レモネード王子とダンスパーティー
ギャレット様と踊ることになったダンスパーティーの前日、俺は生徒会室に呼ばれて生徒会長であるアルベルト第一皇太子殿下の前に立たされていた。
と言っても別に怒られているわけじゃない。ただ前回のように許可を取りに来ただけなのだ。今度のダンスパーティーに喫茶同好会として出し物をしたいという許可を取りに。
アルベルト第一皇太子殿下が出し物の詳細が書かれたレポートを黙って読んでいる間、俺はニューウェル侯爵子息が生徒会室で鼻歌を歌いながら爪を研いでいたのを見て、殿下の前で失礼じゃないのかななんて事を考えていた。まぁ大方目の前で爪を研いでも気に留められない程、ニューウェル侯爵子息とアルベルト第一皇太子殿下は打ち解けているのかもしれない。
「……この件はデズモンド公爵令嬢には話してるのか?」
アルベルト第一皇太子殿下はレポートを机に置いて聞いた。
「はい、特に問題はないと念押しして頂きました」
「ふむ……」
「私にわざわざ許可を取る必要はないわ、……前も言ったように」と嫌味もセットで言われた事は内緒にしておこう。俺がそう思っているとアルベルト第一皇太子殿下は机の上で手を組んで口を開いた。
「まぁ良いだろう。パーティーに支障が出ないよう細心の注意を払うようにな」
「承知いたしました。では……」
「あ、そう言えばさ~」
俺はペコリと頭を下げて生徒会室から去ろうとすると、爪を研ぐのを止めたニューウェル侯爵子息がニコニコと笑いながら話しかけてきた。
「聞いたよ~♪ お茶くみ令嬢
「はい、ダンスパーティーに慣れてない友達のためにですが」
何ちゃっかりとちゃん付けしてんだよ、と思いながら俺は営業スマイルで微笑んで答えた。
「友達ってもしかしてカルヴァン侯爵家の元息子さん~?」
「……そうですが」
「へぇ~♪ そっかそっかぁ~♪」
ニューウェル侯爵子息がニマニマしながら面白そうに笑ったのを見ると、ギャレット様の苦しみを笑われたような気がして俺は少し不快感を覚えた。この人の悪い所だ。こうやって面白そうな事にはすぐ首を突っ込みたがるんだ。俺はムッとしたような表情になっていたのか、ニューウェル侯爵子息が「ごめんごめん~馬鹿にしたわけじゃないんだ~」と謝ってきた。
「いやぁ奇遇だなぁと思ってね~。実を言うと殿下もデズモンド公爵令嬢に男装勧めてたんだ~」
「殿下がデズモンド公爵令嬢にですか?」
意外に思った俺がここでアルベルト第一皇太子殿下を見た所、じろりと睨まれた。
「ぷっ! ククク……! そこでアルベルト様見ちゃうんだ~♪」
「し、失礼しました」
視線を察したのかニューウェル侯爵子息はこれまた面白そうに笑いを堪えながら補足してくれた。どうやらデズモンド公爵令嬢に男装を勧めたのはウィリアム第二皇太子殿下らしい。俺はいたたまれなくなってアルベルト第一皇太子殿下に慌てて謝罪した。
「可哀想でしょう~?デズモンド公爵令嬢~婚約者におふざけ枠としてパーティーに出席しろなんて言われちゃって~」
「そ、そうですね。何と声をかければ良いでしょうね」
ここでアルベルト第一皇太子殿下がハァとため息をつきながら口を挟んだ。
「愚弟の事だ……彼女とペアを組みたくなくて考えなしに言ったんだろう。自分は代わりにブラウン男爵令嬢とペア組み、道化になったデズモンド公爵令嬢を嘲笑いたかったに違いない」
遠回しに俺のこと道化って言ってる?さっきの事根に持ってるのかな……。
「それでね~殿下が『仮にクリスティナが男装するなら俺も──」
「──ニューウェル」
ニューウェル侯爵子息が何か言いかけた時、アルベルト第一皇太子殿下が殺気のこもった目でニューウェル侯爵子息を睨んだ。
「おいローリング、用が済んだならさっさと出ていけ。執務の邪魔だ」
とアルベルト第一皇太子殿下に生徒会室の扉を指差された俺は、慌ててレポートを持って退散した。
殿下は相変わらず俺への当たりが強い。やっぱりデズモンド公爵令嬢の事を気にかけているのかな。廊下を早歩きで歩きながら俺はそんな事を思った。
とにかく、許可は貰えたので俺は喫茶同好会の厨房へと急ぎ、ダンスパーティーに出す出し物を作ることにした。
用意するのはレモン、砂糖、はちみつの三つだけ。これだけでもう出す物を察した人はいるんじゃないだろうか。
そう、今回のダンスパーティーに出すのはレモネードだ。メルゼガリア帝国では紅茶程ではないが頻繫に飲まれている飲み物で、特にクローテ(この国の地名)産のレモンを使ったレモネードは前世の日本で言う所の麦茶並みに飲まれている。ただ、作るのに少し手間がかかるのでパーティーの前日から仕込みをしておかなければならない。
