最愛の人の影を追って


 ダンスパーティーが終わってから、俺はずっと彼の事を、リチャード・ヴァンズの事を考えていた。


『コリー、君は転生を信じるかね?』


 エイブリング教諭が言っていたのを思い出す。おじさんが気にかけていた生徒が別の生徒となって転生したという話を聞いたのは記憶に新しい。


 ──勿論、信じてるよおじさん。俺がそうだもの。


 だが、今は自分が転生したという事さえ、リチャード・ヴァンズの前では疑わしい事のように思えてきた。


 有り得ない有り得ない有り得ない……!


 何故、彼がここにいるの?何故、彼が生きてるの?何故、彼があの時と同じように微笑みかけてくれるの?


 色んな疑問が湧き上がってはグルグルと頭の中をかき乱していく。講義を受けてる時も、家にいる時も、喫茶同好会にいる時でも、ずっとリチャードの事が頭の中にある。ダンスパーティーで見たあの面影が、あの姿がずっと俺を苦しめている。


 まさか、恋をしてしまったとは言わないだろうな。死んだ婚約者に似ているから、ただそれだけの理由で。自分で自分に問いかけるが、返ってくるのは認めたくない答えばかりだった。


 認めたくない自分がいる。あの時僅かでも心がキュンとなった事を。


 認めたくない後悔がある。どうしてあの時喫茶同好会に招待しなかったのかと。


 認めたくない事実がある。どうして俺は家族に『男装を続けたい』と打ち明けてしまったのだろうかと。


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 ローリング伯爵家の食堂にてテーブル越しにお父様とお母様が座り、お父様の側にはレディ・パウエルが立っていた。お父様は俺をじっと見て黙っているし、お母様は心から心配しているような目で俺を見ていた。


「……不躾ながら意見させていただきますが、お嬢様?貴女はこれ以上ローリング伯爵家の顔に泥を塗るつもりですか?」


 最初に口を開いたのはレディ・パウエルだった。本来であれば使用人が雇用主に意見するなどもっての外だが、レディ・パウエルだけは(特に俺に対して)許されていた。


「お嬢様が先のダンスパーティーで男装したいと言い出したのだって、私は反対した事を忘れてはいませんよね?わざわざ進んで笑い者になるのかとあれ程言ったじゃありませんか。カルヴァン侯爵家のご令嬢のためだって言いますから特別に旦那様に許可されましたのに。今度は何のおつもりですか?」


「……」


 お父様を引き合いに出しながら厳しい意見で聞いてくるレディ・パウエルに、お父様は何も言わなかった。ただ、指を重ねて真剣な表情で俺の答えを待っているようだった。


「コリー?答えてくれないと分からないわ」


「……」


 お母様に至っては今にも泣きそうな目で聞いてくる。俺はその眼差しに充てられながら何も答える事が出来なかった。だが俺が無意識のうちに唇を嚙んでいるのを、レディ・パウエルは見逃さなかった。そして、シャーロックホームズも顔負けの推理力で俺の目的を解き明かした。


「……まさかジェームズご子息に関する事ですか?」


 その瞬間、心臓をぎゅっと掴まれたような錯覚に陥った。俺は小さい頃屋敷の窓ガラスを一枚割った事をレディ・パウエルから隠そうとして失敗した時の事をふと思い出していた。

 俺は俯いたまま、恐る恐る首を縦に振ると、レディ・パウエルがため息をつくのが聞こえた。


「……彼が死んでもう何年になる?」


 お父様が口を開いた。


「三ヶ月になります、旦那様」


「……そうか、時が経つのは早いものだな」


 お父様はゆっくりと俺に向けて喋った。


「コルネリアにとってはまだ三ヶ月なのかもしれないがな」


 お父様の声には俺への憐みが含まれていた。顔を上げるとお母様も涙をこらえようとしているのか、両手で顔を覆っている。


「それで?今度はどうしたんだ?また彼が夢に出てきたのかな?」


 俺は黙って首を横に振った。


「そうか、それじゃあまた彼の幻を見たのかな?」


 俺はまた首を横に振った。


「お嬢様、黙ってないでご自分の口で説明されてはいかがです?」


 また俺が黙っていると、レディ・パウエルが急かすように聞いてきた。娘に甘いお父様とお母様の代わりになって俺に怒るのが彼女の仕事だった。そこでようやく俺は口を開いた。


