ほうじ茶とサムライ留学生


「お茶くみ令嬢と言うのは貴殿でござるか」


「ははっ、その通りでござりまする」


 丁髷ちょんまげはかまを着てやって来た東洋風の留学生のお客に、俺はついつい東洋風にかしこまった喋り方をしてしまった。


 彼の噂はかねがね聞いていた。遠い東の国からガアールベール学園に留学しにやって来た、武士ブシという階級の家のご子息なのだそうで、学園の生徒はこの留学生を武士の別名から、『サムライ留学生』とあだ名している。

 噂では前世での日本刀と同じものを帯刀していたらしいのだが、今日喫茶同好会に来た時にはそれらしき物は見当たらなかった。


 俺、コルネリア・ローリングは前世が日本人なので、サムライ留学生に懐かしさを感じると思ったかもしれないが、俺にとっては江戸時代の侍がそのまま異世界にタイムスリップしてきたような感覚だった(最もこの世界のサムライが前世の日本で言う何時代の侍なのかも掴めなかった)。

 俺は武士の作法なんて知らないし、それがこの世界のサムライに通用するのか見当もつかなかった。


 そうして何処か落ち着かない俺をよそに、サムライ留学生はキョロキョロと喫茶同好会内を見渡しながら椅子に座った。


「ここは……拙者セッシャの国で言う所の茶屋チャヤと同じで、茶を振る舞う店と考えて宜しいでござるか?」


「その通りでござりまする」


 俺は東洋風にカウンターに手をついた状態で頭を下げて肯定すると、


「ひとまず……その体勢辞めて欲しいでござる。貴族のご令嬢がはしたないでござる」


 と言ってサムライ留学生はちょっと迷惑そうな顔をした。

 それを言われた俺はレディ・パウエル(俺の家のメイド長)に『お嬢様は時々敬意の払い方を履き違えてます』と言われたのを思い出しながら、頭を上げて体勢を気を付けの姿勢に戻した。


「それで……ここは貴方様の言う通り茶屋と同じでございますが、何か飲んでいかれるのでございまするか?」


「そこなのでござる。貴殿をお茶くみ令嬢だと見込んで、一つ頼みがあるのでござる」


 サムライ留学生は懐に手を差し入れたかと思うと、一つの小包を俺に差し出した。



「このお茶を……淹れて貰えないでござるか?」



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 サムライ留学生は名前を名護なご厳藤よしひさと言った。

 最も俺は東洋の語学に詳しくないし、厳藤殿が名刺代わりに紙に書いた文字は恐らく前世と同じ漢字(と言うかこの世界に漢字と同じ言語がある事に俺は驚いた)なのであろうが、江戸時代の文字風に達筆で書いてあったので読むことが出来ず、最終的に厳藤殿に読んで貰った。


 そして、俺が厳藤殿の噂を聞いているのと同様に、俺のお茶くみ令嬢としての噂も厳藤殿は聞いていたようだった。


「この学び舎に一風変わったご令嬢がいるとは、この国に留学してしばらく経たぬ内に聞いてはいたのでござる。何でも小間使いがやるようなお茶くみを好き好んでやるのだとか」


「ははぁ、その通りであります」


「差し支えなければ訳を聞かせては貰えないでござるか?貴殿のような可憐カレンなご令嬢がどうしてお茶くみなど」


「ハハハ、可憐とは私めの事ではありますまいな」


 俺はお世辞を止すように言ったが、厳藤殿の目は少し本気だったので思わず苦笑いした。


「それで……この喫茶同好会を始めた訳ですが……」


 と俺は言いつつ始めたきっかけを話すべきか迷い、結局こう言った。


「……まだ話す気にはなれませぬ。期待に添えず申し訳ございませぬ」


「ああ!いやいや!そうでござるな!拙者もずけずけと聞こうとして申し訳ないでござる」


 厳藤殿がうろたえている様子を見るに俺はどうやら暗い顔をしていたらしい。どうにも表情を変えない、ポーカーフェイスというのは苦手だ。

 そして、俺は厳藤殿が出した小包に目をやった。


「話を戻しますが、この包みの中にあるお茶を私めに淹れて欲しいのだとか」


「そう!そうなのでござる!」


 厳藤殿は大きく頷いた。


「この国でもお茶文化が盛んだと言う事は留学前から知っていたのでござるが、どうもコウチャというのは拙者の口に合わないし、拙者の国の茶は取り扱ってないようで困っていたのでござる」


