『マドレーヌの薔薇』と月の薔薇劇団

 

「ねぇねぇマスター、マスターって『月の薔薇劇団』の中で誰が好き?」


「え?」


 そう俺に聞いてきたキャンディス・ウォールは広い土地を持つ男爵家の娘で、大の演劇好きのご令嬢だ。中でも時に好きなのが、さっき言っていた『月の薔薇劇団』だ。美形ぞろいで有名な男オンリーの劇団でご婦人方からの人気が高く、月一で大きめの劇場にて公演をしている。


「うーん、俺も何度か見に行ったことがあるけど、どれも同じような顔の役者ばかりであんまり印象に残ってないんだよね…」


「ええ~!!ちょっとそれは流石に目が節穴すぎますわよ」


 だってしょうがないだろ、前世は男だったんだぞ。

 女に転生して十年ちょっと。前世でのジャニーズ的な存在への興味のなさは、今も変わらず尾を引いているようで、『月の薔薇劇団』に所属している美形の男たちを見てもウォール男爵令嬢のようにきゃいきゃい心が躍ったりしない。それどころか遠めだとどれもこれも同じような見た目に見えて仕方がない。


 ぶぅと膨れたウォール男爵令嬢は持ってきていたカバンから数冊の新聞を取り出した。俺がいつも読んでるゴシップ新聞とは違い、かなり女性向けに書かれた新聞のようだった。


「じゃあこれ見て判断しましょ。月の薔薇劇団の特集やってますの」


「良いけど…あんまり期待しないでよ?」


 俺はウォール男爵令嬢に促されるように新聞を広げた。


「ほほ~…これは中々」


 まず、新聞を広げて出てきたのは見開きで描かれている月の薔薇劇団のメンバーたちの立ち絵だった。

 ちなみにこの世界にも写真を撮影する技術はあるが所要時間5時間以上は掛かるので、腕の立つ絵師にスラスラ書いてもらった方が早い。スケフィントン侯爵令嬢が所属している美術部でも、絵を早く正確に描く技術を日々磨いているそうだ。


 閑話休題。


「それで?マスターはどの方が好みなんですの?ちなみに私はもっぱらエリアル様ですわ!」


「ふーむ、一番人気のエリアル・ルーベンかぁ」


 エリアル・ルーベン。月の薔薇劇団のトップ俳優でファンサービスも良く、如何にも婦人受けしそうな優男って感じだ。彼を見るためだけに劇場の最前列の席を高い金を払って奪い合う婦人方が絶えないらしい。


「『やぁ僕らの可愛い可愛い天使たち♪』とか言って登場する奴でしょ?」


「そうそう。私そのセリフ大好きですわ!」


「俺の趣味には合わないよ…砂糖入れまくった紅茶みたいに甘ったるくてこっぱずかしくなる」


「え~信じられない!エリアル様を悪く言うご令嬢がいるなんて!」


「悪く言ったわけじゃなくて、単に俺のタイプには合わないんだよ…」


「じゃあ誰が好きなんですの?どんな方がタイプ?」


 う~ん、それを言われると困ってしまう…。俺は立ち絵が描かれた新聞と睨めっこした。

 有名どころで言えば俗に言う兄貴系のレッド・ミチスンとか、元気系のアンドルー・グレグ、わんこ系のダリオン・コックスとか色々いるけど、どれも俺には刺さらなかった。


 その時だった。俺は月の薔薇劇団の立ち絵の隅っこに描かれているある男に気が付いた。


「ねぇこの人名前なんて言うの」


「え?どれです?」


 俺はウォール男爵令嬢にその男を指さしたが、ウォール男爵令嬢はその男を見ても誰だか分からないようだった。その男は他のメンバーに比べて覇気がなく、前髪が長くて目が隠れてしまっている。


「たぶん、月の薔薇劇団のメンバーの一人なんでしょうけど…その方が好みなんですの?」


「いや、ちょっと気になっただけ」


 それから色々見て回ったが結局俺に合う劇団員はいなく、その日はウォール男爵令嬢も話題を諦めて帰っていった。



 その身元不明の劇団員の名前が分かったのは数日後、月の薔薇劇団がガアールベール学園の放課後に公演を行うと同時に一日入学すると決まった時のことだった。その日はもうウォール男爵令嬢を含む女子生徒は大騒ぎだったよ。


「やぁ僕らの可愛い可愛い天使たち♪」


 薔薇が飾られた馬車に乗ってきた月の薔薇劇団は、彼らが乗る馬車を取り巻く女子生徒たちに熱いファンサービスをやっていた。もちろんその筆頭は一番人気のエリアル・ルーベンだった。


「きゃああああああああああああああああああああああ!」


「エリアル様あああああああああああああああああああ!」


「こっち向いてくださいまし!」


「ちょっとしゃがんでよ!エリアル様が見えないじゃないの!」


 エリアルは口に手をやると「ちゅっ♪」っと阿鼻叫喚の女子生徒たちにキスを投げる仕草をした。所謂投げキッスだ。


「「「「きゃああああああああああああああああああああああ!」」」」


(耳が…耳が破けそう)


