第11話従業員の一日
ピピピピ。ピピピピ。ピ。
聞こえてきたアラームにレベッカは枕元に手を伸ばして目覚まし時計を止める。時刻はまだ七時前だがレベッカは起きると大きく伸びをした。立ち上がって洗面台まで行くと顔を洗って歯を磨く。綺麗な白い歯は接客の資本だ。カーテンを開くと朝日が差し込んできた。
「うーん!今日もいい天気!」
窓を開けると大きく息を吸い込む。今年で十五になったレベッカはいつだって元気いっぱいだ。こうして月光苑の一日が始まった。
実はレベッカは月光苑で働く直前の記憶がない。フーリスの街で酒場のウェイトレスとして働いていたことは覚えているが、仕事を終えて帰ろうとしてからの記憶がない。気がつくと月光苑の入り口に立っていた。そのままグリムに拾われて、オーナーに面接を受けて気付いたら月光苑で働くことになっていた。
酷く辛い記憶があった時に人は記憶が抜け落ちると聞いたことがある。例えばゴブリンの巣から発見された女性などはそういうことがあるようだ。それを聞いて怖くなったレベッカは、月光苑にある医務室で検査を受けたが、乱暴されたような形跡は見つからず極めて健康だった。
自分の身に何があったのか気になるレベッカだが、ここへ連れてこられた経緯をオーナーは察しているようだし、前に働いていた酒場に話を通してくれたそうなので、レベッカは気兼ねなく月光苑で働く事にした。
なにより月光苑は賃金が高い。以前の倍は貰えるし、オーナー曰く福利厚生が大事とのことで、従業員は寮に個別の部屋が与えられる。しかも休みが週に二回もあるし、ご飯は賄いが無料で食べられた。寮には共同の大浴場があるから空いてる時間に入り放題だ。
しかもなんと月に一枚銅の招待状が配られる。オーナーは月光苑がどんな旅館か知らないと、来てくれたお客様に説明出来ないからというが、こんなに従業員にとって天国のような職場は他に絶対ないだろう。
このことが知られたら雇ってくれという人も絶対に多い。なので従業員一同一致団結して雇用条件を秘密にしている。そもそも月光苑は転移門からしか来ることはできないので、そうそうそんな人が来るとも思えないけど。
「おはようございますグリムさん!」
「おはようございますレベッカさん。昨日はよく眠れましたか?」
「バッチリです!寮のベッドは気持ち良すぎて、横になるとすぐ寝ちゃいますよ」
レベッカが従業員入り口から月光苑に入ると、グリムが廊下の掃除をしていた。以前に掃除を接客のリーダーにやらせる訳にはと思って代わろうとしたレベッカだったが、グリムには好きでやっているからと断られてしまった。
それ以来気にしないように努力しているが、やっぱり自分の上司が掃除している廊下を歩くのは気が引けるとレベッカは思ってしまう。
気持ちを切り替えて従業員服を着て館内へと向かう。オーナーが中居服をアレンジをしたらしい従業員服は、とっても可愛くて人気があった。まずは廊下の掃除をするために道具片手に清掃を開始する。
「そこのお嬢さん。お風呂はどこかしら?」
「ご案内しますね!」
月光苑は冒険者専用と思われがちだがそんなことはない。月光苑が取引している店なんかに招待状を配ることもあるし、オーナーが個人的に渡すこともある。
「ありがとう。孫が冒険者なんだけど家族みんなを連れてきてくれたのよ。まさかこんな素敵な場所があるなんて知らなかったわ」
「わぁ!素敵なお孫さんですね!是非今日は楽しんでいってください。お風呂はこちらになります!」
こんな風に冒険者の家族が来ていたりもするからレベッカは接客が楽しかった。どんな理由で招待状を手に入れたのか考えるとワクワクしてくる。
掃除が終わると受付業務だ。とはいってもほとんどをグリムがやってしまうので、基本的には事務作業をしている。この後普通はメインホールでの設営や調理などがあるが、レベッカは一旦休憩だ。
実は月光苑には酒場がある。メインホールとは違ってお金が掛かるが、逆にメインホールでは出していない高級なお酒が飲める。以前酒場で働いていたレベッカはその話を聞いて、そこで働きたいとオーナーに直談判した。
それがあっさりと許可されて、レベッカの仕事はメインホールの代わりに酒場となった。初めて向かった時はレベッカの知る冒険者が大人数で騒ぎながら飲むような場所ではなく、薄暗い落ち着いた照明の中で一人静かに飲むような場所で驚いた。後々聞くとバーという名前らしい。
「お疲れ様ですマスター」
「レベッカか。お疲れ様。今日もよろしく頼むよ」
バーでは老紳士がグラスを拭いている所だった。レベッカが一度名前を聞いたが、マスターでいいとはぐらかされてしまい、それからはマスターと呼んでいる。
ここに来るお客さんは多くはない。ここで飲むには相応の金額がかかるので駆け出し冒険者はまず来れない。騒ぐような人はお断りしているし、利用するのはごく少数だ。それでもここの雰囲気を好きになって常連として来てくれる人もたしかに存在した。
ここでのレベッカの仕事は少ない。ほとんどの仕事がマスターの補助だ。お酒作りはマスターがしてしまうし、自分がいる必要はあるのかとレベッカは思う。そんな中でレベッカが見つけた役割がお客さんとの会話だ。
