第14話 セラナ(六)

 ホルンベルが宵星の集落に到着したのは深夜過ぎであった。


 彼が表の戸を叩くとアンが出迎えてくれた。マルセンは食卓のいつもの席に座って、アンと二人で茶を飲みながら彼が来るのを待っていた。テオとセラナは部屋で休んでおり、マイラは墓所の見回りに出かけて不在だ。


 アンはホルンベルの為に座席の一つを引いてやると、彼の分のお茶を用意するために台所へ入って行った。ホルンベルは訪問が遅くなった事を詫び、街道筋の巡検に出ていてマルセンからの伝言を聞くのが遅れたのだと釈明した。


「急に呼びたてたのはわしの方だ。よく来てくれた、ホルンベルよ。まずは掛けてくれ」マルセンが顔中を綻ばせた。ホルンベルが薦められた椅子に腰掛けると、ちょうどアンが新しいマグと熱い茶の入った瓶を台に載せて運んできた。


「用件とはセラナの事についてだ。前々から一度、お前も交えて話し合わねばならぬと思っていたのだが……」マルセンは単刀直入に切り出し、アンにもこれからの話を聞いておくように言った。


 アンは用意した新しいマグに注いだお茶をホルンベルに進め、マルセンと自分のマグにもつぎ足し、それからマルセンの隣の席に着いた。


 マルセンはまずセラナに関して、夕の市での一件から今日の埋葬に至るまでの出来事をかいつまんで話した。ここまでの話で、アンもホルンベルもマルセンが言わんとする事を理解できたが、二人は若干腑に落ちない点もある様子で、アンがその疑問を口にした。


「でも貴方、あの子の体に印は押されていなかったはずよ」

 アンの言う印とは奴隷の証と押される烙印の事だ。それは街道筋の商人達の間で取り決められた印で、奴隷である事を示す共通の模様とその所有者を示す模様を組み合わせた小さな焼印の事であった。


 通常そのような烙印は肩の付け根や背中など衣服で簡単に隠せる場所に押されるものであるが、アンがセラナの身体を検めた時にそのような印はどこにも見られなかった。


 これはセラナを保護した折、ホルンベルが可能性として危惧していた事である。なにしろ荒野の只中を子供が独りさまよっている事自体が不自然であり、だから彼は少女を預けにきた日、その介抱を任せたアンに奴隷や罪人の証の有無を調べるように頼んでおいた。


 マルセンは二人の疑念にこくりと頷いて見せると、アンにセラナを呼びに行かせる事にした。夕刻に少女から聞きだした話をマルセンが二人に話しても良かったが、彼女の口から直接聞かせる方が二人も納得するだろうと考えたからだ。

 またセラナにはまだ問いたださねばならない事もあり、ここから先の話は少女自身の今後に大きく関わってくる問題である事は間違いなかった。




 暫くするとアンがセラナを連れて居間へ戻ってきた。セラナは肌着の上からアンのしていた上着を羽織らされていた。


「いつかは助けていただいて有難うございます」ホルンベルの姿を見るなり、セラナがお辞儀をした。アンはセラナを自分の席に座らせると、彼女の分の茶も用意してやった。


「元気そうで何よりだ」ホルンベルも挨拶を返すと、セラナにここでの暮らしはどうかと尋ねた。


 こうして少女と言葉を交わすのは彼女を助けた時以来であった。時折用事のついでに彼女の様子を見にここを訪れた事はあったが、いつも遠目に見守るだけで特に話しかけたりはしなかった。


 セラナの方もまた、助けられた時の記憶は断片的な物でしかなく、いつかあらためて礼を述べねばと考えていたのだが、今日までその機会がないまま過ごしてきたのである。


「楽しく過ごさせて頂いてます。それもおじ様に助けて頂いたおかげです」セラナはいつになく丁寧な口ぶりで話すと、すこし気恥ずかしそうにしながらアンのいる方に視線を泳がせた。


「それを聞いて安心した。だがそのおじ様というのはどうも宜しくないな」ホルンベルはそう言いながら苦笑すると、どこかむずがゆそうに座席の座りを確かめなおした。


「ふふっ、おじ様って素敵な響きじゃなくて?」アンが珍しく冷やかしを入れた。マルセンもにやりと笑いながら目の前のやり取りを楽しげに眺めていたが、ホルンベルが勘弁してくれと言わんばかりの目つきで彼の方を見たので話を本題に戻す事にした。


「セラナ、ここへ呼んだのは他でもない。お前の今後を話し会わねばならんからだ」 マルセンはそう前置きすると、裏庭でした話をもう一度ホルンベル達にも聞かせるように言った。


 セラナも心の準備は出来ていた様子で、終始穏やかな表情で彼女自身に関する話をし終えると、マルセンの新たな問い掛けにも端的に答えていった。


 セラナの話す間、皆が黙って彼女の言葉に耳を傾け、そして改めて目の前の娘が利発な子供である事を知らされた。まだ十を少し超えたばかりの少女が奴隷の身分である事の何たるかを理解し、自分が置かれている立場を心得ている様子であった。


 セラナは己が身の上が明らかになった以上、このまま彼等の元へ留まることは出来ないと言った。その表情は裏庭でマルセンに見せたものとはまるで別物であった。


 少女は微かな笑みさえ浮かべると、いずれこの家を去る心算であった事を明かした。恐らくは塚の者達と暮らしたこの一月ばかりの間、幾度となく繰り返し考え続けてきたのであろう。


 話を終えたセラナは黙ったままマグの中身をじっと見詰めていたが、その姿に悲壮感は微塵も感じられなかった。その事が隣で見守っていたアンの心を余計に切なくした。彼女はセラナの背にそっと腕をまわすと、マルセンを見据えた。


「でも、烙印が無いのだから出て行く必要はないわよね……」アンが心配そうな表情で尋ねた。その問いにマルセンもホルンベルも沈黙したまま答えようとはせず、ただセラナの様子を伺っていた。

「それとも貴方達、この子を彼等に引き渡す心算なの?」アンは苛立たしげにマルセンを問い詰めた。それはたいして大きな声ではなかったが、その言葉の抑揚にはマルセンのはきと物言わぬ態度に対する彼女の明確な不満が込められていた。


 二人の間に座っていたセラナは身体を強張らせると、表情を曇らせた。普段は温厚なアンの突然の高揚ぶりに驚かされたからであり、その原因が少女自身にあったからだ。


 マルセンは優しい声音でアンをなだめると、マグの中身を一口すすった。彼とてセラナを奴隷商に引き渡す心算など毛頭無かった。だが全てが今まで通りと言う訳にはいくまいと考えていたのも事実である。


 その事をそのまま口に出すとアンの目尻はさらに吊り上る。ホルンベルもマルセンと同じ考えで、アンに気を使いながらもマルセンの意見に同意した事が余計にアンを意固地にさせた。


「まずは話を聞きなさい」マルセンはアンを軽く嗜めると、二人の口論に肩身を狭くしているセラナの背中をそっと撫でてやった。

「連中も逃げて居なくなった娘子一人を探すのに当てもなく人手を繰り出しはせぬであろう……だが、居場所が知れたとなれば話は別だ。目と鼻の先に居るのが分かればみすみす放ってはおくまいに」


 マルセンは一息ついてから、今日の墓所での出来事を詳しく話し始めた。彼はセラナが埋葬した子等の名を口に登らせた時、少女の過去におよその見当をつけていたのだ。


 ボロをまとって荒野をさまよっていた娘が奴隷として連れて来られた子達の名を口にしたのであるから、詳細は分からずとも彼女が奴隷であると考えるのは無理なからぬ事であった。

 その事自体はマルセンにとってはどうでも良い事であったが、問題はその場に居合わせた他の者達が少女の行動をどう受け止めたかである。


 げんにマイラも口にこそ出さないでいたが、すぐある事に気づいた様子であった。バローネの娼館から来た男達の内、二人は少女の行いに違和感を持ちこそすれ、その後は特に気に留めた素振りを見せていない。

 だが残る一人、アマディオと言う男は違った。彼だけは腑に落ちぬと言った様子で時折セラナの背中を見詰めていた。風体もこの男だけ他の者と異なり、どこか油断ならない目つきをしていた。


 これまで、アマディオが館の差配役であるフェルナンドと話す態度はいささか横柄とも取れたが、察するところアマディオと言う男は娼館のただの雇われ人ではなく、バローネのもう一つの商売である奴隷商売に関わる者に違いなかった。


「アマディオと言う男がセラナの素性に気付いていたなら、それを奴の上役に伏せておく事は望めぬであろう……バローネの烙印がなくとも証文か証人をそろえてただ返せと言われれば、我々はこの子を引き渡す他に無い」マルセンのその言葉にアンが酷く気落ちした様子になった。隣にいたセラナが彼女を気遣うような仕草で支えたので、アンがこれでは立場が逆だと言って少女の頭を撫でてやった。


