男らしくなりたいヴィッキーとフルーツサラダ
初めてその美少女を見たのは、リチャードが連れて俺の喫茶同好会にやって来た時だった。
俺はというと相変わらずジェームズそっくりのリチャードをまともに見る事は出来なかったが、それでも彼を見てぶっ倒れてしまう事は無くなり、リチャードが来た時に軽く挨拶する程度には進歩してきた。少しずつ慣れてきたのかもしれない、あるいはギャレット様が近くにいてくれる日が増えてきたからかもしれない。
だがリチャードと腕を組みながら喫茶同好会に入ってきたその美少女を見て、俺は思わず固まってしまったね。ヴィッキーの顔立ちは少女のようにあどけなく、長く伸びた黒髪が流れる水のようにサラサラしている様は、正しく美少女と言って過言ではなかったんだ。ただ一つ、その美少女が男物のズボンとジャケットを着ていたこと以外は。
その美少女が恥じらいながらリチャードと腕を組みながら入ってきた時は、俺は雷に打たれたように固まってしまった。
「お姉様!お姉様!どうしちゃったんだよ!」
ギャレット様が固まったまま動かなくなった俺に声を掛けてくれなければ、俺はずっとそうしていただろう。とにかく何とか気を落ち着かせた俺は心配しているギャレット様を席に座らせて、恐る恐るリチャードに聞いてみる事にした。
「あのリチャード……様」
「はい、何でしょうか」
「えと、その差し支えなければお聞かせいただきたいのですが」
俺は席に座ってからもリチャードの手を離さない美少女に目をやった。
「そちらのお嬢様?とは……お付き合いされているのですか?」
すると美少女は顔を真っ赤にした。俺が不味い事聞いたのかなと思い軽く慌てていると、美少女が口を開いた。
「なあほらリチャード、だから
俺はその声を聞いて再度固まった。美少女の口から出てきた声は高いソプラノ声だが、一人称に『俺』を使っていたのだ。え、もしかしてとリチャードを見ると、彼は俺に苦笑いしていた。ギャレット様も言葉を失っていた事だろう。
「アハハハ、すいませんマスターをびっくりさせちゃったようで。でもお察しかもしれませんが、この子は男の子で僕の友人です」
リチャードがそう言う間、俺は固まったままポカンと口を開いた。
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リチャードと腕を組んでいた美少女、というか美少年はヴィッキー・ファーニヴァルと言ってリチャードとは友人関係にあるらしい。ヴィッキーは昔から花も恥じらう美少年だったようで、肌が白い上に程よく瘦せていたために、昔から女の子に間違えられていたらしい。
リチャードとは幼馴染みで古くからの付き合いだと言う事を聞いて、何処か安心している自分がいる事に俺は驚いた。
俺はヴィッキーに謝りながら注文された紅茶を二つ入れ始めた。リチャードが気さくにヴィッキーに話しかけている一方で、ヴィッキーはソワソワと落ち着かない様子でいた。
「ヴィッキーってば、まだ股閉じて座ってるよ。ご家族に窘められるよ」
『コリーってば、また股開いて座ってるね。クリスタさんに怒られるよ』
かつて聞いていた事でそっくり正反対の事を聞いて、俺も昔は前世の名残りがまだ消えてなくてジェームズの前でも今以上に男の子らしく振舞っていた事を思い出した。
「はぁ……そうだよねぇ。僕ってば男らしくなりたいのに女々しくて嫌になっちゃう」
『良いじゃねーかよ、誰も見てねーんだし』
唯一ヴィッキーと幼少期の俺が違うとすれば、俺は男の子のように振る舞う事を何とも思っていなかった事だ。俺は前世が男だったからむしろ令嬢らしく振る舞う事に抵抗を感じていたが、どうやらヴィッキーは理想的な男子に近づけていない事に悩んでいるらしい。
