第12話 セラナ(四)

 マイラがバローネの館から報告に戻ってきた次の日の朝、マルセン達は街へと向った。ヨアキムだけが所用で同道していなかった。一向は揃いの外套で身を固めると、いつものように列を成して街の西門を通り抜け、裏通りを通ってバローネの娼館へとたどり着いた。


 館の裏手の扉を叩くと中から差配役のフェルナンドが姿をみせた。満面に浮かべた陰気な笑み。フェルナンドはマルセン達を内に招き入れると、痩せぎすのアマディオを呼びつけて一向を亡骸の安置された部屋まで案内するよう指示した。


 アマディオは前と同様、薄暗い廊下の突き当りにある階段を下へ降りて行くと、一向を以前とは別の一室に案内した。


 部屋の扉には外側に錠前が付けられており、扉の中ほどに小さな鉄製の小窓がはめ込まれていて、外側から部屋の中を覗ける仕組みになっていた。廊下には他に似た造りの扉が幾つか見られ、恐らくはこれらの部屋の幾つかは奴隷市の為に集められた者達の仮の宿に使われていたのであろう。


 そして今この扉には鍵が掛けられておらず、アマディオは無造作に扉の引き手を引くと、後ろに続く者達に中へ入るよう促した。


 中はそれなりの広さのある、がらんとした部屋であった。左手の壁際には小さな木製の台があり、その台の上に小さな灰色の布が敷かれていた。台の上には水の入った器、三脚の香炉、一対の蝋燭立てと魔除けの飾り細工などが並べられていた。


 これらは先だってマイラが設けておいた祭壇であった。その小さな祭壇の前に布が敷かれ、今日埋葬する者達の亡骸が横一列に並べて横たえられていた。


 弔うべき亡骸がマイラの報告よりも一体増えていた。並べられているのは女が二に男が一、それに子供の亡骸が三体であった。


 女達は若い娼婦とやや年増の同僚で、肌着姿のままそれぞれ布の上に寝かされていた。男はぼろ布のようなズボンを履かされた上半身裸の青年で、左肩の辺りに奴隷の刻印が刻まれていた。


 そしてその隣に一枚の布の上に並んで横たえられていた子供達。皆揃いの粗末な貫頭衣を着せられ、肩の刻印は衣服で隠れて見えなかったが恐らく人買いに連れてこられた子供であろう。


「今朝方、子供が一人また……」アマディオがマイラの傍へやって来ると小声で耳打ちした。

 彼女は何も答えずに暫く亡骸の列を空しそうに見詰めていたが、新たにその列に加わえられた子供の元へ歩み寄ると、傍らにひざまずいた。無造作に寝かしつけられたその子供だけが瞼を開いたまま空ろな瞳を宙へ漂わせていたからだ。


 マイラは子供の手をとると他の者と同様に体の正面で組ませてやった。右手をその小さな顔にかざして瞼を閉じさせ、ほつれた前髪を指先で軽く整えてやる。


 少し間をおいて彼女は立ち上がると、マルセンの方へ視線を投げかけた。マルセンはテオ達に死者を埋葬するための準備にかかるよう指示すると、アマディオを呼んだ。彼は亡骸を運ぶ為の追加の馬車と穴掘り道具、それから六人を埋葬する為の人手をそろえておくよう言いつけた。


 六体の亡骸を埋葬布に包み終えると、マルセンはマイラと手分けして剥き出しになっている亡骸の額ひとつひとつに紅で紋様を描き始めた。


 その作業の最中にアマディオが館の使用人を伴って戻って来た。最後に部屋に入って来たフェルナンドがわざとらしく咳払いをしてみせたので、マルセンは後の作業をマイラに任せると、手に付いた紅を布切れで拭いながらフェルナンドの元へ歩み寄った。


「塚守の旦那……今日はそのぉ、出ないんでしょうねぇ?」フェルナンドは薄気味悪そうに亡骸の列をみた。先日の女の様に亡霊は出ないのかと尋ねたのだ。彼はこれまでに影や影人を見たことはあったが、人の姿を鮮明に留めた霊を見たのは始めてであった。


「その為にマイラを先に遣したのだ。それに死人が立っても不用意に騒がねば暫くは大事無い」マルセンは突き放す様に言った。


「そうでやしょうが、自分はかなり小心な方でして、はぃ……」マルセンは何か含みのある言い回しの相手に対して刺す様な眼差しで答え、相手の話の続きを促した。


 フェルナンドは「実は」と前置きすると、ここ数日の内にも死人の数はまだ増えるだろうと告げた。マルセンがその数を尋ねるとフェルナンドはとぼけた顔付きで言葉を濁したが、すぐに十名はくだらないだろうと白状した。