 厳藤殿の国は遠い海を渡った先にあるので、仮に取り扱っていたとしてもかなり高価になるそうだ、それこそ一留学生では手が出ないような。


「それで留学前にこの茶を渡された事を思い出しましてな、是非ともお茶くみ令嬢殿に淹れて欲しいとこの喫茶同好会に参上仕ったのでござる」


「ほほう」


 俺は小包を持ち上げてしげしげと眺めた。


「でも、御自身では入れられませぬか?東洋にお住まいなら東洋のお茶の入れ方を知ってそうですが」


 と俺が言うと厳藤殿は困ったような顔になった。


「それが……恥ずかしながら拙者生まれも育ちもサムライで、小間使いのやるお茶くみはやった事が全くないのでござる」


「ああ、そりゃそうですな。これは失礼な質問でございました」


 俺が頭を下げると、厳藤殿は「いやいや」と手を横に振った。どうやら謙遜するタイプのサムライらしい。


「この国で茶に詳しい人に拙者の国の茶を淹れて貰おうと、手当たり次第に当たって見たのでござるがどの人間も入れ方を知らないようで軒並み断られたのでござる」


「なるほど、それで私めの所に来たと言う次第でございますな」


 厳藤殿は再び大きく頷いた。


「この国でお茶くみに従事しているご令嬢は貴殿だけでござる。噂を聞いてもしかしたらと思い縋る気持ちで来たのでござる」


「おお、それは嬉しゅうございます。……ひょっとしたらご期待に沿えるかもしれませぬ」


「本当でござるか!」


 子供のように目を輝かせる厳藤殿に、ええと俺は言った。


「いつだったか、東洋のお茶の入れ方を書いた本を読んだと思いまする。それの見よう見まねで良ければ入れさせていただきましょう」


「……茶の本?なんて名前の本でござるか?」


「さぁ忘れてしまいました」


 勿論、本を読んだというのは噓である。

 前世ではサラリーマン時代に日本茶の入れ方を培ったが、前世のどうのこうのを言う気にはよもやなれなかった(こら、誰だサラリーマンでもお茶くみ要員だったんだなとか言ってるのは)。


 怪訝そうな目で俺を見る厳藤殿に俺は、ただ、と言った。


「この喫茶同好会は元からこの国に住まう方々に向けたお茶、つまり紅茶を振舞いまするので、茶器も紅茶用しか置いてません。それで良ければ入れさせていただきますが」


 俺がそう言うと厳藤殿は「構わないでござる」と頷いてくれたので、俺は早速東洋のお茶を俺が知っている入れ方で入れる事にした。



「ちなみにこれは何て名前のお茶でございますか?」


 ケトル(やかんの事)に水を淹れて火にかけ、お湯がしゅんしゅん沸くのを待つ間、俺はこうかこうかとゴシップ新聞をグルグル回しながら読んでいる厳藤殿に聞いた。


「ほうじ茶という名前の茶でござる」


「ほほう、ほうじ茶」


「?知っているでありますか?」


「ああ、いや気になさらないで」


 俺はすぐさま誤魔化したが、かえって怪しまれたかもしれない。


「拙者はほうじ茶が大好きでござってな。拙者がまだタケノコくらいの頃からよく飲んでいたでござる」


 タケノコあるんだ……。色んな物が同じように異世界でもあるんだなぁと俺はしみじみと考えていた時、ポピーとケトルが音を鳴らした。お湯が沸いたようだ。俺はお湯をティーポットとティーカップに注ぎ、容器を温めた。


