侯爵令嬢と風景画
俺は貴族社会から見れば変わった事をしていると言う自覚はある。お茶なんて家でメイドが淹れてくれるし、そんなお茶をわざわざお金払って店で飲もうなんて貴族は物好きの証だ。そして、その店を経営しようってんなら尚更だ。
それでも俺が提供したいのは喫茶店のあの静かでくつろげる、安らぎの空間だ。心を落ち着かせながらゆったりとお茶を楽しむ。前世でやったように家では味わえないそんな時間・空間を提供したい。
とは言っても男口調の変わり者の令嬢なんて一定数快く思ってなければ、わざわざ難癖つけに来る奴もいる。
ある日の水曜日に来てくれた女子生徒は正にそんなタイプの客だったんだ。
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「ふーん、ここがクリスティナ様の言っていた喫茶同好会ですのね…」
喫茶同好会に入店して店内を見渡した女子生徒の第一声はこれだった。よく手入れされてそうな綺麗な茶髪、高そうなドレスを着ているだけでなく、デズモンド公爵令嬢の事を名前呼びしている事からもお偉いさんの娘であることが分かった。女子生徒は厨房から立ち上がった俺に向かって優雅に挨拶をした。
「フランシス・スケフィントン、スケフィントン侯爵家の娘。それからクリスティナ様のご友人をさせて頂いてますわ」
俺はやはりと思った。基本的に名前呼びが許されるのは親類か、よっぽど親しい間柄の人間だけだ。まぁつまりはデズモンド公爵令嬢の取り巻きみたいなもんか、と俺は納得した。
「コルネリア・ローリングです。ローリング伯爵家の娘です。以後お見知りおk────」
「それにしても随分と殺風景な店ですこと」
スケフィントン侯爵令嬢はまるで興味がないかのように俺の声を遮った。
確かにうちの店内は良く言えば実にシンプルだ。厨房とカウンターテーブル、それからティーテーブルがいくつか置いてあるだけ。観葉植物の類は置いていない。壁掛け時計は無難な物を選んだので、装飾が殺風景と言われても仕方がない。
俺はアハハ…と営業スマイルで誤魔化そうとしたが、かえって不信感を抱かれたような気がする。
「ふん、まぁいいですわ。それよりも紅茶をいただけますかしら」
「かしこまりました」
そう言って紅茶を淹れようとした時、彼女から待ったがかかった。
「少しお待ちになって。その茶葉は種類は何ですの?」
「ジーウメルイになりますけど…」
ジーウメルイというのはこの世界の紅茶の種類だ。前世でいうアールグレイのように、この帝国では幅広い世代・階級に親しまれているため、うちで出す紅茶に選んだ。
「私、ストレートティーが好みなんですの。ここではドゥリマヴ(前世でいうダージリンが近い)は置いてませんの?」
「申し訳ございません…。残念ながら…」
「はっ、紅茶で金取りますのに種類は一種類しかないなんて、それでも喫茶店経営していく気はありますの?」
ぐっと痛いところを突かれた。確かに幅広く親しまれている茶葉とは言え、喫茶店の癖に紅茶を一種類しか出さないのは喫茶店として怠惰な証だろう。これは反省せねばならないようだ。
「度々、申し訳ございません。今度からは種類を増やすよう…」
「今度はありませんわ。もう来る気はありませんし」
「うぐっ…」
グサッとくる厳しい意見だ。さりとてこれも客商売の宿命だ。合う合わないは客それぞれ違うから、このように星1の評価をする客が来てもおかしくはない。
しかし、それからもスケフィントン侯爵令嬢の厳しい意見は続いた。やれティーカップがダサいだの、やれ椅子が固いからクッションを用意しろだの、やれ窓から見える外の風景が見るに堪えないだの、散々な評価をされ、聞いている俺のメンタルはもうボロボロだった。
転機がきたのはスケフィントン侯爵令嬢が壁の装飾に文句をつけた時だった。
「壁にも装飾がございませんのね、気が利きませんわね。せめて鏡や絵画があれば少しは見た目が良くなりますのに」
「はぁ…」
と俺が頷いた時、そこで俺の頭の中でピーンと名案が浮かんだ。
「…そうだ!美術部の方に一枚描いて貰うのはいかがでしょうか!」
「美術部の部員に…?」
スケフィントン侯爵令嬢は眉をひそめた。
「この学園の美術部の部員の方に喫茶同好会に飾る事を条件に一枚描いて貰うんです!そうすれば絵の宣伝にもなりますし、店の中も────」
「描くわけないでしょう。美術部部員だって暇じゃありませんのよ」
名案だと思ってウキウキで話した俺のアイディアは、即座に却下された。
「そ、そうなんですか。美術部の部員の方ご存知なんですね…」
「だって私がその美術部部員ですもの」
「えっ」
驚く俺にスケフィントン侯爵令嬢は得意げな顔をして言った。
「まぁどうしてもと言うなら描いてあげても構いませんけど、当然有償でしてよ。…まさかタダで描けなんて言いませんよね」
「うぐっ」
いわれて見れば確かにそうだ。喫茶同好会だってお茶一杯に金取ってんだから絵を一枚描いて貰うのにタダが通るなんてそんな虫の良い話があるわけない。