初めはマスターのように静かに聴きに徹していたが、冒険者の話というのは一つの物語を聞いてるようで楽しい。ある時リアクションをとったらお客さんも興が乗ったようで楽しそうに話してくれた。満足そうに帰っていったお客さんを見て、レベッカはそっちの聴き方が向いてるとマスターに褒められた。
その時からレベッカはバーが好きになった。なにより事あるごとにお尻を触られる酒場に比べて、バーのお客さんは皆紳士的だ。ただたまには良くないお客さんもいる。今日はたまたまそんな日だったのだろう。初来店のお客さまだったが、お酒が進むうちに態度が急変してきた。
「おい姉ちゃん。こっち来て酌しろや」
「困りますお客様。当店ではそのようなサービスはしておりません」
「うるせぇ!ゴールドランクの冒険者様の言うことが聞けないのかよ!?」
「申し訳ありませんが当店の従業員にそのような態度を取られるようなら、出て行っていただきます」
「あぁ!?じじいはすっこんでろ!」
どうしよう。これはグリムさんか誰か呼んで来た方がいいのだろうか?レベッカがそう思っていると店のドアが開いた。
「あれぇ?どうしたのマスター?何か騒ぎでもあったぁ?」
「いらっしゃいませタリスさん。騒がしくてすいません。こちらのお客さまがですね」
バーに入ってきたのは常連のタリスだった。天使のようなあどけない容姿に、透明感のある白髪を長い一つ編みにしている紅い目が特徴の冒険者だ。見た目は子どものようだがしっかりと成人している。
「ねぇおじさん。このバーは静かに飲む所だよ。これ以上騒ぐなら常連として僕も黙ってはいられないかなぁ」
「なんだクソガキ!ゴールドランクのこのオレ様に楯突こうってのか!?」
「えー?おじさん本当にゴールドランク?それなのに僕のこと知らないなんて知名度ないのかなぁ。なんだかヘコむなぁ」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!ぶっ飛ばすぞ!」
怒った冒険者はタリスに向かって拳を振り下ろす。するとタリスの影から無数の手が伸びて体を拘束した。腕だけではなく金縛りのように目すら動かせない状況だ。
「ねぇ。おじさんの名前は?」
「う、ぐ。このクソ、ガキが」
「早く言わないと締め付けが強くなって、おじさんの全身の骨がバラバラになっちゃうかもよぉ?」
その言葉通り影の拘束は強まり、骨が軋んでミシミシと音を立てる。
「アーノルフ、だ」
「アーノルフおじさんだね。分かったぁ。じゃあおじさんは今後二度とこのバーに近づかないこと。リリスお願い」
タリスの首元から一匹の黒い蛇が顔を出した。蛇は真っ赤な目でアーノルフを睨むと、アーノルフは急な心臓の痛みに呻き声を上げる。
「黒い蛇を連れた白いガキ。お前まさか、『
「ぴんぽーん!正解!タリス・スコルピアだよぅ。おじさんはリリスの呪いで、このバーに入ろうとすると心臓に地獄のような痛みを感じるようにしておいたから。だから早く出て行った方がいいよ」
タリスが影の拘束を解くとアーノルフは一目散に逃げて行った。
「あーあ。おじさんお金払わずに出て行っちゃったぁ。仕方ないからおじさんの分は僕が払うよマスター」
「いえ。お気持ちだけで結構ですよ。それよりタリスさん。お力添え頂きありがとうございました」
「いいっていいって。僕はこのバーが好きで、ここで飲むために月光苑に来てるんだから。とりあえずマスター。いつもの頂戴。それとああいう嫌われ者の相手は僕に任せてよぉ。『蛇蝎』のように嫌われるのは僕一人の特権なんだからさぁ」
その後タリスは特に喋ることなく一人静かに酒を飲んでいた。しかしその子どものような容姿のせいでレベッカはダメなものを見ているような気になってしまう。
「よし。それじゃあ僕はそろそろお暇させてもらうよぉ。マスター、いつも美味しいお酒をありがとう。レベッカちゃんもまたね。お金ここに置いておくよ」
タリスはカウンターに金貨を三枚置いた。
「いや、これ多すぎますって」
「大丈夫。僕はこう見えてそこそこ稼いでるからぁ。それにあのおじさんの分もあるよぉ。もし多いようなら今度マスターの新作飲ませてくれればいいからさぁ」
ヒラヒラと手を振って鼻歌を歌いながらタリスは出て行った。
「いや金貨三枚って、さすがに多すぎだろう。オーナーに知らせとかないとな」
「なんかタリスさんって不思議な人ですよね。あんなにいい人なのに嫌われるみたいなこと言ってるし。一体何者なんですか?」
「誰にも言うなよ?タリスさんは『蛇蝎』と呼ばれる四人しかいないオリハルコンランクの冒険者だ。元々闇ギルド出身で、賞金首や犯罪者を狩り続けてオリハルコンランクにまで上り詰めた凄い人だ。ただなんであんなに嫌われようとしているのかは俺も分からん」
それを聞いたレベッカの驚きの叫び声が館内に良く響いた。
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