第11話 セラナ(三)
夜が明け、テオは小屋裏の畑へ出た。街での一件の罰として集落の外へ出る事は禁じられていたが、畑仕事や水汲みは相変らず彼の仕事であった。
少し遅れてセラナも姿を現す。セラナははじめ外へ出る事を渋っていたが、テオに布団を引きはがされて強引に外へ連れ出されたのだ。一日中部屋でうずくまるセラナを見かねたテオが、畑仕事の手伝いも多少の気晴らしにはなるだろうと考えたからだ。
テオはセラナに雑草引きを押し付けると自分は表の井戸へ水を汲みに行った。陽が出たばかりで外気はまだ肌寒いくらいであったが、午前も中ほどを過ぎると気温は急激に高くなる。そうなる前に畑の水遣りを終えておかなければならなかった。
畑に取り残されたセラナは朝日を背に黙々と雑草引きをしていたが、このところ食事をろくに取っていなかったせいもあって時折ふらつきを覚えた。
水汲みから戻ったテオが見かねて、セラナに傍らで休んでいるように言ったが、彼女は意地をはって隣の畝へと移る。そんな風に多少ぎこちないやり取りを交えながら二人が作業を続けていると、不意に小屋の裏戸が開いた。
「あら、今日はセラナも一緒なのね」声をかけて来たのは笊を手にしたアンであった。テオとセラナはそろって挨拶をするとまた畑仕事の続きに戻った。
アンは感心したふうに頷きながら笊を小脇に抱えて畑の中へ入ってきた。朝食の為の野菜を適当に見繕い、今度は畑の隣にある鶏の囲いの中へと入っていく。そして下草の陰に産み落とされた卵を手際よく見つけては前掛けの隠しに仕舞い込み、再び小屋の裏戸へと戻って行った。
「二人とも、今日の朝食は皆で一緒に食べるわよ」さりげなくアンが言った。それを聞いたテオとセラナはお互いの顔を覗きこんだ。
テオは自分達の謹慎が解けたのか尋ねたが、アンは少年の問いに直接答えようとはせず意味ありげに微笑んでみせた。
「食事の時にマルセンに直接聞いてちょうだいな」彼女はそう言い残すと戸口の奥へ消えた。
畑での作業を終え、テオとセラナは小屋へ戻る事にした。台所ではアンが朝食の下ごしらえをしているところであった。セラナが手伝いを申し出ると、手を洗って部屋で休んでいるように言われた。二人はそのまま表に出ると井戸の水で手と顔を濯いだ。
服に付いた土埃を払い落として小屋へ戻ろうとすると、戸口から出て来た寝起き姿のマルセンと鉢合わせた。子供達は咄嗟に表情を強張らせると、その場で立ち尽くしていしまった。
「おはよう、二人とも」マルセンはすれ違いざま二人に声を掛けると、寝癖が付いた頭髪をなでつけながら、顔を洗う為の水を井戸から汲み始めた。
テオとセラナは慌てて親方に挨拶を済ませ、その場から早々に退散した。
二人は自分達の部屋に戻るとおおきく息を付いた。セラナがまた眩暈を覚えた様子で寝台の縁に腰を下ろした。
「具合、悪いのか?」テオがセラナの体調を気遣うように覗き込んだ。すると少女の腹の辺りからクゥという奇妙な音が鳴った。腹の虫である。セラナは気まずそうな仕草でそっぽを向くと、あっという間に耳まで真っ赤に染め上げた。
「仕方ないでしょう、お腹空いてるんだから」セラナの消え入るような抗議ににやけた顔をするテオ。
しばらく二人が戯れるように喧嘩をしていると、マイラが珍しいものでも見るような顔付きで部屋に入って来た。彼女は朝食が出来た事を伝えに来たのだ。
マイラに促されてテオとセラナが居間へ向うと、マルセンとヨアキムがすでに食卓についていた。入ってきた三人がそれぞれ席に着くと、台所の奥からアンとサレが食事の乗った器を運んでくる。
ヨアキムはサレと一緒になってからは普段別の小屋で暮らしており、それ以来こうして塚の身内がそろって食事をとる事は珍しい事であった。マルセンはヨアキムととりとめのない会話を続け、アンとサレが皆の席を廻ってそれぞれの皿に食事を盛り付けていく。
その間中、テオとセラナは自分達の謹慎が解けたか否かが気になって仕方なかったが、どちらもその事を面と向かってマルセンに尋ねようとはせず、見かねたヨアキムが咳ばらいを一つすると、マルセンもふむんと一息入れて子供達の方へ向き直った。
