裏メニュー『コーヒー』

 

 喫茶店といえば、コーヒーだろう。なんでメニューには紅茶しかないんだよ。なんて事を思いながらこの小説を読んでくれてる人もいるのではないだろうか。


 実を言うとこの世界にもコーヒーはあるにはあるんだ。ちゃんと喫茶同好会にも豆も挽く道具もきっちり全部揃っている。


 …じゃあ何でメニューにコーヒーを書かないかって?


 ────それがねぇ、この世界じゃコーヒーは単純に一言で言えば人気がまったく無い、もっと言えば物好きしか飲まないんだよなぁ。


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「コリーったらまたそんな物飲んでますのね!」


 メイドたちの監視下の下で行われた厳しいダイエットが明け、久しぶりに喫茶同好会にやってきたローザが俺が飲んでるコーヒーを見てそう言った。


「良いじゃん、疲れが取れるし集中できるんだよ。新聞にもそう書いてあった」


「ええ~?どうせゴシップ記事でしょう?」


「うん、まぁその通りだけど」


 よく分かったねと俺が苦笑いすると、ローザは不満そうな顔をした。


「疲れが取れるならお茶でも良いじゃありませんの!それにコーヒーを飲み過ぎると眠れなくなるって聞きましたわ!そんな不健康な物飲む方が信じられませんわ!」


「アハハ…そりゃ夜にも飲んだら眠れなくなるだろうけど」


「不眠はお肌の敵ですわ!やっぱり貴族として産まれたからには紅茶を飲むに限りますわ!」


 とまぁこんな感じでこの世界の、特に上流階級の人間にはコーヒーは不評なのだ。

 ローザだけではなく、最近友達になったカルヴァン元侯爵子息(現侯爵令嬢)はコーヒーの事を『泥水みたい』と辛辣な評価をするし、スケフィントン侯爵令嬢は俺含む誰かが飲んでたら回れ右するし、デズモンド公爵令嬢に至っては見向きもしない。


 なので、数少ないコーヒー信者の俺はこうやって誰もいない時を見計らって飲むしかない訳だ。


「ローザも飲むか?」


「要りませんわ!それよりも紅茶をお願い致しますわ!喫茶店と言えば紅茶でしょうに」


 俺の提案を即座に拒否してローザは紅茶を頼むと、俺は寂しそうにしながら紅茶を淹れ始めた。


 その時だった。


「すいません、コーヒーをお願い致します」


 一人の青年が人差し指をピンと頭上に指さしながら、喫茶同好会に入店してきた。


「はいよ!」


 俺は元気になった声で返事をした。

 うちの店ではコーヒーは裏メニュー扱いになっている。要はメニューには書いてないが、頼めば淹れて出すってこった。


 豆をコーヒーミルでゴリゴリと挽いて、紙をセットしたコーヒードリッパーに挽いた粉を入れる。

 お湯を少量注いでから数十秒蒸らしたら、円を描くようにお湯を注ぐ。注いだお湯が無くなる前にまたお湯で小さく円を描く。これを繰り返す。

 そうこうしている内にコーヒーの香りが喫茶同好会の店内を優しく包み込む。

 俺は前世で喫茶店の店主だった時でも、このほろ苦い香りが大好きだった。


「コーヒー淹れる工程見るの初めてですわ…」


 ローザがポツリと呟いた。


「手際いいんですのね、コリー。まるで長年培ってきた技術みたい…」


「アハハ…」


 前世で取った杵柄と言っても信じてくれないだろうな。

 ローザの視線は半分は俺の手元に、半分はやってきた青年に注がれていた。青年は自分をチラチラと見るローザの視線に気が付くと、コーヒーが注がれたカップを一杯ローザに差し出し、


「一杯いかがです?」


 と青年はニコリと笑ってローザに聞いた。


「えっ?あっ、えっと…ごめんなさい」


 ローザは戸惑いながらも申し訳なさそうに断った。


「その…お気を悪くされたら申し訳ないのですけど、あたくしコーヒーって苦くて苦手でして…」


「砂糖とミルクを注げばブラックが苦手な方でも美味しく飲めますよ。ですよね?マスター」


「うん?ああそうだね。この角砂糖使いなよ、ローザ」


 俺が角砂糖の入ったポットを差し出すと、ローザはおずおずとコーヒーの入ったカップを受け取った。


「それじゃあ…その…いただきます」


 ローザはそう言ってコーヒーにミルクを注いだ後、角砂糖を入れ始めた。


 一つ…


 二つ…


 三つ…


 よ、四つ…?