と言う訳でレモネードを作っていく。
仕入れていたレモンをよく洗い、薄くスライスする。用意しておいた保存瓶に、スライスしたレモンを詰める。その上に砂糖、はちみつを垂らす。この工程を後2回繰り返し、最後に残りのはちみつを垂らしてそのまま少し置く。砂糖が溶けて、レモン果汁が出てきたら蓋をして、瓶をグルグル回してかき混ぜる。
そのまま、涼しい場所に常温で置き、何回か瓶をグルグル回して、出てきた果汁を全体にかける様にする。
瓶の半分位の果汁が出てきたら、直射日光の当たらない箇所に置いて一晩保存しておく事で仕込みは完成だ。後は水で割れば立派なレモネードの完成だ。
「さて、仕込みは終わった……後は明日どうなるかだな」
明日の行く末を案じていた俺は誰もいない喫茶同好会内で一人ポツリと呟いた。
=================================
「おい見ろよあいつ……」
「マジかよ……あれがあのお茶くみ令嬢かよ」
「なんじゃありゃぁ……」
「うっそ……格好いいわ……無駄に」
「無駄に美青年だ……」
ダンスパーティー当日、予想していた反応だったが男装して会場に入った俺を見て、周りの人間はひそひそと何やら話していた。内容は詳しく聞こえないけれどきっと大方俺を馬鹿にしているに違いない。
「まぁ!まぁまぁまぁ!コリーったらすっかり格好よくなっちゃったじゃない!」
「ありがとうローザ、褒めてくれるのは貴女ぐらいだよ」
「あらそんな事ないわよ。皆貴方の事見て感動してるわ」
「ハハハ、またまた御冗談を」
「おやおや、前世なら宝塚にでも出ていたかもしれませんね。ミスター・コーリング」
「止してくれよ、アーロンまで」
後からやってきたアーロンまでからかってくるのだから困ったものだ。ちなみに口調も格好に合わせて女口調ではなく、男口調にしている。俺としては普段の喫茶同好会での喋り方が許されるから気楽で良い。
「お嬢様!レモネードの準備が出来ました」
そうこうしているうちにメイドが喫茶同好会の部室から、保管していたレモネードの原液が入った瓶と、折り畳み式の小さなテーブルを持ってきて会場に用意してくれた。
「おや、ここで売るんですか?」
「売らないよ、無料で配るの。パーティー会場に出すだけでも一苦労だったんだから」
「まぁ、じゃあ一杯貰えませんかしら」
「僕も一つくださいな」
そう言ってレモネードを二人に配り始めて別れて、一人レモネードの前に立っていると、周りの人間も笑っていた。「ほら見ろやっぱり根っこはお茶くみ令嬢だ」だの、「いや今はお茶くみ令息か?」だの、あれこれ言っていた。中にはコインで裏か表か当ててどっちがレモネードをもらいに行くか勝負している人間もいる。
ほらねやっぱり馬鹿にしてるんだ。まぁ気にしないけどね。後ろ指刺されるのは令嬢として参加した時と変わらないし、おふざけ枠としては成功だろう。
「……王子様?」
そんな事を考えていると横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「わぁ!ギャレット様!」
後ろを振り返るとそこにはラベンダー色のドレスに身を包んだ可愛い可愛いギャレット様がいた。
「ギャレット様ってばすっかり可愛くなっちゃって!妖精さんみたい!」
俺がギャレット様に近寄って頭を撫でると、しばらく撫でられたギャレット様はハッとしたように頭を撫でている俺の腕を振り払った。
「や、やめてくれ……じゃなくてやめてくださいまし!子供じゃないんですから!」
「あぁごめんなさい。ギャレット様が妖精さんみたいに可愛くなってたので」
俺がそう言うと、ギャレット様は顔を赤くした。
「……」
「お気を悪くされましたかな?」
「ううん、お姉様も……本当にすっごく格好いいですわ」
「ハハハ、貴女に言われると嬉しいです」
ちょうどその時だった。ダンスパーティー会場にいる音楽家たちが美しい演奏を始めた。パーティー開始の合図だった。
「……始まりましたね」
「……うん」
俺は周りの男女がペアを組んでダンスを踊り始めるのを見ると、ギャレット様に微笑んで握っていた手を優しく引っ張った。
「……さぁ踊りましょう! マドモアゼル!」
「ああ、ちょっとお姉様!」
俺はレモネードをメイドに任せると、ギャレット様と一緒に踊っているグループにそっと入り込んで、ダンスを踊り始めた。恥ずかしながらいつも男性にエスコートされてばかりだったので、男性用の踊り方をするのは初めてだった。