「二人とも謹慎は今日までだ。食事の後で少し話があるから残りなさい」その言葉にテオとセラナは安堵の表情を浮かべると、どこか恥ずかしそうに二人してはにかんで見せた。
朝食を終えたヨアキムとサレは自分達の小屋へ帰っていった。アンは食後のお茶を皆に振舞い、空いた皿を台所に運ぶ。
マルセンはその場に残ったマイラに明後日また街へ亡骸を引き取りに行かねばならぬと告げ、謹慎が解けたばかりのテオとセラナにも手伝うよう命じた。出向く先は先日と同じくバローネの娼館であった。
「明日は塚の寄り合いでわしもヨアキムもおらん。埋葬は二日後に執り行うが、マイラは先に出向いて先方で控えていてもらう」その話にマイラが頷いた。
バローネからの使いの話によるとネビアの娼館では今流行り病による重症患者がかなりでているらしい。病の勢いは治まる気配も無く、死者の数も日毎に増えるだろうと言うのだ。
その話を聞いてセラナの表情が険しくなった。マルセンは少女の僅かな表所の変化に気付いたが、今は特に何も問わずに話を進め、再びマイラに視線を戻して何かあれば霧の帳の塚まで使いを遣すよう言った。
「亡骸を何処か一つの部屋に集めて、あまり人を立ち入らせぬように……死者は安らかに眠らせてやらねばならん」マルセンが言った。
マイラは少し思案してから死者達の為に祭壇を立て、また鎮魂の香を焚いておく必要はあるかと尋ねた。その問いにマルセンは満足そうに頷くと、彼女の判断に任せると言った。そしてテオには彼女の身支度を手伝うように言いつけた。
それから幾つかの指示がマルセンから出された後、マイラは席をたって自分に宛がわれた部屋へ戻っていった。
テオとセラナもマグの中のお茶を飲み干すと席を立ちあがった。するとマルセンがセラナを呼び止めたので、テオは一人でマイラの準備を手伝いにその場を離れた。
「セラナ、お前も一緒に街へ行くか?」マルセンが尋ねると、少女は無言のまま頷いた。その表情は頑なな何かを孕んでいたが、それが何かまではマルセンには読み取れなかった。
「今度は大勢の病人が出たそうだ。亡くなった者の中にはお前やテオくらいの子供も含まれておると聞く。お前は塚の者では無いのだから無理に死者の弔いに出向かなくとも良いのだぞ?」セラナは顔を俯かせると下唇をそっと噛み締めた。意地を張る時の彼女の癖であった。マルセンは彼女が何か言い出すのをじっと待った。
「ここへ置いて頂く間は、出来る事は何でもお手伝いすると約束しました」それはささやくような声であったが、はっきりと少女の意思が示されていた。マルセンは「そうか」とうなずくと、セラナにもマイラの身支度を手伝って来るように言った。
誰もいなくなった食卓でマルセンはひとり物思いに耽っていた。セラナをここで引き取ってから一月と少しばかりが過ぎた。初めて少女を見たのは雨季が訪れる少し前であった。彼の良く知るホルンベルと言う影祓いが連れてきたのだ。
ホルンベルはかつてマルセンの弟子であった男であるが、今は別の塚に属していた。墓所には職能ごとに分けられた塚と呼ばれる共同体が幾つか存在し、塚守とも呼ばれる影祓い達は皆何れかの塚に所属するのが習わしであった。
例えば、マルセンが頭領を務める宵星の塚の一門は主に街の貧者や日陰の仕事を生業とする者達の埋葬を執り行っていた。他にも身分の貴卑や職の別、罪人であるか否かによってもその亡骸を受け入れる塚は異なるのだ。
そしてホルンベルは霧の帳の影祓いである。霧の帳の塚は他の一門とは少々異なる集団で、皆高い職能を持つ者達ばかりであった。
その頭領は直接弟子を取らず、それぞれの塚から優秀な者達を募って役責を負わせるのが常であるが、それと言うのも彼等が向き合うのは主に荒野で命を落とした者達の魂であったからだ。
街とは違い、荒れ果てた荒野には人の立ち入りを拒むだけではなく霊的にも歪められた“穢れた土地”が多く存在した。
亡霊達はその土地をさまよう内に悲哀や慙愧の念以外にも感情を抱くようになり、時に影や影人よりも人に害をなす存在となる事があった。未熟な影祓いや外法士と呼ばれるもぐりの輩がうっかり“穢れた土地”に足を踏み入れてしまうと狂気に魅入られ、中には二度と戻って来られない者もいた。
