第42話パイシチューと新米ポーター4
宴の間というらしい大きなホールはすでに多くの人で賑わっているが、アメリアはこんなに多くの人はお祭りの時にしか見たことがなかった。
席に座ると色んな人がアークライトに注目しているように感じる。そんな中から今日のタイムサービスは無理だなという声が聞こえてきた。
「タイムサービスってなんでしょうか?」
「八時に出てくる一番美味しい料理のことだ。食べないと後悔するから腹に余裕を残すといい」
そうは言ってもとアメリアは沢山の料理が置かれている方を見る。先ほどから美味しそうな匂いがぷんぷんするし周りから美味いと聞こえてきて我慢の限界だった。
確かにレナの言っていたようにシルクが作るシチューは美味しくてアメリアも好きだ。ただここにある料理はそんなシチューとはなにかが違うような気がする。
言うなれば優しい家庭料理が野に咲くタンポポなら、ここの料理は貴族の庭園で管理されている美しいバラだ。
あの料理達はそこにあるだけで誰の目も奪ってしまうような気高きバラなのだ。アメリア自身もなにを言っているか分からなくなってきたが要するに、どれも美味しそうで余裕を残すなんて出来ないということ。
そしてもっと口を悪くするならばそんなことよりさっさと食べさせろといった感じだ。最初にお腹を鳴らしてから一時間以上経過しており、今のアメリアは餓えた獣のような思考になっていた。
「アークライトおじさん。レナお腹空いたよ。早くご飯食べたい!」
「そうだな。では取りに行こうか」
アメリアが思っていたことを言ってくれたレナに感謝をしながら後ろを着いて行く。近くで見る料理はより一層輝いて見えて思わず目移りしてしまう。
「アークライトさんはなにが好きなんですか?」
「我か?最近では刺身が好きだな。あそこの船に盛られているやつだ。最初は生魚を切っただけだと思ったのだが中々に奥が深い。種類によって味も食感も全く違って食べ比べるのが楽しいのだ」
生魚と聞いて思わず顔を
「アークライトおじさんが好きならレナも食べてみる!」
しかしレナは違った。アークライトに続いて皿へと刺身を乗せていて本当に大丈夫なのかハラハラしてしまう。
「ほう。マグロにサーモンとイカとは中々に良い選択をするな」
レナの選んだ刺身を見てアークライトは感心したように笑っている。どこが琴線に触れたのかは分からないが、確かに見た感じは色鮮やかで綺麗だった。
「お母さんはどれを取るの?」
「そうねぇ。どれも見たことのないものばかりで悩んじゃうわ。あら?あれってチュルじゃない?」
シルクが指差したのは真っ赤に染まった麺料理だった。チュルというのは小麦粉を細く伸ばして茹でた物で、アメリアの住む村では秋に採れたキノコと炒めたものが名物となっている。
ちゅるちゅると食べれることからチュルと名前が付いたのだが、知っているチュルはあんなに赤くはない。それでもようやく見つけた知っている料理にシルクは嬉しそうにお皿に取った。
「この料理はナポリタンって言うんだって。こんなに真っ赤だけど辛くないのかな?」
「匂いを嗅いだ感じは辛そうには思えないわね。それどころかほんの少しだけフルーツのように甘い香りがするわ」
そう言われると確かに甘酸っぱいような香りを感じる。とはいえ辛かったら困るのでアメリアは少しだけお皿にナポリタンを取った。
席に戻って早速食べ始めようとしたレナの隣で、アークライトが手を合わせるといただきますという不思議な言葉を呟いた。
信仰する神への祈りかと連れてきてくれたアークライトへ感謝しながらアメリアもいただきますと呟く。
「このナポリタンって本当に甘いんだね。でもそれだけじゃないね。しょっぱさと酸味と苦味のバランスも絶妙だよ」
食べてまず感じたのは真っ赤なソースは辛いんじゃなくて甘いのかという驚きだった。そして二口目を食べるとべったりとした濃厚な甘さに思わず頬が緩んでしまう。
それにソースに含まれている酸味とピーマンの苦味が甘さをより引き立ててくれている。その後を玉ねぎとベーコンの旨みがやってくると、全てが渾然一体となり素晴らしい料理となっていた。
このナポリタンはどれかが欠けたら絶対ダメなものだ。一つの料理の中で素材同士が手と手を取り合ってナポリタンを作り上げているのだ。
「アメリアはピーマンが苦手なはずなのに食べれるのね」
シルクの言う通りアメリアはピーマンが苦手だった。普段だったら鼻を摘んで水で流し込むものを美味しく食べれるのも、ピーマンが主張し過ぎず引き立て役として回ってくれているからだろう。
「アークライトおじさん!お刺身美味しいね!」
「そうであろう?話が分かるではないか」
