第6話 宵星の塚の影祓い(三)

 影祓いの一向は街の西門から出ると、橋を渡って道なりに荒野を目指した。


 往路と同じく儀仗を持つマルセンが先頭を行き、後からテオとセラナが続いた。そしてその後方からヨアキムとマイラに付き添われた荷馬車が、娼館でその生涯を終えた哀れな女の亡骸を乗せて運ぶ。


 唯一、往路と異なるのはヨアキム達から少し離れた辺りに痩せぎすのアマディオの姿があった事であろう。アマディオは館を出てから終始うつむき加減でのろのろと一向の後ろをついて来た。

 フェルナンドの指示で娼婦の亡骸を弔ってやるためである。この辺りでは死んだ者を墓所へ埋葬するとき、縁者が手向けの言葉を述べてやるのが慣わしであった。


 アマディオは陰気臭い役回りを押し付けられた事にぶつくさと独り文句をたれ、フェルナンドの顔を思い出しては苦虫を噛み潰した様な表情をした。


 これまでも何度か娼婦達の埋葬に立ち会わされた事はあったが、それは決まって後味の悪いものであった。死者を見送る者は縁のある者であれば血縁で無くともよいのだが、実のところアマディオは死んだ女達の事を大して知っていた訳では無かった。

 もちろん彼女達の名前と顔は知っていたし、何度か娼館の廊下で言葉を交わした者もいたが、ただそれだけの間柄でしかない。


 アマディオが今日弔われる女の事を娼館で始めて見かけたのは何年も前のちょうど今頃であったと記憶している。おおよそ二十を迎えたくらいの娘に見えた。


 女はこの土地の生まれではないらしく、当時は訛りが酷くて言葉が聞き取り難かったのを覚えている。恐らくは南方の湿地地帯か山間部の出であろう。


 薄暗く入り組んだ館の廊下で迷っいながらおろおろしていた女を、アマディオが彼女に宛がわれた部屋まで案内してやった。女は見知らぬ男から親切にされて大層うれしそうにしていた。


 化粧慣れのせぬ垢抜けない女であったが、どこかしら日向の匂いがした。それがどうしてこんな場所で暮らす羽目になったかは粗方の察しが彼には付いた。この館には女の同類が大勢いるのである。


 ネビアは街道筋で背徳の都と称される程有名な夜の街で、そのネビアにある歓楽街でもフェルナンドの館は屈指の客足を誇る娼館であった。その夜街最大の娼館を支えるのは美味い酒でも料理でもなく、文句なしの上玉が揃えられていると言う事実であった。


 この娼館では金さえ払えば男も女もその額を裏切らぬ享楽が約束されるのだ。金持ちは金持ちなりの、貧乏人は貧乏人なりの仮初の伴侶が供されるのである。


 そしてその品揃えを支えるのはこの都市のもう一つの金看板である奴隷市場であった。奴隷達は主に売られるか或いはかどわかされるかしてこの街へ送られてくるのだが、アマディオの本業はその両方であった。


 平たく言ってしまえば彼は人買いであり、人狩りなのだ。当然そんな因果な商売に身を委ねていれば、何度も危ない橋を渡る羽目になったのは言うまでもない。


 そこでアマディオや彼の同僚の多くは有力な奴隷商でもあったフェルナンドに取り入り、この街での庇護を求めた。彼等はこの街に留まる限り私刑や夜討ちに怯える事無く安心して眠る事が出来たが、その代償としてフェルナンドの指図を受ける立場になった。


 そして悪い事にここ暫く、アマディオは仕事の上でへまを重ね、それに対するフェルナンドの増長振りは彼にしてみれば目に余るほどであった。


「冗談じゃねぇ」アマディオは愚痴をこぼしながら、荷馬車に送れぬよう足並みを少し早めた。これから埋葬される女もほぼ間違いなくこの街へ奴隷として送られてきた口であろう。


 売られて来たのかさらわれたか、彼と同類の誰かがこの女を不幸の入り口へと案内した事になる。そんな女の死出の旅路にどの面さげて言葉を掛けてやれば良いというのか。

 アマディオは荷馬車の後を追いながら、布に包まれた女の遺体をなるだけ目に留めぬようにして歩き続けた。




 枯れ林を抜けると道は二つに分かれていた。一行は南に向かう道を選んで南東の方角に見える丘陵地帯を目指した。あと四半刻もすれば陽はくれるという頃合になって、荷馬車はようやく歩みを止めた。


 そこは広大な墓所の中で宵星の塚(よいほしのつか)と呼ばれる者達が治める一画である。幾つもの簡素な墓標が立ち並ぶ中、先に来ていた影祓いの仲間がすでに死人を埋葬する為の穴を掘り終えていた。

 彼等は荷台の亡骸を掘ったばかりの穴へ収めると、後の事はマルセン達に任せて早々に引き上げてしまった。


 残った影祓い達は穴の周りに集うと外套の頭巾を脱ぎ、鳩尾の辺りに左の手を添えた。アマディオも薄汚れたキャスケット帽を脱ぎ去って彼らの列に加わると、神妙そうに頭をたれた。


