喫茶同好会顧問の怖い話

 

 あくる日の金曜日、喫茶同好会の営業時間も終わった頃、俺は喫茶同好会にて一人の教諭と一緒のティーテーブルに座っていた。

 店内の片付けを終えた後、俺はテーブルに座ってその日の喫茶同好会のレポートを書いている。どんな客がやってきたか、どれほどの売上を出したか、どんな種類のお茶を出したか等を事細かに書いて生徒会に報告する。これが、その日の喫茶同好会の締めの活動だ。

 ソロバンに似た計算機を使ってその日の売上を計算する時に、パチパチと言う音が店内に静かに響き渡る。


「……出来ました」


「ふむ……」


 しばらくして出来上がったレポートをまとめ上げ、テーブルの向かいに座っている教諭に渡した。バーナード・エイヴリング教諭は渡されたレポートをパラパラと黙読し始めた。

 その間俺とエイブリング教諭は沈黙し、今度は壁掛け時計の時を刻む音がまるで心臓の鼓動のようにカチコチと店内に響き渡った。おそらく窓の外を見れば昼間とは打って変わって紺色の闇が徐々に徐々にガアールベール学園を包み込んでいる事だろう。耳をならせば、かすかだが虫や動物の鳴き声まで聞こえてくるのが分かる。

 エイブリング教諭が俺が書き上げたレポートを読み上げている間は、手持ち無沙汰になるので窓の外を眺めていたい気持ちがぐっと湧き上がってくるが、顧問がレポートをチェックしている間にボーっと外を見るヤツはいないだろう。


 そう、どんな部活をするにしても顧問というのは必要だ。そして、今目の前でレポートを読んでいるエイブリング教諭は喫茶同好会の顧問だ。

 背丈は高くほっそりと瘦せていて、頭は春の雪山のように白髪が混じっている。指には骨が浮き出ており、レポートを読みながらカリカリとその指でテーブルをひっかいている。

 これは彼の特技だ。数学を担当している事もあるのか、エイブリング教諭は頭の中にある計算機を巧みに使って複雑な計算を暗算することが出来る。その名残りとしてこうしてテーブルをカリカリとひっかいているのだ。大方、売上の勘定が間違っていないか確かめているのだろう。


 エイブリング教諭はブツブツ呟きながらレポートとテーブルの上に置いた空想の計算機を見比べた後、ポンポンとレポートをまとめ上げた。計算が終わったようだ。


「……うむ、売上計算は間違えていない」


「ありがとうございます」


 俺がエイブリング教諭からレポートを受け取ったちょうどその時、壁掛け時計がボンボンと音を鳴らした。その音を聞いて相変わらず無機質な音だと俺は思った。

 俺は実家にある自分の部屋に飾られたねじ巻き式の鳩時計の音が好きだ。ポッポポッポと鳩の鳴き声が時間の経過を優しく伝えてくれる。それに比べると喫茶同好会にある壁掛け時計は何処か音に色気が足りない気がする。

 エイブリング教諭はぎょろりとした目を細めて時計に顔を向けた。


「おや、もうこんな時間か。すっかり暗くなってきたな」


「この後何か予定でもあるんですか?」


「いや、このレポートチェックの他に大した予定は入れてないから心配しなくていい」


 エイブリング教諭はこちらを見て微笑んだ。しわが出来た顔でニコリと笑うと「お茶をいただけないか」と言った。俺はレポートをテーブルの上に置き、厨房に入って紅茶を入れ始めた。


 ポットとカップにお湯を入れて温めたら、ポットに二人分の茶葉を入れる。お湯を注いだら蓋を閉めて蒸し、時間が経ったらスプーンでポットの中を軽くかき混ぜたら紅茶の出来上がり。


 紅茶の入ったポットと、ビスケット缶から何枚か取ったビスケットを乗せた皿をお盆に置いて、エイブリング教諭に持っていった。


「ありがとう」


「いえいえ」


 エイブリング教諭はもたれかかっていた背もたれから身を起こした。エイブリング教諭の所にカップを置き紅茶を注いだ。

 角砂糖の入った壺も置いたのだが、彼が使っているのを見た事はない。エイブリング教諭曰く、「年だから」と言っていた。


 俺も自分の席にカップを置き、紅茶を注いで椅子に座った。エイブリング教諭はゆっくりと紅茶を啜った。その仕草はデズモンド公爵令嬢を思わせるほど実に優雅であり、流石帝国紳士と言った所だった。


「やはり慣れないな。姪のような存在にお茶を入れてもらうのは」


 エイブリング教諭は口から紅茶を離すと言った。


「あら、私は教諭の姪ではないでしょう」


存在だ。間違ってはいないだろう、コリー」


「そうですねぇ、


 とは言ってもエイブリング教諭と俺は血縁関係にない。ただ、俺はエイブリング教諭をおじ様と慕うほどよく知っていた(もっとも彼の講義とか人目につきそうな場所では教諭と呼んでいるが)。


