『バルナフツァク戦記』

 

 例の告白騒動のほとぼりが冷めてからの事、喫茶同好会の客足が徐々に元に戻りつつある日の出来事だった。自作の小説の全集を喫茶同好会に置いてくれ、という頼みを断るか否か俺は思案に暮れていた。


「…」


「マスター、お願いします!是非とも僕の小説を喫茶同好会に置かせてください!」


 喫茶同好会に入ってくるなり、青年はそう言って俺に頭を下げた。一体どこの誰だか分からずどう返答したものか困っていた俺に同席していたケイリー・シットウェルが青年を紹介した。


「デュ…デュフフフ…マスター、こちらクリント・ウィッタカー。あ、アタシと同じく文学部であります…」


「あ、そうですか。こりゃどうも、コルネリア・ローリングです」


 俺はケイリーに紹介されたクリントに挨拶した。

 ちなみにケイリーは彼氏のエリオットとは何とか上手くいっているらしい。一時期は他の女学生と仲良くするのが我慢ならないからと、エリオットを監禁しようなんて呟いていたけれど、お互いにラブレターを一日十枚書くこと等を約束した事で妥協したらしく、どうにかして収まるところに上手く収まったようだ。


 閑話休題。


「それで…?話を戻しますけど、お宅の小説をここに置かせてくれって話ですよね」


「そうです!このクリントの自信作を是非とも喫茶同好会に置かせて欲しいのです!」


「しかしねぇ…」


 置く場所間違えてないかい、と俺は言った。ここは同好会という名の喫茶店で図書館じゃない。それこそ自作の小説を置いてほしいなら、図書館に頼み込むべきだ。そう俺が言うとクリントは少し俯いた。


「どこも断られてるんです。ガアールベール学園の図書室に置いてもらうよう頼みましたが、『出版社が出したわけでもない、学生が書いた粗末な小説を置く訳にはいかない』って門前払いされちゃいました」


「なるほどねぇ…」


 『小説家になろう』で例えれば、山のように投稿されている小説たちの中で、書籍化もされてないいち小説を雑誌に掲載させてくれって頼みに行くようなものだ。


 チラリと俺はクリントが持って来た小説本を見た。そこには全部でにも及ぶ超大作がカウンターに置かれていた。文字だけでも百万字を軽く超えていそうで想像しただけでも眩暈がしそうだった。


「題して『バルナフツァク戦記』!僕が考えた架空の戦記モノなんです!登場キャラクターだけでも百人を超えます!」


 クリントはフンスと鼻息を荒くしながら言った。

 クリントは小さい頃から大の戦記モノ好きで、この国に置いてある戦記モノは大抵読み尽くすほどの大ファンらしく、熱中するあまり自分で戦記モノを書いてみたいと思い、結果『バルナフツァク戦記』を書くに至ったというわけだ。

 『バルナフツァク戦記』バルナフツァクという架空の国にいる姫君が仲間たちと共に、オルタナビア帝国の侵略に抗うためにありとあらゆる戦術を用いる話で、お互いの正義がぶつかり合うのが醍醐味なんだそうだ。


 俺は困ったように頭に手を置いた。


「創作意欲は認めるけどねぇ…ここ喫茶同好会だよ。お茶飲みに来る場所であってこんなに沢山の本を読みに来る人いないよ…」


「でも…ま、マスターもここにゴシップ新聞置いてるでありますよね…」


「そりゃあゴシップ新聞は色々載ってるもの。特に女性向けに発行されたヤツとかは流行の服とか、おすすめのお菓子とか、喫茶同好会にやってきた人が興味持つような内容をね」


 でもわざわざ喫茶同好会に来てクッソ長い戦記モノ読む人がいるかといえば、かなり厳しい話だ。


「でも僕の『バルナフツァク戦記』は自信作なんです!読んでもらえれば誰もが引き込まれる事は間違いないんです!」


「デュ…デュフフフ…マスター。あ、アタシからも文学部の一員としてお願いするであります…」


「う~ん…」


 クリントやケイリーに押されるように俺はしばらくの間考えた後、こう口を開いた。


「…じゃあ置くだけなら…デズモンド様に置いていいか聞いてみるよ。彼女もここの経営に一枚嚙んでるし」


「…!ありがとうございます!是非ともお願いします!」


「デュ…デュフフフ…良かったでありますな、クリント…」


 そう言って二人は持って来た本をカウンターに置いていくと、お茶の代金を支払って去っていった。


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「私はただの支援者であって喫茶同好会ここの経営者は貴女よ」


