第20話 バローネの館(五)

 明け方近くになって街の西門前の広場にテオが姿を現した。建物の影からセラナが歩み寄ると、二人はすぐ街を出る事にした。大きな門の横にある通用門に向い、寝ずの番をしていた衛士にテオが話しかけた。


 衛士はまだ夜が明けきらぬ時分の子供の二人連れに怪訝そうな顔をして見せたが、テオが左手を掲げて塚の紋様を見せると黙って通してくれた。


 門を出てから暫くは二人とも無言のまま歩き続けた。橋を越え、張り詰めていた気持ちが幾分か和らいだ。二人は枯れ林を抜けた先の分かれ道を宵星の集落がある方へとは向わず別の道を選んだ。


「私、もう皆のところへは戻れないわね……」セラナが呟いた。「ごめんね、テオにも迷惑掛けて」セラナが申し訳なさそうに言う。

 テオは何も答えなかったが、横目で彼女の顔を盗み見しながら、これからどうしたものかと考えた。セラナはまだ気付いておらぬ様子であったが、ここで暮らせなくなるのは恐らく彼女一人だけではないだろう。


 テオは塚の掟を破り、街へ無断で出向いて揉め事を起こしたのである。たとえそれが少女を助ける為であったとしても、その為に影祓いの技まで用いたとあっては弁明の余地などない。


 さらに最悪なのは、テオはアマディオや守衛の男にはっきりと顔を見られてしまっているのだ。マルセンはおそらく二人を街の者に引き渡したりしないであろうが、塚を預かる者としてテオの行いを許すことはできない。塚守りの役をとかれて他所の塚へ預けられるか、あるいは悪くすればこの土地から追放されるかのどちらかだ。テオは深い溜め息をつくと急に先の事が不安になり始めた。


 そんな彼の表情をセラナは勘違いしたらしく、今にも泣き出しそうな表情で俯いてしまう。なんとも変な奴である、とテオは思った。セラナが塚に来て一月半程になるが、テオから見ればセラナは酷く感情的な女であった。


 例えば、テオの生まれた山里の者は感情をあまり表に表さなかった。それはある種の風土によって育まれるもので、山の民は平地に住む者達に比べて寡黙ではるかに忍耐強かった。

 また平地の出でも街や街道沿いに住まう者達は喜怒哀楽を独特の表現で飾り立て、どこか気取った感じがする。


 その点セラナは、笑って泣いて腹を立てては落ち込んで、と己の感情に素直であり、その切り替わりは刹那的であるとテオには感じられた。素直で直情的、裏表がなく後先を余り考えない、憎めないけれどもやはり変な奴である。


「テオ、また私のせいで親方に叱られてしまうわ……」セラナが言った。

「そんなの気にしなくて良い」テオはぶっきらぼうに言い放つと、彼女から視線をそらした。叱られるだけで事は済むまいよとは言えず、今はただあの館から無事セラナを連れ戻せた事でよしとするしかない。




 馬の蹄鉄の音にマイラは目を覚ました。彼女は昨晩遅くに墓所の物置小屋に戻ってからずっと子供達の帰りを待っていたのであるが、いつの間にか椅子の背にもたれて眠り込んでしまったようだ。


 マイラは最初、テオ達が戻ってきたのかと思ったが、馬を伴っている事にいささか疑念を抱くと、静かに窓の傍へと近づいた。


 カーテンの端を僅かにずらすと朝日がさしこんできた。その眩しさに目が慣れてくると、見覚えのある馬が一頭向かいの木陰につながれており、すぐに誰かが扉を叩く音がした。マイラは用心しながら扉を静かに開いた。


「ホルンベル?」マイラは少し驚いた顔をすると、小屋の表へ出た。

「貴方だとは思わなかったわ。どうしてここへ?」マイラは率直な疑問を投げかけた。ホルンベルは子供達の事でこれからマルセンの元へ向うのだと彼女に告げ、小屋に誰か居ないかと思って立ち寄ったのだと言う。


