アーモンドと軍人とメイドのライリー


 結局のところ、俺はリチャードと碌に顔を合わせられないでいた。あの日以降、リチャードは俺を心配して手紙を書いてくれたり、見舞いの品(果物とか)を送ってきてくれたりしたが、その優しさから俺はジェームズの事を思い出してしまう為、味気ない感謝の返事しか送れなかった。


『部活動に集中しなさい、そうすれば忘れられる』


 お父様のその言葉を信じて喫茶同好会の活動に勤しんでいたが、リチャードが時折顔を出すようになってからはあの輝くような笑顔を覗かせる度に、それも段々と難しいように思えてきた。

 出禁にするか?とも考えたけれど、大層な理由もなしに出禁には出来ない。よもや、『死んだ婚約者にそっくりだから』だなんて言えたものじゃない。


 だから、リチャードが喫茶同好会に来た時はなるべく顔を合わせないように努めている。努めてはいるのだがリチャードは挫けずに健気に俺に挨拶してくるのがまた辛かった(そう言う健気さもまたジェームズそっくりだったからだ)。


 リチャードが来るのが恋しくなってしまわないように、喫茶同好会を開店する時は今日は来ませんように来ませんようにと祈るのがちょっとした習慣になっている。


 ……いっその事憎んでしまえば気持ちも楽になれるのかなと最近は思っている。


 でも想い人だった人物と似ている人に出会う経験をしているのは俺だけではないようだった。リチャードの事を書いていてそれを思い出したので、今日はその話をしよう。



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 クライグ・グリーンは喫茶同好会のカウンターに置いてある、無料のアーモンドばかり食べている生徒だ。

 軍人志望とだけあって体格は良くがっしりとしている。将来ガアールベール学園を卒業した後はメルゼガリア軍の宿舎に入るそうだ。


 人はクライグをして不良生徒と言う。曰く、彼の家は黒い噂の絶えない連中と付き合っていて、どんなトラブルもその恐ろしい暴力でもって解決してきたのだとか、彼の家は人殺し、人身売買、強盗に手を染めており、クライグもそれに加担しているのだとか。

 そう後ろ指を刺される理由は前世のヤクザも顔負けする程の怖い顔付きのせいだろう。ぎろりと睨み付けるような眼光に、しかめっ面の表情、寡黙な性格、そして顔に出来た大きな切り傷の跡は確かに初めて見た生徒はぎょっと恐怖するだろう。パーティーに招待されても隅っこでシャンパンをちびちび飲んでいるようなタイプだ。


 それでもそこらの不良生徒とは違い、葉巻タバコは吸わないし、他の生徒に暴力も振るった事もない。最も軍人志望の彼に喧嘩を売るような愚かな生徒はいないだろうが。


 俺はと言うとクライグが来てくれると大変に嬉しい。彼は俺の事をマスターと呼んでくれるだけでなく、ほぼ裏メニューと化しているコーヒーを頼んでくれる数少ない生徒なのだ。


「……コーヒーとアーモンドの相性は良い。医術の講義でそう学んだ」


「ほほう、軍人志望の貴方でも医学を学ぶんですなぁ」


「……軍人だからこそ学ばなければならんのさ」


 それきり俺達は黙ってしまった。クライグは先述の通り寡黙な生徒だが、俺とは比較的よく話してくれる。とは言っても最初は俺が一方的に話をしてばかりだったが、こうして話をしてくれるという事は少なからず信用してくれているのだろう。


 豆をゴリゴリと挽く音とクライグがアーモンドを嚙み砕く音だけが、喫茶同好会に響いた。トポトポとコーヒーにお湯を注いでいると、クライグが黙って空になったアーモンドの皿を俺に寄越した。「少し待っててね」と俺はコーヒー用のケトルを置いて棚からアーモンドを取り出し、空になった皿にアーモンドを補充した。


 そうして俺はコーヒーを淹れる作業に、クライグはアーモンドを口に運ぶ作業に戻った。コーヒーがカップに注がれていくのを見つつ、クライグがアーモンドを口に入れているのを見ていると、いかつい顔をした男がまるで可愛らしいリスのように思えてきてしまい、俺は自然と笑みがこぼれてきた。