俺は「紅茶です」となるべくリチャードの顔を見ないように、二人が座るテーブルに置くとリチャードが話しかけてきた。
「すいませんマスター。何か良いデザートありませんか?ヴィッキーを励ましてあげたいのですが」
「……」
「あの……マスター?」
そう聞かれた俺は黙ってお盆でリチャードから顔を隠すように立ちながら考えた後、口を開いた。
「……フルーツサラダなどいかがでしょうか」
俺がそう言うと、リチャードは「ではお願いします」と答えた。きっと顔を見れば微笑んでいたかもしれない。それこそジェームズそっくりの表情で笑っていたら、俺はまたぶっ倒れてしまうだろう。
そんな訳で俺は厨房に戻ってフルーツサラダを作り始めた。
サラダと言ってもその実はデザートと言って良いだろう。俺は前世でもよくスーパーで売っているフルーツサラダのヨーグルトが大好きだった。
クモ苺、リンゴ、オレンジ、柴桃、薔薇パイン(パインの葉っぱの形が薔薇っぽいからそう呼ばれている)を一口大に切り取って、水切りしたヨーグルトと混ぜるだけ。
後はミントを乗せたら完成。
「どうぞ、フルーツサラダになります」
「あれ?この薔薇パインってもしかして僕が送ったヤツですか?」
フルーツサラダを置いてさっさと離れようとした俺は、ぎくりと立ち止まった。
「……とても良い薔薇パインだったので、家族には半分あげて残りは喫茶同好会で使おうと思ったんです」
ごめんなさい、と俺が素っ気なく謝るとリチャードは「いえいえ気にしないでください」とニコリと笑い俺は罪悪感を感じさせられた。その実、リチャードは薔薇パインの事も気にせずに美味しそうにフルーツサラダを口に運んでいた。
それとは対照的に、ヴィッキーはフルーツサラダを見ながらハァと可憐にため息をついた。
「男らしくなりたいねぇ……俺からすれば懐かしい感覚だぜ」
その時、ギャレット様がぶぅと拗ねたように呟いた。「これはこれはカルヴァン様。ご機嫌いかがです」とリチャードが軽く挨拶し、ヴィッキーもそれに続いて頭を下げた。
「カルヴァン様ってあれですよね、確か元は男だって言う」
「ああそうだよ。相変わらずこんなドレスを着るのは慣れてないけどな」
そうギャレット様が頷きながら言うと、ヴィッキーは股を閉じながら羨ましそうに見た。
「でも可愛らしいじゃありませんか。しっかりとご令嬢に慣れている証です。俺なんかずっと男なのに男らしいなんて一度も言われたことないです」
「はん、俺もどちらかと言えば今でも男らしいって言われたいね」
とギャレット様は何故かこちらを見たので、俺はリチャードから見えないように軽く微笑み返した。
その時だった。喫茶同好会の扉がバンと開かれた。びっくりして扉の方を見ると東洋から来たサムライ留学生こと、
「信じられないでござる!また刀を返してもらえなかったでござる!」
と厳藤殿はプリプリしながらテーブルの席に座った。厳藤殿の刀が風紀委員に没収されている件はガアールベール学園でも結構有名な話だった。ガアールベール学園では基本的に護衛の騎士以外の武装は公式な決闘の場以外では許されていない事から、厳藤殿が海の向こうから持って来た鋭い切れ味の刀は当然の如く没収された。
以来、厳藤殿は「刀はサムライの魂でござる!」と風紀委員に刀を返してもらうよう頼み込んでいるらしい。全て連敗しているが。
「むっ?どうしたでござる?可憐なご令嬢方が三人ほど集まって」
「ああ、こちらのヴィッキー様は立派な男の子でございまするよ」
はてな?と首をかしげる厳藤殿に一連の話をかくかくしかじかと聞かせた。
「なるほど!ヴィッキー殿は男らしくなりたいのでござるな!」
厳藤殿は訳を聞いてふんすと鼻から大きく息を吐いた。
「それなら拙者に任せるでござる!拙者はサムライとして男子として育つようみっちりしごかれたでござる。男の子としてのあれこれは熟知してるでござる!」
