姉の心弟知らず

 

「ふーむ、『ウィリアム第二皇太子、婚約者を追い出しデズモンド家に恥をかかせたか』ねぇ…」


 俺、コルネリア・ローリング伯爵令嬢は喫茶同好会にて今朝配られていたゴシップ新聞を読んでいた。その記事にはでかでかと俺が行けなかった皇族主催のパーティーで起きたある騒動について書かれていた。


 曰く、先日の皇族主催のパーティーは、皇族と縁戚のある家柄の者、そして侯爵家以上の爵位を持つ者しか呼ばれていなかったはずなのだが、どういうわけかパーティー会場にリリィ・ブラウン男爵令嬢の姿があったらしい。

 ウィリアム第二皇太子殿下の婚約者、デズモンド公爵令嬢とその友人のスケフィントン侯爵令嬢はそれを咎めたのだが、それを聞いたリリィ・ブラウン男爵令嬢は泣き出してしまい、駆け付けたウィリアム第二皇太子殿下によって二人は出ていくよう言われたそうだ。


 記事には更にこう書いてあった。デズモンド公爵令嬢にはリリィ・ブラウン男爵令嬢に嫌がらせをしている疑惑があるらしく(それとこれとは別の問題のような…)、その悪行を公衆の面前でばらしても良いのかとウィリアム第二皇太子殿下に迫られたデズモンド公爵令嬢たちは退出に応じたそうだ。

 二人が素直に退出に応じた事によってウィリアム第二皇太子殿下は一層疑惑を強めていったらしく、パーティー会場にて彼女の悪行をこれから更に追求すると誓ったらしい。


 この事態に激怒したのがデズモンド家とスケフィントン家。

 皇帝陛下に直々に抗議の手紙を送り、事の経緯を知った陛下によってウィリアム第二皇太子殿下はブラウン男爵令嬢を招待するにしても特別枠として参加させる事を事前に知らせていなかった上に、言いがかりをつけてデズモンド家とスケフィントン家の両家に恥をかかせた事に落ち度があるとして、彼らへの直筆の謝罪の手紙を書かされ、しばらくの間皇宮にて謹慎する事で双方落ち着いたらしい。


 どうやら結構大ごとになってきたぞ、と俺は思った。あまり政治に詳しくない俺でも皇室とデズモンド家の間には深いつながりがある事は知っており、今回の騒動でその関係にひびが入ったら深刻な事態になりかねない事は想像つく。

 そうであるならば殿下が直々に彼らの家に行って謝りに行ってけじめをつけに行くのが自然な気もするが、そうはしなかった。デズモンド家とスケフィントン家は消化不良のまま、これで手打ちとして今後皇室と付き合わなければならない。


 メルゼガリア帝国の軍事力に少なからず影響力を持つデズモンド家が今回の事を根に持つとしたら…。


(ひょっとして革命が起こったり…!?)


 と考えてしまうのはゴシップ新聞の読みすぎだろうか。俺は物騒な事が起こらないよう祈りながら、ゴシップ新聞を畳んだ。


「まぁ…いずれにせよ俺にはどうすることもできない世界だしなぁ…」


 俺は前にも言った通り、風変わりな事をしているだけの一伯爵令嬢に過ぎない。デズモンド公爵令嬢に何かしてあげられる立場にあるわけでもないし、ウィリアム第二皇太子殿下との関係を取り持つなんて真似は不可能だ。


 俺に出来ることと言えばただ一つ、彼女がここにやってきた時にお茶をくむことだけだ。



 ────だって俺はお茶くみ令嬢なのだから。



「やってますか?」


「やってるよ~!」


 喫茶同好会の扉が開かれ、客が入ってきた。


 そして、俺はいつもの日常に戻るのだった。


 =================================


「ドゥリマヴ(この世界の紅茶の茶葉)になります」


「ふむ…」


 俺がそう言って紅茶を差し出した相手はイザドーラ・アニストン教諭。喫茶同好会に来てくれるガアールベール学園教諭の一人だ。少しの妥協も許さない厳格な性格で何人もの生徒が彼女に泣かされているが、彼女の講義はそこそこ人気がある。そして、かなりの美人であり縁談の話も数え切れないほど来ているらしい。だがその全てを断っているのは偏に彼女の実直さ故だと皆が思っている。


 だが、俺が思うにアニストン教諭が縁談を断り続けているのは別の理由だ。


「それで…?マー君に変なおんなは寄ってきていないだろうな」


「知ってるわけないでしょうがよ…」


 マー君というのはアニストン教諭の弟君である、マーティーの事だ。彼は俺のクラスメイトで彼女が担当する講義の生徒でもある。アニストン教諭はマーティーをこれでもかってくらい非常に気にかけている。