「デズモンド公爵令嬢が来ているそうだね。彼女からの支援が始まって忙しくなったものだ」


「そうですねぇ、彼女が来てからてんてこ舞いになりました」


 告白騒動で彼女に支援打ち切りを迫られた事もあったけど、ほとぼりが冷めた今では良好な関係を築けていると言えるだろう。


「こんな噂話ゴシップネタを話すのはこの場にふさわしくないかもしれないが、コリーはどう思う? 彼女はよほど喫茶同好会をお気に召してくれたのか? はたまた婚約者のウィリアム第二皇太子殿下と上手くいってないからここで時間を潰すためか?」


「前者にしましょう、おじ様。その方がよっぽど平和的です」


 俺がそう言うと、エイブリング教諭はうんうんと頷いた。


「……そうだなコリー。君は賢いな」


「ここも開店当初よりも随分と変わりましたからデズモンド様も気に入ってくれたんですよ。そこの風景画良いでしょう? 才能ある方が描いてくださったんですよ」


「そうだなコリー」


 とても才能がある人物でないとこの美しさは描けないだろう、エイブリング教諭はそう言って紅茶を再び啜った。


「風景画だけではない。コリーの入れてくれるお茶だって素晴らしいものだ。君はもっと自分の腕前を誇るべきだろう」


「よしてくださいよぅ。貴族の娘がお茶を入れるのを誇っちゃ変でしょう」


「だが今こうしてコリーはお茶くみ令嬢として厨房に立っている。その立場でいることに不満があるのかね?」


 俺は黙って首を横に振った後、こう言った。


「ただまぁ……お茶くみ令嬢と呼ばれるよりも、私はマスターと呼ばれる方が嬉しいですけどね」


 エイブリング教諭はそれを聞いて優しく微笑んだ。


「君らしい、実に君らしいよコリー。それは本当に魅力的な事だろう」


 エイブリング教諭は頷いた。


「きっともコリーのそんな所に惹かれたに違いない」


 エイブリング教諭が彼と言った時、俺は身体がビクンと震えた事に驚いた。そして、目頭が少しだけ熱くなるのを感じた。エイブリング教諭は「おやおや、すまないコリー。悲しませるつもりはなかったのだが」と言った。


「まだ彼を、を想ってくれているのかい」


「ええ本当に。自分でも情けないくらいですよ」


「情けなくなんかない、仕方のないことだ。君たちの仲睦まじい姿は昨日のことのように覚えている」


 ふぅとエイブリング教諭は一息ついた。俺も手に持ったカップを皿においた。

 エイブリング教諭はジェームズの遠縁の親戚に当たる人で、前述の通りガアールベール学園で数学の講師をやっている。

 顔は血の気が少なくて、目はぎょろりとしているので、ジェームズの実家の集まりに誘われて初めて会った時は『お化けみたい』と思ったが、その恐ろしい顔に反して本人は実に心優しい性格だった(生徒に対しては厳しい一面もあるが)。更にエイブリング教諭は話し上手で、様々な物語を知っていた。

 俺とジェームズはすっかり彼に懐いていて、バーナードおじさん(様)と呼んで慕い、エイブリング教諭も俺の事をコリーと呼んで慕ってくれていた。

 俺の実家のメイド長のレディ・パウエルは上下関係に五月蠅いので(だから彼女の事もクリスタとは呼ばせてくれない)、彼女から注意されて以降、人目につくところでは教諭と呼んでいる。


 ジェームズの一件以降、喫茶同好会を立ち上げようと顧問を探していた時に、俺のことをよく知っていたエイブリング教諭がいて、自分の業務で忙しいにもかかわらず彼が顧問を快く引き受けてくれた事は俺にとって幸いだった。


「どうだろう、コリーの時間が許すならここで一つ物語を話してあげようか。短いが私が経験した不思議なお話だ」


「ええ、お願いします。おじ様の話は大好きですから」


「……少し怖いかもしれないぞ」


「大丈夫ですよ。もう怖い話にびくつく年齢ではありませんから」


「怖いと思うのに年齢は関係ないものだよコリー」


  「人は誰だって恐怖心を忘れられないものだ」と言った後、エイブリング教諭は紅茶を皿に置いて物語を話し始めた。



 =================================



 それは実によく晴れた日の事だった。

 私は机に座って仕事をしていた。ガアールベール学園の講師の仕事だ。当時、私は今ほど講義を任されているわけではなかった。……そうだな、まだコリーが産まれる前の話になるだろう。私は新米の講師で若かったのだ。


 その時だった。コンコンコンと私の部屋のドアを三回鳴らす者がいた。


「入ってきたまえ」


 と言いつつ私は音の主が誰なのか分かっていた。ドアを三回鳴らすのは私の知る限り一人しかいなかった。


「先生!講義のレポート持ってきました」


「ありがとう、アイザック」


 その生徒は名前をアイザック・ブラニングと言った。私の担当する数少ない講義の生徒の一人で、実に優秀な成績をおさめていた。何処かの裕福な家の子供で、確か三男坊だったと思う。彼は紫色の目をしていて、ドアを三回鳴らすのが特徴的だった。