 マルセンが短い祈り文句を三度唱えてアマディオに別れの言葉はあるかと尋ねた。痩せた男は促されるままに言葉を口にした。


「マリエラ……だったよな。すまねえが俺ぁ、お前さんの事はたいして知らねえ。だけどな、あんなろくでもねぇ場所でも朝夕の飯と雨風凌げる部屋があった事を善しとしてくれな。今度生まれる時ゃ、少しは真っ当な世の中だと良いんだがよ……」アマディオはそれだけを述べると手にした帽子を被り直して人の輪から一歩身を引いた。


 それを合図にテオが香炉の中の灰を一掴み手に取り、死者の上に振りまいた。ヨアキムが穴掘り用の道具を手にして掘り起こした土をまた埋め戻していく。


 皆が見守る中で薄鈍色の布地に包まれたマリエラの姿は次第に見えなくなり、やがて墓所の一角に新たな墓標が立てられた。


 アマディオは葬儀が終わるのを見届けると懐から小さな袋を取り出した。銅貨の入ったその袋を埋葬の礼金としてマルセンに手渡した。影祓い達は墓標に紐で吊った魔除け飾りをかけると、持参した道具を荷馬車に積み込み始めた。


「じき日が暮れる。伴いの者は要るか?」マルセンは西の空を眺めながら言った。彼はアマディオに街まで送り届ける必要はあるかと聞いたのだ。


 日が暮れてしまえば荒野はその様相を一変させる。吹き抜ける灼熱の風は身を蝕む冷気の流れに変わり、荒野は影の領域となるのである。そして今彼等がいる場所は墓所の真只中であった。


 アマディオは遠くの山の背に沈む太陽を見詰め、大きく一つ身震いをした。マルセンは荷馬車の傍にいたテオを呼び寄せると、男を街まで送り届けてやるよう命じた。




 アマディオとテオはマルセン達と別れると、街へと続く道を黙々と歩き続けた。陽は既に沈み、あたりはすっかり闇に包まれていた。影絵芝居に出てくるような闇一色の林の向こうに、月灯りに照らされた街の城壁がぼんやりと浮かび上がる。


 二人はテオの手にしたランプの灯りを頼りに先を急いだ。散在する潅木の間から時折野鼠か何かが足早に駆けだしてくる。平然と歩き続けるテオとは対照的に、アマディオはしきりに周囲を気に掛けており、彼の視線の先には幾つもの濃い影が揺らめいていた。


 その影達の殆どは人の形をしていたが、中にはただの瘴気の塊としか見えないものもあった。テオの手にしたランプの灯りが届くとその影達は微かに蠢いたが、別段二人に注意を払うでもなく、皆一様にネビアの街のある方角を拝んでいた。


 また中には色濃い影に纏わり付かれながらも生前の姿を留めている者もあった。さながら娼館の地下に現れた女のようにはっきりとした姿の亡霊が今まさに影に取り込まれんとしているのである。

 さすがにその時ばかりはアマディオのみならずテオまでも歩みを止めたが、それも一瞬の事で、小さな影祓いの見習いは宙に魔除けの印を切ると再び歩き始めた。


「陽は闇に勝りし我らの導き、陽は闇を遠ざける我らの覆い、陽は我らに与えられた……」巷に流布している魔除けの呪い(まじない)文句を仕切りと唱え続けるアマディオの様子に、先を歩くテオは無言で振り返ると少し意地の悪そうな眼差しを投げかけた。

「そんな目で見るな、餓鬼!」アマディオは小声で悪態をつくと、それでもテオの傍を離れまいと、前を行く少年に歩調を合わせた。


 アマディオとて影を見るのは初めてではなかった。彼はいわゆるゴロツキであり、奴隷商の名代として夜昼を問わずに何度も荒野の東西を往き来した。大枚の護符を携えて墓暴きをした事もあったし、南の山越えの時には湖沼地帯で人魂の群にも出くわした。そして荒野で出くわす影人や妖物の方が墓所でみるそれらよりはるかに性質が悪いのは承知していたが、それにしてもここで目にする影は数があまりに多過ぎた。


 そもそも影とは何なのか。街では影人とも呼ばれて死者の魂の成れの果てと考えられていたが、全ての者が死んで影になる訳ではなく、成る者と成らぬ者の違いは何処にあるのか、影人とはいったい何なのか、本当の所を知る者は誰も居なかった。


「お前さん、よくこんな薄気味悪い場所で暮らしていけるな……」アマディオは吐き捨てるように、だが小さな声で言った。影祓いの身内にそう問う事が愚問であるのは分っていたが、何かを口にせずには居られなかったのだ。

 アマディオの、ただおのれの気を紛らわせる為だけの問いに、数歩先を行くテオは一向に振り向こうとはしなかった。

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