第一章 公爵令嬢と一杯の紅茶

公爵令嬢と一杯の紅茶

 俺、コルネリア・ローリング伯爵令嬢は貴族社会の政治には疎い方だし、噂話をする方ではなくむしろされる方だと思う。


 誰それが誰それと浮気したなんてはっきり言って興味ないし、貴族から見れば変わったことをしている以上、自分が陰口を言われるのは覚悟の上なのでさほど気にしてはいない。


 だが、噂の渦中にいる人物の名前ぐらいは把握しているつもりだ。


 そして今一番、学園中の噂をかっさらっている人物とは学園のダンスパーティーで婚約者の第二皇太子とひと悶着あった、クリスティナ・デズモンド公爵令嬢だろう。


 あれは数週間前の学園で開かれたダンスパーティーでの事だった。ウィリアム第二皇太子殿下の怒号がパーティー会場に鳴り響いた。


「クリスティナ!一体どういうことだ!」


「どういう事とは。何のことでしょうか」


 会場が騒然とする中、デズモンド公爵令嬢は顔色一つ変えずに返答した。俺も他のご令嬢たちと一緒にその場にいたけど遠目に見ても場の空気は凍り付いていた。


「とぼけるな!リリィがお前に酷い仕打ちを受けていると聞いている!」


「お言葉ですが、身に覚えがありませんわ」


 熱を帯びるウィリアム第二皇太子殿下に対して、デズモンド公爵令嬢は氷のような冷たい声音で淡々と言い放つ。それで余計に殿下は怒りを増していった。遠くから見るとウィリアム第二皇太子殿下の傍に肩を震わせてむせび泣く一人のご令嬢がいた。あれが殿下の言っていたリリィなのだろう。


 それからの話は長くなるので省略するが、曰く、リリィ・ブラウン男爵令嬢がデズモンド公爵令嬢から教科書を捨てられる、ドレスを踏まれる、おまけに熱い紅茶をかけられる等の数々の嫌がらせに合っているそうで、それを聞いた殿下が怒り狂ったらしい。


 二人は(というか主に殿下が)激しい口論をしたのちに「僕の目の黒い内にリリィに手を出して見ろ!ただじゃおかんからな!」と言って殿下がリリィを連れて去っていくと、


「皆様、お騒がせしました。どうぞダンスパーティーを続けてくださいまし」


 という声と共にデズモンド公爵令嬢も会場を去っていった。そこまでが件の騒動の顛末だ。


 それから学園ではウィリアム第二皇太子殿下とデズモンド公爵令嬢、そしてブラウン男爵令嬢の噂で持ち切りだった。


 曰く、ブラウン男爵令嬢とウィリアム第二皇太子殿下は密かにお付き合いをしていて、特にウィリアム第二皇太子殿下がブラウン男爵令嬢にご執心だとか、デズモンド公爵令嬢は本当に嫌がらせをしていて、殿下の前でとぼけていたとか様々な噂が飛び交っていて、俺も何度か小耳にはさむことはあった。


 だが、俺は所詮いち伯爵令嬢に過ぎない。この騒動を解決する事もなければ、関わる人物と関与する事はないと思っていた。


 ────デズモンド公爵令嬢が俺の喫茶同好会を訪問するまでは。




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「やってますかしら」




 彼女が喫茶同好会にやってきた時、俺は厨房に置いてある椅子から転げ落ちそうになった。その日は予約していた団体客が突然のドタキャンをして以降、一人ポツンと学園で配られているゴシップ記事を読んでいた時だったからだ。


 それも丁度デズモンド公爵令嬢の記事が乗っている記事だったので、余計に慌てふためいた。


「や、やってますが…お一人様ですか?」


「ええ、私一人よ」


 デズモンド公爵令嬢はそう言うとがらんどうの店内を見渡した後、静かに席に着いた。本当は予約されていた席だったが、ドタキャンされてしまったので気にしない事にした。

 俺は厨房から出てグラスに注いだ冷たい水を置いた。


「ご存知かと思いますが、ここは喫茶同好会という名の喫茶店になります。ご注文ありましたらお呼びください」


「わかりましたわ」


 感情のない声だと俺は思った。デズモンド公爵令嬢はしばらく黙ってメニューを眺めると紅茶を指差して「これ頂けるかしら」と言った。


「紅茶ですね。ミルクと砂糖はお付けしますか?」


「いいえ、結構ですわ」


 俺はそれを聞くとメニューを取り下げて、厨房に戻ると紅茶を淹れ始めた。メイドが教えてくれた手付きで紅茶を淹れている間、デズモンド公爵令嬢をチラリと見ると、彼女はただ天井を眺めていた。


