第38話深夜に罪深い鮭茶漬けを

 

「うーん。小腹が空いたな」


 切なそうに鳴ったお腹を押さえたレベッカはベッドから起き上がってため息を吐く。バーで働く前にしっかり賄いを食べたはずなのにと枕元の時計を見れば時刻は午前十二時を過ぎた頃だった。凄くお腹が空いている訳でもないが何となくなにか食べたい気分だとお腹を撫でる。


「でもこんな時間に食べたら太っちゃうし」


 寝る前の食事は肥満の元だとグリムから聞いているのでこんな時間に食べるのはためらわれる。仕方ないから我慢しようともう一度横になるがどうにも寝付けなかった。


「よし!これはもう食べよう!頑張ってる自分へのご褒美だ!」


 今日も沢山働いたから少しくらい食べても大丈夫なはずだとレベッカは部屋を出ていく。従業員用のキッチンは二十四時間使えるので冷蔵庫の中のものでなにか作ることにした。


「この時間だと少し肌寒いなぁ」


 季節は夏を過ぎて木々の葉が色付いてきた頃で少々寒い。パジャマの上から上着を羽織って来たものの漂う冷たい空気にレベッカは手をこすって息を吹きかけた。


「あれ?誰かいる?」


 ささっと食べて布団に戻ろうと足早に向かったキッチンにはすでに電気が付いていた。どうやら先客がいるらしいと中を覗き込むと料理をしている知り合いの後ろ姿が見える。魚を焼く匂いがするので夜中なのに中々大胆な食事をするつもりのようだ。


「ふんふーん。こんな冷える日の夜食にはお茶漬けだよね!そんなお茶漬けにひと手間を加えようとはなんてあたしは罪深いんだ!これは捕まっても文句は言えない!」


「へぇ?ナタリーはそんなに悪いことしてるんだ?」


「うぇあ!?」


 レベッカの咎めるような声にナタリーは肩をビクンと跳ね上げ凄い勢いで振り向いた。その顔には人がいるなんて思ってなかったとはっきり書いてある。そしてイタズラが成功したとクスクス笑うレベッカに怒ったような表情で箸を突き付けた。


「もう!驚かすのはやめてよ!本気でびっくりしたんだから!」


「ごめんごめん。聞こえてきた独り言が面白かったからついね。お茶漬けを食べるの?」


 レベッカとナタリーはつい最近仲良くなった。元々は接客と調理という立場の違いから顔を合わせても挨拶する程度だったが、クルルが入ってきたことによって二人の距離が一気に近付く。クルルを可愛がりよくご飯を作ってあげるナタリーとクルルが一番懐いているレベッカが仲良くなるのにさほど時間はかからなかった。


「そうそう。でもただのお茶漬けじゃないんだ」


 自慢げな表情でナタリーが見せてきたのは七輪の上で焼かれている桜色が美しい切り身だった。炭火に焼かれてじゅうじゅうと音を立てながら漂ってくる香ばしい香りにレベッカの喉がゴクリと鳴る。


「どうしたのそれ?」


「今日の差し入れにあったクリスタルフォッグサーモンだよ。すごく美味しい魚なんだけど焼くと面白いことが起こるからよーく見てて」


 言われた通りに見ているとじゅわじゅわと焼けている身から突然霧が噴き出て七輪を隠した。そして霧が晴れるとツヤツヤと焼きあがったクリスタルフォッグサーモンの切り身が完成している。


「なにが起きたの!?」


「クリスタルフォッグサーモンは外敵に襲われた時に魔力を霧に変えるとそれを目隠しにして逃げる習性があるの。その霧が身に残ってて焼くと熱で噴き出してくるんだよ。その際に身の臭みなんかも一緒に抜けるから焼くのが一番美味しくなるんだ」