「……何が可笑しいんだ、マスター」


「いやいや、何も可笑しくありませんよ」


「……ならなぜニヤニヤしている」


「おっと失礼、コーヒーが出来上がったみたいですよ。頂きますか?」


「……ああ」


 クライグはアーモンドを片手にじっと俺を睨み付けながら、コーヒーに口をつけ始めた。



 その時、がちゃりと喫茶同好会の扉が開き、二人の客が入ってきた。


「こんにちは、ミセス・ローリング」


「げっ」


 入ってきた客を見て俺が露骨に嫌そうな顔をした事は、貴族のご令嬢レディとしては相応しくない行動かもしれないが、俺にはそうする権利があった。入ってきた客の一人はブルックス・ハーローと言うある会社の社長の子息で、もう一人はメイドのライリーだった。どちらかというと俺はブルックスよりも、メイドのライリーに来て欲しくなかった。


「おやすいません。またうちの愚鈍なメイドが不愉快な思いをさせたようで」


 俺が嫌そうな顔をしているのを見て、事情を知っているブルックスが表面上は申し訳なさそうに頭を下げる一方で、ライリーは怯えるようにびくびくと身体を震わせていた。


「ほら、ライリー?ミセス・ローリングに謝るんだ」


「……ご、ごめんなさい」


 ブルックスに促されてライリーがおどおどとしながら謝ってくるのを見て、俺はますます嫌な気分になって口を開いた。


「……首輪とリードはやり過ぎなんじゃないの?」


 メイドというのは基本的に雇用主の意見は絶対に聞かなければならない。それにメイド本人や部外者が反発したり意見したりするなんてのはもっての外だ。だから、俺はライリーがどんな風に扱われていようと改善を要求するつもりはない。

 どれだけ丈の短いメイドのエプロンを着ていようと、それでどれだけライリーが恥をかこうと俺には関係ない。けど、今回のように犬みたいに扱うのは流石にやり過ぎだと思う。俺がそう言うと、ブルックスはフンスと大きな鼻息を出しながら愉快そうに言った。


「何を言っているんですか、ミセス・ローリング。こいつを普通のメイドのように扱うのは、この世で働いている全メイドに失礼と言うものですよ」


「風紀委員から何も言われなかったのかい?学園の風紀を乱す事はするなって」


「それが風紀委員のヤツ、こいつを見た瞬間にさっきのミセス・ローリングみたいに嫌そうな顔しましてね!学園内でリードする事以外は許してくれたんですよ!」


「ええ……仕事しろよ風紀委員」


「何ででしょうねぇ?大方風紀委員の婚約者にも手を出したんじゃありません?」


 ハハハハハ、と吞気に笑うブルックスを俺は睨んだ。


「でもここじゃ見ているだけで不愉快だから出てってくれ。せめてライリーだけでも」


「はぁ、そうですね。こいつはミセス・ローリングに無礼を働きましたものね」


 とブルックスは言うと、ライリーをリードで引っ張って首輪から外した。


「……今日、お前に学園の男子トイレの掃除を任せるように言ってある。今すぐ行って来い」


 逃げようと思うなよ。

 ブルックスがそう付け加えるとライリーはこの世の終わりのような絶望感に溢れた表情をしながらコクリと頷き、喫茶同好会を去っていった。俺はため息をつきながら「まったく……注文は何にする?」と聞いた。


「隣の人と同じのをお願いします。今日はコーヒーでも飲んでみたい気分なんです」


「はいよ」


 俺は正直言ってブルックスにも出来れば出て行って欲しかったが、彼は俺に特に何もしてないので仕方なく接客する事にし、コーヒーを淹れ始めた。俺が再びゴリゴリと豆を挽いていると、クライグがブルックスに話しかけた。


「……一体、あれは何なんだ」


「?」


 話しかけられたブルックスは最初誰に話しかけられたのか分からず、びくっとしたがカウンター席に座っているクライグに話しかけられたのだと分かると、クライグの顔の傷も気にせずにニッコリと紳士のように微笑んだ。


