第40話パイシチューと新米ポーター2

 

 地上に出るとまだ日が沈んでいないことに驚いた。感覚では二日くらい迷宮にいた気がしたが実際は半日も経っていないらしい。昇る太陽の位置から時刻はまだ三時過ぎといったくらいだろう。


「良かった!無事に帰って来たみたいだな」


 あまりに濃密な時間を過ごしたせいか無事に帰って来たことになんだか気が抜けてしまった。そんなアメリアに声をかけてきたのは迷宮に入る前にアークライトを止めようとした冒険者の男だった。男のホッとしたような表情にやっぱりあの時はアメリアの身を案じて話しかけてくれたのだと嬉しくなる。


「言ったであろう。我が絶対に守ると」


「アークライトさんなら大丈夫とは思っていたけど小さな女の子だし心配もするさ。その子が冒険者を探しているのを見て本当はなんとかしてやりたかったんだ。でも守りながら戦えるほど強くないから諦めたんだけど最強の冒険者が雇ってくれて本当に良かったよ」


「そのわりにはそなたは止めに来たな?」


「悪かったよ。ただアークライトさんは普段深層まで行くから心配でさ。でもこんなに早く戻って来たってことは浅い場所で狩りをしてくれたんだな」


「いや、しっかりボスまで倒してきたぞ。だから銀の招待状を手に入れることもできた」


 アメリアを連れてボスを倒したとあっけらかんと話すアークライトに男はあごが外れそうなくらい口を開けて固まる。しかしどこか納得したような表情になると感心したような大きなため息を零した。


「さすが最高峰の冒険者は違うなあ。銀の招待状なんて羨ましいぜ。お嬢ちゃんも月光苑を楽しんでおいで」


 招待状や月光苑という気になる言葉を残して立ち去る男にアメリアは頭の上にはてなを浮かべている。


「アークライトさん。月光苑って?」


「今は秘密だ。その方が面白いからな。それよりアメリアの母に会ってみたいのだが構わないか?」


「それはいいですけどどうしてですか?」


「友人が一度助けたなら最後まで面倒をみろと言っていたからな。悪いようにはせん」


 家へと向かう前にアークライトに言われて冒険者ギルドへと立ち寄る。アメリアは中に入らなかったがどうやらアークライトはドロップ品を売りに行ったようだ。


 用事を済ませたアークライトを案内しながらアメリアは銀貨一枚くらい貰えたらいいなと考えていると、いつの間にか家に到着していた。古くなった木のドアを開けると中から足音が聞こえてくる。


「おかえりなさいアメリア」


「お母さん!?ちゃんと寝てないと!」


 出迎えてくれたのは出かける前までは寝込んでいたはずの母シルクだった。その顔色は普段に比べて幾分か良さそうではあるもののベッドで寝ていてほしい。そんな怒った表情のアメリアにシルクはコロコロと笑うと大丈夫だとアピールするように力こぶを作ってみせる。


「今日はなんだか調子が良いの。それよりそちらの方は?」


「あ、そうだった!こちらは私を雇ってくれた冒険者のアークライトさんだよ。恐ろしい魔物を一撃で倒しちゃうような凄く強い人なんだ」


「まあ!娘がお世話になったようでありがとうございます。狭い家ですがお茶でも飲んでいってください」


「それでは一杯ご馳走になる」


 短い廊下を進むと居間では妹のレナが柱の陰からこちらを見つめていた。知らない人がやって来たことに警戒しているのだろう、アークライトを見る目は不安そうに潤んでいる。


「ただいまレナ。この人はアークライトさん。とっても強くて優しい人だからそんなに警戒しないで大丈夫よ。だからレナもこっちに来てお話ししよ?」


「……アークライトおじさん?」


「こら!おじさんなんていっちゃダメ!」


「ふふっ。いいのだアメリアよ。幼子からしたら三十手前の我は十分おじさんであろうよ。レナといったか。こちらに来て一緒に茶でも飲もう。美味しいお菓子もあるぞ」


 そう言ってどこからか取り出したクッキーを見せる。それに釣られたようにトテトテと走って来たレナはアークライトの膝の上に座るとリスのようにクッキーを食べだした。


 食べカスが高そうな服の上に落ちるのを見て膝の上から下りるよう言おうとしたアメリアだったが、それをアークライトが手で制した。


「アメリアがそうであったようにレナも不安に過ごしてきたのであろう。こうしてクッキーを食べることで心が休まるなら服の一着や二着犠牲になっても構わん」


 そんな言葉が響いたのか、もしくは餌付けが功を奏したのかは分からないがレナはすぐにアークライトに懐いた。あれだけ強い冒険者がおままごとでレナに怒られているのを見るとなんだか無性に笑えてくる。お茶を持ってきたシルクも楽しそうな娘達の姿に嬉しそうに笑っていた。


