第10話 セラナ(二)
テオは街の小門を前にして一瞬躊躇した。街への勝手な出入りはかたく禁じられていたからだ。だがセラナが面倒ごとをおこす前に見つけて連れ戻す事ができれば、ヨアキムや親方に知られずにすむ。テオは腹をくくると外套の頭巾を目深にかぶりなおした。
小さな門をくぐると道は三方に向かって分かれていた。一番大きな道は街に複数ある大広場の一つへ繋がっていた。残りはそれぞれ色街と貧民街に分かれて伸びており、その何れを辿ってセラナが歩み去ったのかテオには見当が付かなかった。
街をただ散策しに来たのであればどの道を通ってもおかしくないが、一番華やいでいるのは大きな通りであろう。また子連れの女が言っていたように、馬車の隊列の後を追ったのであれば恐らく大きな通りか色街へ続く道の何れかであるに違いなかった。
金糸で紡がれた天秤ばかりに蛇の図柄。街道筋で奴隷売買を生業とする業者は数多くあったが、先程通った馬車の荷台には特徴のある大きな紋様が描かれていた。
それはバローネ商会の用いる紋様で、バローネは街道筋でも指折りの豪商であった。彼等は塩や砂糖、絹などの遠方の品々を商う一方で、大都市の娼館や奴隷市を取り仕切る裏街の顔役でもあった。
ネビアの街でも半年に一度、春と夏の市が立つ日に合わせて大きな奴隷市が開かれていた。そして今回がその夏の市にあたる。
先程の一団も別の街に集められていた奴隷達を商いの為にこの街へ運び込んだのであろう。奴隷の競りは市の中日か最終日にこの先にある大広場で行われるのが恒例であるが、奴隷達を会場近くで夜営させるのであれば荷馬車の列は大広場へ、そうでなければ色街にあるバローネの娼館へと向うはずであった。
テオはひとまず広場の様子を見に行く事に決め、人目を引かぬ様に通りの端を静かに歩いた。彼は見習いながらも影祓いの一人であり、勤め以外で城壁の内へ入る事は許されていないのである。
もちろん今日は仕事用の陰気くさい外套ではなく、ありふれた安手の肌着と街へ出かける時によく羽織る淡い茶の外套を着ていたのだが、あるいは葬儀の折に彼の顔を覚えた町衆がいてもおかしくは無かった。
仮に街の衛士に声でも掛けられたならば、ヨアキムと違ってテオに申し開きをする口実など無く、セラナという娘はよくよく面倒事をもたらしてくれるものだなどと苦々しく思った。
だがそんな心配も無用だったようだ。誰にも見咎められずにテオは大広場の入り口までやって来た。広場には仮設の台や装飾を施された展覧用の空の檻が既に持ち込まれていたが、奴隷達の姿は何処にも見られなかった。
セラナが奴隷商の後を追ったとするならば、次に向うべきは色街にあるバローネの娼館か倉庫だ。あるいは貧民街の方へ迷い込んだのかも知れないが、そうであれば彼ひとりでセラナを探すのは不可能だろう。
さいわいバローネの娼館であれば、おおよその場所はわかる。先日マリエラと言う娼婦の亡骸を引き取りにいった館だからだ。
テオはひとまず小門の前まで戻ると暗がりの通りへと足を踏み入れた。それから暫く道なりに進んでゆくと、路地がくの字に折れ曲がっている辺りからヨアキムが姿を現した。すぐ後ろには俯いて歩くセラナがいた。
ヨアキムはテオの姿に気付くと、怒っているのか嘆いているのか、なんとも言えぬ表情を浮かべた。セラナはテオより先にヨアキムに見つけられたようだが、どうやらヨアキムはその扱いに戸惑っている様子であった。
三人はひとまず鍛冶匠の天幕まで戻ると預けておいた品を受け取り、支払いを済ませた。停めてあった荷馬車に荷物を積み終えると、ヨアキムはセラナに馬車で待つよう言い、それからテオを少し離れた場所まで連れ出した。