「…どうぞ、紅茶でございます」


「ありがとうございますわ」


 淹れた紅茶をティーカップに注ぎ、デズモンド公爵令嬢に差し出すと彼女は一言礼を言って飲み始めた。

 それきり、店内はシンとした。俺は彼女が飲んでいる間、どうしたら良いか分からず、彼女の方をチラチラ見たり、カウンターの中をウロウロしたりしていた。


 その時だった。デズモンド公爵令嬢はハァとため息を付くと、


「…何でしょうか?さっきからウロチョロして煩わしいのですが」


 と心底うんざりしたような声音でこちらを見ずに俺に言った。ドキリとした俺は小耳に挟んだ噂を本人に聞くか迷ったが、辛うじて絞り出すように一声、


「…紅茶はお気に召していただけましたか?」


 とだけ聞いた。デズモンド公爵令嬢はフゥと一息つくと、


「まぁまぁですわ。うちの使用人が出す紅茶より少し劣るくらいですわね」


「それは何よりの評価でございます」


 俺はにこりと笑顔を返した。そして俺は何とかこのぎこちない空気を変えようと、デズモンド公爵令嬢に別の話をする事にした。


「それよりも…その、喫茶同好会の事ご認知されていたのですね」


 デズモンド公爵令嬢は顔を上げてこちらを見た。サファイアのような青く透き通った瞳がこちらを移したが、相変わらず氷のような冷たい視線だ。


「…この学園で喫茶店を開いているという変わったご令嬢がいるとはかねがねお聞きしてましたので、気分転換に寄ってみましたの。まぁ来てみて正解でしたわ」


「それはそれはありがとうございます」


「それよりも貴女…噂ではここで男性みたいな口調で話すって聞きましたけど?」


「デズモンド様にまでそんな口調で話せませんから…」


 そこまで耳に入ってたのかよ。俺がおずおずとそう言うと、デズモンド公爵令嬢は紅茶をすすって再びこちらを見た。


「…貴方、お名前は?」


「コルネリア・ローリングと申します。ローリング伯爵家の娘です」


「そう、貴方の事はなんてお呼びすれば良いかしら。『お茶くみ令嬢』と呼ぶのは失礼でしょう?」


 俺の愛称(もしくは蔑称)まで認知されていたとはね。しかし、弱ったな。爵位が二つも下のご令嬢の呼び方なんて好きにすれば良いのに。俺は散々迷ったあげく、俺はこう答えた。


「私の呼び方はお好きになさって構いません。しかし、一つだけお願いがございます」


「何かしら」


「デズモンド様が嫌でなければ、喫茶同好会では『マスター』とお呼びして頂いてもよろしいでしょうか」


「マスター?」


 デズモンド公爵令嬢が首をかしげると俺は「そう呼ばれるのが嬉しいのです」とにこりと笑って言った。


「…変わったご令嬢ですわね」


「ハハハ、よく言われますわ」


 少なくとも『お茶くみ令嬢』と呼ばれるよりは何倍も嬉しい。それからデズモンド公爵令嬢は静かに紅茶を飲み干すと席を立ち上がった。


「ではマスター、お会計をお願い致しますわ」


「かしこまりました」


 デズモンド公爵令嬢に美味しいとは言ってもらえたけど、結局紅茶のおかわりはされなかった。まぁ認知してもらえただけありがたいと思うべきかな。


「では、失礼します。気が向いたらまた来ますわ」


 俺がデズモンド公爵令嬢からお代を受け取ると、彼女はさっさと喫茶同好会のドアを開けて去っていった。「行くわよ。チャーリー」という彼女の声が廊下から聞こえてきたという事は、他にもお付きの従者がいたのだろう。


 とうの俺はというと、残された一杯のティーカップを片付けて、再びゴシップ記事を見始めた。しかし、先ほどの意外な来訪者に頭がモヤモヤして全然頭に入ってこなかった。


 彼女はなんのつもりで、ここに来たのだろうか。俺のことを何処で知ったのだろうか。また来るというのは本気なのだろうか。


 色々な疑問が渦巻いて集中できず、その日は早めに店じまいをする事にした。



 ────しかし、不思議なことが起こったんだ。デズモンド公爵令嬢の来店以来、ドタキャンする客がいなくなったのだ(代わりに予約する客もいなくなったが)。更に喫茶同好会に足を運んでくれる客も少しずつ増えてきてくれた。


 後から知った話なのだが、デズモンド公爵令嬢が喫茶同好会の評判を広めてくれたおかげで、公爵令嬢お墨付きという評価が出回り、おかげで冷やかしの予約も減ったという事らしい。何が彼女をそこまでさせたのかは分からない。公爵令嬢のほんの気まぐれなのかもしれないが、俺にとっては嬉しかったよ。その日から、俺にとってデズモンド公爵令嬢は恩人になった。


 それから、デズモンド公爵令嬢はあの時の言葉通り、時たまに喫茶同好会に顔を出すようになった。


「マスター、紅茶一杯貰えるかしら」


「かしこまりました」


 彼女が来ると店内はシンと静まり返るけど、俺にとっては恩人だから彼女が来た時は安らげるようにしてるんだ。


 それから、もう彼女の前では下らないゴシップ記事を読むのもやめたよ。少なくともここではそう言う噂話からは解放したいからね。

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