第21話フルーツタルトとエルフの仕立て屋姉妹4

 

「こっちじゃこっち!」


 初めて訪れた月光苑のメインホールは想像以上に広かった。様々な種族が美味しそうに食事を楽しんでいる光景に、リラとルルはすっかり圧倒されてしまっている。それを遠くから見ていたティアハイドが、石造のように固まってしまった二人を見かねて迎えに来てくれた。


「随分と遅かったな」


「ごめんねティアちゃん。館内着を着たお姉ちゃんの興奮が止まらなくて。私が何度も行こうっていうのに、ここの針仕事がーっとか言って全然聞こえてないの」


「うう。申し訳ないです」


 月光苑の館内着はリラにとって芸術品だった。縫い目の緻密さは一眼見て分かったが、実際に着てみると更に驚愕させられる。生地の継ぎ目や縫い目のチクチクとした感覚がまるでなかったのだ。


 それだけではなく館内着は驚くほど柔らかいのに生地はしっかりしている。二ヶ所の紐を縛ることで前を閉じられるという発想はエルフにはなかったものだ。噂ではラグニアの方にこれと似た衣装があると聞いたことがあるが、実際にそれを目にすると面白い作りだと感じる。


 そんなことを一頻り話した後に顔を上げて目にしたのは頬を膨らませたルルの顔だった。それから尻を叩かれるように支度をさせられて二人は急いでメインホールへとやって来た。


「可愛い顔して中身は立派な職人じゃのう」


 ティアハイドは自国の職人が勤勉なのはいいことだと遅かったことを怒りはしなかった。女王を退いて何百年と経つが、ユルールヴェルンへの想いが消えた訳ではない。こうして新たな芽が生まれていたことが非常に好ましかった。


「ところでティアちゃん。ここはどうやって注文すればいいのかな?」


「お主らはここが初めてじゃったな。ならばここは妾が案内してやろう。着いてくるがよい」


 置かれた皿を持って三人は食事を取りに向かう。他の冒険者達が取り合っている肉類には目もくれずにサラダコーナーへと向かった。肉が食べれない訳ではないが、やはり野菜や果物の方がエルフには合っている。


「凄いです。こんなに色々な野菜があるのは初めて見ました」


「であろう?妾も長く生きたが、ここよりも野菜を取り扱う場所を知らぬ。なんでも料理人の一人がエルフのようでな。野菜にはこだわっておるそうだぞ」


 ティアハイドの言葉にリラは大きく頷いた。これだけの野菜を揃えてくれたエルフの料理人には、会って直接お礼を言いたいくらいだ。生野菜だけでも全部食べたいくらいなのに、それ以外にも様々な方法で調理された野菜達が三人を誘惑してくる。


「見たことのない野菜が沢山あるわ。どうしましょう。全部取ってしまいたい」


「ほんとだよね!どれ食べようか悩むーっ!ティアちゃんのオススメとかあるかな?」


「オススメか。それならやはりトマトであろうな。二人ともよく聞け。月光苑のトマトは果物のように甘いのだ。しかもそれだけではない。あれを見よ。あれこそ妾を魅了してやまぬトマト。その名もプチトマトだ」


 ティアハイドが指差した先にはボウルに山のように盛られた小さなトマトがあった。プチトマトと呼ばれたそれは、普通のトマトと違ってまん丸でつるんとしていてとても愛らしい。しかも色が赤だけではなく黄色やオレンジまであるのだ。


「プチトマト……!」


 なんだこのトマトは。名前まで可愛らしいではないか。そう思いながら二人はトングでプチトマトを取っていく。実を潰さないようにヘタの部分だけを掴んで慎重に皿に置く二人は、プチトマトを割れ物かなにかだと勘違いしていそうだ。


「プチトマトを食べれるってだけで来る価値があるよ。教えてくれてありがとねってティアちゃん!?なんでソースなんてかけてるの!」


 プチトマトを無事皿に移し満足げな表情のルルが見たのは、ティアハイドがレタスにオレンジ色のソースをかけてる姿だった。こんなにも瑞々しくて神々しいお野菜様になんてことをするのか。ルルはティアハイドを小一時間お説教したい気持ちでいっぱいだ。


「まぁ待てルルよ。お主の言いたいことは分かる。こんな最高な野菜なのに、そのまま食べないなんておかしいと言いたいのであろう?妾もかつては同じことを考えておった」


「それならどうして!」


「これはドレッシングといって野菜専用のソースなのだ。最高のレディには最高のドレスが必要であるように、最高の野菜には最高のドレッシングが必要なのだ。これをかけることで野菜の旨さが極限まで引き立てられる。しかも聞いて驚け。このドレッシングはにんじんドレッシングじゃ。つまりドレッシングにまで野菜が使われておる」


「にんじんドレッシング!?」


「まぁ騙されたと思って食うてみるがよい。もうドレッシング無しでは生きられない体になるがな」


 そこまで言われたら逃げるわけにはいかない。ルルはほんの少しにんじんドレッシングをかける。緑のレタスに鮮やかなオレンジのドレッシングが映えていてとても綺麗だ。こうして三人は沢山の野菜を持って席に着く。