それほどの責務を担う霧の帳の頭領に見出されたホルンベルとはどの様な男なのか。彼はマルセンの弟子達の中でも非常に優れた影祓いで、今は三十路を迎えたばかりの精悍な青年であった。
それに加えてホルンベルは僻地の小数部族の出であり、大荒野の急変する環境にいかに対応すればよいかを十二分に心得ていた。
そんな彼が南方の地へ巡検に赴いた折、荒野の真只中をひとりでさまよっていたのがセラナだ。場所はネビアの南にある砂丘地帯の手前辺りであった。セラナは珍しい柄の刺繍が施された、くたびれた衣服を着ており、水や食料などは一切身に帯びていなかったそうだ。
ホルンベルが少女を保護した時、彼女は夢遊病者のように歩きながら意識は殆ど朦朧としており、口も聞けぬほど衰弱していたという。
ホルンベルは一先ず少女に水を与えて休息を取らせると、馬の背に乗せて宵星の塚の集落に連れて来た。霧の帳の一門は平素から部外者には門戸を閉ざしており、それゆえホルンベルはかつての師であるマルセンを頼ってきたのである。
マルセンはやつれはてた少女の身柄を妻のアンに託すと、ホルンベルに事の次第を尋ねた。だが青年が少女と行き合せたのはまったくの偶然であり、彼は商隊か旅芸人の一座からはぐれたのでは無かろうかと言っていた。
そうして保護された少女は翌朝には何とか口をきけるようになり、三日の後にはひとりで立てるまでに回復した。彼女は自らをセラナと名乗ったが、荒地をさまよっていた経緯をあまり自分から話したがらず、マルセンも無理に問いただす事はせずにしばらく面倒をみる事に決めた。
それから彼女はすぐにここでの暮らしに馴染んだ。墓所の夜に臆する事もなく、テオの丁度良い遊び相手となっているようだ。さすがに死者を弔う仕事に人並みの忌諱の念は抱いている様子であったが、それでもマイラやヨアキムの作業をよく手伝っていた。
ただ難を挙げるとすれば少々勝気に過ぎる所であった。不用意に増水した川岸に近づこうとしたり、勝手に川境を越えてマルセンの拳骨を浴びる事も度々であったが、その拳骨の訳は幾つかあった。
第一に街やその周辺に住まう者にとってセム川は昔から死者と生者の暮らしを分かつ境界線であり、街人は身近な誰かが死を迎えてはじめて川を西に越えるのだ。
そして死者達の眠る側の土地で暮らす彼ら塚守達もまた死者の土地に属する者で、セラナも塚で暮らす間はその境界を安易に侵してはならないと何度も言い含められていた。
また今のセム川は雨季を終えて水かさが増し、河岸が脆く崩れやすくなっていた。水の引いた後の川底には無数の底なし穴が潜んでおり、そこへ気付かずにはまれば大人でもまず助からないであろう。
だが一番の問題はここへ来た一月ばかりの間に少女の行動がより大胆に成りつつある事であった。先日など馬車の列を追って街の路地裏へ入り込もうとしていたと聞かされた。
色街や貧民街には娼婦や貧者達ばかりでなく、人さらいや凶状持ちの流れ者などといった得体の知れぬ連中も多くいる場所であった。そういった輩にもし目を付けられていたならば、セラナや彼女の後を追ったテオが無事で済まされる保障はどこにも無かった。
ヨアキムがたまたまその場に通りがからねばどうなっていたかと考えるとマルセンは只々先が思いやられるばかりであった。
「お替りはどうです?」すぐ傍らでアンの遠慮がちな声がした。朝食の後片付けを終えて居間に戻ってきたのだが、いれなおしたお茶の瓶を手に、少し前からマルセンのすぐ傍に立って彼の様子を窺っていたのだろう。
「頂こうかな」マルセンは手にしたマグの冷めた中身を飲み干すと、それを笑みとともに妻の前に差し出した。
「険しい顔なさって、何か心配事ですか?」アンが尋ねた。マルセンは片方の眉をわざとらしく吊り上げると、少しおどけて見せる。
「ふむん……セラナの事を少し考えておった」マルセンはそう答えると、アンが新たに注ぎなおしてくれた熱い茶を一口すすった。
「どうしたものか。あれにも身内はおったはずだが、セラナが何も話さんのを見ると死に絶えたか、あるいは他に事情があるのか。いづれにしても誰か身内の者があの子を探しに来たとして、ここで暮らす限りは見つける事も叶うまいよ。」マルセンは少し間を置くと、アンの顔を仰ぎ見た。
