第9話握り寿司と魚人家族3
「相変わらず広いな」
大浴場へと来たマーリンはそんな言葉を口にした。この大きな大浴場には何度来ても圧倒される。海という広い水場を知る魚人だからこそ人の手でここまで大きなものを作れるのかと驚くのだ。
月光苑に何度も来ている二人はシャワーの扱いも慣れていて手際よく体を洗い終えると辺りを見渡す。するとアンティアスが不思議な風呂を見つけた。
「あのお風呂はなんでしょうか?」
指差したのは小さな魚が沢山泳いでいる不思議な風呂だった。壁に取り付けられた説明をアンティアスが読み上げる。
「どうやらスパークフィッシュ風呂って言うみたいです。なになに。スパークフィッシュは大きな生き物に張りつく不思議な生態をしています。そして電流を流してマッサージすることで外敵から守ってもらいます。なんか面白いですね!このお風呂に入りたいです!」
「む、むぅ」
なぜか渋っているマーリンだったが息子のキラキラとした目には逆らえず、二人はスパークフィッシュ風呂に入ることにした。
「お湯は少し温めですね。スパークフィッシュに合わせてるのかな?わっ!なんだ!?」
お湯の温度を確認していたアンティアスの背中にスパークフィッシュが張りついた。そして微弱な電流が背中に流れ始めたのが分かる。
「あはは。少しだけくすぐったいけれど気持ちいいですね。父様はどうですか?父様?」
スパークフィッシュの電流はある程度の強弱があって、そのおかげかマッサージされているようで気持ちがいい。マーリンはどうだろうと見てみると俯いてブルブルと震えていた。父のそんな姿を初めて見たアンティアスはどうしたのだろうと不安になる。するとマーリンは堪えきれないといった様子で勢い良く立ち上がった。
「あっはっはっはっ!アンティアス頼む!体中に張り付いているこいつらを取ってくれ!」
普段のキリッとした表情を崩して大口を開けて笑うマーリンは息子にそう頼んだ。慌てて剥がそうとするアンティアスだったが、掴まれたスパークフィッシュは剥がされまいと先ほどよりも強く張り着いてしまう。
「あっははは!もう無理だ!勘弁してくれ!死ぬ!笑い死ぬ!」
『フリーズ』
もう無理だと突っ伏したマーリンに冷たい風が吹きつけた。騒ぎに気づいた魔道士の男が魔法で冷やしてくれたようだ。あまりの寒さにスパークフィッシュはお湯に戻ろうとポロポロと剥がれ落ちていく。
「はぁはぁ。助かった。礼を言う」
「はっはっは!雷槍の貴重な場面を見れたから礼はいらんよ!そこまで強く冷やしてないからスパークフィッシュも少し経てば元気になるはずだ」
いいものが見れたと上機嫌な魔道士の男はひらひらと手を振りながら去っていった。
「父様ごめんなさい。僕が入りたいって言ったから嫌なのに付き合ってくれたんですよね」
「言わなかった俺が悪いんだ。気を取り直して別の風呂に入ろう」
冷たい風に吹かれて体が冷えた二人は、近くの花びらが浮かんでいる風呂へと入った。ピンクの花びらはアロマローズというようで薔薇のいい香りが香ってくる。
「いい匂いがします。それにしても父様はくすぐったいのが苦手なんですね」
「くすぐったいのもそうだが、なによりスパークフィッシュが苦手でな。小さい頃に海を泳いでいたらスパークフィッシュが背中に張り着いたことがあるんだ。そして電流を流されたくすぐったさでパニックになって溺れかけた」
「父様にそんなことがあったんですか」
「魚人なのに溺れかけたのが恥ずかしくてな。それ以来スパークフィッシュがトラウマなんだよ」
あの時は本当に大変だったとマーリンは当時を思い出した。その後に里の大人に助けられると、案の定溺れていた理由を聞かれた。だがスパークフィッシュのせいとは恥ずかしくて言えなかったマーリンは魔物に襲われたと嘘をついたのだ。そのせいでしばらく里では遊泳禁止となってしまい申し訳ない思いをしたのを今でも鮮明に覚えている。
そんな苦い思い出を吐き出すようにマーリンは大きく息を吐いた。それが立ち上る湯気を吹き飛ばして渦を巻いて消えていく。そんな光景をぼんやりと見ていると心からリラックスできているのが分かった。
「暑くなってきました」
「それならそろそろ出ようか」
体を拭いて大浴場を出た二人は部屋から持ってきた浴衣に着替える。
「この浴衣って魚人の服と作りが少し似てますよね」
「確かにそうだな。だから着慣れた感じがするのかもしれないな」
二人が男湯を出るとすでにコーラルとアネモネが待っていた。
「あ!とーさま出てきた!」
「すまない待たせた」
「さっき出てきたところですから大丈夫ですよ」
出てきた二人に気付いたアネモネは元気よく手を振ってきた。その口周りにはフルーツ牛乳のヒゲが生えている。それをコーラルがタオルで拭いてあげた。
「美味そうだな。俺たちも飲むか。アンティアスはどれにする?」
「いちごミルクがいいです!」
「分かった。買ってくるから待っててくれ」
そう言ってマーリンは大きな箱の元へと向かった。これは自販機といって中にはいろんな種類の牛乳が並んでいる。番号が書いており、銅貨を入れて飲みたい牛乳の数字を入力すると目当ての牛乳が落ちてきた。
自分はコーヒー牛乳にして皆の元に戻るとアンティアスにいちごミルクを渡した。月光苑の牛乳は瓶に入っていて、蓋を開ける時のキュポンという音がなぜだか無性に美味そうに聞こえる。その音を堪能した二人は腰に手を当てるとグイッと牛乳を飲んだ。
「いい飲みっぷりですね」
「にいにととーさまのも美味しそう」
そんな二人の牛乳をアネモネが羨ましそうに見ていた。月光苑の牛乳は不思議と他の人が飲んでいるのが美味しそうに見えるのだ。
「今度はフルーツ牛乳じゃない味にしましょうね」
「うん!」
部屋に戻ると月光苑まで来たことと海で遊んだ疲れからかアネモネとアンティアスがうとうととしている。時計を見ると今はまだ六時を過ぎた頃だ。まだ宴の間が開いたばかりなので一眠りさせても時間には余裕があった。
二人をベッドに寝かせて布団をかけてやるとすぐに寝息を立て始めた。一緒のベッドで仲良く手を繋いで寝る姿はとても可愛らしい。こんな幸せな光景なら一生見てられそうだ。
「天使みたいでとっても可愛いです」
「そんな天使がもう一人増えると思うと嬉しいよ。ありがとうコーラル」
「あなた……」
ソファに座っているコーラルの隣に座るとマーリンの肩に頭を預けてきた。そのまま二人の天使の寝顔を見ている時間はとんでもなく贅沢なものに感じる。耳を澄ませば外から波の音や海鳥の鳴く声が聞こえてきた。そんな時を楽しんでいると結構な時間が過ぎていたようで、時計を見ると七時になる所だった。
「そろそろ起こしましょうか」
すやすやと眠る肩を叩くと二人は目を覚ました。まだ少しだけ眠そうだったが、今どこに来ているのかを思い出しようで二人の目がパチッと開く。
「さぁ。ご飯を食べに行こう」
これから楽しいご飯の時間だ。そんなことを思った二人の目がキラキラと輝いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます