厚切りトーストと転生者

 

「貴女、転生者でしょう」


 ある日、店にやってきた青年は俺の店に来るなり、開口一番こう言った。


「…違います」


 俺が訝しげにそう返答すると、青年はニマリと笑った。


「フフフ、転生者って言葉の意味は分かるんですね」


「…!」


「ビンゴって顔してますね」


 俺はしまったと思った。はいそうです転生者です、などと名乗ってこれ以上奇人変人と思われたくないがために言ったつもりだったのだが、間抜けは見つかったようだって奴だ。


「俺…じゃなくて私が本か何かで転生者と言う単語を知っているって可能性は考えないんですか?」


「それはないですね。これまで僕は怪しい人物に転生者かって聞いたけど、みんな『「転生者」ってなんですか』って聞き返すんです。けど、いきなり否定から始まる貴女は間違いなく前世を知る転生者ですよ。それに転生者という独特な言葉を知っている事から察するにおそらく出身は日本だ。断言していい」


 やれやれ、これで僕の苦労も報われるってやつだ、と青年は満足げに笑って、席にどっかりと座った。


「ガアールベール学園に一風変わったご令嬢がいるって聞いてはいたんです。俺口調でお茶汲みなんてメイドの真似事してる伯爵令嬢がいるってね。それでピンと来たんですよ」


 青年はそういいながら喫茶同好会をある程度見渡した後、紅茶を注文した。


「それで?貴女の前世は喫茶店のオーナーですか?」


「それを知ってどうするんです…誰かに言いふらすとかするんですか?」


「それはしませんよ。今こうして聞いているのだって僕の興味本位ですからね。それで?貴女の前世は何だったんです?」


 俺は青年の押しに負けてハァ、とため息をついた。


「…確かに喫茶店の店主をしてました。今こうして喫茶同好会を開いているのもその名残りかもしれません」


「ふむふむ…なるほどそれは興味深いですね。一人称が俺という事は前世の性別は男かい?」


「…はい」


「アハハハ!そうかそうか!前世と性別が違う人間が他にもいたとはな!」


 青年は嬉しそうに笑い、そこで青年はやっと自分の名前を名乗った。


「アーロン・グレイシス、グレイシス子爵家の次男坊です。一応僕も、いえ私も転生者ですよ」


「コルネリア・ローリング、伯爵家の娘です…以後お見知りおきを」


 ペコリと頭を下げて優雅に挨拶され、俺も同じように挨拶した。


「…ちなみにグレイシス様は先ほど『前世と性別が違う人間がいたとはな』と仰ってましたが、まさかグレイシス様の前世って…」


「ええ、ですよ。前世は会社員をやってました」


 ほへー、と俺は思わず声が出た。


「それで…話を戻すけど貴女は自分の前世を僕以外の他の誰かに言ったりしてますか?」


「…いいえ。でも前世がある事だけは一人だけにほのめかしてます」


 その一人というのはカルヴァン侯爵令嬢の事だ。彼女が女体化に苦しんでいた時にそれを慰める形で打ち明けた。


「それは恋人ですか?」


「…!」


 恋人…と言われてふと思い出したのはジェームズの事だ。確か、ジェームズにも自分は元男だということをしゃべっていた気がする。まだ、男性だったころの記憶が強くて、がに股で歩いたりして今以上に男みたいな喋り方や仕草をしていた事を思い出した。



『…まだ慣れないのかい?』


『ああ…ドレスだって、何だか女装してるみたいで気持ち悪いわりいよ』


『フフフ、レディ・パウエルに怒られるね』


『ジェームズは…ジェームズはこんな男みたいな俺は嫌いか?』


『まさか、そんな個性的な君も大好きだよ』


『…!』


『あ!顔赤くした!そう言う所も可愛いね!』


『か、からかわないでくれよ!』



 …懐かしい思い出だ。俺は気付けば何処か暗い顔をしていたようで、グレイシス子爵子息はそれに気付いたらしく、


「…どうやら余計な事を言ったらしいですね。すみません、話題を変えましょう」


 と言ってくれた。


「ありがとうございます…」


「さて、ローリング伯爵令嬢。貴女は前世の知識で何か知っている事はないですか?具体的には


「はい?」


 乙女ゲームって言ったか?