「お姉様……エスコート下手糞」
「ご、ごめんなさい。練習はしたんですけど」
「もう良い。俺が……私がエスコートしますから」
そのため踊っているうちに自然と踊り方は逆になり、ギャレット様にエスコートされ始めていた。口には出さなかったが、ギャレット様は元男とだけあってエスコートに慣れていた。
引っ張っといてこれは恥ずかしい。
「ぷっ、おい見ろよお茶くみ令嬢と元野郎が踊ってるぜ」
「フフフ! 変人同士お似合いですわ」
「しかも、男役が女にエスコートされてるぜ! 普通逆だろ!」
「まぁ! お笑いですわね。フフフ!」
周りの男女も俺たちの踊りを見て笑っている。俺は踊りながらギャレット様に謝った。
「ごめんなさい。俺のエスコートが下手糞なばっかりに笑われちゃって。やっぱり他の男性と踊った方が良かったかも」
「……」
「あ、ほらあの殿方とかギャレット様見てため息ついてますよ。だから俺なんかより──」
「──お姉様」
俺が他の男子生徒を指さそうとした時、ギャレット様が俺の頬に手を置き、ぎゅっと腰に回している腕の力を強めた。
「……今は他の男を見ないで。私だけを……俺だけを見て、俺だけを感じて」
「……」
そう言うギャレット様の目は強い熱意にあふれていた。俺はそれを見て微笑んだ。
「そうですね踊りに集中しなくては。ギャレット様が恥かいちゃいますもんね」
「……そうじゃないのに」
「?」
何かブツブツ言っていたがよく聞こえなかった。そして俺達は踊りに集中し合った。一生懸命に俺をエスコートするギャレット様の可愛い表情を見つめながら踊るのは、実に有意義だった。
そうこうしているうちに音楽が鳴り止んだ。
「曲が終わったようですね。戻りますか」
「……うん」
ギャレット様は楽しく踊れたのか少し名残惜しそうにしていたが、俺達はダンスグループから離れて先程のレモネードがあるテーブルまで戻った。
そこで衝撃の光景を目の当たりにした。
「……何やってるんです!?」
「レモネード配りよ、ミセス・ローリング」
そこにはレモネードを置いているテーブルの横で佇んでいるデズモンド公爵令嬢の姿があった。
「デズモンド様……」
「お茶会ぶりね、ミセス・カルヴァン」
デズモンド公爵令嬢はギャレット様を見て挨拶したが俺はそれどころじゃなかった。周りの人間もひそひそと笑いながらこちらを見ている。
「お茶会ぶりね……じゃないですよ。何で公爵家のご令嬢ともあろう方がレモネード配りをやってるんです!」
伯爵家なら良いという訳でも無いんだけどね。とセルフツッコミしているとデズモンド公爵令嬢は無表情を変えずに黙って遠くにいる一組のペアを指さした。
そこにはブラウン男爵令嬢と談笑しているウィリアム第二皇太子殿下の姿があった。どうやら先程まで一緒に踊っていたらしい。
「さっきまで貴女方と一緒に踊ってたわ。気付かなかったのね」
「あ、アハハ……何分ギャレット様に集中してたので」
「……」
「あいて!何で足踏むんですかギャレット様!」
「ハァ、とにかくあの通りよ。私とは顔も見たくないみたい。それで手持ち無沙汰になってここに来たってわけ」
話を聞くとダンス会場までは一緒に来て、会場入った後は直ぐにブラウン男爵令嬢の下に行ってしまったそうだ。婚約者がいるのに他の女性と踊るなんてなぁ。勇気があるのか、はたまた……。
「……ってそんな事考えている場合じゃなかった。今すぐ誰かとダンスするかしてこの場を離れてください!笑われ者になる前に!」
「あら、一応喫茶同好会の部員なんだし変じゃないでしょう」
「良いから!俺が第一皇太子殿下に怒られる前に!」
「俺が何だと?」
俺がデズモンド公爵令嬢の背中を押していた時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえて来ると、俺はサーッと血の気が引いていくのが分かった。
「こっちを向け。レモネード王子」
「れ、レモネード王子とは誰の事でしょうか」
「そう言われてる自覚がないなら随分と吞気なのだな。お茶くみ令息」
恐る恐る後ろを振り返ると、腐ってハエがたかっている生ゴミを見つめる目で俺を見ているアルベルト第一皇太子殿下の姿があった。その更に背後には笑いを必死に堪えているニューウェル侯爵子息の姿があった(後で覚えてろよ)。
「これはどういう事か説明してもらおうか。何故デズモンド公爵令嬢がレモネード配りなんてやっているんだ」
「これはその……話せば分かるというか何というか……」
「一言で話せ」
ひぃーっ!
