クモ苺のタルトとダイエット

 ローザ・マクマスター伯爵令嬢は俺のお得意様であり、同じガアールベール帝国学園に通う生徒として良き学友でもある。


 彼女と初めて出会ったのは13歳の時、まだ俺が喫茶同好会を立ち上げていない頃のダンスパーティーでのことだったが、彼女を初めて見た時はぎょっとした。前世では何かの雑誌で”ぽっちゃり系”の事を”マシュマロ女子”と呼ぶらしいが、ローザの体系はマシュマロ女子を遥かに超えていて、関取が転生してきたんじゃないかって思ったよ。


『こんばんは、ミス・ローリング!同い年なんですってね!伯爵家のご令嬢に同年代の子がいるなんて嬉しいですわ!』


『…私もですわ、ミス・マクマスター。今後とも是非仲良くしてくださいね』


 とか俺も言っていたけど、正直言ってあの時関取を前にして顔を引きつらせないようにするのに精一杯で、どんな会話をしていたかなんて綺麗さっぱり忘れてしまった。


 だが、その後も彼女とは仲良くしていくことが出来た。事実、喫茶同好会を立ち上げたいと言った時、周りが反対したり嘲る中で誰よりも応援してくれたのは彼女だった。

 『コリー(俺の愛称)の淹れる紅茶是非とも味わいたいですわ』と言ってくれた時は泣いて手を握って感謝したし、喫茶同好会を立ち上げた時、初めに招いたのはローザだった。お茶菓子を一口食べるなり、『流石私の見込んだ腕前だけありますわ!』と言ってバクバク食べてくれた時は嬉しかったなぁ。


 ────ただね、喫茶同好会にローザを招いたこと、今はちょっぴり後悔してるんだ…。


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 俺はこの日、日替わりのお茶菓子にクモ苺のタルトを作っていた。クモ苺ってのはこの世界独特の苺で、苺の身を蜘蛛の胴体に、八つに伸びた葉っぱが蜘蛛の脚に見える事から、この世界じゃ蜘蛛苺って呼ばれてる。

 味はリンゴよりも酸っぱく、レモンよりも甘い。美容に効果があるって噂があって、女性人気が高い果物だ(前世でいう所のアセロラみたいなものなのかな)。


 そんなクモ苺をふんだんに使ったタルトは女子生徒から人気が高くて、俺はいつも多めにタルトを作って用意している。


 今日もタルト生地を焼き上げて、次にカスタードクリームを塗ろうとした、その時だった。喫茶同好会の外の廊下から、ドスンドスンという重い足音が近づいてきた。俺は来たな!と思って待ち構えた。


 ガチャリとドアを開けて入ってきたのは、俺の学友でマシュマロ越え女子のローザ・マクマスター伯爵令嬢だった。彼女は息を荒くしながら聞いた。


「コリー!今日の日替わりスイーツは!」


「クモ苺のタルトだよ。もう少しで出来上がるからちょっと待ってて」


 荒ぶるローザを落ち着かせて俺はタルト作りを再開した。焼き上げたタルト生地にカスタードクリームを塗付け、その上に切ったクモ苺を並べる。水で溶かしたジャムを塗って、クモ苺のタルトの完成だ。


「はい、お待ちどおさま」


「ありがとうございますわ!」


 切り分けたタルトをローザが座るテーブルに置くと、彼女は嬉しそうにタルトをほおばり始めた。

 さて、今のうちに皿洗いでもしようかn────


「タルトおかわりお願いいたしますわ」


「…」


 …早くね?まだ一分も経ってないんだけど。


 俺は毎度のことながらローザの早食いっぷりに驚愕させられた。

 ローザはキラキラした目で俺に綺麗に空になった皿を差し出していた。俺が後悔しているのは正にこの事なのだ。ローザはとにかく食べまくるのだ。

 おかげで他の生徒たちからは彼女を指して、子豚令嬢て蔑称が付けられている始末だ。


「良いけど…まだ食べるの?」


「大丈夫大丈夫!帰ったら運動しますから!」


 夕食前にドカ食いしたら意味ないんじゃないの。そう思いながら俺は渋々ながら再びタルトを切り分けて彼女に差し出し、今度はローザの食いっぷりを観察してみることにした。

 ローザの食い方はとても豪快だった。まずタルトの三分の一を切り取り、口をあんぐりと開けて中にねじ込む。口の横から垂れたクリームを布巾で拭き取り、更に三分の一を切り取って食らいつくす。そして最後に残った一欠けらを飲み込んだら────、


「おかわり!」


「食べ過ぎだよ!」


 俺は思わず突っ込んだ。今度は30秒も経っていない。新記録樹立だ。


「もう焼いたタルト半分食っちゃったじゃねーか!このまま全部食べる気かよ!?」


「駄目ですの?!」


 駄目に決まってんじゃないの、と素直に言おうかどうか迷ったが、ひとまず持っていたクモ苺のタルトを置いておいて真面目な顔になった。


「ねぇ…ローザ。今朝ね、私貴女のメイドからおしかりを受けましたの」


 と、俺は男口調を止めて普段の話し方で俺はローザに話しかけた。ちなみに俺は喫茶同好会以外の場や真面目な話をする時なんかはいつもこんな風にお嬢様言葉で話している。


「貴女、お医者様からドクターストップ掛かったんですって?太りすぎだって」


「…」


 俺がそう言うとローザは俯いて黙り込んでしまった。下を向いた口にはクモ苺の赤い液体が垂れている。そう、俺は今朝ローザのお付きのメイドに呼び止められて、『甘い物は控えて欲しい』とこってり絞られてしまったのだ。


