第31話 分霊のヨナス(七)

 無人の家屋で一晩を過ごした次の日、三人は朝早くに目を覚ますと放棄された集落の中を手分けして見てまわった。何か使える物が残されていないか探すためであるが収穫は殆ど無かった。


 太陽が高く昇る前に三人はまた昨夜寝泊まりした建物へ戻ってきた。蝋燭の束、油の入った瓶にひび割れた食器などの雑貨が少々。食料などは残されていても既に腐り果て、井戸や水瓶に飲める水は残されていなかった。


「どうにかしないと……」セラナが溜め息をついた。


 手持ちの食料は切り詰めていけば当面は何とかなりそうである。テオもセラナも貧しい土地の出で飢えには慣れていたし、ヨナスは彼等以上に食事を必要としないようだ。


 だが深刻なのは水である。あてにしていた井戸も水が枯れるか腐るかし、持参した皮袋に残された水の量はたかが知れていた。ミアが誰かを遣してくれると言っていたが、それがいつ頃になるのか定かではなく、ジベール達もどう動くか分らぬ以上、いつこの場を発つ事になるか知れない。

 ただ一つ言える事といえば、それでも今はアラナンドの街に近づくべきでないという事だけであった。


「この土地の塚守り達を尋ねてみよう」テオが言った。だが言葉とは裏腹に彼は己の左掌を握りしめたまま、どこか浮かぬ顔をしていた。おそらくそこに刻まれた失印を恥じているのだろう。セラナは少年の気持ちをつぶさに汲み取ると悲しそうな顔をした。

「私が見張りに付くからテオとヨナスは休んで」セラナはそう告げるとひとりで小屋を出て行った。




 その日は何事も無く過ぎた。日中は見張りを交代で立てたが、ミアの使いもジベールの手の者も現れなかった。廃屋から見つけた油を無駄にせぬ為に夕の食事を陽の落ち切る前に済ませ、あとはすることが特にない。


 この日もテオとセラナは干し肉の切り身を一切れ手にして、ヨナスは丸薬すら取らずに水を一口含むだけであった。当面このわびしい食事で凌ぐのは致し方無いとして、先の身の振りが定まらぬ事にはどうにも落ち着きようが無かった。


 テオとセラナの間では自分達だけでセムの街へ向かおうとか、山を超えて西国へ出ようとかあれこれと意見がでたが、結局子供二人の想像力では何れも単なる絵空事でしかなかった。やがて答の出ぬ議論に疲れたセラナが話すのを止め、その日はおとなしく眠る事にした。


(行先は決まったか?)ヨナスが尋ねた。少し言葉を理解できるようになっていたヨナスは子供達がこの先どこへ向かうかでもめていたのを理解していたようだ。テオは首を横に振って答えると、ヨナスは別の話題を切り出した。


(昨晩私に聞かせてくれたような森をテオは知っているのか?)ヨナスが尋ねた。それはテオが見た記憶の断片にふれた時の事をいっているのだ。しかしテオが再び首を横に振るとヨナスは珍しく落胆の色を顔に滲ませた。


(あれほど暗い森は見たこと無い……でも、どこか懐かしく感じた)テオが言った。少年は再び昨夜の像の閃きを思い返した。そしてなぜ懐かしく思えたのかと考え直してみると、それは実に単純な事で、小さな頃によく遊んだ山奥の森に何処か雰囲気が似ていたからだと気付いた。


 彼の故郷はここからだと南西の方角に当たる山岳地帯にあったが、そこより更に奥地には荒野で目にするような枯れ林とは違う、鬱蒼とした森があった。そしてその森には昔から魔女や魔物が住むといわれていて、里の者は皆軽々しく立ち入る事を禁じられていたが、テオは何度かその森へ脚を踏み入れた事があった。


(少し違うけど似た森を知っている)テオが答えた。少年のその言葉に、ヨナスは眼を大きく見開かせ、そしてため息をついた。

(私を、その森へ連れて行ってはくれぬか……)ヨナスは喘ぐように言った。少年の知る森が果たして精霊達の宿る森かどうかは分らなかったが、ヨナスには恐らくもうそれほど時間が残されていなかった。

(私はそこへ行かねばならぬ)彼はそう告げると、哀願するような眼差しでテオを静かに見据えた。




 三日が過ぎてミアからの使いが現れた。早朝、川へと続く野分道を旅装束の男が一人でやって来たのだ。男は一度テオ達の潜んでいる集落を行き過ぎると、外套の頭巾を取り払って再び戻ってきた。それは巡礼者の格好をしたアランであった。


