セラナの記憶

第44話 セラナの記憶

 この森の中では時という概念がどうやら平常とは異なるようであった。


 小指の先程であった小さな芽吹きの数々が天高くそびえるまでにはそれは気の遠くなるほどの歳月を必要とするものであるが、セラナが泉の傍からそびえ立つ大樹を見上げると、この土地を目指した日々の記憶がつい昨日の事のように思い起こされた。


 彼女の見上げる大樹の丈はかつて老いたヨナスが見せてくれた古い記憶の中の大樹にも決して劣らぬ程に成長を遂げていた。

 無論その枝ぶりや幹の風格、根の張り具合にはまだまだ若々しさが目立ち、積み重ねた年月の重みではヨナスの知る大樹に到底及ぶものではまだない。


 そして大樹の足元には不思議な色をたたえた泉が今も変わらずそこにあった。そっと瞼を閉じるといつでもその畔には老いたヨナスの物思いに耽る姿がある気がするのだが、そこに彼はもう居ない。

 老ヨナスの命はセラナ達がこの森に来るよりずっと以前にとうに終りを迎えていたのかも知れなかった。だが彼は何も分らぬセラナとテオの為にその命を幾らも永らえさせてくれた。


 彼女はヨナスから多くを教わり、かつては見ることも適わなかった森に住まう精霊達と繋がる術を学んだ。そしてヨナスが逝ってしまった後もセラナはテオと二人でこの森の移ろいを見守り続けた。


 森は若い大樹の成長とともに少しずつ若返り、外界の過酷な環境に飲み込まれることなく今もこうして永らえている。


 テオは結局あれから正気を取り戻す事は無かったが、彼が自ら植えたニアブの森の種は見事に芽吹き、今でも瞼を閉じると、少年が生まれたての木々に語りかけるように愛情をそそぐ姿をはっきりと思い出せた。


 おそらく彼は正気を失った後もセサルや分霊であったヨナスから託された想いを心の何処かで抱き続けていたのだろう。そして土から芽生えたばかりの木々はテオの記憶の導きによって地の精とまみえ、その祝福を勝ち取ったのだ。

 やがて木々は常よりも早く成長し、ヨナスがこの世を去る前には古い大樹の名残をその影で覆い尽くすまでになっていた。


 彼女にはこの古森に関して一つわからない事があった。テオは森に新たな礎をもたらした者であったが、どうやらこの森の守り人には選ばれなかったようだ。少年だった彼は木々と共に大人へと成長し、若さを折り返した辺りで病を得て死んでしまった。


 今は古き守り人達の墓標の隣でヨナスの亡骸と並んで眠っている。代わりにセラナがセサルやテオの担うはずであった役柄を引き継いだ。セラナは今も旅をしていた頃とさほど変わらぬ姿で日々繰り返される森の日常を見守り続けていた。


 何故自分が守り人なのか、そう問いかけても答えてくれる者は誰もいなかった。彼女は孤独である事にはもう随分なれていたが、それでも時折無性に人恋しくなる夜があり、そういう時はきまって砂漠狼の三日月が傍に居てくれた。


「おいで……」セラナが呼ぶと若い大樹の根の陰から三日月が駆け出してきた。三日月は彼女の足元に身体を添わせて首を反り返らせた。その首元を彼女が慈しむように撫で上げると、三日月は深緑の瞳を気持ち良さそうに細らせながら甘えるような鳴き声をあげた。



――― 大樹の物語・テオとセラナの旅 終 ―――




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