第5話 宵星の塚の影祓い(二)

 夕刻、ネビアの街の大きな通りや広場では露天商達が早々に店仕舞いの支度を始め、仕事を終えた者は家路を急ぎ、あるいはこれから仲間とどこへ繰り出そうかと算段をしながら往来を足早に通り過ぎて行く。


 同じ頃、街の裏通りでは花街の客引き達がいかにして客を店に引き込もうかと手薬煉(てぐすね)をひき、路上の片隅では気の早い酔っ払いが商売女と肩を組みながら嬌声をあげていた。


 その雑踏の只中を荒野から来た外套姿の一団が粛々と通り抜けて行った。通りにでき始めた人だかりは自然と道の両側に分かれ、彼等の姿が目に留まると喧騒がひそひそ話へ取って代わる。


 いったい誰が死んだのか、あるいはこの一団が街のどこへ向かうのか、などと言った問答が押し殺した声で飛び交い、中には露骨に魔除けの呪い飾り(まじないかざり)を振りかざす者もいた。


 だがその一団が近くに差し掛かるとひそひそ話さえ成りを潜め、代わりに畏怖と蔑みと、そして好奇の眼差しが注がれた。


 荒野から来た一団は死者の門から貧民街を抜けると、大きな通りを避けて街の南東を目指した。その辺りは古い造りの大きな建物が幾つも連なる区画で、街でも有数の夜の歓楽街だ。


 彼等は蜘蛛の巣のように拡がる大小の路地を迷う事無しに進み続けると、やがてある大きな娼館の裏手に辿り着いた。


 裏口には長身の痩せた男が一人待っており、男は一向の姿を目に留めると横柄な仕草で手招きした。


「中へ入ってくれ」痩せた男はそれだけを伝えると、相手が裏口まで来るのを待たずにひとりで扉の向こう側へと消えてしまった。


「マイラはここで待て。ヨアキムとテオ、それにセラナは荷物を持って私について来なさい」儀仗を手にした男が言った。この男は先刻河畔でテオ達を殴り飛ばしたその人である。名をマルセンと言い、この街の西に広がる広大な墓所の司、影祓い(かげばらい)の頭目の一人であった。


 マルセン達はマイラと呼ばれた女を荷馬車の傍に残して痩せぎすの男の後を追った。


 裏口から館の中に入ると、石造りの狭い廊下が奥へと続いていた。通路の所々に飾り細工を兼ねた風防付きの蝋燭立てが等間隔に設え付けられていたが、その全てに灯りが点されている訳ではなく、建物の中はひどく薄暗く感じられた。


 廊下の突き当たりまで進むと痩せぎすの男が待っていた。男はマルセン達が追いついてくるのを確認するとすぐ横の階段を地下へと降りていった。


 地下の一室につくと部屋の扉が手前に少しばかり開かれていた。中を覗くとそこは普段物置として使われている部屋であった。


 部屋の幅は狭く、両側に並べられた戸棚の間に大人が一人通れる程度の空間があるきりで、部屋の入り口あたりまで荷物の山で埋め尽くされていた。部屋の奥行きはそれなりにあるようで、暗がりの奥の方で灯りが付いているのが見えた。


 室内に足を踏み入れると酷くかび臭い匂いがした。廊下よりもいくぶん肌寒く感じられ、どこかに通風孔でもあるのか空気が緩やかに移動しているのが分かる。


 マルセン達は痩せぎすの男を先頭に、荷物の間を掻き分けるように奥へと進んだ。狭い通路を通りぬけると突き当たって右側に少し開けた空間があり、横長の作業台が一つ置かれていた。


 作業台の上には胴に布を掛けられた肌着姿の女が横たえられていた。そしてその女の傍らに一人の女がたたずみ、彼女達を遠巻きにするように数名の男が無言のまま壁際に並んで立っていた。


「死んで如何程になる?」マルセンが男達に尋ねた。薄暗い部屋の中に一瞬ざわめきが生じた。


「三日程でして、へぇ」遠巻きに見ていた男達の中から太った小男が一歩前にでた。

「フェルナンドと申します。この館の差配を任されております者で。まさかこんなに早く出やがるとは思いもしませなんだので、何ともはや……」フェルナンドと名乗った男は小声で答えると、薄気味悪そうに作業台の傍に立つ女を見た。