「……ジェームズを見たんです」


 ハァ、とレディ・パウエルが失望のため息を吐いたのが分かる。恐らく『またか……』と思っているのだろう。ジェームズが俺の傍から消えた時は、しょっちゅう『ジェームズを見たジェームズを見た』と言って両親を困らせていた。お母様が悲鳴に似た声を上げた。


「コリー!もう彼はいないのよ!いい加減目を覚ましてちょうだい!」


「分かってますわ!お母様!でもそっくりだったんです!」


 俺は意図せず涙ぐんだ声で言った。いつの間にか目には涙が溜まっていた。


「……そっくり?」


「では、ジェームズご子息そっくりの方がいたのですか?」


 レディ・パウエルの言葉に頷いた時、はらりと一筋の涙がこぼれた。


「……分かってます。ジェームズではありません。リチャード・ヴァンズと言う名前の別人でした。それでもそっくりだったんです、話し方も笑い方も」


 俺がそう言うと、お父様は首を傾げた。


「ヴァンズ……聞いた事のない名前だ」


「恐らく平民の家かと思われます。旦那様」


 レディ・パウエルが答えるとお父様はなるほど、と頷いた。


「……お嬢様、その平民とまさか恋仲になろうなんて思ってませんよね?」


「……!」


 俺は思わず首を横に振ったが、レディ・パウエルは疑わしい目で見てきた。基本的にメルゼガリア帝国では、貴族と平民との結婚は許されていない。もし仮に結婚したとしても子供は貴族としての継承権を失う事になる。だから家の存続を願う貴族は自由恋愛などもっての外なのだ。

 ちなみに苗字が許されている平民は貴族としての地位を買うことも出来るが、一般貴族からでさえかなり高額な値段だ。また貴族からは成り上がりとして見られる事は言わずもがなだ。まぁこの国の長い歴史の中でそう言った成り上がりの貴族がいないわけではないのだが……。


「コルネリア……済まないがローリング伯爵家はのようにするわけにはいかない。平民臭い貴族と結婚した貴族となど取引しないと言われるかもしれないのだ……」


 私が言う訳ではないのだが、とお父様が半ば言い訳めいた口調で言った事を責めるつもりにはなれなかった。


 ブラウン男爵家はお金で爵位を買った数少ない例だ。ブラウン家自体が元々裕福な豪商の家で元々野心があったという事もあるが、爵位を買った切っ掛けは娘のリリィ・ブラウンからのわがままだったそうだ。

 ブラウン家の当主(つまりリリィ・ブラウンの父親)は商人の前では産まれた時から王様のように振る舞っていたそうだが、今では貴族の前で平民以上にペコペコしているらしくそのギャップでストレスが絶えず、頭がすっかり薄くなってきたのだとか(ゴシップ三人組から聞いた話だ)。


 閑話休題。


「それに、お嬢様はそのリチャードなる平民の内面を知っているのですか?」


「……いいえ」


「でしたら諦めておくべきでしょうね、今のうちに」


 レディ・パウエルはバッサリと切り捨てるように言った。それが貴族のご令嬢としての務めだと言わんばかりに。


「大方……男装もダンスパーティーでリチャードなる平民に褒められたかしたんでしょう。それで舞い上がってしまったとか」


「ううん……褒められはしなかった」


 褒められはしなかったけど、と俺は言った。


「けど、けど男装したらまた会えるんじゃないかって、気付いてもらえるんじゃないかって。俺が……私がレモネードを配っていたコルネリア・ローリングだって」


 俺がそう言うと、両親とレディ・パウエルは黙ってしまった。

 そしてしばらくの沈黙が流れたのち、お父様が口を開いた。


「……部活動に集中しなさい、コルネリア。そうすれば忘れられる」


 それが両親の出した結論だった。

 お父様は席を立って書斎へと歩き出し、お母様も目元をハンカチで拭きながら食堂を去っていった。レディ・パウエルはハァ、とため息をついて俺を立たせると黙って俺を自室へと連れて行った。