「これはこれは恥ずかしい所を見られてしまいましたな、ミスター……?」


「……クライグだ。クライグ・グリーン」


 クライグの雑な自己紹介を聞くとブルックスは「これはこれは初めまして、ブルックス・ハーローです」と紳士スマイルで挨拶した。


「ところで、ご存知ないのですか?うちのメイドのライリーもといライナス・ダイソンの事を」


「……ライナス・ダイソン!」


 クライグはライリーの本名を聞いて思い出したようだ。俺はその名前を聞いて思わず顔をしかめた。

 ライリーの元の名前、ライナス・ダイソンは男である。

 男だった頃、と言うかは、伯爵子息と言う立場を利用した、とにかく下半身に意識をあるような人物で、女性を襲ったり、人の婚約者を寝取る事だけを生き甲斐にしていた人物だった。


 そのため、貴族庶民を問わず様々な人間から嫌われており、実際俺もお近づきになりたくない人物だった。


 だが、ライナスの実家の不正が明らかとなりお家取り潰しの沙汰が下されて以降、ライナスは金なしとなり彼に恨みがあったブルックスが仕返しと言わんばかりに、彼を辱めるために雇って今に至るというわけだ。


 クライグは事の経緯を聞くと、腕を組んでうーんと唸った。


「……それで、マスターは何でアイツを嫌っているんだ?」


「言わなきゃ駄目かい?」


「……いや、嫌なら構わないが出来れば教えて欲しい」


「まぁ今回は別に良いけどさ。……アイツがまだライナス・ダイソンだった時、俺に襲い掛かってきた事があったんだよ」


 この時、俺はライナスがジェームズの死を知った事は言わなかった。それこそ軽はずみに言いたくなかった。


「だから顔を見るのも嫌なわけ。遠くからでもね」


「……それは……思い出させて申し訳ない」


「ペラペラと口外しなければ別に良いよ」


「……心配しなくていい。俺の口は堅い」


 クライグはそう言うと、腕を組んでしばらく考え事をした後、ブルックスに身体を向けた。


「……ミスター・ハーロー。ライリーを呼んで来てもらう事は可能か?」


「?ブルックスで結構ですよ。それよりどうしてです?」


 ブルックスが首を傾げると、クライグは顔を下に向けた。



「……いや何、と話がしたくてな」


 ブルックスは飲んでるコーヒーを吹き出しそうになった。



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「……んで。何で俺達は扉の向こうから聞き耳を立ててるわけ?」


「しょうがないじゃありませんか。クライグが二人きりにしてくれって言うんですから」


 俺達は喫茶同好会の外、クライグとライリー(ライナス)が二人でテーブルに座っているのを扉越しに聞き耳を立てていた。外から見ればエプロン付けたご令嬢と、男子生徒が必死になって扉に耳を付けている光景はさながら異様に映っただろう。


「それに……二人の恋模様、気になりません?プッ!」


「あのねぇ……俺はライリーが暴れないかどうか心配なだけだよ」


 何せヤツには前科があるからな。と言いつつもクライグとライリーがどんな会話をするのか非常に興味があった。

 そう思っているとクライグが口を開いたようだった。


「……口を開けてくれ」


「え、は、はい」


 クライグはそう言ったかと思うとライリーの口の中に何かを放り込んだようだ。


「……アーモンドだ。ここのアーモンドは良いのをそろえている」


「はい……そうですね」


(こんな時にこんなヤツに褒められてもなぁ)


 聞き耳を立てている俺はそう思った。


「……仕事はどうなんだ?」


「えっ……?」


 クライグの突然の声にライリーはびっくりしたようだった。外の俺達は集中して二人の会話を聞こうとした。


「えっと、その……とても良くして頂いてます」


「……ここでお世辞は言わなくても良い」


「いや、でも、その、あの」


「……辛い、んじゃないのか」


 ここでライリーはヒッグ、エッグ、としゃくり上げるような声を出した。どうやら泣いているらしい。


「辛いよ……辛いに決まっているだろ。何で男の俺がメイドの恰好なんかしなきゃいけないんだよ……何で俺はこうも辱められなきゃいけないんだよ」


「……無理する事はない。全部吐き出してしまえばいい」


「うぇえええええええ……俺が何したって言うんだよ」


(やった事しかないだろうよ)


