第10話握り寿司と魚人家族4

宴の間は相変わらず混んでいる。その中でもアネモネが騒いでも迷惑にならないような端を選んで席に着いた。


「にいに!いいにおいするね!」


「そうだね。沢山あってどれにしようか悩んじゃうね」


 アンティアスの言うように所狭しと置かれた大皿には様々な料理が並んでいる。魚人の主食の魚料理も豊富に揃えられているし前まで食べることが難しかった野菜や穀物を使った料理もある。


 海の近くにある魚人の里では浜風によって植物を育てるのが難しい。今でこそ交易で手に入るようになったが、一昔前までパンなんて祝いの席でしか食べれないご馳走だった。その事を二人のような若い世代は知らないでいる。


「とーさま!あれ食べたい!」


「取ってやるから皿をしっかりと持っておけよ」


「はーい!」


 アネモネが初めに選んだのはトマトや人参といった赤い野菜が使われている料理だった。自分の髪がピンクだからなのかアネモネは昔から赤い食べ物を好んでいる。特にイチゴが大のお気に入りで一皿目にも関わらず取ろうとしていた。


 そんな妹とは違いアンティアスは海鮮料理のコーナーへと向かっていた。月光苑には昔は魚人しか食べないと思っていた生魚が置かれている。


 小さな船の上に色々な魚の刺身が綺麗に並べられていて、その下には細く切られた大根が敷かれている。他にもイカの刺身が大葉に乗っていたり、アネモネの好きな人参が細切りになって刺身の隣に置かれていた。


「お刺身だ!にいには何選ぶの?」


「僕はエビとマグロのお刺身にしようかな」


「アネモネもそれにする!」


 アネモネはよくアンティアスの真似をしたがる。アンティアスをにいにと呼ぶのにマーリンとコーラルはとーさまかーさまなのもアンティアスが父様母様と呼ぶからだ。


 そんな仲のいい二人を微笑ましいと思いつつアネモネの皿にエビとマグロを乗せてあげた。その後もアンティアスが取ったものをアネモネも欲しがるという光景が繰り広げられて二人の皿は一杯になった。


 マーリンとコーラルも二人の世話をしながら目ぼしいものを取っていたので最後に四人分のお茶を取ると席に戻る。そして元気よくいただきますをしたアネモネに三人も倣うと食事が始まった。


「お野菜美味しい!」


 アネモネが最初に手をつけたのは人参のグラッセだった。噂ではこれが苦手な子どもも多いと聞くがアネモネはそんなことないようだ。柔らかく煮込まれたグラッセは口の中でホロリと崩れて人参の甘さが優しく広がっていく。その味にアネモネもにっこりと満足そうな笑顔を浮かべる。


「マグロのお刺身も美味しいよ。里で食べたものと味が全然違うのはなんでだろ?」


 マグロの赤身を醤油に付けて頬張ったアンティアスは里で食べたマグロの味と全然違うことに疑問を持った。前に食べたマグロは酸っぱいような味がしてこんなに美味しくなかったはずだった。


 その秘密は締め方にあった。マグロは泳ぎ続けないと死んでしまう魚なので常に運動している。そのため体には熱がこもっているから釣ったらすぐ氷締めしないと身焼けを起こしてしまうのだ。魚人の里ではそれが知られていないからマグロは美味しくない魚だと嫌われてしまっていた。


「エビも美味しいね!凄く甘いよ!」


 醤油をつけた甘エビに付いた尻尾を指で取るとアネモネはフォークで刺して口に運んだ。里の近くでは見かけない甘エビは噛むとねっとりとしていて名前の通りとても甘い。


 二人が里では食べられない海鮮に夢中になっていると突如ファンファーレが鳴り響いた。その音に驚いたアネモネがきょろきょろしていると遠くからカートを押した料理人が歩いてくるのが見える。


「にいに。あれなにを運んでるの?」


「あれはタイムサービスの料理を運んでるんだよ。あの隠されたお皿にはその日で一番凄かった魔物を使った料理が入ってるんだ」


 以前来た時はアネモネは今よりも小さかったからタイムサービスについてよく分かってなかったのだろう。そんな妹にアンティアスは説明をしてあげている。


「お待たせ致しました。タイムサービスのお時間です。本日も沢山の差し入れを頂きありがとうございました。その中で今回料理長の太鼓判となったのはこちらの料理となります」


 その言葉と共にクローシュが開けられた。アネモネには遠すぎてよく見えなかったが、なにやら赤い塊が置かれているのがなんとなく見える。


「本日のタイムサービスは雷槍マーリン様から頂いたタイダルフィッシュを使った料理となります。その名も『タイダルフィッシュの五点握り』です。脂の乗ったトロと旨みの詰まった赤身の味比べをお楽しみくださいませ。こちらの料理は魚部門の料理長であるリョウマがお客様の前で握らせていただきます!」


「タイムサービスに選ばれるなんて父様凄いです!」


「とーさますごい!」


 マーリンの名前が出たことに興奮気味な二人を連れて大皿の前へとやって来た。目の前ではリョウマと呼ばれた目付きの鋭い男が、タイダルフィッシュの大きなサクを切って寿司を握っていく。その首筋には竜のような鱗がある辺り出身は東国のヤマトだろう。あの国には竜人ドラゴニュートが数多く住んでいる。