ヨアキムは彼が居ない間に何があったのかテオに問いただし、それから彼女を見つけた経緯を詳しく話した。ヨアキムによると、セラナは丁度路地裏に入っていくところを彼に見つかったようだ。
用向きを終えたヨアキムが城門の辺りでセラナとすれ違ったのだが、彼女は気付かずそのまま暗い路地に入って行った。不審に思ったヨアキムはこっそり後をつけてみたが、放っておけばどこまでも奥へ入っていきそうだったので彼女の手を引いて連れ戻したというわけだ。
テオはヨアキムと別れてからの経緯を伝えたが、ヨアキムはバローネの馬車の一行は見ていなかったらしく、セラナも黙り込んだきり彼には何も話していない様子であった。
「親方には私から話しておく。それとセラナも一応反省はしている様子だし、お前からは特に何も言うな……いいか?」ヨアキムは真面目な顔つきでテオにそう告げると少年をじっと見据えた。
少し遅れてテオが頷くのを見届けると、二人は話を切り上げてセラナの待つ荷馬車へ元へ戻った。
「テオ、怒ってる?」セラナが尋ねた。彼女の方から話しかけて来るのは実に四日ぶりであった。ネビアの市から戻った後、テオとセラナは親方の許しが出るまで部屋で謹慎するように言われた。
テオは、ヨアキムが穏便に執り成してくれるか、あるいは話をなかった事にでもしてくれると密かに期待していたのであるが、実際には事の顛末の全てが親方の知るところとなり、街から戻ってすぐにテオとセラナは別々に親方の前に呼び出される事となった。
それ以来、二人は自分達に与えられた部屋に篭りきりで、セラナは寝台の上で毛布に潜り込み、一日中壁と向かい合って殆ど口をきかなかった。
時折、食事を運びがてら様子を見にくるアンやマイラの問いかけにも最小限の受け答えをするだけで、水以外は口にしようとしない。
テオの方も、早朝の畑の水遣り以外は部屋に篭りきりで、一日の大半を魔除け飾りの内職に追われて、いい加減飽きてきたところだ。
セラナのしでかした事に今更どうこういう気持ちはテオには無かったが、正直なところ、怒っているかと聞かれて否定するほど寛大な気持ちにもなれない。
「少し、怒ってる」テオは内職の手を休めずにぶっきらぼうに言うと、セラナの様子を背中越しに窺った。そして短い沈黙の後、彼女が寝台から起き上がる気配がした。
「あなた、悪くないのにごめんね」酷く掠れた声であった。勝気な娘のいつになくしおらしい物言いになんだか自分が彼女を苛めているような気分にさせられて余計気分が滅入る。
「悪くないって程でもない……きっと日頃の罰が当たったんだよ」テオがそう言うと、セラナは何のことかと不思議そうな顔をした。
「実は結構親方の目を盗んで街とか街道の向こうまで足を伸ばしていたりする……これ、内緒な」テオは勢いでそんな告解じみた事を口にすると、作業の手を止めて彼女の方へ向き直った。
セラナは少し笑みをこぼしたが、またすぐ元気なさそうに落ち込むと布団の中へ潜り込もうとしていた。
テオにしてみれば謹慎がいつ解かれるか分からないのに、唯一の話し相手であるセラナが黙りの一手では気の紛らわしようがない。どうにもやるせない場の雰囲気に何か別の話題は無いかと思案し、すぐ後ろの台の上に置かれていた木の盆に目を留めた。
随分前にマイラが持ってきてくれた今日の夕食である。盆の上には空になった椀のほかに少女の分の堅焼きパンとスープが残されていた。
「食事、取らないと……スープ冷めてるけど美味しいよ」テオは盆を手に取ると、寝台の上の少女に向けて差し出した。セラナは少しためらうと、毛布から足を投げ出して寝台の縁に腰掛けた。
「パンはあなたにあげる」セラナはそう言うと、台の上に乗せてあったスープの椀に手を伸ばした。
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