カシミル杏の砂糖衣がけ
この世界にも文学・小説というものはある。男性陣とかは哲学とか政治制度、経済論について詳しく論じられている書籍とかを読んでいるイメージが強く、逆に女性陣は歴史小説や恋愛小説とかを取り扱った書籍を読んでいるイメージが強い。その逆はあまりない。別にそれが正しいと言っているわけではないが。
特に恋愛小説はメルゼガリア帝国の女性陣に大人気の小説ジャンルだ。ここ、ガアールベール学園の女子生徒たちもよく話題にするテーマの一つだ。
「あ、あのセネット氏、ウォーターズ氏。両氏は『恋うら』の中で誰が一番好きでありますか?」
「私はやっぱり俺様系のアーロン・ブキャナンが良いわね~」
「アタシは優男のユージン・エイキンスが良いかしら」
「…」
こんな風にね。
今日、喫茶同好会に来てくれたお客の中に、常連のレイラとエリサ、そしてカルヴァン侯爵令嬢の他にもう一人珍客が来ていた。
名前をケイリー・シットウェル。ガアールベール学園の文学部の所属で、いつも肌身離さず本を手放さずにいる大の本好きだ(要は前世でいう所のオタク女子って事だ)。
特に好きなのが、先程言っていた『恋うら』、略称で『恋せようら若き乙女たちよ』だ。それぞれ別の女学生の視点を中心に、架空の学園で繰り広げられる様々な男女の恋愛模様を描いていくストーリーで、この世界の女性陣からかなりの人気がある。アーロン・ブキャナンは風紀委員の女学生と、ユージン・エイキンスは少しお転婆な女学生と恋愛するエピソードだ。
前世が女性だったグレイシス子爵子息が言うには、『この世界の女性向け小説』って立ち位置らしい。前世だったら乙女ゲーム化されていたかもしれないそうだ。
「アーロンの『俺はお前を離さない。この世界が終ろうともずっと俺だけを見ていろ』なんて一度だけでも良いから言われてみたいわ~」
「私はユージンの虹がかかった青空の下でぎゅっと抱きしめられるシーンがいいわ。ロマンティックでうっとりしちゃう」
「デュフフフ…セネット氏もウォーターズ氏もあのエピソードの良さを分かってるでありますね…デュフフフ」
ケイリー・シットウェルは独特な笑い方をしたのち、視点を俺に向けた。
「ローリング氏は、ローリング氏は読んでますか?『恋うら』」
「うん?ああ、何話か読んでるよ」
「好きな、好きなエピソードとか推しの男ってあるんでありますか?」
「…好きなエピソードねぇ」
「…!」
この時、カルヴァン侯爵令嬢も俺の方を見た。俺は少し考えたのちにこう言った。
「…好きなのはセバスチャン・アイレスの話かなぁ」
三人は少し意外そうな目で俺を見た。
「セバスチャン・アイレスのエピソードって確か…」
「親に決められた婚約者のセバスチャンと愛し合うって単純な話じゃありませんでした?」
「お、面白味が無いってそんなに人気はなかったでありますような…」
セバスチャンの話は何度も読んだ。最初は親同士が決めた婚約のため、ぎこちなかった二人の関係が日々を一緒に過ごしていくうちにほぐれていき、最終的に二人は愛し合いながら結婚する。その過程が俺は好きだった。
…俺はとうとう愛した人と結ばれる事はなかったが。
「…良いじゃん、好きなんだよ。婚約者と末永く結ばれるの」
「…まぁ」
「…あら」
「…わぁ」
「マスターって…」
「「「お゛と゛め゛~!!!」」」
三人は顔を見合わせて言うと、俺は顔が真っ赤になった。
その時だった。
「女が女と結ばれる話はないのか?その…『恋うら』に」
別の席にて黙って聞いていたカルヴァン侯爵令嬢が声を上げた。三人はきょとんと首を傾げた。
「女主人公が女主人公と結ばれる話…?」
「そんな話あったかしら…」
レイラとエリサが首をひねっていると、ケイリーがカルヴァン侯爵令嬢の質問に答えた。