「いただきます」


「いただきます?」


「オーナーの言葉らしい。命に感謝することだそうだ」


「いい言葉ですね。それでは私もいただきます」


 リラはプチトマトのヘタを摘んで持ち上げる。そのまま掲げると照明に照らされたプチトマトがきらりと光った。なんて綺麗なんだろうとうっとりしながらパクリと頬張った。


 ぷちゅん。


 そんな音と共にプチトマトが弾けて中の甘酸っぱい果肉が口いっぱいに広がる。ジュレのような食感の中にプチプチとした種の食感を感じてとても面白い。


「プチトマト美味しいですね!」


 リラはプチトマトが気に入った。今度プチトマト柄の刺繍を施した服を作ってみようと思うくらいには。一方でルルはにんじんドレッシングのかかったレタスを睨んでいる。


 見た目は綺麗だし匂いはほのかな酸味とにんじんの優しい甘さを感じる。これだけ見れば非常に美味しそうだが、生まれ持った価値観が最高の野菜には味付けなど無粋とドレッシングを拒むのだ。


「でもティアちゃんのオススメだし。あむっ!」


 いつまでも睨んでいるわけにはいかない。ルルは目を閉じると意を決してレタスを口に入れる。もきゅもきゅと口を動かすルルだったが、その口は段々と早くなってゴクリと飲み込んで目をカッと開く。


「美味しい!ドレッシングって凄いね!野菜の美味しさが何倍にもなってるよ!」


「であろう?妾も初めはなんと邪道なと思ったが、にんじんドレッシングの魅力に負けて少しだけ試したら底なし沼のようにハマってしまったわ。それ以来国で食べる野菜に少しの味気なさを感じておる」


 三人が野菜に夢中になっていると突如ファンファーレが響き渡った。急になんだと顔を上げるとカートを押した料理人がクローシュで隠された料理を持ってきている。


「お待たせ致しました。タイムサービスのお時間です。本日も沢山の差し入れを頂きありがとうございました。その中で今回料理長の太鼓判となったのはこちらの料理となります」


 クローシュが開けられるとそこには芸術品のような大きなタルトが置かれている。上に載せられているのは色とりどりの果物で思わず喉を鳴らした。


「本日のタイムサービスはユルールヴェルン初代女王ティアハイド様から頂いたライフファウンテンを使った料理となります。その名も『命の泉の贅沢フルーツタルト』です。食べると口の中で弾けるライフファウンテンと料理長自ら厳選したフルーツがたっぷり使われたタルトをお楽しみください!」


「今ティアちゃんの名前が呼ばれたけど……」


「月光苑には差し入れと呼ばれるシステムがある。冒険者がその週に狩った中で一番だと思った獲物を月光苑に差し入れるのじゃ。そして大量に差し入れられた獲物の中で良いと思った素材でああやって料理が作られる。妾も試しに収穫したライフファウンテンを差し入れたが無事選ばれたようじゃな。今年は出来が良かったからのう」


 並んだ列の一番前にいる三人の前に現れたのは、宝石が散りばめられたような美しいフルーツタルトだった。様々な果物が美しさを主張する中で一際目を引くのは、エメラルドのように輝く大粒のマスカットだ。


「ライフファウンテンは命の泉の水を使って育てた特別なマスカットじゃ。マスカットの木にある時ふと思い立って命の泉の水を与えたら、粒がこれほどまでに大きくなった。実は極上の甘さで少しだが回復効果もある」


 席に戻るとティアハイドがライフファウンテンについて説明をしてくれた。マスカット相手になんて贅沢なとは思うが、命の泉を生み出したのはティアハイドなため好きなだけ使うことができるのかもしれない。


「しかし差し入れて正解じゃったな。そのまま食べても美味いライフファウンテンをこんなに見事な菓子にしおった。二人も我慢出来ぬであろうし存分に食おうではないか」


 それでは遠慮なくとリラはフォークで切ってフルーツタルトを一口食べる。まず感じたのは生地のナッツのような香りで、その後にタルトに詰められたクリームの甘さがやってくる。


 だがそこからが凄かった。怒涛どとうのように押し寄せてくる果実達の攻撃だ。イチゴやリンゴの酸味や甘みにブルーベリーやラズベリーの甘酸っぱい香りが口一杯に広がる。


 そしてそれらを統べるのはライフファウンテンだ。パンパンに張った実を噛むとパツンと弾けて果汁が溢れてくる。濃厚な甘さと芳醇な香りは、今まで食べたどんな果物達でも比べ物にならない。まさに果物の女王という風格をライフファウンテンは備えていた。


 途中から無言で食べ進める三人は最後の一欠片まで食べると満足そうなため息を吐いた。その表情は幸せに満ちていて、同じような顔をする三人はまるで姉妹のようだった。


「美味かったのう。そうじゃ、フルーツタルトに夢中で忘れておったがハンカチを見せてもらう予定じゃった。持ってきておるか?」


 満足そうな顔をしていたルルがポケットから藍色のハンカチを取り出してティアハイドへと渡す。


「これは見事じゃの。もっと素朴な色合いかと思ったが、なかなかどうして品がある。気に入った。リラよ。この技法で妾のドレスを一着作ってくれまいか?手の空いている時でよい」


「私がティアちゃんのドレスをですか!?」


「この染め方はユルールヴェルンに名を残すであろう。その第一作品が妾のドレスなど鼻が高いわ」


「ちょっとティアちゃん!第一作品はそのハンカチだからね!」


 言い合う二人を他所にリラは驚きで固まっていた。昨日までは名の知れないただの仕立て屋だったのに、なぜか初代女王のドレスを作るという話になっている。月光苑には夢を叶える何かがあるのかもしれない。


 その後ティアハイドのドレスと月光苑の館内着に泥染めを用いたリラの名は広く知れ渡った。『リラ染め』と呼ばれるようになった技法を多くの仕立て屋が真似しようとしたが、誰一人成功する者はいなかった。


 しかし今後そうなるとは夢にも思わないリラは、もう一つフルーツタルトを食べようと席を立つのだった。

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