厳藤殿はそう言って自信満々に胸をどんと叩いた。
「まずは筋肉を鍛えるでござる!拙者は毎日毎日腹筋と腕立て伏せを100回はしているでござる」
「筋肉かぁ……僕もデブだから鍛えてみたけどやけにスタイリッシュになっちゃって、却って女々しくなって意味なかったんだよなぁ」
「デブって……今も十分瘦せているでござらんか」
「ううん、二の腕とかお腹とかぷにぷにしちゃってて……」
厳藤殿はうーんと考えた後、口を開いた。
「じゃあ肉と魚を食べるでござる!筋肉にはタンパク質が必要でござる!」
「家族に頼み込んで肉ばかり食べていたけど、より一層ぷにぷに太っちゃった」
ヴィッキーがそう言うと厳藤殿はうーんと更に悩み込んだ。厳藤殿って前世に居たらプロテインとか進めてきそう、と俺は思った。
「筋肉はだめ、肉もだめとなると……」
厳藤殿はしばらく悩み込んだ後、ぽんと手をたたいた。
「そうだ!一番男らしい事があるでござる!」
「一番男らしい事?」
「立ちションでござる!」
ヴィッキーから尋ねられ厳藤殿が大きく頷きながら元気よく答えると、俺はズコーッと座っていた椅子から転げ落ちそうに、ギャレット様は飲んでいた紅茶を吹き出しそうに、リチャードは食べていたフルーツサラダを吹き出しそうになった。
「立ちションって……帝国国立の学園に小便かける気かよ!?」
「むぅ駄目でござるか?拙者の国では男らしく川のほとりで小便してたでござるよ」
「汚いですよ!」
「郷に入っては郷に従えって言うでし──」
「良いねぇ!それ!」
俺達が厳藤殿を止めようとしていると、ヴィッキーが口を開いた。リチャードは啞然としながら言った。
「あの……立ちションの意味分かってる?立ったまま野原とか川辺でするんだよ?ここから一番近い川はかなり遠いし、ガアールベール学園じゃ立ちション出来るトイレなんて……」
この世界じゃトイレは基本的に洋式だし、ガアールベール学園には『緊急事態以外、トイレ以外の所で用を足した生徒は停学に処す』と言う校則がある(ちなみに『緊急事態以外』の項目は後から付け足されたらしい)。
「立ったままトイレで用を足せばいいでござるよ。ドアはババーンと開け広げれば男らしい開放感を味わえるでござる!」
厳藤殿が小便についてそう語ると、ドン引きしている俺達をよそにヴィッキーは目を輝かせていた。
「分かった!ちょうど紅茶を飲んで催してたし、今から行こう!」
そう言ってヴィッキーは「お代は後で払いますから!」と言って厳藤殿の手を引いて、喫茶同好会を出ていった。
「何だろうね……男らしいって」
俺がポツリと呟くとリチャードがアハハハと苦笑いした。
──この時、笑顔で笑うリチャードを喫茶同好会に座りながら、憎しみを超えて殺気の籠った目で見ている男が一人いる事に俺は気が付かなかった。
それからしばらくして、俺がコップを拭き、ギャレット様は新聞を読み、リチャードがパラパラとバルナフツァク戦記をめくりながら二人の帰りを待っていた時、ドタドタと廊下を走る音が聞こえてきたかと思うと、厳藤殿が血相を変えながら慌てて喫茶同好会に戻ってきた。
「ど、どうしたの?血の気がないけど」
「た、大変でござる……!ヴィッキー殿が……ヴィッキー殿が……!」
「ヴィッキーに何かあったのかい!?」
リチャードが慌てて聞くと厳藤殿は首を横に振った。
「い、いや……拙者が見張ってたので立ちションしてて何かに襲われたと言うわけではないのでござるが……ヴィッキー殿は……ヴィッキー殿には……!」
「ヴィッキー様がどうなさったんです!?」
俺が聞くと厳藤殿は下唇を嚙みながら覚悟を決めたように顔を上げた。
「ヴィッキー殿には
「「「……はい?」」」
俺達がポカンとしていると、遅れてヴィッキーが「ちょっとちょっと何で置いてくのさ」喫茶同好会に入ってきた。