 開口一番、デズモンド公爵令嬢はそう言った。俺は彼女に本の件で相談があるから喫茶同好会に来て欲しいと手紙を送っていた。


「デズモンド公爵家が支援者だから困るんじゃないですか…この間の告白騒動で支援打ち切りをちらつかせてたし」


「あら、あの方の残念な品性を見極められず迂闊な応援をしたのはどこの誰だったかしら」


「うぐっ」


 俺は言葉に詰まった。こんな調子だからデズモンド公爵令嬢に口では勝てる気がしない。


「ま、まぁだからこそデズモンド様をお呼びした次第ですよ。今回もこの本が貴女様の言う品性が残念な本だったら大変でしょう?」


「大変だから私にどうしろと?そこまで考えているかしら」


「い、いやぁその置いていいかどうかの許可が欲しくって…」


 俺がそう言うと、デズモンド公爵令嬢はハァと小さくため息をついた。そのため息には失望が見えていた。


「…私に許可なんか取ってないで貴女が最終的に自由に決めなさい。その決断で起こったことに対する責任も喫茶同好会の部長である貴女が取るべきよ。私はその経過を見て支援するかどうか判断するわ」


 貴女はどうしたいの?デズモンド公爵令嬢はいつもの氷のように冷たい目で俺を見てきた。


「何だか…変わりましたね」


「何が変わったのかしら」


「俺達の関係ですよ。前は店員と客だったじゃないですか。それがデズモンド様が入部してからはまるでその…店長と社長みたいだなって、ハハハ」


「…」


 デズモンド公爵令嬢は諦めたかのようにハァと再びため息をつき、手元にある紅茶を飲んだ。それから彼女はカウンターに置かれている『バルナフツァク戦記』を見た。


「…これが例の持ち込み小説なのね。随分と沢山ありますこと」


「いやぁ作者の熱量が凄いものでして全部で十五巻あります」


「それで?貴女は読みましたの?」


「ええ、頑張って一巻だけ」


「そう。感想は?」


 デズモンド公爵令嬢にそう聞かれると俺はうーんと考え込んだ。


「まぁ…面白いとは思います。文章は丁寧でちゃんと引き込まれるように出来てるし、登場人物も個性的でした」


 ただね…と俺は付け加えた。


「言ってしまえばテンプレ通りっていうか、ありきたりって感じでしたね…確かに引き込まれるっちゃ引き込まれるけど何か物足りないって感じの作品でした」


 ただ喫茶同好会に置いても毒にも薬にもならなさそうって感じでしたよ、と俺はデズモンド公爵令嬢に言った。


「なら良いんじゃないかしら、貴女がそう判断したのなら。試しに置いてごらんなさい」


 デズモンド公爵令嬢はそう言ってくれた。俺はパァッと笑って彼女に頭を下げた。


 翌日、喫茶同好会に簡素な本棚が置かれる事になったのだった。


 =================================


「いち…に…さん…」


 この日、俺はカウンターで『バルナフツァク戦記』を手に取って読んでくれた人をカウントしていた(小説家になろうで言うアクセス解析の役割だ)。

 結局、『バルナフツァク戦記』が客足を伸ばす事に貢献したかというと、別にそんな事はなかった。先ほども書いた通り喫茶店に置かれている長い小説を読みにくる人はかなり少なく、この日も『バルナフツァク戦記』を読んだ人は両手で数えられる程度だった。