「その…今こうしてタルトを出している手前、あんまり言う資格はないかもしれないけど、もう少し食べる量を抑えた方が良いんじゃない?貴女のメイドからも言われましたの『お嬢様の健康状態を気遣ってください』って」


「…きっとエヴァね。彼女貴女にそんな風に言ってましたのね」


「あんまり悪い風に受け取らないでね?きっと彼女も貴女の事を思って言ったことだから」


「分かってますわ!そんな事!」


 ローザはむきになったように言った。


「私だって…私だって今のままじゃあの方の笑い者になってしまうのは分かってますわ!」


「…あの方って」


 俺が聞き返すとローザは説明してくれた。


「私、気になる殿方がいますの…とってもイケメンで先日のダンスパーティーで優しくしていただきましたの」


 ローザ曰く、例のデズモンド公爵令嬢がウィリアム皇太子殿下に責め立てられた日のダンスパーティーにて、学園の一生徒であるエイブリー・ディーマーという男子生徒と楽しく会話をした上に、一緒に踊ったらしく、その夢のようなひと時が忘れられないそうだ。


「だから決意しましたの!あの方が、エイブリーが振り向いてくれるように、明日からダイエットして理想的な肉体で彼をデートに誘おうって」


 俺は目を丸くした。あのローザがダイエットをするなんて並みの覚悟ではない。動機がどうあれ俺は素直に褒めた。


「凄いじゃないの!それなら私も協力いたしま──」


「だから今日だけは好きに食べさせて!」


 そう言うとローザは目にも止まらぬ速さでタルトの皿をもぎ取り、とてつもないスピードで残りのタルトを平らげてしまった。


「…」


「ぷはーっ、ごちそうさまですわ!」


 ローザは布巾で口の周りを拭うと、呆然とする俺を置いて去っていった。

 今度からおかわりなしにしよう…。俺は空になったタルトの皿を見てそう思った。




 ────恋に落ちたローザの意思は確かに硬かった。毎朝、裏庭でのランニングは欠かさず行うし、学園内にある運動場で筋トレを含む様々な有酸素運動を行うようになった。俺もローザに誘われて学園のグラウンドを一緒に並んで走る事もあった。お茶くみ令嬢と子豚令嬢が走っているなんて馬鹿にもされたけど、一緒に走った時間はとても有意義なものだった。


 また、ローザは喫茶同好会に顔を出すことも無くなった。彼女の大好物であるクモ苺のタルトの日でも、ローザは誘惑に負けず、食事を適正ラインに戻すために日々の努力を怠らなかった。その甲斐あってローザは順調に減量していく────、




 ────はずだった。



 ある日の事、客の女子生徒がタルトが残っているのを見つけた。


「あれ?マスター、『クモタル』残ってますの?」


「ええ、主に食べてくれる人がいなくなったんで」


「へぇ…じゃあ頂きましょうかな」


 女子生徒は怪訝そうな顔で注文したが、俺としては嬉しい事だった。普段ではローザに食い尽くされるお茶菓子が余っているという事は、彼女の減量が成功して健康的な体型になっているという事だ。

 親しい友人が健康になっていくと言うだけでも喜ぶべき事だろう。俺はタルトを切り分け、紅茶をカップに注ぎながらそんな事を考えていた。



 その時だった。ドシン…ドシン…と地響きが廊下の奥から聞こえてきた。



「な、何ですの!?地震!?」


 女子生徒は慌てふためいていたが、俺はこの規則的な地響きがただの地震ではない事を察した。

 そして、地響きは喫茶同好会の前で立ち止まると、ぎぃっとドアが開くと横綱が入ってきた。


「ろ、ローザ!?」


「コリー…」


 そこにいたのは以前よりも大幅に増量してしまって、変わり果てたローザの姿だった。彼女を見るに明らかにリバウンドしていた。客の女子生徒はもう言葉を失っている。



「貴女…!ダイエットしてたんじゃなかったの!?」


 驚いた俺が聞くとローザは目を腫らした顔でこちらを見た。


「それがね…コリー、聞いてちょうだい。先日私、エイブリーにデートに誘いましたの…」


 彼女は子豚令嬢から卒業し標準体型になった状態でエイブリーに誘ったのだが、なんと彼の答えはノーだったのだ。

 そして、エイブリーはローザにこう言い放ったらしい。


「『実は僕、ぽっちゃりした女性が好みなんです』ですって!ダンスパーティーでは『見た目なんか関係ないよ』って言ってましたのに!」


「ええ…」


「私のこの数週間の努力は何だったんですのォォォ!!」


 早い話、エイブリーはデブ専だったみたいだ。そして、百年の恋も冷めてやけ食いしてしまい、現在に至る…というわけだそうだ。

 それからローザは啞然とする俺と女子生徒の前でクモ苺のタルトを丸ごと一気食いし、悔しそうに地響きを鳴らしながら帰っていった。


 結局、ローザは喫茶同好会をしばらく出禁になった。というかメイドたちに死に物狂いで止められているらしい。

 それから、小耳に挟んだ噂では女子生徒の間でクモタル恐怖症が広まっているそうだ。美容には効果があるが太りやすいんだって。あながち噓じゃないかもしれないと俺は思ったね。

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