「まさかそれをお茶漬けに!?」


「そう!ご飯の上に香ばしく焼いたクリスタルフォッグサーモンを乗せてお茶をかければ極上の鮭茶漬けの完成ってわけ!」


「そんな贅沢なものを夜食として食べるの!?それは罪深すぎるよナタリー!」


 このまま食べても美味しいであろうサーモンをあえてお茶漬けに使うなんて贅沢過ぎて怒られてしまいそうだ。しかしレベッカの目は七輪に釘付けだった。なにを隠そう七輪の上には切り身が二つも乗っているのだ。


「気づいた?スペースがあるから二つ焼いたんだけど思ったより大きくて一つで満足しそうなんだよ。そこで相談なんだけど最高の鮭茶漬けを食べてあたしと共犯にならない?」


 その言葉がレベッカには人を堕落へと誘う悪魔の囁きに聞こえた。夜中なのにあれだけ脂の乗った鮭を食べたら無事で済む訳がない。明日体重計に乗ったら悲鳴を上げることになる。そんなことは御免なので断ろうと口を開いた。


「食べます!私にも鮭茶漬けを食べさせてくださいナタリー様!」


 しかしレベッカの口はなぜか断りとは真逆の言葉を言っていた。しかもナタリーに様まで付けて地面に頭を擦り付けそうな勢いで懇願している。


「よし!今からあたしたちは共犯者だよ。最高の鮭茶漬けを作るから裏切らないでね」


 二人分を手早く作るナタリーの後ろ姿を見ながらレベッカは共犯ってなんなんだと冷静になっていた。それでもこの場のノリに水を差すのも悪いので気にしないことにしたレベッカの前にお茶碗がコトリと置かれる。


「クリスタルフォッグサーモンの炭火焼き茶漬けの完成だよ!カリカリに焼き上げた皮の香ばしさとふんわり肉厚な身の旨味を存分にお楽しみくださいませ」


「ぷっ。なにそれ?タイムサービスの真似?」


「似てるでしょ?」


「そっくりだね。次のタイムサービスのアナウンスをやらせてもらえるように頼んでみたら?」


 そんな冗談を言いながらレベッカは桜色の身に箸を入れた。ほろりとほぐれた身から流れ出した脂がお茶に浮いてキラキラと輝いている。そしてお茶の匂いに負けない皮の香ばしい匂いが早く食ってみろと訴えていた。


「凄く美味しそう。作ってくれてありがとうね。いただきます」


「ふふ。どうぞ召し上がれ」


 少し下品かと思いながらも欲求に抗えなかったレベッカはズズッとお茶をすすってご飯をかき込むとほぐした身を口に放り込んだ。はふはふと熱を口から逃がしつつ噛むとサーモンの脂とお米の甘さが口いっぱいに広がっていく。それをお茶の渋みが上手くまとめ上げることで一つになった鮭茶漬けは極上の味に仕上がっていた。


「あふっ!はふはふ……!この鮭茶漬けすごく美味しいね!」


「普段でも美味しいんだろうけど背徳感って言えばいいのかな?この時間に食べているのが更に美味しく感じさせるよね」


「きっとそれだけじゃないよ。共犯だから美味しいんじゃない?」


 次にサーモンの皮を身から剥がすと一口齧った。焼かれてパリパリだった皮がお茶に浸かって少しだけしんなりとしているのがまた美味しい。レベッカは身と皮の間にある脂が好きで口の中で溶けた脂の旨みがたまらない。


 あまりの美味しさに夢中になって食べているとお茶漬けはサラサラと喉を通っていきすぐに無くなってしまった。レベッカはお茶碗に箸を置いて手を合わせるとホッと温かい息を吐く。気がつけば寒かったのはどこかへ消えて上着を脱ぐほどに体はポカポカになっていた。


「ご馳走様でした。凄い美味しかった」


「これは成功だったね。また今度作って食べよっと」


「その時は呼んでね?」


「もちろん。あたしたちは共犯でしょ?」


 その言葉にレベッカは笑うと食器を洗って部屋に戻った。ベッドに潜るとお腹いっぱいになったおかげかすぐに睡魔が襲ってくる。明日も美味しいものが食べれますように。そんな願いを胸に抱きながらレベッカは夢の世界に旅立って行った。

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