「わかりました…ちなみにお幾らですか?」
「はん、私の絵は高いですわよ」
スケフィントン侯爵令嬢はそう言うと小さなメモ用紙に値段を書いて見せると、俺は思わず目を見開いた。その額は伯爵家の娘が遊びで使えるような額ではなかった。開いた口が塞がらない俺を見て嘲笑うような笑みを浮かべた。
「まっ、こんなちんけな店に絵を描いてくれる物好きなんていやしませんわ!諦めるんですのね、オホホホ♪」
厨房にトボトボと帰る俺に向かって、フランシスはそう言うと出された紅茶にほとんど手をつけずに去って行った。
俺はと言うと残された紅茶を見ながら、絵画の事を考えていた。確かに店の中、特に壁に何も装飾が無いのは寂しい。
そこで後日、俺はオークション会に出て掘り出し物を探す事にした。
大きい規模のオークションで様々な物が売られていた。振り子時計、鏡、静物画、観葉植物、小さな置物など、選り取り見取りの喫茶同好会に置けば映えるような物が売られていて何を買うか、俺は非常に迷っていた。
その時だった。
「あら、この絵…」
オークションにせり出されている売り物の中で、俺は一枚の風景画が目に留まった。何処かの大きな湖の辺りで絵を描いている女性が小さく描かれている絵で、俺の美術的センスはいまいちだがとても優れている風景画だと思い、俺はその風景画を買う事にした。他の客からの競りは無かったので親から決められた予算の範囲内で安く買えた。
さっそく学園に来て、喫茶同好会の店内に飾ると確かに少しだけ見た目が良くなり、店内に彩りが生まれたような気がした。
あくる日の水曜日の事だった。
もう来ないと言っていたスケフィントン侯爵令嬢がやってきた。前回は散々な評価をされたので、また今度は何をしに来たのかと思ったが、店に入ってくるなり俺が買った風景画を見て目を見開いていた。
「この絵…どうなさいましたの」
「えっと、オークションで買ったんです。素敵な絵だったので落札しました」
綺麗でしょう?と俺が言うとスケフィントン侯爵令嬢はしばらく呆然と絵を見ていた。だが、少しするといつもの表情に戻って言った。
「ふ、ふん!貴女にしては絵を見る才能があるじゃ無い!これで少しはこの喫茶店も見た目が良くなりますわね!」
俺は少し戸惑った。喫茶同好会を散々ボロクソに言っていたスケフィントン侯爵令嬢が、俺の店を褒めたのは初めての事だったからだ。おまけに彼女の顔は少し赤らめていた。
「…えっと…お茶は飲んでいかれますか?」
「結構ですわ!」
スケフィントン侯爵令嬢はそう言うとサラサラした茶髪をひるがえして去っていった。心なしか帰る際の足取りは軽やかだった。再び一人残された俺はなにがなんだか分からずポカンとしていた。
────真相はスケフィントン侯爵令嬢の学友である、クリスティナ・デズモンド公爵令嬢が来店した時に、意外と早く分かった。
「あら…この絵…」
彼女は俺の店に飾ってある例の風景画を見てポツリと呟いた。俺が彼女に紅茶を出しながら、良いでしょうオークションで買ったんですと言うと、デズモンド公爵令嬢は絵画を見ながら言った。
「これフランシスの描いた絵ですわ」
「えっ!?」
驚く俺にデズモンド公爵令嬢は淡々と説明してくれた。
曰く、スケフィントン侯爵令嬢は画家を目指していたらしく、今でも定期的に自身が描いた絵を内密でオークションに出品しているらしい。だが、彼女が描いた絵の売れ行きは芳しくなかったらしく、デズモンド公爵令嬢の記憶が正しければこれが初めて売れた絵になるそうだ。
「じゃあ、つまりこの絵に描かれてる女性は…」
「おそらくフランシス自身でしょうね」
デズモンド公爵令嬢は紅茶を飲みながら、無表情のまま言った。
俺はもう一度風景画の方をじっと見た。初めは描かれている女性は優雅に絵を描いているのかと思ったが、もしこの女性がスケフィントン侯爵令嬢なのだとしたら、彼女はいつの日か湖のほとりにいって必死になって絵を描く自分を描いたのかもしれない。
そして、以前店に来た時に顔を赤らめていたのは、初めて自分の絵を買ったのが散々けなしていた喫茶同好会の店主である俺だったから。
店を去るときに足取りが軽やかだったのは、それでも絵が売れたこと、認めてくれる人が現れた事に歓喜していたからなのかもしれない。
そう思うと、俺は初めてスケフィントン侯爵令嬢の事を可愛いと思えた。
それから、スケフィントン侯爵令嬢はちょくちょく店に来るようになった。窓の外は見ないで、もっぱら俺が仕入れたドゥリマヴで淹れた紅茶を飲みながら、嬉しそうにニマニマと自分が描いた風景画を眺めているがね。
「べ、別に貴女のためじゃありませんことよ!この一流の絵が貴女なんかに粗末に扱われないか心配なだけですわ!」
俺に何か言われると彼女は決まってこう言うので、そんな時はニッコリと微笑み返すことにしている。
世の中には色々な巡り合わせというのがあるけど、こんな出会いというのも決して悪くないのだろうな。
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