 マルセンはフェルナンドにその者達が隔離されている部屋へ案内する様に言った。二人は廊下を出てから階段のある方とは反対側へ進んだ。


 廊下の突き当たりにある部屋の前まで来ると、扉に設えられた小窓の覆いを開けて中を覗きこんだ。室内には灯りが一つ灯されていたが薄暗くて中の様子はよく見えなかった。


 マルセンは扉の鍵を開けさせると部屋の中へ足を踏み入れたが、フェルナンドはその後に続こうとはしなかった。


 部屋の中には以前にマイラから聞かされていた病人達がいた。声をあげて騒ぐ者は一人もおらず、だが薄明かりの中でも息のある事はおおよそ見て取れた。


 彼等の殆どは似たような粗末な衣服を着せられており、宛がわれた毛布に包まりながら力なく床の上に横たわっていた。マルセンが部屋に踏み入れてもほとんどの者は見向きもしなかったが、一人の青年がわずかに上体を起き上がらせると入ってきたマルセンの顔をじっと見詰めた。


 マルセンが話しかけるとその青年は水を所望した。マルセンは入り口の傍の水瓶から椀に汲んできてやった。それから少しの間青年と言葉を交わすと、フェルナンドに促されて部屋を後にした。

 彼が部屋をでるとフェルナンドはすぐに扉を閉めて鍵をかけ、扉の小窓の覆いを閉じてしまった。


「旦那のおっしゃりたい事は大概察しが付きます。ですがねぇ、私はただの雇われ人でして、えぇ…………」フェルナンドはマルセンが何か言うより先に口を開いた。


「ならば雇い主に伝えて置け。たとえ奴隷であっても無為に死なせれば街の法に触れるとな」マルセンは目の前の男に冷ややかな一瞥をくれると亡骸の安置された部屋へ戻ることにした。


 祭壇の前では死者に送り化粧を施す作業が続けられていた。テオが紅の入った器を手にし、マイラが死者達の顔に一人ずつ紋様を描いていく。そして化粧を終えた死者の頭部の布をセラナが丁寧に閉じていく。娼婦の若い女、年増、奴隷の男と作業を済ませ、いま三人いる子供の最初の額にマイラが紋様を描き終えた。


「セラナ、怖がらなくて大丈夫よ」マイラが言った。その一言にセラナは無言の笑みを返した。だが少女の顔色は蒼白で、その指先は微かに震えていた。

「まるで眠っているみたいね……」セラナは一言だけ呟くと、死者の顔をそっと布で包み隠した。


 残る二人の子供達にも同じ作業を施し終えると、マイラはその場から離れた。


 布切れで紅のついた指先を拭いながら部屋中を見渡してみたが、マルセンは途中で部屋を出て行ったきりまだ戻ってこない。部屋の入口付近では館の雇われ人が数人たむろしており、皆無言のままこちらを見ている。


 三人の宵星の塚の者達と、薄鈍色の布に包まれて横たえられた大小六つの遺体。子供達の亡骸の傍にはセラナとテオが並んで立っており、セラナは少し呆けた感じで亡くなった子供達の事を見詰め、彼女の姿をテオが心配そうに見守っていた。


 今、目の前に横たわっている子供達はテオやセラナと同世代の子供であった。テオは影祓いの見習いであったから慣れていたが、セラナはそうではない。歳のそう変わらぬ子達の死に少女の心は打ち震え、少なからず動揺を覚えたに違いない。


 マイラには宵星の塚で暮らすセラナの姿に、逞しく生きる者特有の気概のようなものを感じていた。どういう経緯でそうなったのかマイラには知る由も無かったが、荒野を一人でさまようはめになり、見知らぬ土地で生きていかねば成らない……その事を周囲の者達に不幸と思わせぬだけの明るさが昨日までのセラナにはあった。


 だが今目の前にいるセラナの姿は頼りなく、普通の子供と何ら変わりないものであった。


 マイラは手を拭い終えた布を懐にしまい、入り口のところにいたアマディオの傍へ近づいた。処置を終えた亡骸を館の裏に止めてある馬車まで運ばせるためである。マイラの指示でアマディオが動くと他に控えていた男達も彼の後に続いた。


 マイラはテオとセラナに仮設の祭壇を撤収して外の馬車で待つように言い、彼女自身はマルセンを探す事にした。


 マイラが部屋を出ると、丁度廊下の突き当たりにある部屋からマルセンが出て来るところであった。マルセンは何やら剣呑な様子でこの館の差配役と言葉を交わしていたが、その話し声はマイラのいる場所まで届いてこなかった。


 話を終えて戻ってくるマルセンの背後では、差配役のフェルナンドが彼の背中を恨めしそうな目つきで睨み付けていた。マイラは傍を通り過ぎようとするマルセンに、これから遺体を運び出すことを告げ、そのまま彼の後に続いて階段のある方へと向った。

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