「いやぁ、やっぱり上手く出来なかったよ。やっぱり小さいからかなぁ?」
そう言うヴィッキーにリチャードと厳藤殿はフラフラと近づいた。
「……?二人ともどうしたの?」
「ねぇヴィッキー……僕たち今まで川遊びとかってやった事なかったよね」
「え?うん、身体が弱いから駄目だって親から止められているからね。それがどうしたの?」
「今まで君がトイレしてる所も、僕見たこと無かったよね……」
「見せるものじゃないしね。それがどうしたの?」
ヴィッキーが首をかしげながら言うと、厳藤殿は彼(?)に席に座らせるように促した。
「あのでござるな……男にはサムライの刀とは別に、男にしかない刀がありましてな……」
そう説明を始めた厳藤殿の声は震えていた。
それからヴィッキーはどうしたかって?あの後、あれだけ二人に懇切丁寧に説明されてもよく分かってないまま家に戻った後もう一度喫茶同好会来ているんだけど、その時はちゃんと女性もののドレスを着ていたんだ。
『女装は男にしか出来ないから、最も男らしいんだって!』
と嬉しそうに言っていた。結構というかかなり似合っていて美少女っぷりを遺憾なく発揮し、女性陣だけではなく馬鹿にしていた男性陣からもプロポーズされるようになってたよ。
ちなみにそう教えてヴィッキーを上手く言いくるめた家族の連中は初めは観念したような表情をしていたと言う。
ファーニヴァル家の人々さんよ、一体どんな教育してるんだい、と俺は彼女を見るとそう思わざるを得ない。
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別の日、リチャードが一人で喫茶同好会にやって来た。手には何も持たず「大事な話があります」と言ってカウンターの席に座った。俺は紅茶を飲むか聞いたが、リチャードは首を横に振って言った。
「単刀直入にお聞きしたいのですが……マスター、いえコルネリア様」
「……はい」
「コルネリア様って僕の事避けてませんか……?」
そう言ったリチャードは真剣な表情で俺を見ていた。
「いえ……そんな事」
「ほら!今だって必死になって僕と目を合わせようとしてくれないじゃないですか!」
その問いに何も言えないでいる俺を見て、リチャードはカウンターに腕を乗せた。
「……どうか教えてくれませんか?僕は……僕は僕が気付かない所で貴女に何か非礼を行ってしまったのでしょうか?だとしたら貴方に謝りたいのです!」
そう言われてもリチャードに顔を向けられないでいた。
「何で俺なんかを、お茶くみ令嬢なんかを気にかけてくれるんです……」
俺がそう聞くと、リチャードは言葉に迷いながら答えた。
「僕は……貴女と仲良く、というか良好な関係でいたいと思うんです。何故かは分からないけどそうあるべきだと感じるんです」
俺は恐る恐るリチャードを見ると、ジェームズそっくりのあの顔が懇願するかのようにこちらを見ていた。
「……優しいのですね。リチャード様は」
「コルネリア様……」
俺は思わずカウンターに乗っているリチャードの腕に手を触れようとした。
その時だった。
バタンと喫茶同好会の扉が勢いよく開かれた。
驚いて手を引っ込めて扉の方を見ると、そこには男が立っていた。その男を見て俺は血の気がさーっと引いていくのが分かった。
男はまっすぐリチャードを見ていた。それも目にはギラギラと燃え滾る殺意を込めて。
「リチャード・
俺は思わず叫んだ。「逃げて!リチャード!」と。
俺がそう言うよりも早く、男はリチャードが何か言うよりも前に凄まじい速さで襲い掛かり、持っていたスポーツ用のハンマーをリチャードに振り下ろした。
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