「何のために貴様をマー君の監視役に抜擢したと思ってる。様々な生徒と交流があるからこそマー君に寄りつく虫に目を光らせられるというのに」


「貴女が勝手に監視役にしたんでしょうに…」


 そう、彼女は極度のブラコンなのだ。


 いつだったか、アニストン教諭が喫茶同好会に来た時に彼女が大量の書類を広げていたことがあった。書類には美形や紳士の似顔絵や写真が送付されている。俺は紅茶を差し出した時に思わず聞いた。


『…アニストン教諭、もしかして…これ全部縁談の書類ですか?』


『うん?ああそうだが?』


『凄いですね、こんなに。結婚なさるんですか?』


『いや、受けない。すべて断るつもりだ』


『ほへー、そうなんですか。やっぱり教諭としての職務に集中するとかですか』


 俺がそう聞くとアニストン教諭は平然とこう言った。


『それもあるがからな。やむを得ん』


『…』


『…』


 俺とアニストン教諭の間にしばし沈黙が流れた。


『…今、マー君って言いました?』


『ああ』


『…マーティー・アニストンですか?』


だ。軽々しくマー君の名前を呼ぶな』


『えええ…』


 普段の彼女とイメージが違いすぎる事に俺は軽くショックを受けていた。最近はどうもイメージと実際が違う人間とよく出会う。


『マー君は小さくて優しくて可愛くて愛らしくて私だけの弟なのに、すぐにその魅力を他の女どもに振りまくからな。油断できん』


 アニストン教諭はため息をつきながらも、何処か誇らしげに喋った。確かにマーティーは男にしては可愛らしい顔立ちをしている。それこそ女性用のかつらをかぶって、ドレスを着てしまえば女子生徒と見分けが付かないだろう。おまけに俺でさえ庇護欲をそそらされるような仕草をしている。

 かと言ってここまで過保護になるかね…。


 俺がそう考えていると、アニストン教諭は何か思いついた顔をしてこう言った。


『そうだ、ローリング伯爵令嬢。貴様はこうして喫茶同好会を開いている以上少なからず生徒と交流があるよな?』


『え?ああ、そうですね。それが何かしましたか?』


『という事は女子生徒の動向も少なからず分かるよな』


『いやまぁ確かにクラスメイトの女子生徒も来ますけど…ローザとか』


『ふむ…そうか』


 アニストン教諭は少し考えた後にこう言った。


『ではこうしよう。貴様にマー君の監視役を任せたい』


 何がこうしようなのかわけがわからない。


『な、なんで俺…じゃなくて私なんですか。喫茶同好会に籠っている奴が適任とは思えませんよ』


『それなら問題ない。マー君もここに通わせるからな。それで何かないか聞き出して逐一報告して欲しい』


 と言うと、その日はアニストン教諭は『職務があるから』とか何とか言って、俺が何か言う前にさっさと縁談の書類をまとめて去っていった。



 ────んで今に至るわけだ。


 俺はアニストン教諭に勝手にマーティーの監視役を任された訳だが、ただでさえ喫茶同好会と学業の両立に苦労してるのにわざわざ他の生徒まで気に掛ける余裕はないって言ってるのに…。それを言ったら「今度のレポートの評価覚悟しておくんだな」と言われた。職権乱用だぁ…。


「アニストン君はいつも通りでしたよ。女子生徒との絡みもなく平和でしたよ」


「む、そうか。報告感謝する」


 かと言って男子生徒との絡みもなくて、悪く言えば孤立してたけど。


「さて、そろそろマー君がここに来る頃だな。では時間を置いてまた来る」


「ああ!ちょっと!」


 アニストン教諭はまたさっさと紅茶を飲むと、ぱっぱと手荷物を抱えて去っていった。


「気になるんだったら監視役なんか付けてないで直接聞いてくださいよ!」


 俺はアニストン教諭が早歩きで去っていった廊下に向けて大声で怒鳴った。




「お姉ちゃんはボクの事が嫌いなんだ…」


 喫茶同好会にやってきたマーティー・アニストンは開口一番こう言った。


「今日も怒られたんだ…授業中よそ見をするなって」


 マーティーは深くため息をついた。


「アハハ…でもそれほどアニストン君の事を気にかけているってことかもしれませんよ」


「授業中ちょっと横向いてただけで、課題増やすのに?」


「ま、まぁそれだけ貴方の事を思ってるんでしょうよ…」


 アニストン教諭あんた、そんな事してんのかいと俺は思った。このようにマーティーはいつも喫茶同好会に来ては姉君の事を愚痴っている。どうやら普段のアニストン教諭はマーティーに対して特に厳しいようで、俺も何度かマーティーがアニストン教諭にしかられている所を目撃したことがある。