「マスター、この本どうしたの?」


「ああ、文学部の人に頼まれてね、試しに置いてみる事にしたんだ。どう?読んでみる?」


「う~ん、いいや。ゴシップ新聞読んでる方が有意義だよ」


 こんな風にね。


 クリントのヤツに話すと、思ったよりも手応えを感じない事に寂しさを覚えつつも少なからず読んでくれる人がいる事に歓喜していた。


「いやぁ、今日はうれしいなぁ!なんせ七人の人に読んでもらえたんだから!」


 ちなみに今日喫茶同好会は繫盛していて、来てくれた人はだいたい四十人程度。そのうちの七人なのだからまぁまぁ上場なのではないだろうか。


「そうだねぇ寄ってきた人が試しにプラプラと読んでくれるって感じかなぁ」


 俺がそう言うと、クリントは目をキラキラ輝かせながらカウンターに身を乗り出して聞いてきた。


「それで!リピーターはいますか?」


「リピーター?」


 クリントはこくんと頷いた。


「僕の本を続けて読んでくれている人の事ですよ。七人とも知っている人でしたか?」


「え?いやぁそこまでは把握してないよ。お客さん全員覚えているわけじゃないし」


「ええ~そんなぁ気になるじゃないですかあ」


 気になるんだったら俺にやらせてないで自分でやってくれよ。俺が心の中でそう突っ込んでいると、クリントはハァとため息をついた。


「こんなんじゃあ…また兄に馬鹿にされますよ。『お前に小説家は無理だ』って」


「…!お兄さんいたんだ」


「ええ、同じガアールベール学園に通ってますけどね」


 曰く、クリントは将来小説家になって生活していくのが夢らしく、それを叶えるために文学部で活動しているそうだ。その夢を折るかのように現実を見るように言ってくるのがクリントのお兄さんらしい。家族の中でも一際反対しているそうだ。


「いつも言ってくるんですよ。『お前には才能がない。誰もお前の本を読み続けるヤツはいない』って。ったくこんなに多くの人が読んでくれてるのに失礼しちゃいますよ」


「アハハハ…」


 俺は愛想笑いを浮かべつつ、多くの人って言っても七人程度じゃあなあ…と思った。


「とにかくお願いします!リピーターさんがいないかどうかも観察してください!」


 そう頼まれた俺は、喫茶同好会の営業の合間合間に今度は小説のリピーターをカウントする事になるのだった(小説家になろうで言う所のユニーク数をカウントするような物かな?)。



 ────そして、クリントには現実というものが思い知らされるようになった。


 俺の観察が間違いなければ、クリントの『バルナフツァク戦記』を読み続けている読者はほとんどというかゼロに近かった。大抵が一巻を手に取ってパラパラと読んだあと直ぐに本棚に戻すか、序盤の数ページだけ読んでそれ以降手に取らなくなるのが多かった。


『読んだら必ず引き込まれます!』

 

 そう言っていたクリントの夢は儚くも散っていった。


「そうですか…今日もほとんど読み続けてくれている人はいませんでしたか…」


 俺がその日の読者数とリピーターを報告してあげると、クリントはガックリと肩を落とした。


「兄の言う通りなのかな…僕は一人で思い上がっていただけで、本当は自分には小説の、戦記モノの才能なんてないのかもしれないなぁ…」


 小さい頃からの夢を叶えるために、学業との両立も兼ねながら、恋愛からも身を置き、寝る間も惜しんで毎日コツコツと『バルナフツァク戦記』を書き続けたのに、それも全部無駄な徒労に終わったと言う事か…。とクリントは本棚に並べられた自分の著作を憎らしそうにじっと見つめた。



「ま、まぁリピーターがゼロってわけではないのでそうガックリしないでよ」


 俺はクリントを励ますように言った。


「ゼロじゃないって…他に誰か読み続けてくれている人がいるんですか?」


「そうだよ。一人だけだけどが喫茶同好会に来てくれているんだ」


 そろそろ来る頃なんじゃないかな、と俺が言った時だった。喫茶同好会の扉が開き、一人の青年が入ってきた。


「やぁどうも。今日も『バルナフツァク戦記』ですか?」


「…」


「…!」


 俺が挨拶すると入ってきた青年はクリントをチラリとだけ一瞥すると、黙って本棚から『バルナフツァク戦記』の四巻を取り出して席に座った。


 入ってきた人物を見てクリントは目を見開いていた。




…!」




 クリントのお兄さんはパタンと本を閉じると、


「腕…上げたな。クリント」


 と一言だけ言った。

 クリントは感極まってその場に泣き崩れてしまった。




 それから、クリントは『バルナフツァク戦記』を自費出版した。本の売れ行きはそこそこだそうで、読み続けてくれている読者やファンもクリントのお兄さん以外にも増えてきたらしい。『バルナフツァク戦記』はまだまだ未完結の作品らしく、クリントは嬉しそうに本の続きを書いているとケイリーから聞いた。


 ちなみに…数少ない『バルナフツァク戦記』ファンの間では、『バルナフツァク戦記』の原本は今でもガアールベール学園のある同好会に置かれていると噂されている。

 表紙には著者クリント・ウィッタカーのサインと共にこう書かれているそうだ。


『クリントの第一の読者へ感謝を込めて』


 と。


 本当かどうかって?読みに来てみれば分かるさ。


 喫茶同好会うちはいつでも歓迎するよ。

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