ショートケーキは何処から食べる?

 

 世の中には────


 出来るだけ関わり合いたくない人間というのがいる。


 お近づきになりたくない人間というのがいる。


 嫌悪感だけで人を寄せ付けない人間というのがいる。


「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!今日も下民の婚約者おんな寝取ってやったぜ!」


 俺にとってライナス・ダイソン伯爵子息は正にそういうタイプの人間だった。


「よぉ!お茶くみ!相変わらずきったねぇメイドの真似事してんのか!」


「…何の用ですかダイソン伯爵子息」


 下卑た笑いで喫茶同好会に入ってきたダイソン伯爵子息に、俺は嫌悪感を隠さずに話した。お茶くみ令嬢というのは俺の愛称でもあり蔑称でもある。だが、ダイソン伯爵子息のそれは明らかに後者だった。


「おいおいつれねぇなぁ!俺ぁ下民の女寝取る、このさもしい店にお情けで客として来てやってんだぜ?テメェのクソまじぃ茶を飲みになぁ!ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


「…」


 不味いと思ってるなら来なきゃいいのに…わざわざ文句をつけにやってきたのかと思うと、自分の顔がこれでもかと歪むのが分かる。ライナス・ダイソン伯爵子息はこう言う下衆という言葉が擬人化したような男だった。

 とにかく下半身に脳があるんじゃないかと思うほど、常に女漁りの事しか考えてなくて、特に婚約者がいる女性をターゲットにしている。人の彼女を横取りして関係を破綻させる事だけに生き甲斐を感じているような男で、貴族としての立ち位置を盾に何人もの男女がダイソン伯爵子息によって泣き寝入りさせられてきた。その中には貴族の男まで含まれていると言うのだから、ある意味尊敬しかねないほどだ。


 ダイソン伯爵子息の両親や周囲の男が何度も本人に注意したそうだが、


「女漁りの何が悪いんだ。下民の女どもも貴族の高飛車な女も木偶の坊たちの女房になるよりは、俺に奉仕する方が幸せだろう?そうとも俺は女どもに幸せを教えてやってんだ」


 とダイソン伯爵子息はケロリとした表情で言うものだから手が付けられない(…というか注意で済ますから辞めないんじゃねぇの)。


 その癖、自分よりも上の立場の人間には手を出さない所か「これはこれは○○様」とペコペコと頭を下げて胡麻をする狡猾さも備えているのがまた嫌悪感を抱かせる。

 ダイソン伯爵子息はドカッとテーブルに座り、足を組んでテーブルの上に置いた。ダイソン伯爵子息にとってお茶くみ令嬢おれという令嬢は、敬意を払うに値しない下に見るべき人間という立ち位置らしい。俺はこいつが来ると湧き上がる嫌悪感でどうにかなりそうだ。


「オラ、早くしろよぉ!茶ぁ出せ!菓子出せ!奉仕しろぉ!お茶くみ令嬢さんよぉ!!」


 俺はわなわなと震えながら、さっさとこいつに帰ってもらうために怒りで震える手で紅茶を入れ始めた。その時、ダイソン伯爵子息の後からもう一人の男が喫茶同好会に入ってきた。


「へ、へへへ。ど、どうもこんにちは」


「あんたは…」


「おっせーぞ!ブルックス!相変わらずトロいなぁ!」


 入ってきた男の名前はブルックス・ハーロー。噂が正しければダイソン伯爵家が経営している会社の子会社の社長の息子で、ダイソン伯爵子息にいつもヘラヘラしながらくっついて回っている金魚のフンだ。


「お、お待たせしました。ダイソン様、例の件片付きました」


「ハァ…ったくブルックスは低能だなぁ。あれきしのガキ黙らせるのに半日もかけやがって」


 ダイソン伯爵子息は心底うんざりしたように言った。俺が何事かと紅茶を入れながら見ていると、視線に気が付いたダイソン伯爵子息が「お?気になっちゃう?」とニヤニヤしながら言ってきた。


「いやよぉ、ちょうどつい最近男爵家のガキの婚約者おんなを俺のモノにしてやってさぁ、抗議の声がうるせぇの何の。金積んで黙らせるのに偉く手こずったぜ」


「へぇ…」


「しかもあのガキ『決闘だ!』とか何とか言って一人で俺様に挑んできやがったからよ、二目と見られないようにボコボコにしてやったぜ!イヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


「さ、流石でございますダイソン様」


 けっ胸糞悪い話だ。ダイソン伯爵子息の事だから抗議の声もブルックスの親の会社に金を積ませて黙らせたんだろう。肝心なところで自分は矢面に立たずに、ブルックスにその役目を負わせる、卑怯ものという言葉がよく似合う男だ。ダイソン伯爵子息の実家が貴族からの声をもみ消せるほど、かなり財力や権威のある会社を経営していると言うのだから、彼のドラ息子っぷりに拍車をかけている。


「それで?お茶くみ。今日の茶菓子は何だ?」


 ダイソン伯爵子息が床に痰を吐きながら聞いてきた。…こいつに食わせる茶菓子が可哀想でならない。


「…ショートケーキになります」


「へぇ!お前にしては気が利くモノあるじゃねぇか!俺の女にしてやろうか────」


「す・ぐ・に!お持ちいたします!」


 イライラする俺はダイソン伯爵子息の声を遮って、ショートケーキを切る作業に取り掛かった。


 ショートケーキ、特にストロベリーショートケーキというのは正しく宝石のように洗練されたお菓子だと俺は思う。

 この世界においてショートケーキというのは色々種類がある。ビスケットを使って、間に生クリームと苺を挟むスタイルもあれば、苺とバニラを使ったムース状のスタイルもある。だがもっぱら俺が好きなのは前世の日本でも見たスポンジケーキを使ったスタイルだ。ふわふわのスポンジケーキ、雲のように溶ける生クリーム、そして甘酸っぱいストロベリー。すべてが計算しつくされていて何もかもが愛おしい。

「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と前世の誰かが言ったが、卵、牛乳、小麦粉、生クリーム、そして季節によっては手に入らない苺を使ったショートケーキというのは金持ちや貴族にのみ許される贅沢だろう。今世においてはその背徳感というのもたまらない。

 喫茶同好会で用意したショートケーキはデズモンド公爵令嬢とか、カルヴァン侯爵令嬢とか特別な誰かに食べてほしかった。


 それが…ダイソン伯爵子息こんなやつに一切れ食わせる事になるとはなぁ…。俺はショートケーキを二つ切り分けて、ダイソン伯爵子息とブルックスの下に持って行った。


「お待たせいたしました…ショートケーキでございます」


「おお、来た来たぁ!」


 ダイソン伯爵子息はここでやっとテーブルの上の足を降ろした。


「おい、ブルックスお前も食べろよ。今日は記念日だからな」


「へへへ、そんじゃあ有難く頂戴致します」


「…」


「お?何の記念日か気になるって顔してるな、お茶くみ」


「聞きたくないです。どうせろくでもない記念日でしょう!」


「教えてやるよ、今日は俺がブルックスの婚約者を横取りしてやった記念日だ!ひゃはははは!」


「へへへ」


 俺はわずかでも反応した事を後悔した。俺が婚約者を横取りされてもヘラヘラしているブルックスにも嫌悪感がわき始めた頃、ダイソン伯爵子息とブルックスはショートケーキを食べ始めた。


 ショートケーキの食べ方というのはそいつの好みが分かると思う。


 ダイソン伯爵子息クズやろうが最初に食べたのはショートケーキに乗っているストロベリーだった。ひょいとストロベリーをつまんで口の中に放り込む。


「おい、ブルックス。ストロベリー要らねぇのか?じゃもーらい♪」


「あっ…!」


「へへへ…」


 こいつらしい食い方だ。『楽しみは最初に食べておく』って訳だ。それにしても相変わらずブルックスはヘラヘラしている。


「へへへ…気にしないでください。いつもの事なんで」


「ったく。ブルックスはトロいなぁ!そんなんだから婚約者を横取りされんだよ」


 取ったのお前だろうが。何を他人事みたいに。


「へへへ…僕は…僕は『楽しみは最後にとっておく』タイプだから」


 そういってブルックスはストロベリーのないショートケーキを食べ始めた。ブルックスのいう楽しみはダイソン伯爵子息に取られてしまったみたいだが。


 結局、その日はダイソン伯爵子息とブルックスの二人組はショートケーキと紅茶を飲み食いして帰っていった。もちろん二人分のお代を払ったのはブルックスだった。俺は奴らが帰った後に塩まいたね(効き目あるか分からないけど)。