「そう……私、あの子供達が戻ってきたのかと……」マイラが心配そうな顔をした。するとホルンベルは目元を綻ばせて子供達は無事だと言い、事情は道すがら聞かせる事にして、マイラにも集落まで一緒に来るよう促した。




 ヨアキムと妻のサレが小屋の裏手で畑作業をしていると、遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。二人は作業の手を休め、井戸のある広場へ出てみた。


 井戸の傍ではアンが水汲みをしていたが、彼女も作業の手を止めたまま広場の入り口へ視線を投げかけていた。


 じき馬に乗った四人連れの男達が広場に乗り込んできた。男達は騎乗したまま井戸の傍にいたヨアキム達を取り囲むように馬をならべた。


「セラナと呼ばれている娘を貰いうけに参った」真中の男がヨアキムと視線を合わせるなり口上を述べた。擦り切れた濃紺の法衣に同じ色の外套をまとった初老の男であった。その隣には街の衛士隊の御仕着せ姿の男が一人と、その反対側に――こちらはいかにもゴロツキといった風体の――傭兵風の男が二人控えていた。


 ヨアキム達はお互い身体を寄せ合うと馬上の男達の顔を見上げたが、誰一人彼等と口をきこうとする者はなかった。


「私の名はジベール。バローネ商会の名代として参った。言っている意味は分かるな?」法衣姿の男が再び口を開いた。ヨアキム達が井戸の傍でなおも黙んまりを決め込んでいると、背後に控えていたゴロツキ風の一人が馬を下りて歩み寄ってきた。


 男はヨアキムの目の前に立つと外套をはだけて剣帯に吊った剣を見せつけた。

「奴隷の娘を匿っているだろう!」男は恫喝さながらヨアキムに詰め寄った。なおも返答をしないヨアキム達に男が気色ばんで剣の柄に腕を掛けて見せると、すかさずもう一人の傭兵風の男――アマディオである――が馬を進めて双方の間に割って入った。

 さらに街の衛士の出で立ちをした男が馬上から控えるように嗜めると、剣に手を掛けていた男は渋面をしながら自分の馬の傍へと戻っていった。


 それとほぼ同時に横合いの小屋の扉が空け放たれた。中から険しい顔立ちのマルセンが儀仗を片手に姿を現した。傭兵風の男達がジベールと衛士の後ろ側へ下がると今度は濃紺の法衣姿をした男が前に進み出た。


「これはこれは、宵星の塚守殿も未だ健在であられたとは……」ジベールは挨拶とも嫌味とも取れる口調で言葉を投げかけ、馬上で優雅に一礼して見せた。


「そなたにこの地への立ち入りを許した覚えは無いぞ、ジベールよ」いつになく機嫌の悪そうなマルセンの言いざまに、ヨアキムやサレばかりでなくアンまでもが一瞬身体をこわばらせた。

 ただ一人、名指しされたジベールのみが飄々とした面構えで馬に足踏みをふませると、口元に陰気な笑みを浮かべていた。




 ホルンベルは馬の鞍にマイラを乗せ、自分が手綱を取りながら宵星の集落へと続く坂道を上り始めた。ちょうど坂を越えた辺りで二人は先客の存在に気付くと、馬を道をはずれた場所の灌木に繋ぎ留め、あとは気配を殺しながら徒歩で小屋の裏手にまわる事にした。


 小屋の横手から広場の様子を覗き見すると、そこにはマルセンとアン、それにヨアキム夫妻が集まっており、馬にのった四人組の男達となにやらもめている様子であった。


「バローネの男達よ」マイラが言った。娼館や埋葬の場で見かけた顔が二人いた。他に街の衛士の出で立ちをした男と濃紺の法衣に身を固めた男がいたが、この二人にマイラは見覚えが無かった。


 一方、ホルンベルは法衣姿の男一人に興味がある様子で、眉間に皺を寄せながらその男の挙動を注視していた。建物の陰からではマルセンが馬上の男達と何を話し込んでいるのか聞き取れなかったが、セラナの件で揉めているのは明らかだ。


 二人が建物の陰に身を潜ませていると、やがて馬上の男達は馬首を連ねて広場から出て行った。


 ホルンベルとマイラは男達が去った後もしばらくその場に留まり、馬の背が丘の向こうに見えなくなるのを待った。それからマルセンの家の戸を叩くと、すぐにアンが顔を覗かせ、彼等を中へと迎え入れてくれた。居間には他にマルセンとヨアキム夫妻の姿があった。


「先程の馬上の男は?」ホルンベルが法衣姿の男について尋ねた。

「ジベールだ。奴め、街に舞い戻っておったようだ」マルセンはジベールがバローネ商会の名代をなのったと伝え、セラナとテオの引渡しを求めに来たと告げた。


「何故、テオまで?」ホルンベルの問いに、マルセンは懐の中から一枚の紙札を取り出した。それはテオの用いた忌諱の護符であった。マルセンはそれを食卓の上に乗せると、ジベールが先程残していった物だといった。


「昨晩、セラナとテオはバローネの館に潜んでおったようだ。事情は分からぬがそこから逃れる為にテオが用いたのであろう」マルセンは深く溜め息をつき、こうなってはテオとセラナが捕まることになっても手出しは出来ないと言った。


 バローネ側の言い分では、どうやらテオが昨夜から未明に掛けて彼らの館で騒動を引き起こしたようだ。おそらくはセラナの一件に絡んでのことだろう。

 そして彼等はその騒動を自由都市連盟の評議所に届出を出していた。都市連の評議所とは彼らが定めた法と世俗の慣習に基づく秩序の番人であったが、その秩序とは往々にして富める者達の権利と利便とを指す。


 その評議所がセラナの所有とテオの処断の裁量をバローネ側に全面的に認めたのだと言う。バローネの男達がネビアの衛士隊の隊士一人をわざわざ立会わせたのはマルセン達にその事を正式に伝え置くためであった。


「ですが、何故またそんな回りくどい事を?」マイラが口を開いた。人買い、人狩りを抱える連中が、たかだか子供二人をどうにかするのに正規の手順を踏まえるなど聞いたことが無かった。マイラは答えを求めるようにマルセンを見詰めた。


「奴らの体面もあろうが半分は我等への警告かもしれん。塚人は本来、世俗の事柄には関わらんのが常であるが、テオはどうやら派手にやってくれたようだからの」

 マルセンは酷く落ち込んだ様子のアンを気遣いながら彼女の背にそっと腕をまわした。アンは二人の子供達の行く末が只々気掛かりなのだ。


「実はテオ達の事でここへ伺ったのですが……」ホルンベルが急に思い出した様子で話を切り出した。

「二人は今、私の元で預かっています」彼のその一言に事情を聴かされていたマイラ以外のその場にいた全員が唖然とした顔でホルンベルを見た。


「今朝方、見回りからもどると二人が待っておりました。食事を与え、今は私の小屋で休ませていますが、ここへ連れてきますか?」ホルンベルの言葉にマルセンは少し思案する素振りを見せると改めて口を開いた。


「それには及ばぬ。今見つかれば元もこもないからの。夜がふけてから私がそちらへ出向こう。すまぬが、それまでお主の元で預かってもらえると助かるが……」ホルンベルは頷くと、これからどうする心算かとマルセンに尋ねた。マルセンはまた暫く考えたあと、こう話がこじれた後では二人を墓所の内に留め置く事は難しいだろうと言った。


「ホルンベルよ。お主も勤めが在るだろうが、どうだろう……テオとセラナを連れて西へ向うてくれぬか?」不思議そうな顔をするホルンベルにマルセンはにっと微笑みかけた。

「セムの街かアラナンド辺りならあの子等も何か食い扶持を得られようし、紛れるなら大きな街に限る」ホルンベルは頷くとマルセンの提案を快く引き受けたが、霧の帳の頭領には話を通さねばならぬとだけ断りを入れた。


 それからマルセンは振り返ると、アンとヨアキム夫妻に今日も普段通り過ごすように言い、ホルンベルと何やら話がある様子で二人して裏口から出て行った。

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