「あ、あるにはあるであります…」
「本当か!?」
「女学生のイーディス・クレラントが女学生のローリー・バートンと友達として付き合っていく内に、友情が恋に変わっていくストーリーであります…」
「ほへー、あるにはあるんだねぇ」
「で…でも最終的にローリーが実は女装していた男性という事になって、い、一部の界隈から人気が無いであります」
「ハァ!?何だよそれ!詐欺じゃねぇか!ふざけてんのかよ!」
「な、何でカルヴァン様が怒んのよ…」
カルヴァン侯爵令嬢がプリプリと怒るのをなだめるため、今日も俺はお茶菓子を作り始めることにした。
今日作るのはメルゼガリア帝国に位置するカシミルって所で採れたカシミル
その名もカシミル杏の
作り方はとても簡単。
砂糖と水を入れたらカラメル状にならないように優しく煮る。結晶状になったら固まらないうちに切って干した杏に掛けたら紙の上で乾かして出来上がり。
「はい、カルヴァン様。あ〜ん」
「!?あ、あ〜、むぐっ!」
俺はカルヴァン侯爵令嬢の口の中に出来たカシミル杏砂糖衣がけを放り込んだ。モグモグと咀嚼している内にカルヴァン侯爵令嬢は先程までの怒気は潜め、落ち着いてくれた。
「ん…美味しい」
「フフフ、それは良かった」
「あ~!ずるい!一人だけ美味しいもの食べて、私にもくださいまし!」
「アタシにも二つほどくださいな」
「デュフフフ…あ、アタシも欲しいであります…」
喫茶同好会はいつの間にか和気あいあいとした空気に包まれた。やはりお菓子の力は絶大である。そんな中エリサがカシミル杏を2個ほど頬張っているケイリーに聞いた。
「ところで…ケイリーはさっきから人に聞いてばかりだけど、アンタは何か好きなエピソードってあるの?」
「もがもが…!?ゴクン、あ、アタシでありますか」
そういいながら、急いで杏を飲み込んだケイリーはグッと紅茶を煽った。
「ぷはーっ…アタシが…アタシが好きなのはヘンリー・パートリッジの話であります…」
「「へ、ヘンリー・パートリッジぃ!?」」
レイラとエリサは驚愕のあまり店中に響き渡る声で叫んだ。
「へ、ヘンリー・パートリッジって『恋うら』でも激ヤバのエピソードじゃなかったっけ!?」
「独占欲が強くて強くて最終的には地下室に監禁した上に、足を切り落とされて二度と日の目を見れなくなるってヤツ!?」
「ああ、俺も見たなぁ…あれ作者違う人なんじゃねぇのって思ったっけ」
「うわぁ…」
「デュ、デュフフフフ…」
周りにドン引きされながらも、ケイリーはこくんと頷いた。
「あ、アタシ、自分が変わってるって分かってますから、あんな風に誰かに死ぬほど病まれるほど愛されてみたいであります…だからヘンリー・パートリッジのエピはすっごく刺さったであります…」
「か、変わってますわねぇ」
レイラが半ば呆れたように言った。その後、喫茶同好会はケイリーのヘンリー・パートリッジの病的な愛の魅力についての熱弁を聞いた所で終わった。
しかし、所詮は二次元の小説の中の話の事。現実にはヘンリー・パートリッジのような男は現れないだろう。そう誰もが思っていた。
────思っていたのだが。
後日、喫茶同好会にやってきたケイリーはさっぱりした風貌の青年と腕を組みながらやってきた。
「…!いらっしゃい」
「こんにちは」
「デュ、デュフフフフ…」
ケイリーはあの独特な笑い方をしながらも、顔は赤く照れていた。二人はどう見たって付き合ってたね。
「ケイリー…この御方は婚約者か何かですかい?」
「こ、ここ婚約者だなんて…そんな違うであります…」
「照れなくていいじゃないか、ケイリー。いずれは僕らも婚約者になるんだから」
「え、え、エリオットってば…」