「よぉ…お茶くみ。いやローリング伯爵令嬢」


 後日、ダイソン伯爵子息がまたニヤニヤしながら喫茶同好会に入ってきた。今度は何か弱みを握ってやったって顔をして厨房に近寄ってきた。


「何ですか…お茶飲みたいなら席に座ってくださいよ」


「いやいや、今日は俺お茶のみに来たんじゃねぇんだ」


 何だか嫌な予感がした俺は厨房の奥へと引き下がった。


「何ですか…あんまり厨房に近寄らないでくださいよ」


「つれない事言うなって…ローリング伯爵令嬢。いやみたいなものかな?」


「…!!」


 俺が目を見開くとダイソン伯爵子息は更にニヤついた。


「聞いたぜ?お前、婚約者に死なれてんだって?へへへ…じゃあ大分ご無沙汰なんじゃねぇのぉ?」


「…っ!」


 ダイソン伯爵子息は土足で厨房を乗り越えてきた。俺は更に厨房の奥へと引き下がる。


「脱げよ…今ここで。相手してやるからさ…死んだ婚約者の事なんか忘れられるくらいになぁ」


 ヒャヒャヒャヒャヒャ…とダイソン伯爵子息は下卑た笑いで厨房にあった包丁を掴むと、徐々に徐々に近づいてきた。


(ジェームズ…!助けて…!)


 俺は祈る事しか出来なくなった。そして、とうとう俺は壁際に追い込まれた。


「脱げねぇなら…俺が脱がしてやるよぉ!」


 と言ってダイソン伯爵子息は包丁を持って襲い掛かってきた。




 その時だった。


「ライナス様!ライナス様!」


 喫茶同好会に慌てて一人の男が入ってきた。声からしてブルックスではなかった。


「なんだぁ!今お楽しみ中だったんだぞ!」


 ダイソン伯爵子息が俺の腕を掴みながら怒鳴った。どうやら新しく入ってきた男は使用人らしい。使用人は真っ青な表情で言った。


「ライナス様のお父様が…旦那様が…不正な賄賂を配っていた罪で捕まりました!」


「はぁ!?」


 使用人の男は続けて言った。曰く、この事態を知った皇帝陛下は不正防止を掲げていた事もあって大激怒し、関わった人間を厳罰に処する事を決定した。それはダイソン伯爵家の爵位取消し、会社倒産が決定されるまでに至ったそうだ。


「噓だ…噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だぁ!!!」


 血の気が引いていったダイソン伯爵子息は俺の腕を離すと、よろつきながら走って喫茶同好会を去っていった。


「ひっぐ…グスッ…うぐっ」


 俺は誰もいなくなった喫茶同好会を見て、安堵から嗚咽しながらポロポロと泣き出した。




 ────それから、ガアールベール学園でダイソン伯爵子息、というかライナスを見るものはなくなった。ガアールベール学園を退学になったという噂もあるが、俺が先の事件から立ち直ってからも真相のほどは分からずじまいだった。


 しばらくして、ブルックスが上機嫌で喫茶同好会に来るまでは。

 その日もちょうどショートケーキを仕入れていた日だった。ブルックスはルンルン気分でショートケーキのケーキの部分を食べていた。


「随分、ご機嫌ですね。何かあったんですか?」


 俺がそう聞くとブルックスはニヤリと笑った。


「前も言ったかもしれないけど、僕は『楽しみは最後までとっておくタイプ』なんだ。そしてとうとうその楽しみが来てくれて嬉しいったらないんだ」


「へ、へぇ…」


 そして、ブルックスは衝撃的な事を喋った。

 どうやら、ダイソン伯爵家の不正を皇帝陛下に密告したのは他でもないブルックスの親の会社だったらしい。長年、ダイソン伯爵家の横暴に耐えながら、コツコツコツコツと不正の証拠を積み上げてきたらしく、爵位取り消しになったのはその甲斐あってらしい。