 あちこちから歓喜の悲鳴が湧き上がる。俺はもうこの時点で帰りたくなってきた。エリアルは月の薔薇劇団を代表して運動場に設けられたステージに上がると、


「ガアールベール学園の生徒の皆!今日は僕らのためにありがとう!最高の体験を君たち天使たちに届けてあげる事を約束しよう!」


 と言うと、再び女子生徒たちの歓声が湧き上がった。今日は喫茶同好会に人来ないだろうなと思いながら、興奮するご令嬢たちを見つめていた。



 例の覇気のない劇団員を探すのを忘れていたのを思い出したのは、本人が息を荒くしながら慌てた様子で喫茶同好会にやってきたときの事だった。


「は?マドレーヌ作ってくれ?」


「そ、そうなんです。ある御方がどうしても食べたいと仰っていて…食堂も売店も放課後なので閉じててもうここしかないんです」


 その劇団員は名をロイド・デラーと言った。曰く、月の薔薇劇団のをやっているらしく劇団員の買い出しを任されているらしい。要はパシリだそうだ。


「ちょうど材料はあるから良いけど…今から作るとちょっと時間かかるよ?それでも良い?」


「か、構いません。僕が何とかなだめて時間稼ぎますので!公演までには間に合うようにお願いします!」


「公演って…」


 後三時間もないじゃないか…。


「分かった…大急ぎで作るから待たせてくれ」


「ありがとうございます!」


 ロイドは深々と頭を下げて帰っていった。残された俺はというと少しポカンとしていた。


(なんか…ロイドって声綺麗だったな)


 他の劇団員にも負けず劣らず透き通った声をしていた。後は見た目さえ変えれば一皮むけそうなのだが…、だから補欠なのかな。


 そんな事を考えながら俺は大急ぎでマドレーヌを作り始めた。

 ボウルに卵を溶きほぐし、砂糖を加えすり混ぜる。薄力粉、ベーキングパウダーをふるい入れて、ツヤが出るまで混ぜる。

 合わせておいたバターとはちみつを加え、その都度ゆっくりと混ぜる。

 最後にバニラオイルを加えて混ぜたら最後はゴムベラで底に沈んだバターを混ぜるように底から混ぜたら2時間以上生地を休ませる。型に薄くバターを塗り、生地を焼きあがって型から外して出来上がり。


「よし!早く届けよう!」


 俺は急いでマドレーヌをバスケットに入れて、月の薔薇劇団の楽屋へと向かった。




 俺が楽屋に到着すると、そこにはサインの色紙を持ったウォール男爵令嬢の姿があった。口はあんぐりと開いたまま閉じられず、その表情には驚愕と恐怖の色が映し出されていた。「どうしたの?」と俺が言おうとした時だった。




「ふざけてんのかよ、クソ劇団長がよォ!」




 聞き覚えのある声と共にガシャーンと何かが蹴っ飛ばされる音が楽屋から響いてきた。なんだなんだと覗いてみるとそこには驚愕の光景が広がっていた。


 あの清純派を体現したかのようなエリアル・ルーベンが、葉巻を吸い、痰を吐き、顔を怒りで歪めて暴れだしていたのだった。


「わざわざこんなの所に我慢して来てやってんのに、次の公演は主役を別のヤツに任せるだと!?俺を舐めてんのか!?ああ!?」


「お、落ち着いてエリアル君…」


 劇団長に迫るエリアルを見て普段の一人称が『僕』であったエリアルの優男のイメージが崩れ去っていった。俺達が啞然とその光景を見ているとロイドがコソコソと楽屋から出てきた。


「お見苦しい所を見せてしまって申し訳ございません…マドレーヌありがとうございます。エリアル君もこれで機嫌直してくれるはずです」


 と言ってペコリと頭を下げると、マドレーヌの入ったバスケットを受け取って再び楽屋に戻っていったが、エリアルの機嫌は悪くなる一方だった。


「ロイドよぉ…ロイドよぉ…俺がマドレーヌ買ってこいって言ったのいつだ?」


「えっと二時間半前です…」


「だったら二時間半前に持ってくるのが当たり前だろうがよ!俺が持って来いって言ったらすぐ持って来いよ!テメェも俺を舐めてんのか!買い出しもまともに出来ねぇのか!」


(ああっ!)


