟く。

「これでもマシな道なんだけどね」

「電車とかないんです?」

「そんなインフラ整備されてると思うのか? 前にどこぞの怪しげな集団が暗渠街にモノレールを通そうとしたことはあったけど、結局乗った奴が帰ってこないってことでマフィアやその他細々とした組織の怒りを買って潰されてたよ」

 帰ってこなかった人はどうなったんですか、と柚良が思わず問うと、蒼蓉は目を細めて「しばらく肉を食べれなくなるからやめといた方がいい」と笑った。


「まあ普段は足代わりの商売をしてる人間たちが居るからそれを使ってるんだ」

「タクシーとかそういう……?」

「そうそう。あと自分の特技を活かしたのとか、高いけど転移魔法とかね」


 転移魔法は高度な魔法であるため、並の魔導師は使うことができない。

 もし発動させることができても制御出来なければ死への直行便だ。柚良は目の前で石と融合してしまった同僚のことを思い返しつつ「それはお高いでしょうね~……」と納得した。


「そういうことだ。必要なら金は出すけど、糀寺さんももし足を使うならきちんと名の通った奴を選……」

「ここの地理を覚えきれば大丈夫ですよ、私、転移魔法使えるので!」

「……」


 柚良は両手をぐっと握りつつ言う。

「詳しくない場所で使うのは危ないんでここに来るのには使わなかったんですけど、数ヶ月も暮らせば室内にも飛べますよ! 魔力消費の激しさが若干ネックなんですけど、まあ授業の準備をしてる間に回復するでしょう」

「……随分とコスパが良いんだね。ボクの知り合いの使い手は随分と疲弊してるようだったけど」

「ふっふっふ、その大いなるネックを若干レベルまで引き下げるのに熱中したことがありまして! 専用の短縮補助ショートカット魔法を五つほど作って組み込んでみたんです。難しいですけどどの魔法もまだ消費シェイプアップの余裕があるんで……ふっ!?」

 ずぼっ! と何かを口に突っ込まれた柚良はぎょっとして目を丸くした。

 なんですか、と問う前に口の中に甘辛いタレの味と香ばしい匂いが広がる。串焼き鳥だ。


「糀寺さん、そういう話は小声でしよう」

「ふぁい……?」

「他の奴に君を取られてしまいそうだ」


 だから内緒だよと言う蒼蓉に頷き、柚良は焼き鳥をごくんと飲み下す。

「わかりました、けどこれどこから……」

「そこの屋台で買った。ああ、安心するといい。まだ比較的合法な屋台だから」

 それを売りにしてる老舗だという。安心していいのかどうか迷いつつ、柚良はごそごそとポケットをまさぐると小銭を取り出した。

 昨日のおつかいの賃金としてもらった一部だ。

 世話になっている恩返しのつもりだったため賃金が発生することに驚いたが、蒼蓉曰く「こういうことはしっかりしとかないと店の信用問題に関わる」ということらしい。

 柚良はそれを持っていそいそと屋台に向かい、もう一本焼き鳥を買った。


「……そんなに美味しかったのか?」

「おかわりじゃないですよ。これは蒼蓉くんの分です」

「ボクの?」


 柚良は笑顔で首を縦に振ると焼き鳥を差し出す。

「せっかく歩いてるんですし、食べ歩きっていうのもいいかなと! もちろん蒼蓉が嫌じゃなければですが」

「――なんとまぁ……まさか表の世界の眩しさをここで見ることになるとは」

 蒼蓉は緩く目を眇め、しかし拒否はせず焼き鳥を受け取った。そのまま流れ落ちそうなタレを舐め取りつつ歩き始める。

「デートスポットには行けなかったけどこれでも良いか……」

「どうしました?」

 不思議そうな柚良の問いに蒼蓉はいつもの笑みを返して答えた。


「いや、たまにはこういうのもいいなって言っただけだよ」

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