バローネの館

第16話 バローネの館(一)

 セラナが墓所の物置小屋に移されてから十日近くが過ぎた。この間、先の埋葬での一件に関して良くも悪くも進展は無かったが、小屋での彼女の暮らしぶりだけは幾分改善されていた。


 小屋中を埋め尽くしていた荷物の一部が密かに別の場所へと運び出され、部屋の片隅には狭いながらも少女が暮らす為の空間が確保されていた。小屋の至る所に見られた蜘蛛の巣や埃の山も取り払われ、夜になるとテオかマイラのいずれかがアンの持たせた食事を携えて顔を覗かせた。


 無論、外出を控えるようにマルセンから釘を刺されていたので、セラナは陽のあるうちの殆どを小屋の中で過ごさなければならなかった。


 その代わりといっては何であるが、少女の事を不憫に思ったマイラが時折、夜の墓所の中を案内してくれるのだ。散歩をするには少々穏やかならざる時と場所であったが、他にする事も無かったセラナは誘われればマイラの夜の巡視に喜んで共をした。


 不穏当な事と言えばもう一つあった。あの日から三日と空けずに街の娼館から新たな死者を迎え入れ、墓所で弔ってやらねばならぬ事であった。


 新しい墓標の列はセラナの隠れ住まう小屋へと少しずつ伸びていき、その間中、彼女は窓の影に身を潜めて埋葬の一部始終を見守るのであった。そして埋葬が終わって街の者達が帰るのを見届けると、テオやマイラは必ずセラナの様子を見に小屋へ立ち寄った。


 この日も夕刻に二人の遺体を埋葬し終えたばかりであった。アマディオをはじめ葬儀に立ち会った街の者が皆帰路につく中、テオとマイラは新しく出来たばかりの墓標の前で祈りをささげていた。


 二人はアマディオ達が引き上げてから十分な時間をおいてセラナの潜む物置小屋の扉を叩いた。少しして扉は内から静かに開かれ、奥からセラナが不安そうな顔を覗かせた。


「今日埋葬した中にも子供は一人も居なかったよ」テオが言った。その言葉を聞いたセラナはそっと胸をなでおろした。

「とりあえず中へ入りましょう」マイラが周囲の様子を気にしながら、二人を押し込むように小屋の中へと入っていった。


 マルセン達はたかが娘一人を取り戻す為にバローネの一党が墓所まで乗り込んで来る事は無いだろうと踏んでいた。


 奴隷商人達が子飼いの商隊につぎ込む金は決して少ない額ではなかったが、それでも彼等はこれまでに十分な利益をあげ続けてきたのである。田舎出の娘子一人の為に死者の守人たる影祓い達の不興をかうよりは貸しの一つも作っておく方を選ぶだろう。


 あとは彼等の体面さえ保てやれば良いのだが、その為にもほとぼりが冷めるまでの間、セラナには大人しく隠れていてもらわねば成らなかった。


「窮屈な思いをさせるけれど、もう暫くここで我慢してちょうだい」マイラはそう口にしながら、最後にもう一度外の様子をそれとなく窺うと後ろ手に扉を閉めた。


 それからセラナに向き合うと、彼女の今後についてはマルセンとホルンベルが決して悪いようにはしないだろうと請け合い、重ねてもう暫くの辛抱だと少女の事を励ました。


 セラナはそんなマイラの気遣いにただ恐縮するばかりであった。全ては自分の不用意な行動が招いた事であり、塚の皆からの厚意には感謝の言葉しか出ない。


 すると突然テオが話題を変えた。重くなりかけた場の空気を敬遠して、わざと明るい表情をして見せる。彼とてセラナが今おかれている立場が分からぬではなかったが、やはりそこはまだ子供なのだ。何か差し迫った事態にでもならぬ限り、セラナにはいつも通りのちょっと生意気で気侭呑気な友でいて欲しかったのだ。


「これ、今夜と明日の朝の分」テオはアンが持たせてくれた麻袋を机の上に置き、中から布包みを幾つか取り出した。


 干し肉、干し果実、乳脂の塊などが分けて入れられており、それらを挟んで食べるためのパンも用意されていた。他に燃料用の油の入った小瓶と予備の蝋燭の束を机の上に並べると、片付けをしていた時に見つけた風変りなランプを小屋の片隅から引っ張り出してきた。


 ランプは随分と古い型の据え置きの灯火台であった。普段使う物より一回り大きな代物で、燃料を入れる為の大きな台座の部分から三本の側柱が上に伸び、その上には平たい鉄制の円盤が乗せられていた。


 テオは円盤の埃を袖でぬぐうと、ランプに油を足してから風防の中の芯に火を灯した。台座の摘みをひねると火の勢いが少し大きくなる。


 テオは円盤が十分に熱せられるのを見届けると、今度は上着の隠しから折りたたみの刃物を取り出した。


 マイラの方を見ると彼女は首を横に振ったので、テオはセラナと自分の分のパンに水平に切れ目を入れ、それからランプの熱で軽くあぶったナイフの先でパンの内側に乳脂をたっぷりと塗りこめた。


「少し焦がすと美味いんだ」テオは得意そうに言うと、ランプの上の円盤に二切れの干し肉をかざした。ほんの一寸であったが、熱にあぶられた肉の表面に薄っすらと油が染み出してくる。


 テオは炙った肉片を干し果実と一緒にパンの間に挟み込み、一つをセラナに手渡した。セラナは受け取ったパンに小さくかぶり付き、すぐに満更でもないという風に頷いて、今度は大きく二口目を開ける。