 彼はよく私の健康状態を気遣ってくれたよ。


「先生ったらまた煙草吸ってるんですか」


「癖なのだよアイザック。癖は治すのが難しい」


「もうそんな事言って。医学的にも煙草は身体に悪いって言われているんですよ」


「根拠のない話だ。私には関係ない」


「まったく、意地っ張りなんですから」


 こんな風にね。


 きっと彼が私の健康状態を気に掛けてくれたのも、瘦せていて色白だからかもしれないな。おや、どうしてそんな顔をするんだい? ……そうか何でもないなら別にいい、話を続けよう。

 アイザックと私はとても良好な関係を築いていたと思う。今の私たちみたいにアイザックは私を慕ってくれていたし、私もアイザックの事を気に入っていた。


 私たちは形式的な挨拶を済ませ、世間話をしながらその日は別れた。アイザックが講義のレポート持って来た時はこうして世間話をするのが日課だったのだ。私たちはその日課をとても気に入っていた。



 ──ところがだ。そんな生活も長くは続かなかった。

 アイザックが重い病に伏してしまったのだ。当時の医学では解明されていない、ひょっとしたら今でも解明されていないかもしれない重い病だった。


 私は彼の見舞いに何度も行った。最初は元気に応対していた彼も、日が経つにつれてみるみるうちに元気がなくなっていって最後は骸骨のようにやせ細ってしまっっていた。私はそんな彼の様子を見るのがとても辛かった。



 そして、あの日がやってきた。私もずっとアイザックの下にいられるわけじゃなかったので、ガアールベール学園の自分の部屋で仕事をしていた。


 その時だった。

 コンコンコンとドアを叩く音がした。私は飛び上がってしまったよ。


「アイザック……!? まさかアイザックなのか!?」


 彼がこの場にいるわけがなかった。アイザックの家からガアールベール学園までかなりの距離があるのだ。第一、私はアイザックが立ち上がれないほど弱々しく衰弱した姿をはっきりと見てきたのだ。


 私の問いかけにドアの向こうにいる人物は答えなかった。ただ、再びコンコンコンとドアを三回鳴らしたのだ。


「……入ってきたまえ」


 私は恐る恐るドアの向こうにいる人物に向かって言った。一分だったかもしれないが私にとっては長い間待ち続けたが、結局ドアが開くことはなかった。

 私はそっとドアを開けて見ると、そこには誰もいなかった。


 ……いいや決していたずらではなかったよ。何故ならその後に連絡が来たのだ。


 という報せがな。



 時刻はちょうどそう……私の部屋のドアが三回叩かれた時だったのだ。



 =================================



 エイブリング教諭が紅茶を啜ると、カップの底が見えていた。


「……紅茶おかわりしますか?」


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 エイブリング教諭は手を振って俺の提案を断った。


「君は、コリーは生まれ変わりを信じるかね?」


「生まれ変わりですか?」


「そうとも、この世界には輪廻転生という概念があって、人は死んだら別の人生を歩むというものだ。知っているかね?」


「はい、知っています」


 当然の事だった。俺は前世で信号無視の車にはねられ、伯爵令嬢のコルネリア・ローリングに転生している事を覚えている当事者だった。「それで?」とエイブリング教諭は言った。


「君は信じるかね? 輪廻転生を」


「……夢のある話だと思います」


 俺はイエスともノーとも言えなかった。「はい、私がその転生者です」と言う勇気はなかった。


「おじ様は? 信じているのですか、その……転生を」


「信じているとも。……もう少し待ってくれればコリーももうすぐ私の話した話を信じるだろう」


 俺はエイブリング教諭の言っていることが分からず首を傾げた。一体どういう事だろうと俺は考えていた。


 その時だった。


 喫茶同好会の扉が三回叩かれた。


「入ってきたまえ」


 目を見開く俺を他所に、エイブリング教諭が声を張り上げて言うと、一人の青年がペコリと頭を下げて入ってきた。


「先生! 学年主任がお呼びです」


「わかったよ。セドリック」


 そう言った青年は喫茶同好会のランプの灯りに照らされるとを光らせていた。

 俺がポカンとしているとエイブリング教諭は立ち上がった。


「さて……長居してしまったようだな。ローリング嬢も早くレポートを出さなくてはな」


 エイブリング教諭はそう言うと、青年を連れて喫茶同好会を去っていった。後に残された俺は生徒会に出すレポートを抱えながら、ポカンとその後ろ姿を見送っていった。



「ジェームズ……貴方も生まれ変わってるのかな」


 俺はポツリと言うと、レポートを持って生徒会へと向かって歩き始めた。



 喫茶同好会の扉に『本日は閉店しました』という看板を立て掛けるのを忘れずに。

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