第35話カツ丼の公爵令嬢3


「あんなことを言ってしまいましたがどうしましょう。ここに侍女はいませんし」


 心配ないと言い切ったヒルデガルダは大浴場で一人頭を抱えていた。レオンハルトが好きだということもあり、クラステリア家にも風呂はあるが全て侍女に任せていたので洗い方が分からないのだ。


「そんなに悩んでどうしたのですか?」


 悩んでいるヒルデガルダを見かねてか銀髪の女性が声をかけてくれた。そんな女性の優しそうな表情にこの人は信頼できそうだと恥を忍んで洗い方を聞くことにする。


「実は一人でお風呂に来たのが初めてですの。だからどうやって洗えばいいのか分からなくて。こんなこともできないなんて自分が恥ずかしいですわ」


「誰にでも初めてはありますからそれを恥じ入ることはありませんよ。それより一歩を踏み出したことを褒めるべきでしょう。良ければ私がお教えしましょうか?」


「よろしいのですか!それなら是非お願いしますわ」


「私も話し相手がいなくて寂しいと思っていたので嬉しいです。私はソフィアと言います。よろしくお願いしますね」


「わたくしはヒルデガルダといいますわ。よろしくお願いしますソフィアさん」


 こうしてソフィアによるシャンプー教室が始まった。


「最初は頭から洗うのをオススメします。汚れが下に落ちた後に体を洗えば無駄がないですからね。それから頭を洗う前には頭皮をしっかり濡らしておきましょう。そうすることで汚れが浮いてきてシャンプーで落としやすくなります」


「分かりましたわ!」


 頭を流したヒルデガルダはそろそろいいかなと隣を見るがソフィアはまだ頭を流している。それからソフィアが顔を上げたのは二分以上も経ってからだった。


「思ったよりも長く流すんですのね」


「髪は女の命ですから入念にケアすることが肝心です。次は手のひらでシャンプーを泡立てましょう。そのまま髪につける人もいますが泡立ててから使う方が汚れが落ちますよ」


 シャンプーを手のひらに乗せてから少量のお湯を加えて手を擦るとモコモコした羊のような泡が出来上がった。それを頭に乗せると濡れた髪に馴染むように泡が浸透してくる。


「頭を洗うときは絶対に爪を立ててはいけません。頭皮は思っているより繊細で、爪がわずかに当たるだけでも細かい傷ができます。なので洗う時は必ず指の腹を使いましょう。強くこすらなくてもシャンプーの力で汚れが落ちるので優しく洗いましょうね」


 言われた通りに指の腹で洗うと頭皮へと適度な刺激が加わって気持ちがいい。耳にはシュワシュワと泡がはじける音が聞こえてきて爽快感もあった。


「ここで気持ちいいと思えるなら上手く頭を洗えている証拠ですね。実はシャンプーというのは髪を洗うのではなく頭皮を洗うのが正解なのです。頭皮をマッサージをするように揉めば血の巡りも良くなって髪に艶が生まれますよ」


 二人は真剣な表情で頭皮を揉みこんでいく。後ろを通った冒険者が不思議な顔で見ていたのが鏡に映ったが構うものかと入念に揉んでやった。


「あとは流すだけです。シャンプーが残ると様々なトラブルも元となりますのでしっかりとすすぎましょう。洗っていた時間の三倍流す気持ちでいきますよ」


「はい先生!」


 普段洗ってくれる侍女だってここまで入念に洗ってくれたことはない。そんな全ての女性が覚えるべき洗い方をレクチャーしてくれるソフィアの呼び方はいつの間にか先生となっている。それにツッコまないソフィアも先生と呼ばれてまんざらではなさそうだ。


 こうしてじっくりと時間をかけてシャンプーを流した髪は見違えるほど美しくなっていた。つやつやとした金髪にはキューティクルが輝いて天使の輪ができている。そんな髪を鏡で見たヒルデガルダは思わずうっとりしてしまう。


