お茶くみ令嬢は愚か者
「お久しぶりですわね♪お茶くみ令嬢さん」
ミントグリーンの髪をたなびかせながら彼女が喫茶同好会に来てくれた時、俺はそう気軽に話しかけてきたご令嬢が誰だか分からなかった。俺が「いらっしゃいませ」と言いながら席に案内しても、ご令嬢は見知った顔に向ける笑顔を崩さなかった。
確かに線香花火の最後の方のように、本当にかすかに彼女の顔に見覚えがあったがそれでも喉に引っかかって出てこなかった。
「……?思い出せませんなぁ、何処かで会いましたっけ?」
「あら、覚えてらっしゃらない?」
「申し訳ございません……」
俺がそう言うと彼女はぶぅと可愛く拗ねた表情になったが、やっぱり俺は思い出すことが出来なかった。一つだけ分かるのは、目の前の彼女はとても高貴な家柄の出身のようだと言う事だけだった。
「でも仕方ありませんわ。会ったのは十年前が最初で最後ですもの」
「十年前……!随分前に会ったんですなぁ」
十年前と来たら……俺が六歳ぐらいかなぁ。その頃は、ジェームズと会って友達になったばかりの頃だった。生憎それ以上にお久しぶりと言って貰えるほど仲のいい友達はいなかったはずだ(ローザと会ったのは三年前くらいだし)。
俺が「うーん、申し訳ございません……名前を教えて頂けませんか?」と名前を言うように促すと、彼女はニコリと意地悪そうに笑った。
「じゃあ私からの宿題にしておきますわ♪
彼女はそう言って愛称を言われて驚いている俺に紅茶とビスケットを注文した。
「しかし……本当に噂通りお茶くみされてますのね、お茶くみ令嬢さんは」
俺がビスケット缶から何枚かビスケットを出し、彼女に出す紅茶を用意していると、彼女はキョロキョロと店内を見渡しながら話しかけてきた。
「ええ、貴女のような高貴な方からしたら奇妙に思われるでしょうけど」
「奇妙と言うよりも
ご令嬢は驚くほどはっきりと言った。
「貴女は十分美人なのですからお茶くみしてないで、その魅力を活かして本物のお茶会に出るべきですわ。それなのにわざわざメイドみたいにエプロン付けてお茶くみの従事をして」
「アハハハ、私が美人じゃあこの世の全ての女性は女神になりますよ」
「あら!ご自身の魅力をご存知ないんですのね!レモネード王子とまで言われてましたのに」
俺がそうはぐらかすと彼女はムキになったように言った。レモネード王子というのは先日の学園で開かれたダンスパーティーで俺につけられたあだ名だ。
ギャレット・カルヴァン侯爵令嬢が慣れないダンスパーティーにご令嬢として出席する為に、男性役として俺はギャレット様のパートナーとして男装して出席した。その際レモネードも配っていたから『レモネード王子』と呼ばれていたらしい。
アルベルト第一皇太子殿下とかもいたのに『王子』と付けられるのは、不遜な気がして何だか居心地が悪かった。
ただ、このガアールベール学園では異性装はおふざけ枠なので、付けられたあだ名もおおよそ俺を馬鹿にしたものかと思っていた。
俺がそう言うと、ご令嬢は困ったような表情になった。
「困ったものですわね……ご自分の魅力に鈍感な方って」
彼女がハァとため息をついた時、俺は彼女が座るテーブルにビスケットを置いた皿と入れたての紅茶を置いた。
「私はこうして私のお茶を飲みに来てくれる方とお話する方が好きですよ」
「もう……勿体無いですわね」
俺がカウンターに戻った後、ご令嬢はやや不満そうに紅茶を飲んだ。
「いかがでしょうか?紅茶の味は」
「……う~ん、うちのメイドが入れる紅茶と同じくらいですわね」
一令嬢が入れる紅茶としては及第点なんじゃないでしょうか、とご令嬢は言ったので、俺は安心した。
ご令嬢は紅茶を飲んでいると「そう言えば」と口を開いた。
「貴女って噂じゃ今でも男口調で喋るんじゃありませんでしたっけ?私の記憶でも『俺』って喋ってましたけど」
「!そんな事まで覚えてらっしゃるんですか!じゃあ本当に六歳の頃に会っているんですね!」
「だからそう言っているじゃありませんか」
懐かしい記憶が呼び覚まされてきた。小さい頃は本当に令嬢として振る舞うのが嫌で嫌で仕方なくて、前世のように『俺』と言っていた。今は大分矯正されてきたけど、それでも前世を思い出す目的で今でも人を選んで男口調で喋っている。
「いやぁもう成長しましたし……親しい間柄とか、階級に気を使わなくて良い相手とかだったら『俺』って言いますけど、流石に高貴な方とかには……」
うっかり『会った事もない人には言えない』と言いそうになったが、何とか堪えた。
「じゃあ私の前でも『俺』って良いですわよ、昔みたいに♪」
「昔みたいにですか……」
俺は必死になって記憶を呼び覚まそうとしたが、やっぱり彼女に見覚えがなかった。俺が思い出せない様子でいるとご令嬢は「本当に覚えてらっしゃらないんですね……」と悲しい表情になった。
「ああ!ごめんなさい!お詫びと言っては何ですが、今日のスイーツご馳走いたしましょうか……?」
俺がそう言うと、ご令嬢はメニューに書かれている日替わりスイーツの「クモ苺の砂糖衣がけ」を見てハァとため息をついた。
「それはまた今度にしますわ……あの時はあんなに親しくしてくれたのにお茶くみ令嬢さんは覚えてらっしゃらないなんて……」
ご令嬢はそう言いながら一杯の紅茶を飲み干すと、しょんぼりしながら席を立った。俺は思わず声を掛けた。
「あ、あの!また来てくれますか!私の……じゃなくて『俺』の喫茶同好会に!」
俺がそう言うと、彼女は少し嬉しそうにニコリと笑って「ええ♪貴女に出した宿題も残ってますから」と言って去っていった。
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それからご令嬢は頻繫に喫茶同好会に顔を出すようになっていた。俺はその度に彼女の名前を必死になって思い出そうとしたが、やっぱり喉に引っかかったまま出てくる事はなかった。
俺は家族の連中に俺の知り合いでミントグリーンの髪の毛をしたご令嬢がいないか聞いてみたが、両親もメイド長のレディ・パウエルも首を傾げていた。
「まったく……小さい頃の貴女はわんぱくで社交的な場に連れて行っても直ぐに抜け出そうとしてたから、人の顔も覚えていないんですよ。罰が当たったんです」
レディ・パウエルはがみがみとそう言った。俺はかのご令嬢に出された宿題に頭を悩ませる事になった。
だが、事実は意外にも直ぐに分かった。かのご令嬢がいつものようにニコニコと俺を見ながら紅茶を飲んでいると、喫茶同好会の扉が開かれた。
そこにはこれまた大物がやって来ていた。
「あら、
「デズモンド様!ご機嫌麗しゅう」
席に座ったデズモンド公爵令嬢はカウンターに座るご令嬢を見てそう言った。
「え……タウンセンド……」
タウンセンドと言えば、メルゼガリア帝国でもデズモンド公爵家と肩を並べるほどの実力を持った超名家のタウンセンド公爵家だ。
そして、デズモンド公爵家と比べて中々、というかまったく社交界に出て来ない事でも有名なタウンセンド公爵家だが、そんな一伯爵令嬢の俺とは縁のないような名家の名前を俺は何処かで聞いたことがあった。
「タウンセンド……」
『俺の名前はコルネリア・ローリング!どうぞコリーと呼んでください!』
『初めまして、僕の名前はジェームズ・デヴィッドソンと言います』
『初めまして……
「ぎえーっ!!」
俺はその瞬間、頭のはざまに置き忘れていた記憶が呼び覚まされて、悲鳴に似た大声を出して思い出した。
「も、もしかして
「あら♪やっと思い出してくれましたのね」
「マスター、私耳が痛くなったんだけど」
「ごめんなさい」
俺は店中に響くほどの大声を出した事を謝りつつ、目の前で俺に微笑むエリノア・タウンセンド公爵令嬢の記憶を呼び覚ました。
かつて親に無理矢理連れてこられて来たタウンセンド公爵家主催の社交パーティーをジェームズと一緒に抜け出した時、偶然廊下で一人のエリーと名乗る少女と出会い、パーティーを抜け出した事を秘密にしようとその場だけ、その瞬間だけ親しくした事を。
「うっそー!マジすか!エリー……じゃなくてタウンセンド様すっごい美人になりましたなぁ!」
「エリーって言って良いんですのよ♪コリーだって美人さんになられたじゃないですか」
その時の記憶ではエリノアは今みたいなミントグリーンの髪の毛ではなく、銀色に輝く白髪であったはずだ。
俺がそう言うと、タウンセンド公爵令嬢は説明してくれた。曰く、タウンセンド公爵家の娘は代々髪の毛の色が生え変わるらしく、その影響で幼少期の頃はタウンセンド公爵令嬢は髪が白かったらしい。
「へぇ、タウンセンド様とマスターって一度お会いになってましたのね」
「ええ、パーティーの間はエリーとコリーって呼び合って親しくしてたんでけれど、コリーはすっかり忘れていたようですわ」
タウンセンド公爵令嬢がそう言うと、デズモンド公爵令嬢は呆れたような表情で俺を見た。俺はハイパー言い訳タイムに入った。
「だってぇ……タウンセンド様と会ったのって十年前きりだったし、あの時はタウンセンド様って白髪だったじゃないですか」
「貴族のご令嬢にあるまじき屁理屈ね。言い訳にもなってないわ」
「うう……」
「それに聞いてくださいまし、デズモンド様!当時のコリーってば今以上に男の子らしく振る舞ってて、私の家が主催したパーティーも抜け出した上に、レディの私に握手を求めてきたんですのよ!しかもブンブン振っちゃって、肩外れそうでしたわ!」
「……マスター、貴女って思ってた以上に呆れるほど変人というか愚かというか……」
「は゛ず゛か゛し゛い゛……」
俺はデズモンド公爵令嬢の前で、タウンセンド公爵令嬢に自分の黒歴史をほじくられているようでいたたまれなくなっていた。その様子を見てタウンセンド公爵令嬢はクスクスと笑っていた。
「でもまたこうして仲良く会えたのですから、これからもよろしくお願いしますわ。それと私が来た事、ちゃんとローリング様の実家にも伝えてくださいね♪」
「はい……」
レディ・パウエルから大目玉くらうだろうなぁ……。
そう思いながらも俺はお詫びの気持ちを込めて、採れたてのフルーツと出来立てプリンの盛り合わせ、要はプリン・アラモードをデズモンド公爵令嬢とタウンセンド公爵令嬢にご馳走した。
デズモンド公爵令嬢は相変わらずの仏頂面だったけど、何となく二人とも喜んでくれているということだけは伝わってきたので万々歳とする事にした。
……しかし、デズモンド公爵家と言い、タウンセンド公爵家と言い、どーしてこんな変わり者の俺がやってる喫茶同好会って大物ばかり来るんだろう……。
俺は首を傾げざるを得なかった。
そして、後に皇太子殿下まで来るようになるのだが、それはまだ少し先の話である。
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「そう言えば私、デヴィッドソンご子息(ジェームズの事)に会いましたわ」
デズモンド公爵令嬢が先にデザートを食べて、紅茶を飲み終えて去っていった後、一人残ったタウンセンド公爵令嬢が言った。
「……」
「私驚きましたわ。お亡くなりになったって聞きましたけど、まだご存命だったなんて」
タウンセンド公爵令嬢は明るい表情で言っていたが、俺の暗い顔を見ると訳が違う事を察してくれたらしい。
「違うんですの……?」
「恐らく本人から聞いたかと思いますが……彼はよく似た別人で、リチャード・ヴァンズと言います」
ジェームズの方は本当に亡くなりました、俺はそう言いながらも声を震わせるのを我慢できなかった。分かっているはずなのに、認めるのが嫌だったのかもしれない。
「で、でも彼から『ローリング様に話したい事があると伝えて欲しい』と伝言を頼まれましたわ。てっきり婚約者同士話したい事があったのかと……」
「リチャード様が……?」
「ええ、そろそろ来る頃だと思うのですが……」
タウンセンド公爵令嬢がそう言った時、喫茶同好会の扉がノックされた。
「ローリング様、リチャード・ヴァンズです」
扉越しに聞こえてきたのは俺が愛してやまなかった人の声だった。だがジェームズではない。切ない程に似ているリチャード・ヴァンズの声だった。
「ご安心ください。この扉は開けません。扉越しですがどうしても貴女にお知らせしたい事があります」
貴女には知って欲しい事がある、リチャードはそう切り出した。
「貴女からのお手紙読みました。僕を避けようとする理由も分かりました。その上で僕も気付かされました、僕も不思議と笑顔でお茶くみをする貴女に惹かれていた事に」
僕が貴女に惹かれたのが運命なのかは分かりません、けど貴女がそうであるように僕の思いも報われる事はないでしょう、リチャードは扉越しにそう言った。
「僕……婚約する事になりました」
「……!」
俺はリチャードの声を聞いて固まった。
「貴族のご令嬢とは行きませんが、僕の父と同じように商人の家の次女と結婚します。それに伴ってガアールベール学園も転校することになりました」
カウンターの厨房から喫茶同好会の扉までそれほど距離がないはずなのに、今やリチャードがいる場所が遠く離れた場所のように思えた。
リチャードが行ってしまう、そしてもう二度と会えない気がする、けれどもそれを止める事は自分には出来ない。
「親が決めた結婚でまだ会った事すらありません。しかし、精一杯相手を幸せにしようと思います」
ですから、どうぞローリング様も幸せになってください。貴女程人を愛せる女性に生涯会える事はないでしょう。
リチャードはそう言って扉から去っていった。
俺はしばらく呆然としながら、扉を眺めていた。
「まだ追い求めてましたのね……亡くなった婚約者を、
タウンセンド公爵令嬢はかつて親しくしていたジェームズが本当に亡くなった事、そしてそれそっくりのリチャードと別れる事になって打ちひしがれた様子の俺を見てそう言った。
「愚かですね……コリー。政略結婚で得た婚約者を愛するなど……ましてや死んでなおも追い求めるなど」
「ええ……私は……俺は……
これで良いんだ。
これで良かったんだ。
それなのに、どうしてこの涙を止める事が出来ないのだろう。
俺はタウンセンド公爵令嬢の前でみっともなくポロポロと声も出さずに泣いた。
タウンセンド公爵令嬢はそれ以上何も言わずに俺の頭を撫でてくれた。
お茶くみ令嬢 〜元喫茶店マスターは異世界で喫茶同好会を開きました〜 ウェーブケプター @wavecaptor
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