 無言のまま立ち尽くしている女の姿は横たえられた女のものと瓜二つであった。だが立っている女からは感情と、そして色彩というものが欠如しているようにみえた。


 なにより異様なのは、その女の身にまとった肌着は台の上の女と同じ物であったが、立っている女のそれは肌ごと若干透けているように見え、地下室を流れる僅かな風の流れとは無関係に頼りなげに揺らめいているのだ。


 どうにも薄気味悪い。そう思わせる風体の女は、まるで生気を感じさせぬ眼差しでそこに横たわる自らの身体をただじっと見詰めていた。


 マルセンは後ろに控えていた仲間達になにやら指示を出すと、再び小男の方へ向き直った。


「じき影になる。そうなってからでは厄介であったが何故すぐに知らせなかった?」マルセンは射貫くような眼差しでフェルナンドを見据えた。フェルナンドは広く後退した額を指先で掻きむしりながら上目遣いでぼそぼそと口を開いた。


「実は今、この館では流行り病が出っておりまして、悪くすりゃ明日、明後日の内にもこれのお仲間が増えそうな勢いでして……お互い、手間は少ない方が良いと言うもんでやしょ」小男は臆面も無しにそう告げると、マルセンに向けて粘り付くような薄笑いを浮かべて見せた。


 マルセンはフェルナンドの申し開きを一喝すると、その場に居合せた他の男達を下がらせるよう言った。フェルナンドの一声で男達はぞろぞろと部屋を退出し、影祓い達の他には最初に彼等を招きいれた痩せぎすの男――名をアマディオと言う――が付き添いとしてこの場に残る事になった。


 マルセンは連れてきた仲間達に一瞥をくれると、色彩を失いかけた女の傍らに寄り添うように立った。それを合図にテオとセラナが香炉に新たな香薬を加えて煙を振りまき、ヨアキムが影を払う呪い(まじない)の言葉を独特の調べに乗せて低く小さくつむぎだした。


「女よ……私の声が聞こえるか」マルセンは立ち尽くしたままの女に時折声を掛けてみたが、四度目にしてようやくその空ろな眼差しが僅かに持ち上がった。マルセンはその小さな変化を見逃さずに更に続けた。


「時は未だきたらず……今暫し、元ある身体の内に留まってはくれまいか…………女よ、時は未だきたらず……」マルセンが同じ文句を繰り返す内に女の視線は作業台の上に横たわっているおのれの肉体から離れ、徐々に上へ上へと逸れていく。その視線が丁度水平を向いた辺りでマルセンが語りかけるのを止めると、女はゆっくりと首をひねって背後を見た。


 その視線が頭巾の下のマルセンの視線と交わった時、一呼吸の間だけ憂いとも嘆きとも取れる感情を瞳に宿すと、女の身体は一瞬の内に黒い靄と変じた。

 そして女が立っていた辺りに漂う靄は、台の上に安置された女の亡骸へ覆い被さるように纏わり付き、その体内へ染み入るように消えてしまった。


 事の一部始終を見守っていた痩せぎすのアマディオは、当初の横柄さはどこかへ置き忘れた様子であんぐりと口を開けると、青ざめた顔つきで壁際に突っ立っていた。


 マルセンは台の上の女を埋葬する為に墓所へ引き取る旨を彼に伝え、背後に控えていたヨアキムに次の作業を指示した。


 ヨアキムはテオとセラナに埋葬布を用意させ、二人に手伝わせて遺体を手早く包み込んだ。マルセンが顔だけを残して薄鈍色の布に覆われた女の遺体の傍に立つと、テオが持参した荷物の中から植物の実を磨り潰してつくった紅の器を持ってきた。


 マルセンは親指と人差し指を紅に浸すと、慣れた手つきで女の額から頬にかけて何やら紋様を描き始めた。そして最後に紅のついていない方の手で、薄っすらと開かれていた彼女の瞼を閉じ、死出の送り化粧を終えた女の顔を布で覆い尽くした。

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