「初めてなのに上手くできましたね」


「ありがとうございました先生!まさか自分の手でここまで上手くできるとは思いませんでしたわ!」


 公爵家にはシャンプーはないが石鹸ならあるのでこれからは侍女に任せずに自分で洗おうと決意した。


「これでシャンプーは終わりました。ですがまだコンディショナーとボディソープが残ってますがどうしますか?」


「それもわたくしに教えてくださいまし!」


 コンディショナーとボディソープも教えてもらって全身ピカピカになった後はソフィアオススメのお風呂に向かうことにした。


「これが私がオススメするお風呂です」


 案内された風呂からほんのり甘いような独特の香りが漂ってくる。そのどことなく癖になるような匂いを嗅いでいると体がポカポカと温かくなってきた。お湯には少しだけトロみを感じる。


「なんだか不思議な匂いがしますわ」


「これは酒風呂と言って少量ですが日本酒と呼ばれるお酒が入ってるんですよ。日本酒には肌にいい効果が沢山ありますが匂いが苦手な人もいるんです。ヒルデガルダさんは見たところ大丈夫なようなので安心しました」


「お酒を入れるなんて贅沢なお風呂ですわ。日本酒の香りは嫌いじゃありませんわね。酒精の香りの奥に優しい甘さを感じます」


「この匂いを嗅ぐとリラックスしますよね。それにアルコールには血行を良くするので冷え性の女性に嬉しいお風呂なんですよ。更に日本酒には美肌や美白効果があってお風呂にぴったりなお酒なんです。もちろん飲んでも美味しいんですけどね」


 お風呂の中で肌を撫でると日本酒のおかげか滑らかな肌触りに感じる。肩までじっくりと浸かると体の芯までぽかぽかと温まる感覚が心地よい。


「ヒルデガルダさんはお酒を嗜むんですか?」


「ワインなら少し飲んだことがありますわ。ただアルコールはそんなに得意ではなくてすぐ酔っ払ってしまいますの」


「それならワイン風呂もオススメですよ。コップ一杯ほどの赤ワインを入れれば薄紫色がとても美しいお風呂に仕上がります。肌にいい成分が含まれてますので機会があれば試してみてください。他にも乾燥肌が気になるなら白ワインを入れると効果がありますよ。ただ入り終わったらすぐにお湯を捨てて湯船をしっかり洗ってくださいね」


「お酒って飲む以外にも利用方法がありますのね。勉強になりますわ」


 酒風呂を堪能すると二人は露天風呂にあるベンチに座って涼むことにした。アルコールの効果か火照った体にひんやりとした風が心地よい。


「ソフィアさんは普段なにをされてますの?」


「私は教会でシスターをしてます。以前は子ども達にお勉強を教えたりもしましたが、最近では立場が上がってしまってそんなこともなくなりました。だからですかね。久しぶりに先生と呼ばれて嬉しくなりましたよ」


「あの時は変なテンションになっていたので、つい勢いで先生なんて呼んでしまいましたが喜んでもらえたなら良かったですわ」


「とても懐かしい気分になりました。あの頃のように子ども達にお勉強を教えたいですね。司教様には止められてしまうのでしょうけど」


 ソフィアは昔を懐かしむように空を見上げる。その表情はどこか寂しげでなにか出来ないかと考えたヒルデガルダは、クラステリア家が寄付している孤児院があったことを思い出した。


「それなら今度孤児院で勉強を教えてくださりませんか?私から依頼という形にしますので!こう見えてそこそこ貯えはありますので報酬には期待していいですわよ!」


「ふふ。私は神に使える身なのでお金は受け取れませんよ。ただそうですね。ヒルデガルダさんが孤児院に寄付してくれるならその依頼をお受けしましょうか」


「約束ですわ!よろしくお願いしますソフィア先生!」


 大浴場を出ると二人は連絡先を交換する。その時に聞いたソフィアのアインスハートという家名をどこかで聞いた気がしたが思い出せない。


「必ずお手紙を出しますので!」


「はい。お待ちしてますね」


 しかしそんな疑問を久しぶりにお友達ができたと舞い上がっていたヒルデガルダはすぐに忘れてしまった。

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