 マルセンは一旦そこで話を区切ると、アンの様子が落ち着くのを待った。そしてアンの動揺が幾らか治まると、今度はホルンベルが遠慮がちに言葉を切り出した。


 ホルンベルはセラナに重要な事だと前置きをすると、買われたのか、或いはさらわれたのかと尋ねた。少し前にマルセンがしたのと同じ質問である。


 それはセラナにとって酷な質問である事は承知の上であったし、また買うもさらうも奴隷商達にとっては単なる手段の違いに過ぎない事も理解していた。だが奴隷の烙印を持たない彼女の場合はその手段の違いが大きな差異を生むのだ。


 奴隷商達が奴隷を手に入れるのは買うか、さらうかの何れかであった。勿論、こんな荒んだご時勢でもさすがに人買い、人狩りといった類の生業は多くの者から恨みを買うのは必至で、その為に商人達はならず者や傭兵達を大勢囲っていた。


 商人達は決して直接手を汚さず、彼等に商隊を組ませると、街道筋から外れた僻地の集落を巡らせる。その方が抵抗や報復の恐れも少なく、醜聞も噂程度でおさまるからだ。

 そして子飼のならず者達に人を集めさせると、それを商いと称して合法的に買い取り、自らの所有の証である印を奴隷達の身体に焼き付けるのであった。


 一昔前では、奴隷商達は手下の者達に手段は問わなかった。小さな集落が人さらい達に一夜で廃墟とされる事も珍しくなかったが、それではすぐに仕事がやりづらくなる事を経験と共に学んだ。


 やがて彼等はもう少し利口なやり口を取るようになった。彼等なりの共存共栄というやり方でだ。彼等はまず求める奴隷の数や歳、性別などを相手に提示した。それを金や交易の品々で購おうと持ちかけるのだが、それでも頭数が揃わなければ足りない分をその日の夜にでも略奪するのである。


 そんな事が繰り返される内、大荒野の僻地では定期的に商隊を送れば求める人数の大半は穏便に調達できるようになり、今では元締めである奴隷商達がお互いの縄張りを認めて奴隷貿易などと言う言葉が人々の口にのぼるようにさえなっていた。


「セラナ……」アンが心配そうに少女の名を口にした。

 セラナは、今度は取り乱しこそしなかったものの、それでも微かに声を震わすと、奴隷商人達に売られてこの土地へ連れて来られたのだとホルンベルの問いに答えた。


 自分は売られたのだ……その言葉を口にするたび、セラナは己の中の大きな何かが揺らぐのを感じた。親や村人達に抗う術が無かった事は彼女も承知していたが、それでも売られたと言う事実はセラナから帰るべき故郷を奪い去るものでしか無かった。


 赦免の証も持たずに売られた者が村に戻ってくれば、その累は村人達にも及びかねない事を皆知っている。そして故郷は人買いや人狩り達の報復を恐れるが故に、彼女の事を安易に迎え入れたりはしないだろう。


 ホルンベルはセラナの答えに静かに頷くと、今度はマルセンの方に厳しい眼差しを向けた。もし少女が拐かされたのであれば彼らがバローネとの間に入って何かしら交渉の余地は在ったかも知れないが、その期待は外れてしまった。


「里へ戻せないのであれば、暫くどこか他所で匿わねばなりませんね」そう言ってみたものの、ホルンベルに少女を匿うあてなど有ろうはずもなかった。だからこそマルセン達に少女の事を託したのだ。

「すまぬがな、セラナよ」マルセンが言った。「しばらくお前の身柄を墓所の小屋へ移そうと思う。難儀な想いをさせる事になるがお前の身の振りが決まるまでの辛抱だ」


 セラナは不安そうにマルセンを見詰め返した。マルセンの口にした墓所の小屋とは、マリエラと言う名の娼婦を弔った晩、マイラ達と夜の見張りをしていた物置小屋の事であった。


 セラナは墓所の影人や亡霊達が他者に殆ど興味を示さぬ事を知っていたし、何度か夜の見回りについていった事もあったが、そこはまだ子供である。テオと違って魔除けの呪いや鎮魂の作法など彼女は何一つ知らないのだ。夜の墓所で独り過ごすなどたとえ己が為であるとはいえ出きれば考えたくない事態であった。


 マルセンはそんなセラナの気持ちを察し、夜にはテオかマイラの何れかを小屋へやる事を約束した。マルセンの提案にセラナも納得すると、早速今夜から墓所の物置小屋へ移る事に決まった。

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