「な、なぁローザ。コーヒーに角砂糖あといくつ入れる気?」


「あと五つは入れるつもりですわ」


「そりゃ甘すぎるよ!!」


「だって苦いんですもの!」


 これでもかと角砂糖を入れるローザと、それを止めようする俺を見て青年はクスクスと笑った。


「面白いですねぇ。貴女方」


「あっこれはすいません。貴方の前で」


「いえいえ、良いんですよ。それよりもコーヒー召し上がって見てください」


 青年に促されたローザはミルクと角砂糖がたっぷり入ったコーヒーを一口飲んだ。


「美味しい…」


 カップから口を離したローザは再びポツリと呟くと青年はニコリと笑った。


「でしょう?」


「ええ、本当ですわ!ほろ苦いけど甘くて美味しいですわ!コリー!貴方腕が良いんですのね!」


(そりゃあんだけ角砂糖入れりゃ甘くもなるだろうけどね…)


 ローザは俺に向き直って言った。

 このまま行けばリバウンドすんじゃねぇの、とは俺は言わなかったが、せっかく淹れたコーヒーに大量に角砂糖をぶち込まれた俺は、褒められても何だか複雑な気持ちになっていた。


「喜んでもらえて良かったです。では僕はこれで」


「あれ?飲んでかないの?」


「ええ、時間が来てしまいましたので。それにコーヒー好きが増えてくれて満足出来ましたから」


 そう言うと、青年は喫茶同好会の扉に手をかけると振り返って言った。


「どうぞ、次いらっしゃる時もコーヒーを頼んでみてください。マスターの淹れるコーヒーはコーヒー通にとても人気なのです」


「は、はい…」


 ローザが返事をすると、青年は再びニコリと笑って喫茶同好会を去っていった。


「良い人だったでしょう?彼」


「ええ…」


 ぽうっとした表情になったローザを見て俺は話しかけた。


「アハハ、そりゃ良かった。彼もこの学園じゃレアなコーヒー好きでね。時折こうしてコーヒー頼むんだよ」


「へぇ…婚約者とかって、いらっしゃいますの?」


「いやぁその辺は聞いてないなぁ…」


 いちいち喫茶同好会うちの店に来る客の婚約者のいるいないまでは把握出来ないからなぁ。俺がそう言うとローザは少し考え込むと、


「コーヒー飲んでみようかしら…」


 と呟いた。それを聞いた俺は二マリと笑って言った。


「彼はいつもこの時間帯に来るよ。きっと色々教えてくれるんじゃないかな」


「もう、コリーったら止めてよ!」


 冷やかしの声と分かったのか、ローザは顔をさくらんぼみたいに赤くした。



 後日、俺は学園の中庭でローザと青年が仲良く談笑している所を見かけた。

 後からローザから聞いたのだが、青年の名前はランダル・アクランドと言って、金持ちの貿易商の息子だそうだ。父親が取り扱う貿易の中にコーヒーがあったらしく、そこからコーヒーが好きになったらしい。


「ねぇ聞いて、コリー!コーヒーにはダイエット効果もあるんですって!」


 喫茶同好会にやって来たローザが笑顔でそう話す姿を見て、俺は思わず笑顔になったね。


「アハハ、ローザもすっかりコーヒー好きになったねぇ」


「ううん、未だに砂糖とミルクなしでは飲めませんの。それでも美味しいですわ!」


「しかし、ダイエット効果があるなんて初耳だねぇ。それゴシップ記事に載ってた話じゃない?」


「違いますわ!アクランド様が言ってましたのよ!食後三十分以内に飲めばコーヒーに含まれる成分が、脂肪を燃焼してくれるんですって!」


(そりゃ食べた食事の脂肪を燃焼するんじゃないの)


「だから、こうしてコーヒーを飲めば理想のプロポーションに近づけるって訳ですの!」


「なら、砂糖は控えめにね…」


 ローザが来たら角砂糖のポットが空になりそうだ。何にせよこれを機会にコーヒー好きが一人増えてくれるのではないかと、俺はしめしめと思っていた。



 あくる日の水曜日の事だった。俺がちょうど気分よくコーヒーを飲んでいると、カルヴァン元侯爵子息(めんどくさいので以後侯爵令嬢と書くことにする)が店にやってきた。


「お姉さまったら、またそんな泥水飲んでのかよ」


「デジャヴだなぁ、その言葉」


 ちなみにカルヴァン侯爵令嬢とは彼の女体化を機に友達になった関係で、喫茶同好会では俺と同じくため口の男口調で話すが、俺のことはお姉さまと呼んでいる、男らしくしたいのか女らしくしたいのか分からない不思議な仲だ。


「デジャヴって何の事だよ」


「俺の友達のローザが同じようなこと言ったんだよ。今はコーヒー好きの彼が出来てすっかりハマってるがね」


「…俺以外の友達…」


 と俺が言うとカルヴァン侯爵令嬢は何かブツブツ言いながらジト目で俺を見ていた。どうしたんだろ、と俺が考えてるとカルヴァン侯爵令嬢は口を開いた。


「…ところで、その彼ってもしかしてランダル・アクランドか?」


「!知ってんの?」


 俺がそう聞くとカルヴァン侯爵令嬢は頷いた。


「俺の学友の学友さ。この学園じゃ珍しくコーヒー好きって事で有名だったんだ」


「へぇ…世間は狭いねぇ。その彼とローザが…」


 と俺が考えていると、カルヴァン侯爵令嬢は衝撃的な事を付け足した。



「でもあいつかつらだぜ」



「ええっ!?」


 俺は思わず目を見開いた。


「あいつ中々、髪が伸びない事で有名だったんだよ。お姉さまも気がつかなかったか?」


「ああ、そう言えばここ最近髪の毛に変化がなかったような…」


「だろ?あいつ、学園に通ってる間に段々と髪の毛が薄くなっていって、気が付いた時にはフサフサに戻ってたから、皆気付いてたぜ」


「へぇ…」


「何かで読んだけど、コーヒー飲んでると禿げるんだってさ。だから俺は飲まないし、あいつもハゲになったんじゃねぇの」


 俺は少しまずいなと思った。ローザがアクランドと会ったのはかつらになった後だから、きっとガッカリするんじゃないかなぁ、と俺は心配していた。




 翌週の水曜日の事だった。ローザは意気消沈した表情で喫茶同好会に入ってきた。


「コリー…紅茶をお願いしますわ」


「ローザ…」


 ガックリと肩を落とすローザにコーヒーは要らないのかい?とはとても聞けない雰囲気だったため、俺は黙って紅茶を入れて差し出した。以後、ため息をつきっぱなしのローザに居ても立っても居られず、思い切って聞いてみることにした。


「その…アクランドとは上手くいってないのか?」


「…」


 ローザは黙って首を横に振った。


「振られてしまいましたの…」


「ええっ!?」


 驚く俺にローザは詳しく説明してくれた。



 ある時の事、アクランドがローザにこう聞いたらしい。


「相手に見栄を張って自分を偽る事は不味い事でしょうか…」


 突然の質問に目を丸くしたローザだったがすぐにこう言った。


「時と場合に寄りますわ。相手が自分の事を思ってやっていると分かったら嬉しいかと思いますが、正直に生きる方がスッキリすると思いますわ」


 実を言うと、ローザはアクランドがかつらだと言う事には気付いていたらしい、それでもアクランドを思って黙っていたそうだ。ところがそれを聞いたアクランドは────


「分かりました!自分に正直になります!」


 と言ったかと思うと、スタスタとローザとは別の令嬢の下に行き、


「こんな僕ですが、どうぞ付き合って下さい!」


 とかつらを脱いで言ってのけたそうだ。ちなみに返事は感動のOKだったらしい。


「私の事なんて最初から眼中になかったんですわ!キィーッ!」


「えええ…」


 それきり、ローザはコーヒーを飲むのを止めてしまった。結局、この一件以降ローザは再びコーヒー嫌いになってしまい、俺はコーヒー好きを増やす機会を失ってしまった。


「適量なら問題ないはずなんだけどなぁ…」


 俺はというと皆がコーヒーに見向きもしない中で、アクランドの薄くなった頭髪を想像しながら一人寂しくコーヒーをすすった。

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