「お待たせしました五点握りです。左からカマトロ、大トロ、中トロ、赤身、ネギトロ軍艦となります。旗を立ててあるのはワサビ抜きなのでお子様にどうぞ」


 寿司下駄には鮮やかな色のタイダルフィッシュの握り寿司が乗っている。白いカマトロから右に向かって徐々に赤くなっていくのが美しい。受け取ったアネモネが落とさないように慎重に運ぶ。


「ゆっくり……。ゆっくり……」


 そんな声を出しながら時間をかけて歩いていくアネモネを他の冒険者達は微笑ましそうに見ていた。そして席に戻ると待ちきれないといった様子でソワソワとしている。


「これは美味しそうだな。食べよう」


「うん!とーさまいただきます!」


 こんな美味しそうな魔物を倒してくれたマーリンに感謝をすふとアネモネは最初に赤身を取った。小皿に入った醤油にちょんと浸すと脂がサッと醤油に広がっていく。そのまま小さな口で寿司をぱくりと食べた。


「んんーっ!これ凄い!すっごい美味しい!」


 あまりの美味しさに身悶えしながらアネモネは三人へと感想を伝える。少しだけねっとりとした舌触りのタイダルフィッシュの赤身は、さっき食べたマグロの刺身よりも断然旨みが強い。あっさりとしているのになぜか脂の旨味もしっかり感じるのだ。


「中トロも美味しいよ!赤身と大トロの中間って感じでいいとこ取りしてる!」


 アンティアスが選んだのは中トロだった。ほんのりピンク色の中トロは、口に入れると赤みの旨みとトロの甘さの両方を感じさせてくれる。そのいいとこ取りと言っていい美味しさに自然と笑みが溢れた。


「大トロも凄いですよ。食べたら口の中で溶けました」


 大トロを選んだコーラルは口の中で溶けたことに目をまん丸にして驚いていた。醤油を染めるほどの濃厚な脂を持った大トロは食べると口の中の温度で溶けていく。そして消えた後の口には鮮烈なまでの甘さと旨さが残っていた。


「カマトロは本来なら少ししか取れない希少な部位だが大きなタイダルフィッシュなら全員に行き渡りそうだな」


 タイムサービスの行列を見ながら全然食べれそうで良かったとマーリンは胸を撫で下ろした。そして食べたタイダルフィッシュのカマトロはサクサクとした不思議な食感をしている。おそらく津波を起こす器官として発達しているのだろうが魚なのに肉を食べているようだ。ただ味は絶品で噛めば噛むほど旨みが溢れてくる。


「とーさま。その緑のやつなーに?」


 アネモネはマーリンの醤油皿に乗っていたワサビを不思議そうに見ていた。


「これはワサビだ。寿司に付けるとさっぱりして美味しくなる。ただ辛いから付けるなら少しにしなさい」


 辛いと聞いたアネモネは緊張の面持ちでワサビをほんの少し取った。そして自分の寿司にちょんと付けるとギュッと目を閉じて口に入れる。そのまま探るようにもぐもぐと口を動かしていたが、飲み込むと目を開けてにっこりと笑った。


「ワサビ美味しい!」


 どうやらアネモネはワサビを気に入ったようだ。マーリンの皿からもう一度ワサビを貰うと残っている寿司に少しずつ付けていく。


「調子に乗って沢山つけたらだめですからね」


「大丈夫!ちょんって少しだけつけるから!」


 得意げな顔でそんなことを言うアネモネを微笑ましく思いながらマーリンはネギトロ軍艦を食べる。巻かれた海苔のパリッとした歯切れの良い食感に、ネギトロのねっとりとした食感がクセになるようだ。こうして四人はタイダルフィッシュの五点握りを心ゆくまで楽しんだ。


 アネモネとアンティアスが寝静まった頃にマーリンとコーラルは砂浜を歩いていた。夜の海は穏やかで水面に映し出された月が風に揺られて気持ちよさそうに泳いでいる。そんな景色を楽しんでいると先を歩いていたコーラルがくるりと振り返った。


「今日は連れてきてくれてありがとうございました」


「急にどうしたんだ?」


「私達のために招待状を取ってきてくれたのは凄く嬉しかったです。でもそのために無茶をするのはやめてください。本当は凄く大変な戦いだったのでしょう?」


「気づいていたのか」


「タイムサービスを取るくらいの魔物ですよ。いくら鈍くても分かります。それに知ってますか?あなたは嘘をつくときは笑顔を見せるんです」


 だから本当は最初から気づいていたんだとコーラルはにっこりと笑う。それでもマーリンが楽しませようと頑張ってくれたことにも気づいていた。


「そんな癖があるなんて知らなかった。よく気付いたな」


「当たり前ですよ。何年一緒にいると思ってるんですか?それに私がまだマーくんって呼んでた頃からその癖はありました」


「マーくんか。そう呼ばれたのはいつ以来だろう」


「結婚してからはずっとあなたって呼んでますからね。今だけ昔みたいに呼んでみますか。そういえばマーくんがプロポーズしてくれたのもこんな夜の砂浜だったよね」


「そうだったな。それならもう一度言わせてほしい。いつも俺を支えてくれてありがとう。それに俺と結婚してくれて本当にありがとう。これからも二人で支え合いながら生きていこう。愛している」


「ふふ。こちらこそ愛してるよ」


 月が雲に隠れて二人はシルエットだけになる。そんなシルエットが一つに重なったのを見たのは砂浜を歩く薄ピンク色のカニだけだった。

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