俺が言葉に迷っていると当の本人が援護してくれた。
「ミセス・コーリングは関係ありませんわ、殿下。私が自らの意思で配ってました」
デズモンド公爵令嬢はそう言うと、次の曲が流れている間楽しそうにブラウン男爵令嬢と踊るウィリアム第二皇太子殿下の方を見た。
「あの愚弟め……」
アルベルト第一皇太子殿下は忌々しそうにため息をついた。
「そう言う事なら俺に声を掛けてくれ、クリスティナ……少なくともレモネード配りよりは良いだろう」
「……もうそう言う関係ではありませんから」
俺はデズモンド公爵令嬢が微笑む所を見るのは初めてだったかもしれない。どちらかと言うと苦笑だったけど、それでも氷の精霊とあだ名されるデズモンド公爵令嬢が微笑むのを見るのは初めてだった。
俺がポカンとしているとアルベルト第一皇太子殿下はデズモンド公爵令嬢の手を取った。
「ならば今宵だけは俺と踊ってくれないか」
「殿下がよろしければ……」
そう言うとデズモンド公爵令嬢はアルベルト第一皇太子殿下にエスコートされながらダンスグループに加わり、ダンスを始めた。
それは実に見事なダンス捌きだった。
美しい、その言葉だけでは足りない程二人のダンスは見事だった。
俺とギャレット様の拙いダンスとは比べ物にならないくらい、美しく洗練されたダンスだった。アルベルト第一皇太子殿下とデズモンド公爵令嬢のダンスは会場のざわめきを産んだ。俺とギャレット様も、ほうと感嘆の息を吐いていた。
二人が会場中の注目を集めていた時だった。
「すいません、レモネードを一杯頂けますか? シャンパン飲み過ぎちゃって……」
「あ、はい!」
俺は慌ててレモネードを作り、横から掛かった声の持ち主に渡そうとした。
「どうぞ──」
そこで、声の持ち主を見た時、俺はレモネードが入ったコップを落としそうになった。
「だ、大丈夫ですか? マドモアゼル」
「お姉様……?大丈夫?」
声の持ち主の男性は心配そうに聞いてきた。俺が女性だという事を見破っている事なんか頭に入ってこなかった。
「……すいません、良ければお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「僕ですか?僕はリチャード・ヴァンズと申しますが……」
俺はハッとして慌ててレモネードが入ったコップをリチャードに渡した。
「ごめんなさい……昔馴染みに似ていたので」
「アハハ、なるほど。それはびっくりさせちゃいましたね」
「レモネード……お気に召して頂けましたか?」
俺がそう聞くと、リチャードはニコリと明るく笑って答えた。
「はい!レモンの果汁がしっかりと染み込んでて美味しかったです!」
「良かったです……本当に良かったです」
リチャードはぐっと残りのレモネードを煽ると、コップを返してきた。
「ではこれで」
そう言うと踵を返してその場を去っていった。
俺は横でギャレット様が何か言っているのかも聞こえないまま、ぽうっとリチャードの背中を見送っていた。
リチャード・ヴァンズ。
──ジェームズそっくりの男の背中を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます