第三章 喫茶同好会のナポリタン
喫茶同好会のナポリタン
ケチャップという単語自体はこの世界にもある。
というのも、ケチャップと言う言葉はトマトケチャップだけでなく、魚介類やキノコ、野菜などを材料とする調味料を指すそうで、バナナを使ったバナナケチャップもあるそうだ。勿論、トマトケチャップもこの世界で、特にメルゼガリア帝国ではトマトソース、レッドグレイビー、レッドソースという別名である事にはある。庶民層ではトマトケチャップを調味料としては勿論、生野菜代わりとして食べているぐらいだ。
まぁとにかく皆が想像しているケチャップはこの世界にも有るってことだ。
え? どうして、ケチャップの話を始めたかって?
何を言ってんだい。喫茶店でトマトケチャップと言えば
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ガアールベール学園では学園前期のテスト期間が始まっていた。講義の合間合間に行われる抜き打ちテストではなく、前期に受けてきた内容がキチンと頭に入っているかを確認するために行われる。勿論、赤点なんて取ろうものなら補習が待ち受けているし、最悪の場合留年が決定される。
俺はというと成績の方はそれなりのを出してはいるのだが、生徒会から『学業に集中するように』と言われて、営業日を月水金から以前のように水曜日のみに減らされた(デズモンド公爵令嬢も特に反対しなかった)。
そうして俺は水曜日という限られた時間で、トマトケチャップを使ったある料理がどうしても作りたくなって厨房に立った。
まず用意するのは、タマネギ、ピーマン、ベーコン、トマトケチャップ、そしてブヨブヨになるまで茹でたスパゲッティだ。
最初に玉ねぎを薄切りにし、ピーマンは種を取り除いて輪切りにする。ベーコンは一センチ幅に切り下ごしらえは終了。
次に玉ねぎとピーマンを火が通ってしなるまで炒めたら、ベーコンを投入して更に炒める。バターを投入して溶かしたら、ブヨブヨになったスパゲッティを投入して炒める。バターが全体に回ったら瓶に入っているトマトケチャップを
これでスパゲッティの
「この世界でそれを作るとは中々チャレンジャーですね、コルネリア様」
気付けば転生仲間のアーロン・グレイシス子爵子息が席に座っていた。
「何となくね……食べたくなったんだよ。トマトケチャップがこの世界にもあるって聞いたら作らずにはいられなかったんだ」
「まぁお気持ちは分かりますけどね」
アーロンはアハハと笑った。
「食べていかない?ナポ……ゲフンゲフン、スパゲッティケチャップ炒め」
「いやぁ悪いんですけど結構です。私それそんなに好きじゃないんですよ。口の周りがトマトケチャップで汚れちゃうし」
「そっかぁ……う~ん」
せっかく二人前作ったんだけどなぁ。と俺はぼやいた。
「だいたい、それ紅茶には合わなくないですか?トマトケチャップと紅茶って……」
「確かにねぇ……合うとしたらコーヒーぐらいかな」
「でも肝心のコーヒーって不人気なんですよね。ここの主たる飲み物って紅茶じゃないですか」
「う~ん」
アーロンの言う事は一理ある。ここに来る客は口にするのはほとんど紅茶だ。コーヒーは実質裏メニュー扱いになっているから、スパゲッティケチャップ炒めというメニューは紅茶好きの人間からすれば不評かもしれない。例えて言うならトマトケチャップを付けたフライドポテトと紅茶を飲むようなもので、不味くはないだろうけど食い合わせは悪い。
第一、ここは前も書いた通り部活動の一種なので講義が終わった放課後に営業している。晩御飯は自宅か寮で食べるという学生が多いので、わざわざここに来るのは一杯お茶を飲みに来るだけで腹を満たしに来る生徒は稀だろう。
どうしたものかと思い悩んでいると、ドスンドスンと喫茶同好会前の廊下からいつもの重たい足音が聞こえてきた。俺とアーロンはちょうど良い人物が現れたと顔を見合わせた。
「味見……してもらおうか」
「……してもらいますか」
俺達がそう言った時、バタンと扉が開けられ、足音の正体であり俺の良き学友であるローザ・マクマスター伯爵令嬢が中に入ってきた。入ってきた瞬間、クンカクンカと辺りを嗅ぎながら何とも言えない表情でドスンと座った。
「ねぇ、コリー(俺の愛称)。この酸っぱいような甘ったるいような奇妙な匂いはなぁに? 換気扇回してます?」
「全開で回してるよ、ローザ」
俺はそう言いながら、器に盛ったスパゲッティケチャップ炒めをローザの前に出した。
「これ……新作のメニューなんだ。良ければローザに味見して欲しくってさ」
「……」
スパゲッティケチャップ炒めの異世界人初遭遇のリアクションは微妙な顔付きだった。どう見ても食べるのを渋っている表情だった。
「ひょっとしたらお口に合うかもしれませんよ。お嬢様」
横からアーロンが口を挟んだ。
「そういや、紹介してなかったよね。こちらアーロン・グレイシス子爵子息。アーロン、こちら俺の友達ローザ・マクマスター伯爵令嬢」
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたしますわ……」
ローザはアーロンにペコリと頭を下げ、再び目の前に盛られたスパゲッティケチャップ炒めに目を向けた。
「もしかして……このスパゲッティ、トマトケチャップを使ってますの?」
「そうだよ」
俺がそう言うと、ローザは嫌そうな顔になった。
「……どうしてです」
「えっ」
「どうしてトマトケチャップをスパゲッティに使おうと思ったんです」
「……えっと、美味しいかなぁって思って」
「信じられませんわ!」
ローザは喫茶同好会に響き渡る声で叫んだ。
「スパゲッティにトマトケチャップってふざけてますの!? どれくらいふざけてるかって言うと、熱々のステーキに生クリームかけるくらいふざけてますわ!」
「そ、そんなに怒らないでよ……」
とは言いつつ、ローザのこの反応はある程度予想はしていた。
日本人が海外の寿司であるカルフォルニア巻きに首を傾げるように、イタリア人はスパゲッティ、もといパスタにトマトケチャップをかけるのを邪道だと思っているらしい。ティックトックだとパスタにトマトケチャップをかけたアメリカ人に、イタリア人ブラザーズがブチぎれる動画もあった(曰く、トマトケチャップは甘く作られているため、パスタには合わないんだとか)。
だから異世界の人間であるローザにもこの食べ物に難色を示すのではないかと思っていたが、予想は当たったようだ。
「でも取り敢えず一口だけでも食べてみてよ! お代は要らないからさ!」
俺はイタリア人に納豆を勧めるような気持ちでローザに言った。ローザは再び嫌そうな顔でじっとスパゲッティケチャップ炒めを見つめた。
「これ……ベーコンが入ってますのね」
「そうそう、厚切りで切ってあるから美味しいよ」
俺がそう言うと、ローザはしばらく考え込んだ後フォークを手に取った。
「じゃあ一口だけ……」
「そう来なくちゃ!」
「フフフ」
横でアーロンがニコリと笑った。俺が「こうすると更に美味しいよ」とパルメザンチーズ(要は粉チーズ)をケチャップ炒めに振りかけると、ローザはフォークを握り、クルクルとスパゲッティを纏めてパクリと口の中に運んだ。
「……」
「……」
「……」
しばらくの間、喫茶同好会に沈黙が流れた。
「どう……?」
「う~ん……」
遠くで小鳥が鳴き始めた頃、俺はたまりかねて口を開いた。
ローザは旨いとも不味いとも答えず、何とも言えない表情で首を傾げていた。
「美味しいか美味しくないかで言えば……美味し……う~ん。これコリーが考案しましたの?」
「いや……? 俺じゃないよ」
「じゃあ誰です?」
「俺以外の誰かさ」
「……」
再び沈黙。悩みに悩んだ結果、ローザは席を立った。
「ちょっと……考えさせてくださいまし。家に帰って深く考察しておきたいんですの」
「分かった」
「ごめんなさい。一口だけ食べて残しちゃって」
「良いの良いの。後はアーロンとどうにかするから」
「……しれっと巻き込まないでください」
冗談だよ、と言いながら俺は喫茶同好会を出ていくローザを見送った。
後に残ったのは一口だけ食べられたスパゲッティケチャップ炒めだけだった。
「どうするんです、それ」
「仕方ないから食べようかな……捨てるのも勿体ないし」
そう俺が言った時だった。ローザとは入れ替わりに喫茶同好会の扉が開き、一人の生徒が入ってきた。
「あっ!アリソンじゃないか」
「アリソン?」
「こ、こんばんは……」
入ってきたのはアリソン・トレヴァーという女子生徒だった。俺が言えた立場じゃないかもしれないが、ストレートに言ってしまうと少々頭が悪い生徒で、しょっちゅう赤点を取っては生徒たちが休みの間に補習を喰らっている。迷信深い性格をしていて、
「今日もここで勉強かい?」
「は、はい。そんな所です。今回一個でも赤点取ったら外出禁止を言い渡されそうなので……」
アリソンはそう言ってテーブルに座ると教材を開いた。そんなアリソンを見ていて何処か様子がおかしい事に俺とアーロンは気付いていた。
「あの、ミセス・アリソン。貴女もしかして食事取られてないのでは?それに目にクマがあるような……」
アーロンがそう言うと、ビクッと身体を震わせてこちらに顔を向けた。
「アハハハ……確かに寝る間も食べる間も惜しんで勉強してるので、少し瘦せてきたかもしれません」
「おいおい!そりゃ身体に悪いよ」
「そうですよ!何もそこまで無理に勉強しなくても良いでしょうに」
「で、でも!空腹の方が集中力も記憶力も上がるって言われてるじゃないですか!それに今回赤点出したら本当に今後一生家に缶詰めになるかもしれないし……」
「……ちなみにどれくらい食べてないの?」
「だいたい三日くらいは寝てませんし、水しか飲んでません」
「明らかに身体に悪いよ!」
それだけ必死なんです!と言ったアリソンの顔には血の気がなかった。確かに空腹の方が脳に集中力を向上させる成分を分泌するって聞いたことがある。ただ、アリソンの場合は明らかにやりすぎだ。
俺とアーロンは顔を見合わせて、一緒に皿に盛られたスパゲッティケチャップ炒めを見つめた。
「あのさぁ……もし良かったら食べていかない? お代は良いからさ」
「え!? でも悪いですよそんな!」
「気にしないで良いよ。一口だけ食べちゃったし」
「食べちゃったって何を──」
と言った所でアリソンはカウンターに置かれているスパゲッティケチャップ炒めを見つけた。
「あの、もしかしてそれ食べて欲しいんですか……?」
「そう」
俺がそう言うと、アリソンはローザの時と同じく何とも言えない顔で見たことない料理を見つめていた。どう返答するのか、固唾を飲んで待っていると、アリソンより先にアリソンのお腹が答えた。
ぐぅううううううううううう。
アリソンのお腹の音が喫茶同好会内に鳴り響いた。
「そうですよね……お腹が空いてる状態で勉強しても頭に入らないし」
フラフラと誘惑に負けるかのようにアリソンはカウンターに近づくと、フォークを手に取った。
「いただきます……」
と言ってアリソンはスパゲッティケチャップ炒めを口に入れた。モグモグと咀嚼しているのを俺とアーロンはじっと見守った。
「変な味ですね……」
アリソンの第一声はそれだったが、アリソンの食べるスピードは速くなっていった。スパゲッティが丸まったフォークでベーコンを突き刺して一緒に食べたり、ピーマンと玉ねぎを囲って食べたり、粉チーズを更にかけてバクバクと食べた。
よっぽどお腹が空いていたらしい。俺が腹八分目辺りで止めようとするよりも速く、アリソンはあっという間に山盛りのスパゲッティを平らげてしまった。アリソンの口の周りはケチャップで真っ赤になっていた。
「口!口!真っ赤だよ!」
俺は布巾をアリソンに渡して拭かせた。ケチャップの赤みが布巾に押し付けられた。
「美味しかったです……変な味でしたけど癖になるっていうか」
「ま、まぁ喜んでもらえて良かったよ」
俺がそう言った所でアリソンはうつらうつらとうたた寝を始めてしまった。
「た、食べたら何だか眠くなってきちゃった……」
「だ、大丈夫かい?」
「もう、もう限界……」
俺が腹八分目辺りで止めようとしたのはこう言う訳だった。満腹になると胃袋に血が行き過ぎて脳に血が通わなくなるそうで、眠くなってしまうのだった。
アリソンはフラフラとテーブルに戻るとバタンと席に座ってグウスカと眠りについてしまった。
「しまった……悪い事しちゃったな」
「このままじゃアリソンが赤点を取っちゃう」と俺が心配しながら言うとアーロンが「寝かしといてあげた方がいいです」と首を横に振った。
「そのままにしておいてあげてください。彼女、もう三日も寝てないんでしょう?不眠の方が逆に脳が休まらなくて集中力下がるって医学的にも言われてますから」
アーロンはそう言って、上着を脱ぐとアリソンの肩にかけてあげた。
「誰か人を呼びましょう。アリソンの使用人がいるなら呼ぶか、アリソンが普段女子寮にいるなら連れていってあげましょう」
アーロンはテキパキと行動した。俺はそれに合わせるように寝ているアリソンを起こさないようにおんぶして喫茶同好会を出た。
アーロンの指摘は当たっていた。アリソンの使用人は寝ているアリソンを見るなり涙を流しながら「お嬢様がやっと寝てくれた……!」と俺達に感謝してアリソンと彼女の教材を馬車に乗せて連れていった。見る限り彼女の勉強法は家でも心配されていたらしい。
──そして迎えたテストの日。俺はどの教科もそつなくこなしていたが、俺はテスト中もアリソンの事が気にかかっていた。俺のせいで赤点を取りはしないか。あの時、スパゲッティを勧めたのはまずかったんじゃないかと今更ながら強い後悔をしていた。
だが、アリソンの睡眠は思っていた以上に良い結果を残してくれた。アリソンは今回のテストで赤点を取った教科は一つもなかったそうだ。あの後、起きたアリソンは再度必死になって勉強したそうだが、一眠りしたおかげで頭がさっぱりして、いつもよりも更に集中力が上り、結果的に試験も上手く行ったらしい。
アーロンの言った通り、不眠は勉強に良くなかったのだろう。
「コリー!スパゲッティケチャップ炒め!大盛りで!何だか癖になる味ですわ!」
「俺も!」
「私も!」
「はいよ!」
それ以来、うちではスパゲッティケチャップ炒めを頼む客が増えてきた。何でもアリソンのテスト結果を見て学力アップのおまじないとして食べているそうだ。
──ただね。
困った事に、時たまに俺はスパゲッティケチャップ炒めをついつい
そんな時、客はこれまた「はてな?」と首を傾げて聞き返すんだ。
「ナポリタン」っていったいどういう意味ですかって。
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