「どこでそんなやり方を覚えたのかしらね?」マイラはおどけた表情をしながら、干し果実の袋にそっと手を伸ばした。

「セラナ、私は戻るけれど、今日はテオが一緒に居てくれるから大丈夫よね」マイラが言った。その顔はどこか気だるそうで、目の周囲に薄っすらと疲れの色がうかがえた。


 本来、マイラの普段の役回りは墓所の夜回りであったが、ここしばらくはバローネの対応で日中も何かと駆り出されていた。だからこの半月ばかり、彼女は空いた時間に仮眠をとる程度で、昼夜問わずに働いていた。


「マイラもたまにはゆっくり休まないと……」セラナがマイラの事を気遣うと、マイラは黙ったままにこりと微笑んだ。それからテオとセラナに一晩大人しくしているように言い残すと小屋を出て行った。




「そろそろ寝ないと……」テオが言った。カーテンの隙間から外を覗き見すると周囲はすっかり暗闇に覆われていた。空に月は出ておらず、今が何時かよく分らなかったが、深夜はとうに過ぎている頃合であった。


 まだ眠くないと主張するセラナを余所目に、テオは夜具に包まると長椅子の上へと身を横たえた。今はここが彼の定席であった。

 セラナも不満そうに文句を言いながら、長椅子のすぐ隣に設えられた自分専用の寝床に寝転がった。


 木箱を並べて作った仮設の寝台の上には毛布が何枚か重ねて敷かれていたが、決して寝心地の良い代物ではなかった。それでも身体は十分に伸ばせるので、朝には疲れはしっかり取れているのだが、そんな事よりも彼女が今欲しているのはこの退屈な日々をどうにかしてくれる相手であった。


 セラナは、彼女にしては珍しく丁寧な口ぶりで、テオに向かって愛想よくあれこれ話題を振りまいたが、肝心の少年の方はというと面倒臭そうなそぶりをするばかりで、そそくさと頭の先まで毛布に包まりこむと長椅子の上に横になって背を向けた。


「マイラなら、もう少し相手してくれるわよ」セラナはなおも食い下がろうとする。彼女は身体を起こして寝台の縁に腰を掛けると、まるで幼子が駄々をこねるように両足をじたばたさせてみた。


 それでも一向に応じようとしないテオの背中に、少女は大きく舌先を突き出すと、つまらないと一言吐き捨てるように呟いた。


「だからマイラは疲れが抜けないんだよ……」背を向けたままのテオから皮肉が返される。

「悪いけど、明日も仕事だからもう寝るよ」テオは一方的に会話を終えると、セラナにランプの灯りを消すよう頼んだ。


 すぐに灯りは消され、部屋の中は静まり返った。一度だけ、暗闇の中でセラナが毛布を手繰り寄せる音が聞こえる。だが音はそれきりで、彼女が身を横たえる気配は伝わってこなかった。


 不思議に思ったテオが背中越しにセラナの気配を探ると、彼女はどうやら黙ったまま寝台の縁に座っている様子だ。


「明日もまた埋葬するの?」小さな声が尋ねてきた。テオが答えずにいるとセラナは質問を変えた。「病気の人達ってまだあそこに沢山居るのかな……」セラナは独り言のように呟くと、真っ暗闇のなか、ただ宙をぼんやりと眺めていた。


「地下の部屋にまだ何人か隔離されているみたいだけど……でも、もうあんまり長くは無いだろうって館の人は言ってた」テオは何気なく口にしてから、すぐに最後の一言は余計であったと後悔した。


「その中にセラナの知ってる子がいるとは限らないよ。どこか他所へ移されたかもしれないだろう?」慰めのつもりで続けたテオの言葉に、背後からはただ一言「そうね」と力ない返事が返された。


 テオの今の言葉が気休めでしか無い事は彼自身もセラナもよくわかっていた。他所へ移されると言う事は、売る為に移されるか、売られて移されるかだ。

 或いはセラナの残る二人の幼馴みも彼女と同様に逃走を企てたかも知れなかったが、彼女がホルンベルに救われてこうして匿われている事自体が奇跡のようなものであった。

 テオはただ彼女の友達が何処かで生きているかも知れぬと言いたかっただけなのだが、今は己の配慮の無さを悔やんでいた。


「セラナ?」テオは心配になって彼女の名を呼んだ。セラナは何も答えようとはせず、暗闇の向こう側から寝床に潜り込む気配だけがした。




 翌朝、いつもより少し遅くにマイラが物置小屋を訪れた。テオとセラナは丁度朝食を食べ終えたところであった。

 マイラが、テオのあまりに眠たそうな表情から昨晩の夜更かしを察して嗜めたが、少年は知らぬ存ぜぬでおし通した。


 そんな二人のやり取りを見てセラナは可笑しそうに笑っていた、その様子から昨夜の陰気な会話の名残は微塵も感じられなかった。

 テオはどこか拍子抜けした様子でセラナの事を見ていたが、それを無視されたと勘違いしたマイラが少年の耳を摘みあげて自分の方へと振り向かせた。


「私の話を、ちゃんと、聞いていたかしら?」マイラはいつに無く低い声を出すと、少年の耳を掴んでいた手をさらにひねり上げた。途端にテオは短い悲鳴を上げて爪先立ちになる。

「……ごめんなさい、聞いてなかった」テオが哀願するような眼差しでマイラを見る。彼女は呆れたという顔でようやくその手を離してやった。


 それからすぐにマイラは真顔になると、朝早くに街からまたいつもの知らせが届いたと少年に伝えた。それはバローネの娼館からで、新にでた病死者の知らせであった。


「すぐに戻って支度なさい」マイラはテオに身なりを整えさせると、セラナには小屋で大人しくしているように告げ、二人で小屋を出て行った。

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