「あの女性向けの恋愛ゲームの事ですか?」


「そうそう、それですよ」


 俺は首を大きく傾げた。


「いやぁ、とんと知りませんなぁ…。そう言ったゲームがある事は知ってますが、何せ私の…いえ俺の前世は男だったのでそう言った類のゲームに触れ合う事はほとんどありませんので…」


 強いてあげるなら『オペラ座の怪人』を題材にした女性向けゲームがある事ぐらいしか知らない。後は何だったか犬になって様々な男性と交流するみたいなゲームもあったっけ。でも深い内容についてはまったく知らないし、プレイしたこともない。


「ふむ…では『紅蓮のメルゼガリア』について何か知識はございますか?」


「メルゼガリア?この帝国の名前ですね。それがどうかしましたか?」


 俺がそう言うと、グレイシス子爵子息は少し意外そうな顔をした。


「前世では『紅蓮のメルゼガリア』についてご存知ないのですか?この帝国の名前と一致しているなら気付きそうですが」


「ええっと…はい」


 グレイシス子爵子息の剣幕に恐る恐る答えると、彼は頭を抱えて考え込み始めた。


「やっぱり…ローリング伯爵令嬢なんてモブでも聞いたこともないし、喫茶同好会なんて目立ちそうな部活、小説で出てこなかったから…やっぱり原作と何処か違う箇所があるのかな…」


 とか何とかブツブツ呟いていた頃だった。ぐぅとグレイシス子爵子息の腹が鳴った。


「おっとこれはすいません。私としたことがはしたない」


「いえいえ、良いんですよ生理現象ですし。何か食べていきますか?軽食で良ければ作りますよ」


 と俺がそう言うと、グレイシス子爵子息はハァとため息をついた。


「…それもそうですね。分からない事を根詰めて考え込んでも仕方がないし。何かいただきましょうか」


「何食べていきますか?有り合わせになりますけどトーストなんていかがでしょうか」


 ちょうどフルーツサンド用に買っていたパンが良い具合に厚切りで余っている頃だった。グレイシス子爵子息はニコリと笑い、


「トーストですか。前世の日本じゃしょっちゅう食べてましたが、こっちじゃ貴族に転生して以降、焼き目を付けただけのパンなんてまったく食べた事なかったから懐かしいですね。頂きましょう」


「あいよ!」


「バターもたっぷり付けてくださいよ」


「分かってますって」


 そうして俺は厚切りのトーストを作り始めた。



 …と言っても何か不思議な工程があるわけではない。ただ切ったパンをオーブンで焦げないように焼くだけだ。火を弱火にして金網を置き、その上にパンを置く。じっくりときつね色になるまで焼き目を付けたら裏返して更に焼く。バターを乗せてトーストの完成。


「はい、どうぞ」


「へぇ、オーブントースターが無いこの世界でよくこれだけ綺麗なトーストが焼けますね」


「ハハハ、前世で少しだけキャンピングをしたことがありましてね。その時にパンを火で焼くやり方を学んだんです」


 最初は焦がす所か燃やしちゃったっけ。まぁ喫茶店じゃ普通にトースター使ってたけどね。

 トーストというのは喫茶店によってはある所とない所がある。ナポリタンとかカレーライスとかがっつり食事まで取り扱ってる喫茶店なら置いてある可能性は高いが、俺の喫茶同好会のようにお茶やお菓子に重きを置いた喫茶店じゃ可能性は限りなく低い。

 ただ、俺の前世で経営していたのはどちらかと言うと前者の食事をガッツリと用意していた喫茶店だったので、いつかはこうしてトーストを自然にメニューに出したいと思う時がある。しかし、営業時間は放課後なので時間的に食事を欲しがる需要ニーズがあまりないのが現状だ。


 閑話休題。


 そうこうしているうちにグレイシス子爵子息はサクリとトーストをかじった。


「うん、良く焼けてる上に溶けたバターが美味しいです」


「ハハハ、そりゃ良かった」


 久しぶりに素直に味を褒めてくれる人間にあったかもしれない。しかし、その料理が焼いただけのトーストというのは何だか複雑な気持ちだ。そう考えていた俺だったが、ふと気になる事があった。