 ──こっちだって。こっちだって忘れられるものなら忘れてしまいたいですわ、お父様。


 そう言いたかったが声に出す事は出来なかった。



 =================================



「あれ?ローリング様男装なさらないんですか?」


「まぁ本当ですわ、勿体ない」


「せっかくの美青年でしたのに」


「ハハハ……」


 褒められてるのか貶されてるのかどっちなんだろう。ゴシップ三人組は俺の家の爵位を知ってからお茶くみ令嬢呼びはしなくなったが、相変わらず失礼な連中だ。

 だが、今ではこんな失礼な連中でも誰か来てもらえるだけ有り難い。

 お父様からは部活動に集中するように言われたが、あれから俺はぼんやりと喫茶同好会の扉を眺める日が多くなった。廊下から足音が聞こえてくるとまさか彼なのでは、と思わず身構えてしまう。おかげでボーっとしたせいでお茶をこぼしてしまう事も多々あった。客がやって来てはジェームズの面影を探してしまい、違うと分かればホッとしている自分がいる。


 そして、またコツコツ廊下と足音が聞こえてきた。ハッとして身構えるとゴシップ三人組が心配してきた。


「ローリング様?大丈夫ですか?」


「どうなされました?顔色悪いですわよ?」


「ワインでも飲まれた方が良いのでは?」


「……あ!いや、ごめん。何でもないよ」


 と言いつつ俺の手元は止まり、目は扉を凝視していた。


 ガチャリと扉が開くとやって来たのは最近よく来てくれるギャレット・カルヴァン様だった。俺はホッと肩を撫でおろして厨房から出るとギャレット様を出迎えた。


「……何だよ、そのホッとした表情は。来ちゃ悪かったのか」


「アハハハ……気にしないで」


 ゴシップ三人組はギャレット様の事を知っているのか、彼女を見て慌てて挨拶した。


「「「こ、こんにちはカルヴァン様。ご機嫌麗しゅう」」」


「……ふん」


 ギャレット様は興味なさげに俺がさっきまでいた所の前のカウンター席に座ると、紅茶を注文した。ゴシップ三人組はあわあわしながらギャレット様に話しかけた。


「こ、こないだのダンスパーティー素敵でしたわ!カルヴァン様」


「ええ本当に!ローリング様をきちっとエスコートなさってて見事でしたわ!」


「ええ元男──じゃなくてカルヴァン家のご令嬢とだけあって流石ですわ!」


「あっそう」


 ギャレット様もうちっと愛想良くしてくんないかなぁ。


「ハハハ、俺エスコート下手糞だったからね」


 ぶっきらぼうに返すギャレット様を見かねて俺が三人組をフォローするためにそう言うと、


「お姉様は仕方ねぇよ!男装しただけの女性なんだし」


 とやけにむきになったようにギャレット様が言った。そんな俺達を見てゴシップ三人組はひそひそと話すとおずおずと俺に聞いてきた。


「そのカルヴァン様はローリング様より爵位上ですよね?」


「それにお互いに男口調のため口で喋り合って……」


「それにどうしてお姉様と呼んでいるんですか?」


「……良いだろ別に。俺が許してんだよ」


「友達だものね~♪」


「~!!」


 と俺がギャレット様の頭を撫でると、ギャレット様は顔を赤くして、撫でられたまま俺の腰に抱き着いた。この甘えん坊さんめ!