 そんな楽しいひと時を過ごしたことで遊び疲れたのか眠ってしまったレナにタオルをかけたアメリアは、アークライトのコップが空になっていることに気づいた。


「新しいお茶を入れてきますね!」


 キッチンに向かったアメリアは久々に過ごす穏やかな時間に幸せを噛みしめていた。思えばシルクが倒れてからはこんなに笑えたことはなかったかもしれない。


 こんなに笑ったのはいつぶりだろうと記憶を辿れば、冒険者をしていた父が死ぬ前になりそうなほどに心の底から楽しんでいた。


 藁をも掴む思いで始めたポーターだったが思わぬ出会いをもたらしてくれた。自分を雇ってくれたアークライトに感謝をしながらお茶を持って居間へと戻るとアークライトとシルクの会話が聞こえてくる。


「そなたはいつまで生きれそうなのだ?」


 アークライトの言葉にドアを開けようとしたアメリアの手が止まった。心臓が激しく脈打ち、聞き間違いだと頭が必死に否定しようとする。


「見抜かれてしまいましたか。そうですね。持ってあとひと月といったところでしょうか。娘たちには話していませんがどうやら私は肺石病にかかったようです」


「肺石病……。進行すれば息ができなくなって死に至る病だな。直すにはエクスポーションが必要だったか」


「はい。ですがエクスポーションなんて高い薬を買うことはできません。ですのでどうかこの話はアメリアには内密にしてくださいませんでしょうか。もしあの子がこれを聞けば無理をしてでもお金を集めようとするでしょう。私のために娘が犠牲になるなんて耐えれませんから」


 泣きそうな声で話すシルクの言葉にアメリアは足元が崩れそうになるのを必死に耐える。それでも膝は震えて漏れる嗚咽を空いた手で必死に塞いでいた。


「そうか。ただ手遅れのようだな」


 足元が近づいてきたと思ったら目の前の扉が開く。そこには扉を開けたアークライトと驚いた表情を浮かべてこっちを見ているシルクがいる。アメリアはそんな母親に詰め寄ると涙を流しながら肩を掴んだ。


「お母さん!もう生きられないってどういうこと!?そんなの嘘だよね!安静にしてれば治るってお医者様に言われたって言ってたよね!?」


「聞いていたのね。騙していてごめんなさい。アークライトさんに話したのが真実よ。私はもうすぐ死ぬことになる。まだ幼い貴女たちを置いていく酷い母親で本当に……ごめんなさい……」


「嫌だよ!死なないでお母さん!お金を頑張って稼いでエクスポーションっていうのを絶対に買うから!もう少しだけ頑張ろう!」


「その気持ちだけでも嬉しいわ。でも無理なの。エクスポーションは金貨五枚もする高価なお薬なのよ。もし一日に銀貨一枚を稼げても五百日もかかる。それに私のためにアメリアに無理をさせるのはもう嫌なの。ごめんね。分かってちょうだい」


 優しく抱きしめてきたシルクの体が以前よりも細くなっていることにアメリアは気が付いた。こんなになるまで気付けなかった自分の間抜けさと隠し通したシルクの強さに涙が止まらない。


 それでも諦める訳にはいかないとアメリアは黙って見守っていたアークライトに目を向けた。あれだけ強い冒険者ならエクスポーションを持っているかもしれない。もしなくても金貨五枚ならあるかもと膝を着いて頭を床に擦り付けた。


「エクスポーションを持っていませんか!絶対にお金を払います!なんだってします!だからお母さんを助けてください!」


「すまない。エクスポーションは今持っていない」


「それならお金を!」


「友から聞いたが雇用したら福利厚生がとても大事らしい」


 必死に頭を下げるアメリアにアークライトは明日の天気を訪ねるような気軽さで意味の分からないことを言い出した。


 福利厚生がなにかは分からないがふざけている場合じゃない。そう怒鳴ろうとしたアメリアの前でアークライトがなにかを机の上に置いた。


「一日だけとはいえ雇用は雇用だ。それに随分と頑張ってくれたしボーナスをやろうと思う。だからアメリアの働きに対してこれを与える」


「なんですかこれは」


 渡されたのは小さな小瓶に入った黄金に輝く液体だった。思わず目を奪われるような輝きにアメリアは怒りを忘れてその小瓶に見入る。


「それは神薬エリクサーだ。エクスポーションで治せる程度の病なら簡単に治る。シルクは平気な顔をしておるが本当は叫びたくなるほど胸の内が痛いはずだ。早く飲ませて治してやれ」


「良いん……ですか?そんな貴重なものを貰って」


「我を舐めるな。神薬など余るほどに持っておるわ。誇れアメリアよ。あの時に我の目を真っ向から見据えたから今があるのだ」


「ありがとうございます!ありがとうございますっ!お母さん!早くこれを飲んで!」


 こんな高価なものを飲めないと渋るシルクの体をアメリアは強引に押さえつけて小瓶を口に突っ込んだ。観念してそれを飲んだシルクの体が光り輝くと驚いたように胸に手を当てている。


「胸の痛みが無くなってる。私本当に助かったのね」


「えーん!お母さん!本当に良かったよ!」


 安心から幼子のように泣きじゃくるアメリアをシルクは優しく撫でながら耳元で何度もありがとうと呟いた。そして騒ぎに目を覚ましたレナがキョトンとした顔で周りを見ている。そんな三人をアークライトは優し気な顔で見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る