 俺に襲い掛かってきたのもう忘れたのかよ。

 扉越しに聞いている俺はそう突っ込んだ。

 傍から聞いたら、虐げられているライリーというメイドを男子生徒が慰めていて、ライリーの惨状に聞いているこっちも同情してしまうのが普通なのかもしれない。

 だが、実際は散々女性を弄び人々を傷つけてきたライナス・ダイソンだと言う事を考えれば、もらい泣きも引っ込むと言うものだった。


「これ……他の男子生徒にも聞かせてやりたいですよ!あのライナス・ダイソンが虐げられて困っているだって!プッ!ククク!」


「静かに!聞こえる!」


 ブルックスに至っては笑いをこらえるのに必死になっている。ブルックスもライナスに婚約者を寝取られた男の一人なので、同情どころか今の現状を嘲笑っている事だろう。


 俺達が突っ込むのを我慢していた時、クライグが真剣な声で言った。


「……君が良ければ、もし君が良ければなんだが」


「はい……」


 俺達は再び扉に耳を付けた。


「……俺に君を守らせてくれないか?」


「え……?」


 扉の向こうにいる俺達は目を見開いた。


「……君を守ってあげたいと言っているんだ。どんな辱めからも、どんな苦難からも君を守ってあげたい」


「……」


 おいおい、何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。俺達が顔を見合わせていると、クライグは衝撃的な爆弾発言を言い放った。


「……そして、その暁には──




 ──




「……」


 扉を閉めているのでライリーの反応を見れないのがとても残念だった。対する俺達は「おおん!?」とか「へえ……」とか声を上げていた。


「……もう一度口を開けてくれ。もう一粒アーモンドを入れる……」


「じゃねぇよ……」


「……ライリー?」



「ふざけんじゃねぇよ!俺は男だーっ!!!!!」


 

 ライリーはそう言うとずかずかと扉の方にやって来たので、俺達は慌てて離れると、ライリーはバタンと扉を開けて傍にいる俺達を睨んだ。


「っ!!見てたんだな!聞いてたんだな!俺があんな辱めを受けるのを黙って聞いてたんだな!」


 ライリーは「嫌いだ嫌いだ!みんな大嫌いだ!」と言って頭を搔きむしったかと思うと泣きながら走って何処かへ行ってしまった。やり過ぎたかな、と一瞬思ったが過去にされたことを思い出すと、その同情も何処かへ消え去った。


「それじゃあ……僕はライリーを捕まえるとしますよ。何やら面白い事になりそうですからね」


 フフフ♪とブルックスは笑ったかと思うと、ライリーの後を追って廊下の奥へと消えていった。



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「……悲しませるつもりはなかった」


「とすると、あれは本気だったんですか!?」


 俺が驚きの声を上げた一方で、クライグはしょんぼりとしていた。


「……俺は本気だった。男だろうと何だろうと関係なく彼と結婚したかった」


「いやまぁ確かにこの国じゃ同性婚はあるにはありますけど……」


 今回は同性婚の詳しい話は省くことにする。一応、そう言うのがあるにはあるとだけ知ってて欲しい。


「……それに何というか似ていたんだ」


「?誰にですか」


「……俺の初恋の人に」


 ここで俺はドキリとした。想い人と似ている人がいるなんて正しく俺の今の状況と似ていたからだ。


「……名前もライリーだった。とにかく男勝りで仕事を一生懸命にやる女性だった」


「なるほど……」


 だからって男のライリーに結婚を申し込むかね、と思ったが俺は少しクライグの自由な行動が羨ましく思った。俺じゃローリング家のしがらみがあるから、とてもメイドなんぞに結婚を申し込めるわけがなかった。


「……最終的には家のモノを盗んで追い出されたがね」


「駄目じゃないですか……」


「……悪癖がある所もそっくりだったんだ」


 でも、クライグの気持ちが分かる気がした。俺も同じ立場だったら性別の垣根を超えて、ジェームズのそっくりさんを娶りたいと考えるかもしれない。俺はクライグに何も言えなくなっていった。

 クライグは手元のアーモンドの皿を指でかき混ぜながらこう呟いた。



「……結局、『』のかな……姿形を変えたとしても」



 カラカラカラとアーモンドがこすれ合う音が喫茶同好会内に鳴り響いていった。

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