「ところで…グレイシス様は先ほど『前世のことについて誰かに言いふらしたか』と聞きましたね」


「うん?ああ、そうですね」


「グレイシス様は…ご自身の過去というか前世について誰かに喋ったりしたんですか?」


 俺がそう言うと、グレイシス子爵子息はトーストを皿において難しい顔になった。


「実を言うと…まだ貴女が初めてなんです。転生者か転生者かと聞いていてビンゴに当たったのは今回の一件きりなんで」


 アハハ、とグレイシス子爵子息は苦笑いをした。


「それでその…貴女以外にも打ち明けようと思っている人物がいまして…今世で出来た僕の一番の親友なんですけど」


「ほほ~」


 そこまで言われて俺はうん?となった。

 前世が女で…今世で出来た一番の親友に打ち明けたい…。


「まさか…その親友さんの事」


「好き…なんです」


「あらまぁ…」


 なんと言葉をかけていいか分からなかった。グレイシス子爵子息はもじもじとしながら答えた。


「この想いに気付いたのは最近なんです。子供の頃からの付き合いだったんですが、成長するにつれてたくましくなったアイツの身体を見るとドキドキが止まらなくて…」


 曰く、前世が女だったことも関係してか、余計に意識するようになったらしい。


「それで…最近どうしたものかなと思い悩んでいるんです。この思いも前世も思い切って打ち明けるべきか。ローリング様はどうなさいます?」


「…」


 グレイシス子爵子息に真剣な表情になって言われた俺はジェームズの事を思い返しながら、こう言った。


「…その人は優しい方ですか?」


「ええ、誰にでも分け隔てなく接する優しい男ですよ」


 僕はそこに惹かれたんですとグレイシス子爵子息は付け加えた。


「ならきっと大丈夫です。貴方の過去がどうあれ、きっと受け入れてくれますよ」


 俺の大切な人もそうでしたから、と俺はそういった。


「…」


 グレイシス子爵子息は何か考え込んだ後に、覚悟を決めたかのように立ち上がった。


「…わかりました!思い切って告白してきます!それで玉砕しても本望です!」


 そう言うと、グレイシス子爵子息はトーストを食べ終えた後、席を立って厨房にいる俺と握手をした。


「ありがとうございます、喫茶店のマスター。勇気をもって行ってきます」


「ハハハ、私は何もしてませんよ」


 俺がそう言ってもお構いなしのように笑いながらグレイシス子爵子息は想い人の親友の元へ歩いて行った。





 ────後日、喫茶同好会にやってきたグレイシス子爵子息の顔には覇気がなく、目元は赤く腫れていた。


「駄目でした…」


「ああ…」


 グレイシス子爵子息はガックリと肩を落とした。曰く告白しようとした日、グレイシス子爵子息の親友は女性を連れて歩いていたらしい。いったい誰なのかと聞いた所、親友はあっけらかんとした表情で婚約者フィアンセだと答えたそうだ。つい最近婚約を結んだらしく、親友をびっくりさせようと黙っていたらしい。


 ちなみに、親友さんと婚約者さんはこの世界では珍しく恋愛結婚だったそうだ。「僕の方が最初に好きだったんだけどなぁ…」とグレイシス子爵子息はこぼしていた。


「でも、これで…これでスッキリしました…前世を打ち明ける事は出来ませんでしたが、踏ん切りがついたような気がします」


「…」


 これで僕も自分の今世での貴族としての義務を果たすことが出来る、とグレイシス子爵子息は赤く腫れた目元を拭って言った。

 俺はと言うと、グレイシス子爵子息の悲哀に満ちた背中を見て、かつての自分の面影を見てポロポロと涙が流れるのを感じると、そっとグレイシス子爵子息の肩を抱いた。


「グスッ…うええ…」


「…」


 二人の転生者たちは肩を寄せ合って泣きあった。今日の空は切ない雨模様のようだった。





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「…デズモンド様。ちなみにデズモンド様って転生者ってご存知でしょうか?」


「私は違うわよ」


「へぇ、そうですか」

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