第36話カツ丼と公爵令嬢4

 

 風呂上がりに合流した三人は宴の間へと移動した。時刻はもうすぐ七時となって宴の間が客で一番混み合う時間だ。


「わたくしにお友達ができましたの!銀の髪が素敵な美人なんですのよ!それに見てくださいまし!洗い方を教えてもらってわたくしの髪もこんなに綺麗になりました!」


 席に着いたヒルデガルドは話したくて堪らないといった様子でお風呂での出来事を語っていた。聞かされている二人は心の中で料理を取りに行きたいと思っていたが、あまりにも嬉しそうに話すものだからそれを言い出せずにいる。


「その後も酒風呂に入りましたの!お兄様は日本酒というお酒を知っていますか?お風呂に入れるとお肌にいいお酒なんですが飲んでも美味しいみたいなんです!一度飲んでみたいですわ」


「それならここで飲めるよ。だから日本酒と料理を取りに行こうか」


「それは是非とも飲みたいですわ!リクもぼさっとしてないで行きますわよ!」


 レオンハルトの機転でやっと料理を取りに行ける。陸は月光苑に来るのは二回目だが宴の間は初めてだ。日本では当たり前だったバイキングという方式はこの世界ではないものらしくて、今も近くにいる初めて来たであろう冒険者が料理の数々に驚きの声を上げている。


 とはいってもバイキングを知る陸でさえ並んでる料理に興奮を隠せない。ショッピングモールに入っているようなお店やホテルの朝食と違って月光苑のバイキングは一つ一つの料理に手が込んでいるからだ。例えば目の前のフライドポテトだって冷凍ものではなくて切ったジャガイモを揚げているようだった。


 そして何よりも違うのは料理に魔法がかけられている点だ。正確には料理が盛られる器に状態保存の魔法かけてあり、おかげで料理は常に出来立ての状態が保たれている。


冷めて硬くなった唐揚げや時間が経ってブヨブヨに伸びているパスタなんてものがここには存在しないのだ。


「月光苑のバイキングってすごいですね。どれも湯気がでるほど出来立てのままなんて最高じゃないですか」


「この状態保存の魔法があれば、地球の食べ物の常識がひっくり返るだろうね。知っているかい?日本ではまだ食べられるのに捨てられる食品ロスが、年間で五百万トン以上存在するんだ。お金に換算すれば数兆円ほどが捨てられている計算になるんだよ。そんな社会問題にもなっている食品ロスもこの魔法があれば解決するかもしれない」


「なんか今の話を聞いているとレオンハルトさんが本当に社長だったんだなって感じがしますね」


「企業としてSDGsに参加していることをアピールしなくてはいけなかったからね。というか今まで信じてなかったのかい?」


「いや信じてなかったわけではないんですが、あまりにもだらけている姿を目にすることが多かったので」


「それは陸くんの前だけだよ。信頼と受け取ってほしいね」


 そんなことを話しながら席に戻った二人の元にどこかに行っていたヒルデガルダがトレイに沢山の日本酒を乗せて戻ってきた。


 日本酒が入ったグラスは升に入れられている。これは盛りこぼしと呼ばれる提供方法で元々は日本酒が量り売りだった頃の習慣だ。


 日本酒を一合買ったときにグラスでは入りきらないので、受け皿として升に零して一合にしたと言われている。


 それが今では店側がサービスとしてどこまで零してくれるのかを楽しむように変化した。もちろんヒルデガルダの升にもしっかりと零してあり、全部合わせれば凄い量になっている。


「見てください!こんなに沢山の種類がありましたわ!」


「そんなに飲めるのかい?お酒に強くなかったと思ったけど」


「きっと大丈夫です!いただきますわ!」


 月光苑には様々な銘柄の日本酒があったようで名前をしっかりとメモしたヒルデガルドはご満悦だ。レオンハルトの心配に自信満々な返事を返すと早速飲み始める。


「この日本酒は確かハッカイサンといいましたわね。んっ。日本酒って結構酒精が強いんですわね。でもほのかな甘さを感じますわ。そういえば日本酒ってなにから造られてますの?」