「ツテを頼って街に居場所を探してやった方が良いのかも知れんと考えておったところだが、お前はどうおもう?」
「そうですねぇ……でもそうなるとテオが寂しがるでしょうね」アンはマルセンの隣の席に腰を下ろすと、自分のマグにもお茶を注いで一息入れる事にした。
彼女は暫く思案する様子でマグの中身を見詰めていたが、セラナが自分から何か話す気になるまで、もう暫く今のまま様子をみてもよいのではなかろうかと答えた。
子供達の謹慎が解けてから二日が過ぎた。ひとりバローネの館へ赴いていたマイラが夜になって宵星の集落に戻ってきた。マルセンとヨアキムも塚の寄り合いから戻っており、皆が丁度夕食を済ませた後であった。
マルセンは子供達を先に休ませると、アンにマイラの分の食事を出してやるよう言い、アンが冷めたスープを温めなおしている間にマイラは街での出来事をマルセンに聞かせることにした。
「病人は街の至る所で出ていると聞きましたが、呼ばれた娼館では重篤の患者が特に多いようです……」そう告げたマイラの表情は酷く陰鬱としたものであった。彼女はマルセンの指示通りに病死した者達の亡骸を地下の一室に集めて弔いの香を立てたと言った。
マルセンは彼女の労を労うと、弔うべき者の数を尋ねた。マイラは全部で五名だと告げ、日を追う毎にその数は増えるだろうと付け加えた。
「私が訪れた時には死者は三名でしたが、一両日の間に更に二名の者が亡くなりました」マルセンにはマイラの言葉の奥に秘められた苛立ちが何なのか良く理解できた。末期を迎える者達を前に彼等はただ見守ってやる事しか出来ないのだ。影祓いは医師や薬師とは違い、彼等に死後の道標を与えてやる事が本分なのである。
「それで、他の者の手当ては為されているのか?」その言葉にマイラの表情が一層陰りを増す。彼女は暗い表情のまま口を開くと、まだ息のある病人達は別の一室に集められ、気休め程度の薬湯が宛がわれているのみであると明かした。
マルセンはマイラの答えに少々首をかしげた。娼館に囲われた娼婦達が必ずしも人として全うな扱いを受けられるとは限らぬ事など誰もが承知していた。だがそれでも彼女達は店の大事な商売道具である事には違いが無いはずで、商人達は人の道など素知らぬ顔であっても、おのれの商売道具がみすみす使い物にならなくなる事を放っておく事は無い。
病に掛かれば費用を立て替えてでも医者を呼ぶだろうし、それが流行りものともなればなおさらの事であった。
ところが、病の最初の犠牲者――恐らくはマリエラと呼ばれた娼婦がそうである――が出てから十日近くの間にさらに五人が亡くなり、マイラの話によれば隔離された者達はそろってろくな手当てもされずに放置されているのだと言う。
これは決して商人達の銭勘定にあうものではなく、だとすれば余程の悪疾であるのかも知れぬ……マルセンは何処か腑に落ちぬといった顔つきで考え込んでいた。
「親方……」マイラが声をかけた。「病を得ている者の多くは娼婦ではありません。奴隷市の為にここ半月程の間に集められた者達だそうです」彼女はそう答えると、マイセンの意見を待った。
マルセンはふむと頷いたきり暫く黙りこんだ。今の話で彼には事態の概ねが見えてきた。あの娼館の所有者であるバローネ商会は街道筋でも指折りの奴隷商でもあるのだ。恐らくは奴隷達がネビアの裏町に病を持ち込んだのだろう。
そして市が立つ日に合わせて各地から送られて来る奴隷達は一時的に娼館の大部屋あたりに留め置かれ、短期間の内に感染が拡がったに違いない。
「あの者達はこのまま捨ておかれるのでしょうか?」マイラはやり切れぬ想いで表情を曇らせている。
マルセンは静かに頭を振った。病状の軽い者や病を得ておらぬ者は奴隷としてすでに売られたか他所へ移るかしているだろう。売り物に成らぬと判断された者だけが今あの館に残されているのだ。
そうであれば彼等に待っているのは見知らぬ館の一室で果てて墓所へ送られるか、あるいは人知れず荒野の彼方に置き去りにされるかである。何れにしても善い人生の幕引きとはいい難い結末が彼等を待っているのは間違いなかった。
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