公爵令嬢が入部したいようです

 事の始まりは、デズモンド公爵令嬢がいつものように紅茶を飲んでいた時だった。


「ねぇ…マスター、いえローリング伯爵令嬢」


 喫茶同好会にて俺がコップや皿を拭いていると、紅茶を飲んでいたデズモンド公爵令嬢が口を開いた。


「貴女が俺の事を伯爵令嬢呼びするときは何かお願いする時ですなぁ」


「あらそうかしら」


「ほら、例のカルヴァン侯爵令嬢の時も」


「…」


「あ、ほらカルヴァン元侯爵子息の事ですよ」


「…そうだったかしら。まぁ良いわ、今回はお願いじゃなくて提案に来たのよ」


 提案ですか、と俺が首を傾げながら聞くと、デズモンド公爵令嬢はコクリと頷いた。


「ここの喫茶同好会って水曜日しかやってないでしょう。それをのよ」


「…」


「…そんな馬鹿みたいに目を丸くしなくて良いわ」


 辛辣だなぁ。


「う~ん、難しい相談ですなぁ。ぶっちゃけ言うと今の喫茶同好会の経営って結構火の車なんですよねぇ」


 人件費かかってない分安くすんでるけど、客足の現状とか材料の仕入れとか諸々の費用を考えると、週に一度の開店が無難そうなんだけどなぁ。


「それなら問題ないわ。これを見て頂戴」


 俺がうんうんと考えていると、デズモンド公爵令嬢はある書類を差し出してきた。


「これは…」



「入部届よ。私、クリスティナ・デズモンドは貴女の同好会に入ることにしたの」



「どひゃー!!!!!」


 想定していた以上の物が出てきて、俺は思わず座ってた椅子から転げ落ちそうになった。


「うっそでしょう!?デズモンド様が!?ここに!?入るんですか!?」


「ぎゃいぎゃい騒がないで頂戴。耳が痛くなるわ」


 騒ぎたくもなるよ!未来の皇太子妃であるデズモンド公爵令嬢がここでお茶くみしたり、皿洗いしたりする光景を想像すると可笑しいを通り越して不敬じゃないかと思うと、俺は腰がガクガクしてきた。

 俺のそんな様子を見ていたデズモンド公爵令嬢はため息をつきながら言った。


「…はぁ、別にここで働く訳じゃないわ。喫茶同好会の費用を援助するのに部外者じゃ都合が悪いからよ」


「あ、アハハ!そ、そうでしたか」


 え、ちょっと待って今なんて言った?


「え、援助って言いました?デズモンド様が喫茶同好会の費用を援助してくれるんですか?」


「それは貴女次第よ。その入部届は貴女に預けるけど、貴女がここの開店日を増やしてくれるなら、その分の費用はデズモンド家で出すわ」


 心配しないで、家の許可は取ってあるわ。デズモンド公爵令嬢はそう言うと紅茶を飲み干して帰っていった。


 =================================


「どうしようかなぁ…これ」


 ────そして、今に至る訳だ。


 スケフィントン侯爵令嬢がフルーツサンドの入ったバスケットを持って去って行ったあと、俺はデズモンド公爵令嬢の名前が書いてある入部届を眺めていた。


 月水金にする事自体にはデズモンド公爵令嬢が支援してくれると言う事で、特に異議や反対意見が俺の頭から出てくることはなかった。

 商標の研究の一環として始めた喫茶同好会の商売自体、経営は火の車ではあったが客足が順調に伸びてきた事もあって、そろそろ営業日数を増やしてもいいかもしれないと思い始めていた。後は踏み出す勇気と考えていた頃に出てきたこの話には正直ありがたかった。


 しかし俺が考えるに、問題はデズモンド公爵令嬢が入部する事にあると思う。


 今でさえ何かと噂話や陰口を叩かれる立場にある彼女が、学園でも一際変わっている事をしている俺の同好会に入部するとなると、一層後ろ指を刺される事になるのではないのか。特にゴシップ三人組とかは喜んで陰口とかを叩きそうだ。