ケイリーは赤くした顔をさらに赤くした。聞けば、青年の名前はエリオット・マーコリーと言って、ケイリーがこの学園の図書館にて閉館時間ギリギリになるまで『恋うら』を読んでいた所、図書委員のエリオットが声をかけた事から、二人は出会ったらしい。図書館を出て並んで話していく内にエリオットもまた、男性にしては珍しく『恋うら』を読んでいる事がわかったらしく、話の馬があった二人は付き合い始めたという。
俺は少し意地悪な気持ちになって、ニヤニヤしながらある疑問をケイリーに聞いてみる事にした。
「へぇ…ところでケイリー。エリオットはその…独占欲が強い方かい?」
「ろ、ローリング氏!」
「?独占欲って何のことだい?」
エリオットはスラッとしている首を傾げた。俺はケイリーに言っていいかどうか目配せしながら、『恋うら』の話について話し始めた。
「いえね、『恋うら』であるエピソードがあるんだけど…ケイリー言っていい?」
ブンブンと首を勢いよく横に振るケイリーを見てエリオットは気になった様子で、
「何だい?聞かせてくれよケイリー」
と言ってケイリーの腕をぐいと引っ張って顔を引き寄せた。その輝くような端正な顔に近距離で見つめられたケイリーはプシューと湯気を出しながら、恐る恐る答えた。
「あ、アタシ、『恋うら』でもヘンリー・パートリッジの話が好きでありまして…あ、エリオットは知ってるでありますか?ヘンリー・パートリッジ」
「うん、知ってるよ。一途な愛を持っている人だよね」
ケイリーはもじもじしながら言った。
「あ、あ、アタシ一度で良いから、あんな風に病的に愛されてみたいであります…」
「…なるほどね」
ケイリーが願望を言い終えると、エリオットはニッコリと笑った。
「叶えてあげよっか?その願い」
「え、ええっ!?」
驚いて細い目を見開くケイリーをエリオットはギュッと抱き寄せた。
「大丈夫…僕がケイリーを守るから。悲しませる何かがあったら言ってね?
────全力で消すから」
「う、うひゃああああああああああああ!!!」
ケイリーは感極まってエリオットに抱きつき返した。しばらく、二人は俺の目も気にせず抱き合っていたよ。
ただね…俺はどことなく嫌な予感がしていたんだ。
だって、こちらに向けられたエリオットの目は────
────どっちかというと
あくる日の事だった。ケイリーは不機嫌な様子で喫茶同好会に入ってきた。わなわなと身体は震え、顔は俯いて表情がよく見えない。
「ど、どうかしたんだいケイリー」
と俺が聞くとケイリーは俯きながら喋った。
「エリオットに…エリオットに別れ話を切り出されたんであります」
「ええ!?そりゃまたどうして!あんなに病的にイチャイチャしてたじゃないか!」
俺の知る限りではエリオットはケイリーに病的な愛情を向けていたはずだ。男がケイリーに近寄ってきたら抱き寄せる、毎日毎日ラブレターを大量に送る、首輪をプレゼントするとか色々していた事は学園でも小さく噂になっていた。
ところがだ。
エリオット曰く、それらは
第一、エリオット自身病的に愛する方ではなく、ケイリーと同様に病的に愛されたい方だったそうだ。
「ゆ、許せないであります。アタシの気持ちを踏みにじっておいて、自分は勝手に幸せになろうだなんて。アタシはエリオットの髪も目も耳も鼻も唇も舌も歯も腕も手首も爪もお腹も背中も太ももも膝も足も内臓も愛しているって言うのに…これから他の
「い、違法なことはしちゃ駄目だよ」
わなわなと震えるケイリーにそういいながら、俺はカシミル杏をケイリーに差し出した。
────どうやら、先にエリオットの願いの方が叶いそうだ。
俺はそう思いながら紅茶をすすった。
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