「日本酒の原料はお米ですよお嬢様」


「お米って普段食べているあのお米ですの?」


 レオンハルトが東国から取り寄せて食べていたのを他の家族も気に入ったことで今やお米は公爵家に欠かせない物になっていた。


 最初は味がないと好きではなかったヒルデガルダもふりかけご飯に目覚めてからは毎日欠かさずに食べている。そんなお米から日本酒が造られることを知ってヒルデガルダは更にお米が好きになった。


「次はザクという日本酒をいただきますわ。まあ!これはワインのように随分と香り高いですわね。飲むとフルーツのような甘い匂いが鼻を抜けて美味しいですわ」


 日本酒はヒルデガルダの口に合ったようで随分と早いペースでグラスを干している。しかしレオンハルトが懸念していた通り酒自体には強くなかったようだ。


「リク~?聞いていますの~?」


 すっかりと出来上がったヒルデガルドだったがどうやら絡み酒の気があるらしい。陸の隣に座って腕を絡ませると自分がいかに陸へ感謝しているかを延々と話し続けている。


「聞いていますから!というか近いですお嬢様!」


 恋人のような顔の近さに頬を真っ赤にしながら必死に距離を取ろうとする陸がヒルデガルドは気に入らなかった。


「もう!そんなに離れようとしなくてもいいではありませんの!わたくしはリクのことが!」


 その時宴の間にファンファーレが高らかに鳴り響いた。


「お待たせ致しました。タイムサービスのお時間です。本日も素晴らしい食材ばかりでした。その中で料理長が作った料理はこちらです!」


 出てきたのは大きなフライヤーと脂の乗った塊肉だった。


「本日の太鼓判はクラステリア公爵家所属の陸様より差し入れられたフォレストキングボアを使った料理となります!その名も『森の王者の厚切りカツ丼』です。目の前でカツが揚がっていく様子をお楽しみください!」


「リク凄いですわ~!」


「ちょっとお嬢様!?」


 陸がタイムサービスを勝ち取ったことを喜んだヒルデガルダがギュッと抱きついてくる。酔って大胆になっているのだろうが人前で公爵令嬢が抱きつくなど良くない噂になりかねない。


「レオンハルトさんからもなにか言ってくださいよ!」


「陸くんが責任を取ってくれるなら私は構わないよ。それより呼ばれているから早く行こうか」


 離れそうにないヒルデガルダを連れて行くと分厚く切られた肉に衣を纏まとわせている所だった。それを油に入れるとカラカラと揚がる幸せな音が聞こえてくる。


「この音が良いんだよね。絶対美味しいって思える」


「それに油の匂いが食欲をそそりますよね。帰り道にお肉屋さんがあって、そこから漂う揚げ物の香りに我慢できずに歩き食いをしていたのを思い出します」


 グツグツと煮立つ親子鍋に入った卵と出汁の香りにお腹が切なげにキューッと鳴った。カラッと狐色に揚がったカツはザクザクと音を立てながら切られていく。それを親子鍋に入れて衣に味を染み込ませたら炊き立ての米が入った丼に乗せる。


「森の王者の厚切りカツ丼お待ち!」


「ありがとうございます!」


 漂ってくる暴力的な香りに堪らないと急いで席に戻った。座った勢いで丼をかき込むと衣のサクサクとした食感と出汁を吸った甘辛い米に箸が止まらない。


「美味しいですわ!」


 陸から離れたヒルデガルダもカツ丼の味に満足そうな声を上げている。フォレストキングボアの肉は歯切れが良くて噛むと身に詰まった旨みが弾けた。


「良いお肉をカツ丼にするなんてもったいないと思ったけど、そんな考えが間違いだったよ。柔らかな出汁の味と肉の旨みがお互いを引き立て合っているね」


 その味は他の冒険者達にも絶賛されているようで全員丼を持ってかき込むように食べている。食べ終わった人の中には陸へと美味かったと言葉をかけていく者もいた。


「ご馳走様でした。美味しかったよ陸くん」


「本当に美味しかったですね。ただお嬢様は寝てしまいましたか」


 カツ丼を食べ終わったヒルデガルダは、陸に美味しかったとふにゃりとした笑顔を見せると寝てしまった。


「仕方ないから陸くんが運んでやってよ」


「え!僕がですか!?」


「私はこれから光の所で飲むからよろしく頼むね!」


 そう言ってレオンハルトはさっさと出て行ってしまった。後には呆然と立ち尽くす陸と、幸せそうに寝ているヒルデガルダが残されたのだった。

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