 デズモンド公爵令嬢が何を思って俺の同好会に入部する事を決めたのか。


 俺はその真意を測りかねていた。


『よっぽどウィリアム様と一緒に居たくないんでしょうね~』


 その時、俺はふとゴシップ三人組が言っていたことを思い出してみた。


 ウィリアム第二皇太子殿下。ガアールベール学園の生徒会に所属しており(たしか副会長)、かつデズモンド公爵令嬢の婚約者だ。

 ところが、最近はリリィ・ブラウンという男爵令嬢にご執心のようで、ブラウン男爵令嬢に嫌がらせをしている(らしい)デズモンド公爵令嬢の事を敵視するようになった。


 例のダンスパーティーで公衆の面前でデズモンド公爵令嬢を怒鳴りつけた事もあって、ウィリアム第二皇太子殿下とデズモンド公爵令嬢、そしてリリィ・ブラウン男爵令嬢の三角関係はパーティーから日数が明けた現在でも、ゴシップ新聞には必ず彼女たちの記事が載っているくらい、もっぱらガアールベール学園の噂をかっさらっている。


 ゴシップ三人組が言ってた事が正しいなら、営業日数を増やして欲しいと言う提案も、派手好きのウィリアム様が来ないような学園の端にある喫茶同好会で時間をつぶしたいのかもしれない。


「頼りにされてるのかな…こんな一伯爵令嬢の喫茶店を」


 俺はポツリと呟いて、店内を見渡した。


 少し殺風景かもしれないが、スケフィントン侯爵令嬢の絵画を飾ったりしたこともあって、少しずつおしゃれな空間を提供出来ているのかもしれない。


 デズモンド公爵令嬢は単純にウィリアム第二皇太子殿下と一緒に居たくないだけかもしれないが、それでもこの空間を頼りに身を寄せて来てくれるのはとても嬉しい。


「…その思いに応えるべきかな」


 俺はそう言うと、喫茶同好会用のエプロンを脱いで普段着のドレスに着替えると、入部届を携えて喫茶同好会を出た。


「『本日は閉業致します』っと…これでよし」


 じゃあ行くか、と俺は歩み始めた。


 ────喫茶同好会の開店を許可したこのガアールベール学園の生徒会長、アルベルト第一皇太子殿下のいる生徒会に向けて。


 =================================


「何故ですか!兄上!」


 俺が学園の生徒会の前に到着すると、聞き覚えのある怒鳴り声が生徒会から聞こえてきた。


(ウィリアム第二皇太子殿下?いやまぁ確かに殿下も副会長だったっけ)


 俺がそう考えていると、ウィリアム第二皇太子殿下ともう一人の声が生徒会室前の廊下に鳴り響いてきた。


「どうしてあの女を退学処分になさらないのですか!私のリリィに執拗な嫌がらせをしているんですよ!」


「馬鹿者。その嫌がらせの確固たる証拠もなしに一生徒を退学になぞできんと言ってるんだ」


 廊下の端で聞き耳を立てていると聞こえてきた、もう一人の低いテノールボイスは聞き覚えがあった。というか俺が喫茶同好会を立ち上げる時に直接会っているので、聞き覚えがあるのは当然か。


(アルベルト殿下だ…)


 アルベルト第一皇太子殿下。ウィリアム第二皇太子殿下の兄上で、ガアールベール学園の生徒会に所属しており皇室の執務をこなしながら学園の生徒会長も務めている。どういうわけか婚約者がいなくて独身であり、誰が殿下と添い遂げるかというゴシップ新聞記事を俺は見たことがある。


 そのアルベルト第一皇太子殿下とウィリアム第二皇太子殿下、つまり生徒会長と副会長が言い争いをしていた。どうやら、デズモンド公爵令嬢とブラウン男爵令嬢の一件らしい。


「しかし、現にリリィがクリスティナから酷い仕打ちを受けていると、リリィが言っていたんです!このような事態を見過ごすわけにもいきません!」


「それで?碌に調べもせずに証拠もなしに一方の言い分だけ聞いて、退学にしろというのか?」


「それは…その…」


「呆れた言い分だな。我が弟ながら情けないことこの上ない」


「…!あの女がわざと証拠を残さなかっただけです!今は何も出なくてもいずれ尻尾を出すに決まってます!兄上もご存知でしょう!あの女の性悪さを────」



「黙れ」



 ウィリアム第二皇太子殿下が何かを言おうとしたタイミングで、生徒会の外の廊下にいる俺が思わずびくりとしてしまうほど吹雪のような冷たく低い声が響いた。その声には僅かに怒りが纏っていたように思えた。