「うわぁ……」


「なんでこんなに仲良いんですの?」


「あそこまで言ったら、もう友達じゃないでしょ……」


 ゴシップ三人組はギャレット様を席に座らせる俺達を見て、再び何やらひそひそと話していたが内容までは分からなかった。そうして俺はギャレット様に出すお茶を入れようとした。




 ──その時だった。




「すいません、やってますか?」




 カタン、と手元からお盆が落ちた音が聞こえた。


 その声は、夢で聞いた通りの声だった。


 最愛の人が、夢で俺に語りかけてきた時の声だった。


 俺は厨房から出ることが出来なかった。代わりにカタカタと震えながら扉を凝視している。ギャレット様が俺に声をかけているのが分かるが、何を言っているのかが聞こえてこない。

 目も耳も全て扉に集中していた。


「「「やってますわよー!」」」


 ゴシップ三人組が答えられない俺に代わって、勝手に扉の向こうの人物に答えた。


 そして、ぎぃっとドアがゆっくりと開いた。


 はぁはぁと息遣いが荒くなる。呼吸が段々と小刻みになっていく。


「すいません……ここが喫茶同好会だと聞いたんですけど」


 入ってきた人は、本当に本当に待ち焦がれた人にそっくりだった。愛して愛して止まない人にそっくりだった。でもこの人は違う人だ。心ではそう分かっているはずなのに。違う人だと言う事を認めたくない自分がいる。


「どうも……ダンスパーティーぶりですね。リチャ──ミスター・ヴァンズ」


 俺はどうにかして絞り出したか細い声で言った。リチャードは恥ずかしそうにしながら俺にペコリと頭を下げた。


「リチャードで結構ですよ。貴女は貴族なんですし」


『ジェームズで良いですよ。僕達婚約者になるんですし』


「いえいえ、そんな……」


 リチャードはそう言ってはにかんだ。台詞の一つ一つが仕草の一つ一つが最愛の人と重なっていき、胸が熱くなっていく。

 ああ……狂おしいほどそっくりだ。頼む俺の涙腺よ堪えてくれ。今だけは涙を作らないでくれ。


「それで……貴女の事はなんてお呼びすれば良いですか?」


『それで……貴女の事はなんて呼べば良いですか?』


 俺は息をのんだ。なんて呼んで欲しいか、答えは決まっていた。ここでは『コリー』と呼んで欲しい、あの時のように。そう答えは決まっていたはずなのに。



「──ここでは『』とお呼び下さい。それ以外ではローリングと」



「?マスター?」


「……そう呼ばれたいのです」


 出てきたのは最適解だった。

 ……そう、俺は両親から言われなくても簡単には欲望に流れはしない。きちんと身分の分別を弁えている。


 弁えているからこそ、のだろう。

 俺はそう思い、お盆を拾い上げようとした。


「……!?お姉様!?」


 だがその瞬間、俺はどっと疲れが湧き出て厨房に倒れてしまった。手足が言う事を聞いてくれない。動かそうとしてもただただ震えるばかりだった。


「……!ごめんなさい皆様、今日はお帰りください。お姉様は体調が悪いようです。それと誰か外にいる使用人を呼んできて下さい!」


 駆け寄ってくれたギャレット様が客たちに声をかけている。リチャードが心配そうに声をかけているが厨房に倒れているせいで顔が見えない。リチャードがギャレット様に促されて出ていくのが聞こえる。

 行かないで。もっと声が聞きたい。そう言いたいのに声が出ない。出てくるのはひゅうひゅうと蚊の鳴くような声だけだった。


「お姉様!しっかりしてください!」


「ギャレット様……」


 抱き起こしてくれたギャレット様に俺は抱き着いた。


「お姉様……!?」


「ギャレット様……!ギャレット様!今は何も聞かないで抱きしめて下さい……!二人きりで……!こうして抱きしめさせて下さい……!そうしないと……そうしないと俺は……私はどうにかなってしまいます!」


 ギャレット様がやって来た使用人に外で待つ様に言うと、俺は決壊したように厨房で泣き出した。




 叶わない恋なのに。

 分かっているはずなのに。

 貴方が来るとおかしくなってしまう。




 ああ、リチャード。どうして来てしまったの。

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