「フヒヒヒヒヒヒ!この日のために!この日のためにあんな奴に付き従ってきたんだ!」


 ブルックスはさぞかしスカッとしたかのように、最後に残ったストロベリーを口の中に放り込んだ。

 俺はブルックスのニヤリとした笑いに若干引いていていた。その時だった。


「そう言えば…ローリング伯爵令嬢。貴女、ライナスのヤツにひどい目に合わされたんですって?」


「…!やめてくださいよ。考えたくもないんです」


 やっと立ち直ってきたのに、と俺が言うとブルックスが謝ってきた。


「ごめんなさい、不躾なことを聞いて。さぞかし怖かったでしょう。ライナスの代わりに謝ります」


「もう良いんです。未遂で済みましたし」


 そう俺が言うと、ブルックスはニコリと爽やかな笑顔で笑った。


「ローリング伯爵令嬢。実は貴女に紹介したいメイドがいるんです」


「め、メイドですか?」


「出来の悪いメイドですがね。最近雇うことにしたんで是非是非紹介したくって」


 自信満々な表情でブルックスは言うと、喫茶同好会の外の廊下に向けてぴゅいと口笛を吹いた。


 そうするとコツコツと足音が近づいてきて、ぎぃっと扉が静かに開けられた。





「し、失礼いたします…」






「…!!!?」


 俺は思わずポカーンと口を大きく開けた。

 そこにいたのはロン毛のウィッグを被せられ、化粧を施し、丈の短いスカートを履いた姿


 ブルックスはため息をついて言った。


「こいつねぇ…僕のメイドのくせに世話は碌にできないわ。お茶も満足に入れられないわでほんっとうに使えないメイドなんですよ」


「…くっ覚えてろよブルックス!よくもこのライナス様にこんな格好を…!」


 メイド服姿のライナスはブルックスを睨みつけると、ブルックスはどすの効いた低い声で言った。


「…おいおい、今はだろ?誰が明日生きられるかどうかも分からなくなってたお前の事を雇ってやったと思ってるんだ?それに…ブルックス…だろ?」


「…くっ!も、申し訳ございません!ブルックス様!」


「…」


 ブルックスは平手打ちしたり、ギリギリとライナスの足を踏んだり、脇腹をつねったりした。俺はと言うと開いた口が塞がらなかった。


「すいませんね、こいつ躾がなってなくて。どうです?こいつに恨みがあるでしょ?して良いですよ?」


「…」


「頼むぅ…コルネリアぁ…許してくれぇ…」


 こんな状況でも呼び捨てかよ、と半ばライナス…というかライリーに呆れた。だが、俺は復讐はしなかった。


「…結構です。連れて帰ってください」


「…!ありがとう…ありがとう!コルネリア!」


「勘違いしないでください。もう貴方と関わりあいたくないんです」


 俺がそう言うと、ぐしゃぐしゃに泣き崩れるライリーだったが、ブルックスはライリー耳元で呟いた。


「心配するなよラ・イ・リー♪お前にお返ししたくてたっまらない男はたぁっぷりいるからな♪例の男爵子息とかもな♪この後も一緒に皆の所に行こうな♪」


「ひぃっ!お許しください!お許しください!それだけは!」


 ブルックスは泣きわめくライリーの首を引っ張ると、俺に一礼して去っていった。





「そ…壮絶だなぁ」


 俺は再び誰もいなくなった喫茶同好会の中でポツリと呟いた。因果応報とはよく言ったものだが、想像していたものよりも現実の報復が遥かに超えていた。

 こういう時はなんて言うべきなんだろう。俺は「ポカーン 顔文字」で検索して出てくるような顔で、言葉に迷っていた。


「お~い。お姉様~!」


「…!」


 その時だった。カルヴァン侯爵令嬢の声が聞こえてきた。


「カルヴァン様!今日は良いお菓子があるんですよ!」


 俺は声を明るくして彼女を出迎えた。今日のショートケーキは一段と美味しく食べてもらえそうだった。

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