セラナ

第9話 セラナ(一)

 早朝、テオとセラナはヨアキムに連れられ、ネビアの街に来ていた。街といっても外壁の外側であったが、それでも門から続く道の両側には露天がところせましと並んでいた。


 ネビアでは月に一度、三日間に渡ってそれぞれの門に市がたち、地代を納めて申請さえ済ませれば誰でも店を出すことが出来た。市は早朝と夕刻の二部に分かれ、市井の営みを支える街道の往来に支障をきたさぬようにと、一部を除いて日中の商いは禁じられていた。


 三人は荷馬車を引いて街の外れまでやって来ると、街の東大門のひとつ南側にある小さな門前市を目指した。


 外壁に三カ所ある大門はそれぞれ主要な街道へと繋がっており、そこに立つ市にはきまって立派な天幕が並んで大層なひとだかりが出来るのだが、いかんせん日用雑貨から地方の名産までそれなりに値のはる品ばかりだ。


 一方、それ以外の中小の門前に立つ市では巡検する衛士の数が少なく多少治安が悪かったが、安価で取引される品を求める客たちでそれなりににぎわっていた。


 ヨアキムはまず通りの端に簡易の炉を設えた鍛冶匠の元を訪れると天幕の裏に荷馬車を留め、荷台から底に穴の開いた鍋やら傷んだ道具などを持ち出した。天幕から顔を覗かせた若い鍛冶職人にそれらの修繕を依頼すると、子供達を従えて食材を扱う露店の並びを最初に見て廻った。


 野菜の種に干し果実、袋詰めの塩、砂糖、香辛料などを物色し、流しの薬草売りから多少値のはる遠来の品々を買い求める。暫く歩き回ってあらかた買い物を済ませると、三人は荷を積み込むために一旦荷馬車まで戻る事にした。


「私は街に用があるから、戻るまで二人で大人しく待っていなさい」ヨアキムはテオにそう告げると、銅貨を数枚渡して近くの露天でなにか食べ物でも買うとよいと言った。

 セラナがどこへ行くのか尋ねると、ヨアキムは仕事だと答え、二人には馬車からあまり離れずに待つよう言い残した。


「埋葬の時に使う布とか呪い道具(まじないどうぐ)の材料を買い付けに行くんだ」ヨアキムの後ろ姿を不思議そうに見送るセラナにテオが教えてやった。


 テオとセラナはヨアキムのくれた銅貨で近くの籠売りから黄色い実の果実を買う事にした。二人が色とりどりの果物を載せた籠売りに近づいて行くと、籠売りは籠を見易いように地面の上におろしてくれた。


 テオが先に二人分の支払いを済ませ、それぞれ気に入った果実を一つ手に取り、また荷馬車まで戻った。


 セラナが荷台の後ろ側に飛び乗ったので、馬車につがれていた子馬が迷惑そうに鼻息を漏らす。テオが馬の首の辺りを撫でてなだめてやると、子馬は唇を震わせながら少年の手にした果実を欲しがった。


 テオは懐から小刀を取り出して果実を切り分け、片方を掌に乗せて馬の鼻面に差し出した。子馬は嬉しそうに果実の切れ端を平らげ、すぐさま次を催促するように鼻息を漏らした。


 纏わりつこうとする子馬の首を軽くいなすとテオは荷台の後ろにまわり、セラナの隣へ腰を下ろした。果実の切り口から滴り始めた果汁を慌てて口で受けとめ、そのまま大きな口でかぶりつく。


 途端に甘酸っぱさが口腔一杯に拡がり、満足そうな顔で租借する。こうした機会でもない限り新鮮な果実を口にする機会など滅多に無いのだ。


 隣を見るとセラナも鼻歌交じりに果実にかぶり付いていたが、彼女の興味ははやくも他のものへと移り始めたようで、半ば無意識に果実を口に宛がいながら露天にできた人だかりを楽しそうに見ていた。


 テオはふと懐かしさがこみあげてきた。彼自身も故郷をでたてのころは目につくもの全てが珍しく、街道の人だかりを目にしただけでひどく興奮したのを覚えている。


 なにせ山深い彼の故郷では野山を歩いても出会うのは身内か近くの集落の知り合いくらいのもので、沢山の人々がお互いを意識する事なく往来する様が不思議であり、また少々恐ろしくも感じられた。


「大きな街は初めてか?」それとなくテオが尋ねるとセラナは気もそぞろにそうだと答えた。彼女は少し間をおいてから南方の田舎の出だと付け加え、それ以上は何も語らすにまた別の方角へと視線を泳がせていた。


 しばらく二人は果実を堪能しながら荷馬車の台の上から市の賑わいを楽しんでいたが、どこからか鼓笛の小気味よい音と弦楽の軽妙な調べが聞こえてきた。


 小門の前に目をやると、露天で囲まれた小さな広場の片隅にちょっとした人だかりが出来ていた。どうやら旅回りの一座が何やら芸を披露しているようで、曲の合間に拍手喝采が沸きあがる。


「ねぇ、私ちょっと見てくる」セラナはそう言うと荷台から飛び出した。引き止める間も無しにテオはひとりその場に取り残されてしまった。


「あまり離れるなよ!」少年は大声で忠告したが、セラナは振り返りもせずに人だかりの中に駆け込んでいく。二人そろって荷馬車を離れる訳にもいかず、テオは荷台の上に寝転がって大きく溜め息を付くと、ひとりでまたぼんやりと通りを眺めていた。


 目の前の天幕からきこえる規則的な打音とふいごの音。通りの向こう側では乾物商と客が熱の入った駆け引きを繰り広げ、骨董品屋の天幕の裏手では見慣れぬ紋様の壷やら椀やらを馬車から積み下ろす荷担ぎの男達が行きかっていた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。テオが心地よくまどろみに浸っていると突然周囲が騒然としはじめた。異質なざわめきが通りの彼方から門へと向かって近づいて来る。


 テオは荷台の上に立ち上がるとそちらの方に目を凝らした。どうやら荷を運ぶ馬車の一団がこの雑踏の中を押し通ろうとしている様子であった。


「馬車が通おる、道あけぇ」乗馬した先触れの男が一人、横柄な物言いで人混みを掻き分けていった。その少し後を数騎の騎馬が周囲を威嚇しながら通り過ぎ、さらに四台の荷馬車が続く。


 最初の三台には頑丈そうな檻が設えられていて、それぞれに大人の男、女とそして子供達が分けて乗せられていた。三台目の馬車から少し離れて旅用の荷物を満載した馬車が続き、最後尾をまた騎馬が数騎通り過ぎていった。


 彼等は奴隷商の一団であった。荷台には大きな布地が檻の中程までを覆い隠すように掛けられており、金糸で「天秤ばかりに蛇」の図柄の紋様が描かれていた。


 護衛を勤める騎馬は皆、手槍や機械弓などで武装しており、いかにも傭兵といういでたちであったが、全員が荷台を覆う布に描かれたものと同じ紋様のあしらわれたマントを羽織っていた。


「なんでぇ、ありゃ」先触れの馬に道脇へ押しやられた行商風の男が不平の言葉を漏らした。もちろん騎馬の一団が十分に遠のいた後である。

 また別の場所では行列の馬車に轢かれそうになった子供が親に叱られて泣きべそをかいていた。地元の買い物客の一人は眉をひそめながら首を振り、行商風の男が地面に散らばった売り物を拾い集めるのを手伝ってやった。


 先ほどまでの賑わいは霧散し、通りには寒々しい空気が漂っていたが、誰かが仕切り直しの声をあげた。


 承知とばかりに旅芸人の座長と思しき男が興行再開の口上を述べ、一座が再び音楽を奏で始めると、一度は蹴散らされた人だかりが再び通りに戻り始めた。


 騒ぎの一部始終を鍛冶匠の天幕の前で見ていたテオは通りの人だかりを見渡しながら困惑の表情を浮かべた。


 そこに居るはずのセラナが何処にも見当たらないのだ。通りに連なる露天の店先を見て回ってもセラナの姿は無く、再び旅芸人達のいる人だかりまで戻ると、周囲の大人達に自分と似た身形の少女を知らないかと尋ねてまわった。


 すると子連れの中年女が自分達の隣で曲芸を見ていた少女の事を覚えていた。その女が言うには、先ほどの馬車の列を追うようにその少女も街の中へ消えたと言う。


 テオは心の中でセラナに悪態をついた。女の言う娘がセラナであれば、今度は夜の墓番程度ではすむまい。なにせ川堺の一件で課せられた罰が解けたばかりなのだから。


 今回の件に関して言えばテオに落ち度はないが、このまま黙って見過ごしてなにか問題でも起こせばセラナは塚から追い出されるかもしれない。そうなればテオはまた彼女の来る前の退屈な日々に逆戻りになるだろう。


 テオは子連れの女に礼を述べると、これからどうすべきか考えた。そしてすぐにセラナを見つけ出して連れ戻す事に決めた。


 テオは鍛冶匠の天幕まで戻ると、中を覗いて道具の修繕を依頼しておいた若い職人を見つけ出し、ヨアキムへの言伝を頼んだ。ついでに荷馬車を天幕のすぐ裏手まで引いてくると、それも預けおく事にしてテオは城壁の門へと向かった。

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