「なるほど。それで、こちらのほうじ茶を持ってきたという次第なのでありますな」


「ああ、いや拙者に持たせたのは叔母上でござる」


「叔母様が……?」


 俺が聞き返すと厳藤殿は頷いた。彼が頷くたびに頭の丁髷が揺れるのが見えた。


「叔母上は未亡人でござってな。行く当ても無かったので拙者の家、つまり実家に戻ってきていたのでござる」


 厳藤殿曰く、夫を早くに亡くした彼の叔母さんは、養う口を一つ増やしてもらう代わりに子守りや畑仕事などを、手伝ってもらっていたそうだ。厳藤殿の世話をよく見ていた叔母さんもまたほうじ茶好きだったそうで、厳藤殿が初めて飲んだお茶も叔母さんが入れたほうじ茶だったそうだ。


「拙者の家には大きな茶畑がござってな、そこで叔母上は拙者を背負いながらよく茶摘みの子守歌を歌っていたでござるよ」


 そう言って厳藤殿は歌いだした。その歌は何処か懐かしくしんみりとするものだった。ここらでいい具合に茶器が温まったので、ティーポットのお湯を捨ててほうじ茶の茶葉を入れた。


「茶摘みが好きだったんですね、叔母様は」


「そうでござるなぁ。拙者もこの歌を聴くのが好きでござった」


 そんな話をしている間にお茶が出来上がり、俺はティーカップにほうじ茶を注ぎ、「粗茶ですが」と言って厳藤殿に差し出した。

 厳藤殿はティーカップに鼻を寄せて、立ち昇る湯気を嗅いだ。


「では有難く頂戴するでござる」


 そう言ってズズーッっとすする音は、マナーに五月蠅いメルゼガリア帝国人が聞けば眉を顰めそうでも、前世日本人の俺からしたらとても心地良い音だった。厳藤殿はお茶をすするとティーカップを皿に戻してうーんと考える様子を見せた。

 そうして、しばらく考えたのちポツリと口を開いた。


「ああ……この通りでござる。この通りの味でござった」


 厳藤殿は「かたじけないでござる、お茶くみ令嬢殿」と言って頭を下げた。


「どうやら入れ方は間違っていなかったようでございますな」


 俺がそう声を掛けると、厳藤殿はうんうんと頷いた。


「こんな味でよければまた入れさせていただきましょうか?いや、是非入れさせていただけませぬか?」


「良いんでござるか!?」


 厳藤殿は先ほど以上に目を輝かせて言った。その様子は欲しいおもちゃを買ってもらえる子供のようだった。


「何から何までかたじけないでござる、お茶くみ令嬢殿。このお礼はきっと」


「このお茶を入れさせてもらえる事が何よりのお礼でございまする」


 俺がそう言うと、顔を見合わせて笑いあった。



 それからしばらくの間、サムライ留学生こと厳藤殿は俺にほうじ茶を預けてくれた上に喫茶同好会に足繫あししげく通った。俺のティーポットで入れるほうじ茶はお気に召して頂けたようで、飲むと満足そうに笑う厳藤殿の顔を見るのが俺も好きになっていた。