 エリアルはバシンとロイドが持っていたマドレーヌ入りバスケットを叩き落した。さらに床に散らばるマドレーヌを次々と革靴で踏みつぶしていった。俺は踏みつぶされたマドレーヌを見て、怒る事も涙を流すことも出来ず、只只自分が作った食べ物を無駄にされる目の前の光景に愕然とするしかなかった。


「もう良い!こんな劇団うんざりだ」


 あらかたマドレーヌを踏みつぶしたエリアルは劇団員の帽子を脱ぎ捨てて楽屋を出ようとした。俺とウォール男爵令嬢達はとっさに物陰に隠れた。劇団長の引き留めようとする声が聞こえてくる。


「あっ!何処に行くんだい!?待ってくれ!」


「うるせぇ!劇団長には言ってなかったけどなぁ、もう別の劇団にスカウトされてんだよ。こんな所よりもよっぽど金払いが良くて好待遇の所になぁ!」


「待ってくれよ!今日の公演はどうするんだい!今日は貴族の方々も見に来るんだよ!」


「知ったこっちゃねぇな!せいぜい馬鹿どもの前で恥をかきやがれ!ギャハハハハハハハ!」


 エリアルはそう言って楽屋を飛び出していき去っていった。イメージが違いすぎる…。ウォール男爵令嬢に至ってはもう声を殺して泣き出している。


「どうしようどうしようどうしよう!もう公演まで時間がない!」


「どーすんだよ…エリアルは主演だぞ…」


「主役がいなくなっちゃ芝居が出来ない!」


 エリアルを持って楽屋から出てきた劇団長や他の劇団員の慌てる声が聞こえてきた。そうこうしている間にも刻一刻と公演の時間は迫っている。万事休すかと思われたその時だった。



「僕がやります!」



 端っこにいたロイドが声を上げた。驚いた劇団長が呆れたように言う。


「ロイド…君の熱意は嬉しいが、今回の公演は絶対に失敗できないんだ。端役の補欠の君じゃ無理だよ」


「大丈夫です!台本には目を通してあります!歌の練習だってしてきました!」


「ハァ、そう言う問題じゃないんだよ…大体君主役の顔かい」


 そう言って劇団長がロイドの髪をかき上げた。




「「「「「!!!!!」」」」」


「うっひゃー…!」


「まぁ…!」



 俺もウォール男爵令嬢も思わず息をのんだ。ロイドの前髪をかき分けた先にあったのは満天の星空のように輝いている端正な美青年の顔だった。


「ろ、ロイドってあんなにイケメンだったっけ…」


「これなら主役を張れるぞ…!」


 劇団員たちが次々とつぶやき始めると、劇団長は深い深いため息をついていった。


「…いいだろう。試しにここで今日歌う予定の歌を歌ってみてくれ。それを聞いて判断する」


「…わかりました」



 ────そうして、ロイドは歌いだした。


 誰もがその歌声を聞いておお、と声を上げた。


 美しかった。洗練されていた。


 ロイドの透き通った朝露のような歌声は劇団員たちの心を溶かした。



「素晴らしいですわ…」


 脇で聞いているウォール男爵令嬢はポロポロと感激の涙を流していた。


「なんて心に響く歌声だ!これなら行ける!」


 劇団長はそう高らかに宣言した時、公演の時間がすぐそこまで迫っていた。月の薔薇劇団は大急ぎでロイドに主役の衣装を着せるとステージへと向かっていった。



 ────結論から言ってその日のガアールベール学園での公演は大成功だった。最初は誰も知らない主演の俳優に軽くブーイングが起こったりしたが、徐々にロイドの美しい演技は観客たちを魅了していき、歌声は観客たちの涙を誘い、その日の公演は月の薔薇劇団の伝説となった。

 そうしてロイドは端役の補欠から一転、たちまち人気俳優へと上り詰め、ウォール男爵令嬢もすっかり虜になってしまった。

 更に一躍有名人となっても先輩方を大事にするという、崩れなかったロイドの謙虚な姿勢は、女子生徒だけでなく男子生徒からの人気も徐々に伸ばしていき、月の薔薇劇団は以前よりもさらに客足を伸ばしていった。


 対して飛び出していったエリアルはと言うと、あの性格が災いしたらしく新しい劇団でも上手くなじめなかったそうで、いつまでも脇役を任される事に腹を立てて、せっかく入れてもらった劇団も直ぐに辞めてしまい、今は何処で何をしているのかとんと分からないらしい。


「起こるんだなぁ…こんな小説みたいな事がさぁ」


 俺はゴシップ新聞を読みながら考えた。

 なんだって月の薔薇劇団の劇団長はあんなダイヤの原石に気付かなかったんだろう。

 なんだってあんなに才能あるロイドに端役の補欠なんてやらせていたんだろう。

 なんだってエリアルは築き上げたキャリアを放ってしまえたのだろう。

 事実は小説よりも奇なりと言うがその通りになった。


 さて、俺はというと────


「マスター!出来ました!?」


「まだだよウォール男爵令嬢…まだ十分も経ってないよ」


「早く生地を休ませて焼いてくださいまし!ロイド様に送るんですから!」


「んな無茶な…」


 あれからロイドはバスケットに残っていた俺のマドレーヌを一つ食べたそうで、それからすっかりマドレーヌ好きになったらしい。ゴシップ新聞でそれを知った女性陣は自分でマドレーヌを作ったり、こうして俺や使用人に作らせたりしてロイドに送るようになった。


 おかげさまでロイドはこうあだ名されているらしい。


 ────『マドレーヌの薔薇』と。


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「ちなみにカルヴァン様は月の薔薇劇団の中で誰が好きよ。誰が推し?教えてちょーだい」


「…お姉様ってさぁ…男装したら輝きそうだよな」


「?何で俺の話なのよ」

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