 見張りに立っていたテオが小屋の影から彼を呼び止めた。アランもすぐに少年の事に気付き、二人して小屋の中へと入る。そしてアランの姿を見るなりセラナが駆け寄ってきた。


 セラナは、ミアが無事かどうかアランに尋ねた。アランは彼女が寺院の奥で匿われている事を伝え、今は外出を差し止められていると説明した。


 それからアランは子供達に食料と水の入った皮袋を手渡すと、彼等に今後の身の振り方について尋ねた。


 セラナはとっさにホルンベルが戻ってくるのを待つと答え、その先の事は考えてないと明かした。


「街から早めに離れた方がいい」アランが言った。寺院の関連施設は未だにバローネの手の者に見張られており、その目がいつ街の外へと向けられるかもしれぬと彼は言う。

「奴等はまだ君達の事を諦めてはいない」アランのその言葉にテオもセラナもにわかに表情を曇らせると、お互い顔を見合わせた。


「……ニアブの谷へ行こう」テオが口を開いた。それは彼の生まれ故郷である渓谷であった。少年はヨナスの方を振り向くと、彼の知る森まで皆を案内すると伝えた。




 その日はテオ達と共にアランもこの廃屋で夜を迎えた。四人は窓の覆いを締め切ると床の上に置かれたランプの周りに小さな輪を作るように集まった。輪の中央には一枚の使い古された地図が置かれていた。アランが持参したもので、巡礼者達の為に彼等が配布している地図であった。


 地図にはセム川周辺の情報しか記されていなかったが、そこにアランが彼の知る未筆の道や集落などを次々に描き加えていった。


「まず旧道に出ることだ」そう言うと、アランは書き入れたばかりの道に太めの線で新たな道を交差するように描き足した。


「昔、テオが連れられて来たのは恐らくこの道だろう」木炭で描かれた線は南方の山々の裾野を東に流れ、アラナンドの街を南側に大きく迂回するように伸びた。その線は旧街道を表していた。旧道はやがてアラナンドとネビアの間、ややアラナンド寄りの地点でセム川を横切って現在の街道へとつなげられた。

「良く分からないけれど、街道に出たのは確かにこの辺りだったと思う」テオが頼り無さそうに言う。


 少年は眉間に軽く皺を寄せ、初めてネビアの墓所へ連れて来られた日の事を思い返そうとした。だがそれはもう何年も前の事で、彼はまだ十にも満たぬ子供であったのだ。

 小難しい表情で記憶を呼び覚まそうとするテオにアランがそっと言葉をかけた。

「行けばその内思い出す事もあるだろう」アランは少年を励ますようにその小さな肩を二度叩くと、今度は彼の知る旧道沿いにある古い集落の場所を二人に教えた。


「私がこの道を通ったのも、もう随分と昔の事だからな。今は様変わりしているかもしれん」アランはしみじみと言った。それからその地図を元にニアブとテオが呼んだ谷の場所を聞き出すと、その場所へ向かう事を彼からホルンベルに伝えておこうと約束した。


 二人のやり取りを聞いていたセラナが、ここで別れる事になるのかとアランに尋ねた。


「私は一旦寺院へ戻る。それから折を見てミアを街から連れ出そうと思っている。まずはホルンベルの塚でも訪ねてみる心算だ」アランが言った。


「その後、どうするの?」セラナが尋ねた。

 少女の心の芯にまた一つ小さく鋭い棘のようなものが突き刺さる。己のせいで誰かがまた不幸に追いやられるのかと思うとどうにも居たたまれない。ミアにアラン、それに塚の皆。中でもテオは彼女の巻き添えを喰って今まさに逃避行の最中である。


 あの日、自分がバローネの館に忍び込もうなどと短慮をなさなければ、あるいは人買い達の手から逃れようと考えなければ、おそらく誰もこれまで通りの日常を失う事などなかったに違いない。

 しかしそんなセラナの想いをよそにアランは陽気に笑うと、ようやく一介の巡礼者に戻るのだと誇らしげに宣言してみせた。


「祭事の職もじき辞する事になる。ミアをどこか落ち着ける場所へ送り届けたら、そのまま古跡巡りの旅に出ようと思っとるんだ」アランの口振りはまるで清々すると言わんばかりのそれであった。


 実のところアランは前々から一介の巡礼者に戻ることを考えていた。寺院での役儀が増えるにしたがい巡礼行から久しく遠のいていた彼であるが、若い頃は荒野のいたる所に残された古いカミ達の痕跡を求めて旅をし、それらの前で昔の人々はどのように祈りをささげたのかと思いをはせながら瞑想にふけったものであった。


 無論、街での今の暮らしもそれなりに気に入っていたし、寺院での己の役割に誇りを持って臨んで来た心算であったが、その運営に深く携わる程、信仰の本旨と外れたところで日々が過ぎる事に何かしら不満を感じ続けていたのが実情であった。


 そして今回の件でアランは自らの迷いに踏ん切りを付ける事ができた。今はむしろ晴れがましい気分であるとさえ感じていた。


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