二人が美味しそうに刺身を食べているがアメリアはどうしても手が出そうにない。ただレナを褒めているアークライトを見ると、なぜか少しだけ胸がチクりと痛んだ。
その痛みが何なのか分からないが無性にモヤモヤとする。そんな自分をアメリアが不思議に思っていると突如ファンファーレが響き渡る。
「お待たせ致しました。タイムサービスのお時間です。本日の太鼓判は『魔勇者』アークライト様より頂きましたブラックエンペラーオックスを使った料理となります。その名も『黒き皇牛の濃厚パイシチュー』です。月光苑の魔技師渾身の魔導圧力鍋を使ったホロホロと解けるようなお肉をお楽しみください!」
言葉が締めくくられたと同時にトレイを持った大勢のスタッフが出てきて、テーブルの上に小さなカップを人数分置いてくれる。カップにはサクサクのパイ生地がくっ付いていて小麦の焼ける香ばしい匂いがなんとも食欲をそそる。
「渡してくれるなんて珍しいではないか」
「カップがとても熱いのでいつもみたいに渡すことが出来なかったんですよ。アークライトさんも食べる際は火傷に十分注意してくださいね!」
配膳してくれたウェイトレスからは注意されたが、アメリアはもう我慢できないとスプーンでパイ生地を割った。
サクッサクッ。
そんな気持ちのいい音を立てて割れたパイ生地の中からシチューがお目見えした。シルクの作るホワイトシチューとは違って茶色だったことに驚くが、蓋が無くなったことで匂い立った芳醇な香りに思わずくらりとしてしまう。
シチューというのは淡白で優しい物だと思っていたアメリアにとってこの茶色いシチューは初体験だ。その香りを嗅ぐだけで何かとぶつかったような衝撃を受ける。震えるスプーンでシチューを掬うと一口食べた。
「あちっ!」
店員さんが言っていた通りにシチューはすごく熱い。ヒリヒリと痛む舌を
ふぅふぅ。
「あむっ。んんーっ!」
しっかりと冷ましてから食べると思わずそんな声が出てしまった。茶色いシチューはコクというべきか、とにかく味の深みが凄い。一色の単純な料理に見えて、きっとこの中には沢山の食材が入っているんだろう。それを長い時間煮込んで溶かすことで複雑な味へと昇華させている。
ただその中で唯一しっかりと形を保っている食材がある。野菜が少しだけ崩れている中でブラックエンペラーオックスのお肉だけはしっかりと形を保っていた。もしかしたら固いんじゃないのか?そんな疑念は口に入れた瞬間に驚きへと変わった。
「嘘っ!?このお肉噛まなくても解れていく!」
シチューの中ではしっかりと形があるのに口に入れたら繊維質なお肉が柔く解れてしまった。それに強い力は全く必要なくて、甘噛みする程度でホロホロと崩れる肉に驚愕させられる。
そして後から襲ってくるのは鮮烈なまでの肉の味だ。狩りをした時にアークライトが言っていた通り、このお肉にはとてつもない旨みが詰まっていた。
中に浸っているパイの食感もトロッとしていて面白いし、カップについたままのパイにシチューをつけて食べると絶品だった。
「ふう。美味しかった……」
夢中でパイシチューを食べたアメリアは満足そうな息を吐いてお腹をさすった。シチューの熱がお腹に残っているようで、それがなんだか愛おしいのだ。
「いい食べっぷりだったな。見ていて気持ちが良かった」
アークライトの声にそういえば周りに人がいたことを思い出したアメリアは頬を赤く染める。思わず一人で没頭してしまうほどにこのシチューは美味しかった。
「そういえばシルクよ。こうして元気になったが仕事はどうするのだ?」
「そうですね。以前のお仕事はクビになってしまったので、また一から探す必要があります」
「それなら我に家政婦として雇われないか?誰も雇っていないことを兄上に怒られてしまったのだ。無駄に広い家だから住み込みとして部屋を与えてもいい。アメリアとレナもやる気があるなら家政婦見習いとして働いてくれていいしな。給料はこれくらいでどうだ?」
提示された額にシルクは目を疑った。以前の五倍ほどの額だったからだ。しかも住む場所まで貸してもらえるという好条件にその場で了承した。
しかしシルクは知らなかった。アークライトが実は王弟であることを。魔勇者という称号は広く知られているが現国王の弟ということを一般にはあまり知られていない。
こうして初出勤の時にアークライトの大きすぎる邸宅を見て腰を抜かすことになるのを三人はまだ知らなかった。
冒険者なら一度は行きたい月光苑〜美味しい料理と最高のお風呂でお待ちしております〜 刻芦葉 @toki_ashi_you
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