「もうよい、下がれ。皇宮に戻って己の執務に取り掛かれ」


「しかし…兄上!」


「────二度は言わんぞ?」


「…!」


 兄君の怒気をまとった声の前に何も言い返せなくなったのか、ウィリアム第二皇太子殿下は悔しそうに侍従を連れて生徒会を去っていった。


(ウィリアム殿下…)


 俺はその後ろ姿を隠れながら見送っていった。その時だった。




「────んで、そこに隠れてる君は何をしているのかな~」


「ぎゃーす!」


 俺の背後から突然声がかかり、俺は思わず飛び上がってしまった。慌てて後ろを振り返ると金髪のチャラそうな青年がニマニマしながら立っていた。身なりからしてかなり上の爵位の人間だろう事が分かった。


「フフフ♪ぎゃーすだって。面白い驚き方するね、君」


「い、いつからそこにいらっしゃったんです」


「ん~?ウィリアム殿下のこのような事態を、の辺りかな~」


 じゃあちょっと前から俺の後ろにいたんかい。俺が息を整えながらキッと睨みつけていると、チャラそうな青年は「ごめんごめん」と笑いながら俺の手を取って手の甲にキスをした。


「俺はアンディ・ニューウェル、生徒会の庶務をやっているんだ~」


「は、初めましてニューウェル様」


「アンディって呼んでいいよ~♪」


「…はい?」


「冗談だよ~♪」


 ケラケラと笑うニューウェル侯爵子息に俺はハハハ…と苦笑いするしかなかった。


「…えっと俺の、じゃなくて私の名前は…」


「知ってるよ~コルネリア・ローリング。『お茶くみ令嬢』さんでしょう?」


 そう言ってニューウェルはニコリと笑った。知ってるんかいと思っていた俺にはニューウェルと言う名前は聞き覚えがあった。

 ニューウェル侯爵家。

 皇室の人間と親しい間柄であると、何度か耳にしたことがある名家だ。そのニューウェル侯爵家の子息が目の前でケラケラと笑っている。


「君も自覚持った方が良いけど、貴族社会じゃ君はそれなりに有名人なんだよ~良い意味でも悪い意味でもね君変わってるもんね~」


「…恐れ入ります」


(あんたにゃ言われたくないよ!)


「それで~?お茶くみ令嬢さんは生徒会に何の用かな~?」


 ニューウェル侯爵子息は笑顔のまま、あざとい仕草で首を傾げたので、俺は事情を説明する事にした。


「私はその…アルベルト殿下に提出したい書類がありまして…」


「ふ~ん…ちょっと見せて」


 ニューウェル侯爵子息がそう言うと、俺が胸に抱えていたデズモンド公爵令嬢の名前が書かれた入部届をひょいと何の造作もなく取り上げ、啞然とする俺の前で読むと、


「…へぇ~面白そうじゃん♪」


 とニマリと笑いながら書類を俺に返した。


「ちょっと待っててね~入っていいか許可貰ってくるから~」


「えっ!?殿下に渡すとかじゃなくて!?」


 あの怖い殿下に会いたくないし、この際パッパと渡してもらって俺はこの場からさっさと立ち去ろうと考えていたのだが、目論見が外れた俺を他所に、ニューウェル侯爵子息は生徒会の扉を開けて、


「会長~♪お茶くみ令嬢さんが来ましたよ~♪面白いもの持ってきてます~♪」


 と凄く楽しそうな声で生徒会室内に声を掛けた。


「入れ」


 軽くパニックになりかけた俺に無情にも生徒会の扉の向こうから、例の冷たくて低い声が聞こえてきた。

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