 そんな姉君の態度を見てかマーティーはアニストン教諭が彼のことを嫌っていると思い込んでいるらしい。


 まぁ真実を知っている俺から言わせれば『姉の心弟知らず』ってヤツだった。


「ところで…今日は学校はどうだった?学友は出来ましたか?」


 俺は一応監視役としての役目を果たすため、探りを入れてみた。しかし、マーティーはため息をつきながら。


「ううん、お姉ちゃんの補習受けててそれどころじゃないよ…これじゃ友達なんて出来そうにないよ…」


「補習に追加の課題ですか…」


 絶対に弟君を束縛するためだろ。職権乱用もいい加減にしとけよ、アニストン教諭…。俺がそう思っていると、


「ボクね…ガアールベール学園を出て自立しようと思ってるんだ」


「…!」


「お姉ちゃんもボクみたいな愚図と一緒に居ても楽しくないみたいだし、さっさと自立して働いた方がお姉ちゃんの為にもなると思うんだ」


 ボク、お姉ちゃんには幸せになってほしいから。そう言うと、見下ろしていた紅茶をコクコクと飲み干した。俺は嫌われていると思いながらも健気に姉君の事を思えるマーティーの姿勢に感動した。


「し、しかし良いんですか?姉君も心配するんじゃ」


「ううん、お姉ちゃんならきっと愚図がいなくなってスッキリするよ。お茶ありがとね」


 マーティーはそう言うとパッパと身支度を整えて去っていった。ああいう所は姉弟そっくりだよなぁ、と俺は思いながらも俺はこの事をアニストン教諭に報告すべきか迷っていた。

 マーティーの立場を思えば黙っていた方が彼のためになるかもしれないが、裏でマーティーの事を想いまくっているアニストン教諭が自立の事を黙っていたと知ったら、こっちにまで飛び火しかねない。


 どうしたものかと俺は思い悩んだが結局のところ、俺はアニストン教諭にこの事を報告して、マーティーの気持ちを理解して貰うように頼み込もうという事に決めた。





 そして講義に現れたアニストン教諭にこの事を報告しようと思った俺だったのだが、教室に現れたアニストン教諭を見て教室中がざわついた。



 なんと、(マーティー以外では)あのクールを文字にしたようなアニストン教諭が目に涙を浮かべていたのだ。



 それを見て俺は一足遅かったか!と頭に手を付いた。その時を思い返せばアニストン教諭が現れる前からマーティーの姿は見当たらなかったのだ。もうこの時既にマーティーは出立していたのだ。


「グスッ……出席を取る……ううっ」


 しゃくり上げながら出席を取るアニストン教諭に俺は今日は絶対に喫茶同好会に誘おうと心に決めた。





「マーティーの置き手紙があった……」


 そう言ってカウンターでむせび泣くアニストン教諭に一通の手紙を渡された。

 要約すると『ガアールベール学園を出て地元の小さな会社に努めたいと思います。心配なさらないかと思いますがどうかお元気で。お姉ちゃんに愛をこめて』という内容の手紙だった。


「マーティー……小さな頃から私が何から何まで面倒を見てきたのに……あの可愛かったマーティーはもういないのか……」


 ウイスキーを出してくれと荒れるアニストン教諭に対して、俺は彼女の背中をさすった。俺が彼女に熱い紅茶を差し出すと、アニストン教諭はポツリと呟いた。


「ローリング伯爵令嬢……マーティーはいなくなってしまったが私は何処か誇らしくも思っているんだ」


「誇らしく……ですか」


 アニストン教諭は頷いた。


「認めたくはないが……マーティーは少しずつ成長していた。背丈も伸びた。口には髭だって生えていた。あんなに可愛らしくても立派な男なのだという事を今回初めて思い知らされたよ」


 アニストン教諭は涙ながらにそう言った。それは我が子の出立を寂しがる母親のようだった。

 マーティーは姉のアニストン教諭から愚図と思われていると思い込んでいたが、実際はこの通りしっかりと愛されていた。そして、弟が独り立ちしたのを何処かで誇らしく思おうとしているほどに大切に思われていた。俺はこの事をマーティーが『姉の心弟知らず』のまま行ってしまったのは勿体無いと感じた。



「あの子ももう大人になる時が来たのか……」



 アニストン教諭がそう言った時、「その通り」と言わんばかりに風が喫茶同好会の窓から優しく入ってきた。


 アニストン教諭の涙を拭うかのように。

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