 ──ところが。厳藤殿にとってその幸せは長くは続かなかった。


 ある日、ほうじ茶の茶葉が無くなりかけていた頃、厳藤殿が喫茶同好会にフラフラとした足取りでやって来た時は、思わずカウンターから飛び出して彼を支えた。


「だ、大丈夫でございますか?」


 そう言って厳藤殿の顔を見ると血の気のない真っ青な顔になっていた。そうして擦れるような声で「ほ、ほうじ茶は……?」と聞いてきた。


「ここにございます!今すぐお入れ致します!」


 と言って急いでカウンターに行こうとした俺を厳藤殿が引き留めた。


「待って欲しいでござる……まだほうじ茶は入れないで欲しいでござる」


 そう言った厳藤殿を俺はゆっくりと椅子に座らせて訳を聞こうとした。


「……一体、どうなさったのでございますか?真っ青な顔でございまする」


 俺がそう聞くと、厳藤殿は目をキラリと光らせた。それが涙であると気付いたのは、その涙がつつーっと彼の頬を伝った時だった。



「今日報せが届いたのでござる。叔母上が……叔母上が亡くなったと」



 俺は思わず言葉を失った。啞然としている俺に厳藤殿はポツリポツリと語ってくれた。


「叔母上は……だいぶ前から胸に腫瘍があったそうでござる。でも、でも拙者の前ではそんな素振り全く見せてなかったでござる……」


 厳藤殿はガックリと肩を落とした。厳藤殿の叔母さんは家族には、特に厳藤殿には内密にするように医者に言っていたそうだ。


「叔母上が亡くなる時……『厳藤はどこじゃ。厳藤はどこじゃ』とうなされていたそうでござる」


 あの子は子守唄を聞かせんとぐずるでなぁ、と叔母さんは見えぬ目を必死になって動かしていたらしい。ここで厳藤殿は決壊したようにポロポロと泣き出した。


「叔母上は……叔母上は……拙者の見送りに最後まで付き添ってくれたのでござる。病の身体だと言う事を家の者には隠して……」


 厳藤殿の船が乗る船が港から遠くへと遠くへと遠ざかっていっても、厳藤殿の叔母さんは最後まで『ご達者でご達者で』と手を振っていた。それが厳藤殿が叔母さんを見た最後の姿になったのだ。


「あのほうじ茶は叔母上の形見となったでござる……『お身体に良いのを飲んで欲しい』と叔母上がしつこく言うので仕方なく持って来たあのほうじ茶が……」


 俺は何て声をかければ良いか迷っていたが、厳藤殿は顔を下げたまま俺に言った。


「お茶くみ令嬢殿……どうかあのほうじ茶を、もう一度淹れて欲しいでござる……飲めば無くなるが飲まねば叔母上の思いに応えられないでござる」


 厳藤殿がそう言うと、俺は恐る恐る言った。


「厳藤殿……ほうじ茶の茶葉がもうすぐ無くなります。最後のお茶と思って飲んでくださいませんか」


 厳藤殿は頭を下げたまま頷いた。



 そうして俺はお茶を丹精込めて淹れて、厳藤殿に差し出した。厳藤殿はポロポロと泣きながらほうじ茶をすすった。


「ああ、どうしてでござろうな……どうしてでござろうな……茶がしょっぱいでござる。しょっぱくて不味いでござる」


 お茶くみ令嬢殿が淹れてくれたお茶なのに。

 お茶くみ令嬢殿は何も手筈は間違えてないのに。

 茶葉は腐ってもいないのに。


 そう言って滝のような涙を流しながら厳藤殿が男泣きするのを見て、俺は思わず声を掛けた。


「申し訳ございませぬ、厳藤殿。私も今お茶を入れればお茶がしょっぱくなりそうです……」


 厳藤殿が顔を上げた時、同じように涙を流す俺の顔が見えた事だろう。


 俺はそっと厳藤殿の肩を抱き、俺達は静かに泣き合った。


 =================================


「ねぇミセス・ローリング」


「はい、なんでがしょ」


「私の……じゃなくてこの一流の絵画の隣に掛けてあるのは何ですの?」


「はいミスター・ヨシヒサ厳藤がお茶のお礼にカケジクと言うのを描いて某にくれたんです。素敵でしょう?」


「ハァ、この一流の絵画の隣に変なものを掛けて……しかも何か文字と絵が描いてあるし……」


「上のは恐らく東洋の詩であるハイクというものでしょう。下に描いてある物は分からないけど」


「!知ってるのですかクリスティナ様」


「東洋の語学は習ったからこの程度の文字なら知ってるわ、自慢じゃないけれど」


「遠慮なく自慢なさって良いんですよ」


「……」


「ああ、でも上のはミスター・ヨシヒサが言うには、キゴが無いからハイクじゃなくってセンリュウだって言ってました」


「ふぅん、じゃ下に描いてあるのは?」


「東洋の茶器でユノミと言うんだそうです。センリュウもお茶に纏わる詩を書いたのだとか」


「ええ、それで間違いなさそうね」


「そうだデズモンド様。この機会にこのセンリュウを読んでいただけませんか?」


「ちょっと、クリスティナ様がそんな事」


「構わないわ」


「クリスティナ様!」


「読むだけよ。そんな身構えなくていいわフランシス」


「……そうですか」


「それではお願いします。デズモンド様」


「……コホン







 遠い地で

 忘れ難しは

 叔母の粗茶」

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